鷺流間の本 校訂  岩崎 雅彦     井上  愛     小田 幸子     倉持 長子     黒沼 歩未     小室有利子     富山 隆広 【凡例】 一、法政大学能楽研究所鷺流狂言水野文庫蔵『鷺流間の本』全五冊を翻刻する。 一、翻刻は底本に忠実であることを原則としたが、印刷の制約や通読の便宜を考慮し、左の方針に従った。   1、漢字の異体字や旧字体は、原則として通行の字体や新字体に改めた。ただし、「哥」「嶋」などの若干の異体字、「龍」などの若干の旧字体は底本のままとした。   2、変体仮名は通行の平仮名に改めた。片仮名・平仮名の別は、底本のままとした。「ニ」「ハ」「ミ」は片仮名にした。   3、合字は平仮名に開いた。   4、濁点は底本のままとした。   5、句読点は底本のままとしたが、行頭に付された句点は原則として省略した。ただし、演出注記については通読の便宜を考慮し、句読点を補い、詞章の引用に「 」を付すなどした。   6、セリフの冒頭にある「〵」は「 「 」 とした。   7、振り仮名は底本のままとした。   8、明らかな誤字は右に(ママ)と記した。   9、割注は〔 〕を付し、本文と同じ大きさで一行に記した。   10、曲名の下に記される割注は、本文の冒頭に〔 〕を付し、本文と同じ大きさで一行に記した。   11、朱で書かれている曲名番号・句読点・濁点・セリフ冒頭の「〵」は、朱であることをいちいち記さなかった。語りの冒頭にある「語」の文字は【 】に入れて示した。   12、「スム・ツメ」など発音に関する注記は省略した。   13、役名表記は、上下に一字分の空格を設け、本文と同じ大きさで記した。   14、節付けが記されている部分には、翻刻では始まりと終わりを〽と〽とで区切った。   15、型付けが本文の右に記されている場合は、〈 〉に入れ、小字で記した。   16、底本の文字が判読できない部分は文字の数だけ「□」に置き換えることとした。   17、翻刻の分担は以下の通りである。第一冊(富山隆広)。第二冊一田村~十一朝長(岩崎雅彦)、十二巴~二十二夕顔(井上愛)、二十三半蔀~三十三胡蝶(富山隆広)、三十四朝顔~三十九二人祗王(倉持長子)。第三冊(井上愛)。第四冊一春日龍神~十九同(倉持長子)、二十松虫~五十七二人静(小田幸子)。第五冊一鶴亀~二十六唐船(黒沼歩未・井上愛・倉持長子・富山隆広)、二十七正尊~五十三現在七面(小室有利子)。なお、伊海孝充・井上愛・富山隆広・中司由起子・深澤希望・宮本圭造・山中玲子が分担し、補正等、全体の表記の統一を図った。 (岩崎雅彦) 【翻刻】 [一冊目] 一   高砂 二   老松 三   弓八幡 四   志賀 五   呉服 六   放生川 七   同 鱗 八   養老 九   玉井 十   氷室 十一  加茂 十二  白髭 十三  嵐山 十四  江嶋 十五  大社 十六  和布刈 十七  白楽天 十八  竹生島 十九  難波 二十  西王母 廿一  寝覚 廿二  源太夫 廿三  道明寺 廿四  九世戸 廿五  絵馬 廿六  東方朔 廿七  輪蔵 廿八  右近 廿九  同 語 三十  岩船 卅一  雨月 卅二  金札 卅三  淡路 卅四  松尾 卅五  同 語 卅六  逆鉾 卅七  御裳濯川 卅八  伏見 卅九  鵜祭 四十  橘 四十一 浦島 四十二 代主 四十三 鼓滝 四十四 冨士山 四十五 御裳濯語 四十六 同 大蔵流 四十七 佐保山 四十八 難波 田安殿好 四十九 右近 宝生流 一 高砂 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居。シテ中入過テツレワキカヽル。一ノ松ニ立ツ。〕 「此所の者如何様成御事にて候そ〔ワキツレシカ〳〵〕 「心得申候〔脇連ワキニ向詞アリ。其内ニ舞台ヘ出、ワキノ前ニ座ス。〕 「当浦の者お尋ハ。いか様成御用にて御座候ぞ〔ワキシカ〳〵〕 「是ハ思ひも寄らぬ事お尋有物哉。我等も此所にハ住者なれど。左様の御事しかとハ存も致さず候。去なから初たる御方の。思召よりてお尋有を。一円に存せぬと申も如何なれハ。片端聞及たる通り物語申さふする〔下掛リノワキナレハ詞アリ。少筋違ニ向語。〕 【語】「先高砂の松とハ則是成木を申ス。然れバ高砂住の江の松を相生と申子細は。昔上代に。高砂の松に譬へ。万葉集を撰せらる。今又延喜の御代にハ住吉の松にたとへ。古今(コキン)を撰じ給ふ事。是は昔も今も相同し様に御座有れバとて。古今の序に。高砂住の江の松も相生の様に覚へと。記置れたる由承り及て候。又当社と摂州住吉の明神とハ。夫婦の御ン神なれバ。当社住吉へ御影向の御時は。あの住の江の松ニて神語を成さるゝ。住吉大明神此所へ御出現の折節も。諸木様々多キ内に。松は一寸になれバ定千年の齢を保(タモチ)。雨露霜雪にもおぼれず常盤なる物なれバ。松に上(ウヘ)越す木ハ有間敷と思召。我宮居も松諸共に有らふずるとて。是成神木を植給ふに。当社も出合相諸共に植置れし故。則相植の松共。但し是ハ在所の者の申事に候。然るに住吉と申ハ。垂仁天皇の御宇に。摂州津守(ツモリ)の浦に金色(コンジキ)の光り指(サス)を。朝に勅使を立て御覧すれハ。四本の松生出たるを。則四所明神と祝ひ御申有により。住吉にてハ松を御神木共。又ハ御神体共崇御申有抔と申。或古人の詞にも。砂(イサゴ)長して厳と成り。塵積て山と成る。浜の真砂の数は尽るとも。当社住吉の御座有らん程は。男女夫婦の栄へ和歌の道神道に於て。目出度事ハ尽すましいとの御事にて御座有よし申。相生の松の目出度キ謂数多有とハ申せど。先我等の存たるは斯の如くにて御座候〔ワキシカ〳〵、語シマイ、ワキノ方ニ向。〕 「言語同断奇特成事仰らるゝ物哉。左様の老人夫婦は。当社住吉の御神にて御座有らふずる。夫をいかにと云に。一体分身(フンジン)の御事なれバ。当社へ御参りの御方は。必す住吉へ御参詣なふてハ叶ぬに。唯今は是より直ニ都へ御登り有事を。神ハ能々御存成され。翁夫婦と顕れ。住吉にて待とふすると仰られたると推量致す。左有らバ是より住吉へ御参り有ふずる。去なから陸を御廻り有れば抜群(バツクン)の路次(ロシ)にて候。某此程新敷キ船を持て候が。未乗初仕らぬ。此舟に召され候へ我等楫取致し。住の江へ浦づたへに着ケ申さふする。〔ワキシカ〳〵〕あれ御覧候へ神慮〈ト云ナガラ、マクノ方ヲミテ扇ニテサス。〉の奇特に。日本一の追手が吹来ツた。〈ワキノ方ヲ向。〉頓てお船に召され候へ〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。後シテ出、地取ニテ入ル。〕 二 老松 〔出入前後、高砂同断。〕 「門前の者如何様成御事にて候ぞ 「心得申候 「此安楽寺の門前者お尋ハ。いか様成御用にて御座候ぞ〔ワキシカ〳〵。高砂同断。〕 【語】「去程に当社天満天神ハ。御幼少の御時ハ菅丞相とて都に御座有りしが。法性坊の御弟子にて。いまだ習ハざるに道を悟り。御才覚ハ世に越へ。万巻の書を諳(ソラン)じ給ひしかバ。君の叡慮に叶わせ給ひ。既に大臣の大将に成らせ給ふが。去ル子細有ツて此所へ御下り有べきに定り。年久しく住馴シ紅梅殿を立出させ給へば。明方の月幽なるに。折忘れさる梅か香の御袖に余りたるを。是や古郷の春の筐(カタミ)と思召。東風(コチ)吹(フカ)ハ匂ひを越せよ梅の花。主(アルジ)なしとて春な忘そと打吟じ。当所へ御下向成さるゝに。東風吹風の便を得て。此梅飛来るにより。則飛梅とは名付在す。又色も等けれハ。紅梅殿とも崇御申ある。毎も都にて御寵愛(テフアヒ)成されたる。松の事を思召出され。何とて松の難面かるらんと詠ジ給へば。草木心なしとハ申せど。取分松は心の有けるぞ。跡より追々慕ひ来るを以て。老松の神と祝れ在す。其後御上洛成され。何事も思召侭に亡し。今に北野の南無天満大自在天神と。君も渇仰の御事なれバ。上十五日ハ都に御座有り。下十五日ハ此処に在由申伝フる。先我等の存たるハ如此にて御座候 「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉。旁の常に北野を信じ歩を運び。殊に是迄遥々御下向有事を。神ハ一入御納受被成。老松紅梅殿花守と現じ。御雑談有たると存る間。暫く是に御逗留有り。神前に於て信心私なく御祈念成され。其後都へ御登あれかしと存る「尤に候 三 弓八幡 〔出入前後、右同断。〕 「山下の者如何様成る御事にて候ぞ 「心得申候 「此八幡の山下の者お尋ハ。如何様成御用にて御座候ぞ〔セリフ右同断。但シワキ臣下ユヘ承り及たる通り、申出ふすると云。臣下ニハ皆如此丁寧に云。〕 【語】「去程に神功皇后異国退治の御時。我朝の神々を語らひ御申成され。長門の国豊浦の郡に着せ給ひ。船木山に分入楠一本にて。船を四十八艘御作り成され。九州松浦の沖に浮め給ひ。猶も計略の其為に。長門の沖に檀を築き。異国退治の法(ホウ)を執行せ。皇后ハ四王寺の峯に御上(アガ)り有り。岡玉の木の枝に五十の金の鈴をむすび付ケ。七日七夜至誠心にして。夫より異国へ思召立ツに。一艘の舟に召れたる御神は。はや余の兵船にハ御座有間敷き事成に。何れもの船に同し神々の乗移り。神力仏力を以て。三韓を御順ヘ成され御帰朝有り。御座の紐を解給ふ刻ミ。天より八流幡の降下る。左有に依て御名を八幡と名付給ふ。其後王城近く宮居をなひて。弓矢の守護神と成ふすると思召。八流の幡を虚空に御飛せ有り。此幡の落着たる所を。則御鎮座に成されんと有るに。忝も王城の南。本山此男山の峯に。忝クの幡落留(トヾマ)りたるにより。当山を八幡山とハ申習す。此所に御影向の御年か。卯の年の卯の日にて候に。取敢ず袖神楽を参らせしを。初卯の御(ミ)神楽と名付られ。年中には七十余度の御神事とハ申せど。取分キ今月今日の御神拝を。初卯の御神事と申て。是を本ンと執行申も此子細にて候。数多目出度キ謂の有とハ申せど。先我等の存たるは斯のことくにて御座候「言語道断奇特成事御諚成さるゝ物哉。左様に何国とも知らず老人の。弓を錦の袋に入れ持参申されん人。爰元にてハ覚ず候が。小賢キ申事なれと拙者の推量致すハ。高羅(カハラ)の神ンかりに人間と見(マミ)へ給ひ。桑(ソウ)弓(キウ)を我君へ捧申されたると存る間。弥神前に於て信心私なく御祈念成され。其後奏聞あれかしと存る 「有難ふ 四 志賀 「此所の者如何様成御事にて候ぞ 「心得申候 「当所の者お尋ハ。いか様成御用にて御座候ぞ〔セリフ同断。〕 【語】「去程に志賀の山桜と申子細は。人皇十三代成(セイ)務(ム)天皇の御宇に。此江州志賀の郡へ都を遷され。君も忠う((ママ))国も豊に。国土安全の政怠りなき比。此志賀の山を大内の花園に成され。庭前のことく何れも叡覧有べきとて。叡山比良の近国他国の。深谷(シンコク)深(シン)林(リン)の花の種をとり。長(ナガラ)柄(ナガラ)の(等    )峯迄植置れしを。志賀の山桜とハ申習す。毎年春も半に成りぬれバ。峯も尾上も皆花までにて。古人ハ雪か花かと疑ハれ。散積りたる谷の落花は。去年(コゾ)降雪や残るらんと紛ひ。帰るさを忘るゝ程の名所なれば。老若男女共に花見の人々多き中に。取分キ程近き都より。毎日毎夜貴賎群集なし申さるゝ。又大伴の黒主を志賀の大明神と申子細は。有時帝石山詣成されしを。国の守は三寸(ミキ)を進め申さんとて仮屋を建。種々様々の用意あれど。主上ハ浦山の体を叡覧成され。直に都へ遷幸有ルを。しばし留申事の及なければ。其時黒主の歌に。さゝら波間なくも岸を洗ふめり。渚(ナギサ)清くハ君(キミ)留れかしと。か様に読れし哥を天子聞し召。其御褒美に大伴の黒主を。志賀の大明神に祝ひ御申候。左有に依て志賀の大明神の御本地を。如何成御神ぞと尋ね奉れバ。最前も申如く大伴の黒主。又大伴の黒主の子孫は。いかなる人ぞなれバ。忝も志賀の大明神。繰返し申ても先我等の存たるハ斯の如くにて御座候 「言語道断奇特成る事御諚成さるゝ物かな。雲の上人此所への御ン下向を。神ンハ一入御納受被成。山賤と現じ御詞を替されたると存る間。暫く是に御逗留なされ。重てハ誠の神姿を御覧じ。其後御上洛あれかしと存る 「有難ふ 五 呉服 「此所の者いか様成御事にて候ぞ 「心得申候 「此呉服の里の者お尋ハ。如何様成御用にて御座候ぞ〔セリフ同断。〕 【語】「先人皇十六代応神天皇の御宇に。我朝の事ハ申に及ず。新羅百済高麗までも。残らず日本に靡順ふ御代なれバ。唐土よりも数の宝を舟に積ミ。綾女(メ)糸女(メ)と申二人の織姫の女婦を添へ。大船を明州の津よりも押出シ。順風に任せ程なく日ツ本の地に着を。始ハ和泉の国吹飯の沖に浮ミしに。是より都へハ程遠く候とて。其後難波の浦迄舟をよせ。則松原に機を建。色々様々の御衣(イ)を数多織。鎮に貢を捧申されけれバ。主上御感浅からざりし時分。織姫ハ猶珍らしき紋も哉。呉服に織付度キと思ハるゝ所に。五色の山鳩一羽飛来るを。仏神の教ぞと思ひ頓て織付。今に山鳩色の御衣(イ)と申て。殿中の上衣成由語り伝へ候。然るに呉服取綾羽取と申子細ハ。機の中(ウチ)に糸引木を呉服といへバ。事(ワザ)を営む時くれバ取る手に准へて。一チ人を(ノ)呉服取とハ申ス。又一人を綾羽どりと申事ハ。呉服(ゴフク)織る時機の上にて糸を取引(トリヒク)。綾の紋を心のまゝにおり出すにより。則是を綾羽どりとハ申習す。去れバ其織姫の居たる所成るに依て。当所を呉服の里とハ申伝ゆる。其後爰彼(カシコ)へ帝都を移されても。今に於て都の町の中(ウチ)に。綾の小路錦の小路と申て御座るも。此子細にて有由承る。惣じて我日の本にて機織る事ハ。かの織姫か元来成る故に。後にハ二人共に神に祝ひ。呉服綾羽の明神と申て。隠なき霊神にて御座す。先我等の存たるハ斯のことくにて御座候 「言語道断奇特成事御諚被成るゝ物哉。目出度キ御代には此松原に於て。機の音(ヲト)の聞ゆると申が。弥国土豊にめでたからふずる御瑞相に。当社明神権に人間と見へ給ひ。古への機織給ふ景色を。まなふで御目に掛給ひたるかと存る間。神前におゐて信心私なく御祈念成され。其後奏聞あれかしと存る 「有難ふ 六 放生川 「此所の者いか様成御事にて候ぞ 「心得申候 「此所の者お尋ハ如何様成御用にて御座候ぞ〔セリフ同断。〕 【語】「去程に異国の戒。日本を度(ド)々に窺うとは申せども。我朝は天地開闢より神国なれバ。度(タビ)々追ひ失ひ給ふ所に。中にも仲哀天皇の御宇に。蒙(ム)古(クリ)来り数度の戦有りての以後。后神功皇后ハ逆鱗(ゲキリン)を出させ給ひ。九州長門の沖に壇を築。異国退治の法を御行(ヲコナイ)有り。又廣(ワダ)原海(スミ)の乾満両貨を求在て。既に御ン船を押出すに出さるを。住吉大明神ハ宮人と現じ来り給ひ。数千人して出さる船を。一人して押出し則供奉有りて。皇后も兵船に召され掛り給ふ所に。敵も数万艘の舟を浮へ戦ふ時分。乾珠(シュ)を海に投入給へバ。潮ハ干て陸地となるを。敵ハおり立皇后の御船へ掛る折節。又満珠を海に入給ひし間。俄に汐のさして来り。戎悉く波にゆられて相果る。三韓を安々と平(タイラゲ)御帰朝成されしが。併数万の敵を御亡し有に依て。其帰生の善根の為に思召立チ。放生会の御願を(ノ)発し給ふ。当社御信仰成さるゝ御方ハ。俗在出家共に魚を持チて御参り有り。放生川へ放チ給ふが。取分キ八幡四郷淀六郷。交野九郷牧八郷の氏子共。我先にと生たる魚を持て来り。此放生川へ放ち申御事に候。左有に依て放生会の御神事と有ルハ。生るを放ツ祭なるを。毎も年毎に怠慢(オコタリ)なく相勤。今に我人渇仰申奉る。此放生会に付あまた子細の有りとハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて御座候 「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉。旁の遠国より始て御参詣なれバ。誰有て此放生会の子細を。委しく語申べき者有間敷と思召。武内の神ンかりに翁と現じ。御雑談成されたるかと存る間。弥神前に於て信心私なく御祈念成され。重て奇特を御覧あれかしと存る 「尤に候 七 同鱗 〔中入来序直リ出ル。シテ柱ノ先ニ立、太鼓留メ名乗ル。シヤベリノ内左右ヘ向、語分ル。シヤベリノ分、皆如此。〕 「か様に候者ハ。放生川に年久しく住鱗の精にて候。去程に此八幡(ヤワタ)に於て。今月今日の御祭を。放生会の御神事と申子細ハ。八幡大菩薩胎内ニて異国退治の御時。数万人を順へ帰り給ひしにより。其機生の善根の為と申す。然ルに此大菩薩と申奉るハ。人皇十六代応神天皇の御事也。是は忝も仲哀天皇第四の王子。御母ハ神功皇后にて御座すが。天下を治め給ふ事四十一年にして。一百十一歳の御ン寿命を保せ給ひ。欽明天皇の御宇に神と御成有り。九州肥後の国にあらハれ在スが。御託宣(タクセン)有ツて豊前ノ国宇佐の宮に跡を垂給ふ。其後数年を経て清和天皇の御時。行教和尚の三衣の袖に御宿り有り。此男山の峯に御移り成され。国富民も豊に治り。別して目出度キ御(ミ)代なれバ。御神託に任せ今月今日を。放生会の御神事と号して。当所の儀ハ申におよバず。近郷他郷より我も〳〵と生たる魚を持て来り。此放生川へ放御ン申有る。誠に生るを放ツ祭りなれバ。我等体迄も有難い事じやに。目出度ふ謡舞ふて帰ふ〔謡乍扇開、大小ノ前ヘ行。〕 「〽あら〳〵目出度や〳〵な。治る御代の印とて。〈左ヨリ右ヘサシマハシ。〉浪風静に成りぬれバ。〈左ノ人サシ指ニテ鼻ヲサス。〉我等が様なる鱗まても。顕れ出て謡ひかなで。〳〵て。〈カザシ戻リ。〉元の水中に入にけり〽〈シテ柱ノ先ニ立留〉 〔ワキ正面ヲ向、拍子一ツ謡納メ、扇シマイ入ル。〕 八 養老 「かよふに候者ハ。濃(ジャウ)州本巣の郡に住者にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。倩(ツラ)五常の道を惟(ヲモンミル)に。夫我親を疎(ヲロソカ)に致さんと思ふ者ハ。寔に心なき田夫野人の類ひ迄を(モ)。人間たる者にハ有間敷と存ながら。中にも此所に親子の民の有けるが。幼少の時より二親の申事をバ。何事にてもあれ気に順ひ。父母(ブモ)の機嫌の能キ時は我もゑミを含ミ。腹を立(タツ)れバ身に絶て迷惑致により。妻子も自(ヲノヅカラ)彼(カレ)を大事と敬ひ申シ。近国他国迄も孝行の誉を取りけるが。彼男ハ不断山に上り薪を取り。父母をはごくミ渡世を送りしが。或時毎のことく薪を樵り帰るさに。山路の疲を止(ヤメ)んが為に。此滝壺に立寄水を結びて呑めバ。尋常(ヨノツネ)ならず口中の甘露に覚へ。此水を結べしより心も晴やかに成り。程なく疲も助かりし間。若(モシ)仙家の流にても有るらんと存じ。我屋に取りて帰り老たる父に与ふれバ。腰にハ梓の弓を張り。額にハ四海の波をたゝへ。髪にハ荊棘の雪を戴く老人が。腰も直になり皺(シワ)も伸。鬢髭迄も程なふ黒ミて。年盛(壮)んの若き者と成る間。此事を誰がいふとハなけれど聞付ケ。我先にと是を汲寄せ呑メバ。老たる者ハ若ふ成り貧成ものハ有徳に成り。誠に寿命長遠に目出度キ水にて御座候。去れバ老たるを養ふに依て。養老の滝とハ申習す。先薬の水の目出度キ子細ハ如斯。扨某もあれへ参り。彼名水を少と給べて見うと存じて罷出た。先急で参ふ。誠に天下泰平の御代なれバこそ。掛る目出度イ事の出来致(イ)たと存れバ。我等体迄も有難イ事で御座る。〔ト云迄ニ、シテ柱ノ先ニ立チ留リ、正面キザハシノアタリヲミテ。〕去れハこそ此滝壺じやよ。先一杯給て見うか。いや〳〵此大事の水を只呑ふでハ如何な。めでたふ謡に作(ツクツ)てたべて罷帰ふ〔謡ナガラ、大小ノ前へ行、扇ヒラク。〕 「〽治る御代の験とて〳〵〈左ヨリ右ヘサシ廻。〉国冨民も豊なれバ。目出度き泉の出来るを。〈正面ヘムスビサシ。〉不老不死の薬と菊の水。滝に至りて。〈正面ヘ出、下ニ片ヒザ立居。〉是を呑めバ。〈扇ニテ水ヲムスビノムテイ。〉老の姿も若水の。〈扇ニテ頭ヲサス。〉寿命長遠冨貴繁昌。〈目付柱ヘサシ行、小廻リシテヒラク。〉福徳自在に栄んと。悦ひ勇ミ私宅をさして。〈シテ柱ノ先ニ立止リ、ユウケン。〉帰る事こそ。〈カサシモドリ。〉目出度けれ。〽 〈拍子一ツ。ワキ正面ヲムキ、トムル。〉 九 玉井 〔中入来序ニテ出ル。ヲモ、蛤蚫イタラ貝栄螺ト出ル。舞台ヘ出、ヲモ真中、蛤大臣柱ノ方、蚫目付柱ノ方、イタラ貝脇正面、栄螺笛座ノ上ヘ、立並ナリ。〕 ヲモ 「か様に候者ハ。海中に住鱗の精にて候。去程に我等の是へ出る事別の儀にても御座なひ ツレ 「エヘン「エヘン〔ト順ニ云。蛤斗不云。〕 ヲモ 「いや。其方ハ何の精ておりやる 女 「ハらハは蛤の精にてさむらう ヲモ 「わごりよハ 蚫 「某ハ蚫の精ておりやる ヲモ 「其方ハ いたら貝 「いたら貝の精ておりやる ヲモ 「又わごりよハ 栄螺 「某ハ栄螺の精でおりやる ヲモ 「扨わごりよ達は何と思ふてお出やつたぞ 蚫 「何かハ知らずわこりよが出るに依。是迄付イてハ来たが。子細は何共な 次皆々 「中々 ツレ不残 「知らぬよ ヲモ 「夫ならバ子細を語て聞せう 蚫 「急で語らしませ ヲモ 【語】「先天神七代地神四代の御神を。彦(ヒコ)火火(ホ)出(デ)見(ミ)の命と申奉る。彼御神は種々様々の御遊ひを成さるゝ。或時御兄弟火閑降(ホノスソリ)の尊の釣針を借り。海中に浮ミ釣を垂給ふ所に。鱗の中にも心のわろき魚の有りて。針の糸を食ひ切虚空に失けるを。御帰り有り此由御申あれバ。尋常ならず御不興ありし程に。御剣ンを針に崩し数を参らせらるれ共。夫も御同心なくして唯兎ニ角に。元の針を取ふずると頻ニ乞ハれ。海中へ分入龍宮に至り給へども。隣も耀て面(ヲモ)はゆふ思召。桂の木(キ)の元(下)に立寄セ給へば。豊玉姫玉依姫。二人ン玉の釣瓶を持。玉の井に向ひ水を結び申されしが。頓て宮中へ御供ない有しに。流石竜の都の事なれバ尊を請し奉り。種々様々に饗応申されし刻ミ。釣針の事を仰出されけれバ。安き事尋て参らせうずると有りて。其時鱗の中を尋給ふに。我ハ知らぬ拙者ハ存せぬ抔と申時分。汝が口元ハ只者では有まいと云ひて。押明て見たれバ赤目針を返し申ス。然れバ尊も豊玉姫も互に御心を移され。程なく懐胎し給ふ折節。釣針に汐水満乾の玉を添て参らせられ。重て日本へ送り帰し給ハんとの御事じや。左様に有に於てハ今より後ハ。海中じや陸地じやといふ隔は有まいとあれば。我等のやう成者迄も目出度イ事じやに。いさ此悦に酒を呑ふて遊バふ ツレ皆々 「一段と能うおりやらふ〔ヲモ扇ヲヒラキナカラ、ウタイ出ス。〕 ヲモ 「〽斯て酒宴も甲斐がひしく。〳〵。〈蚫貝ヲミル。〉蚫貝を盃に定め。いたら貝の銚子を出し。眉目よき蛤の。〈女ヲサシテムスブ。〉上臈貝に酌をとらせ。〈扇ヒラタクモチテ、少シ上ル。〉軒端の桜貝簾貝。〈大廻リ左リヘ。ツレ皆々大小ノ前ヘ下リ並。〉かけならべ。〈扇ト左ノ手ニテ二ツマフナク尤正面ヲ向、真中ニテ。〉紅梅に来鳴。鶯の鳥貝も有明の西に傾く月も赤貝。曇ぬ時を吹く洞(法螺)貝も。〈目付柱ヘサシ行。〉天地人の栄螺と成りて。〈カザシ戻ル。〉〳〵。治る海中に入にけり〽〈拍子一ツ。フミ留ル。〉〔皆々出順ノ通リニ入ル。〕 十 氷室 〔中入来序。〕 「か様に候者ハ。丹波国氷室の明神に仕へ奉る。゛神職の者にて御座候。去程に此氷室の子細と申ハ。昔御狩の御幸有りし時。頃は六月中旬の事成りしに。有ル一村の方よりも。時ならぬ寒風頻りに吹来ツて。御衣の袖に宿ると思召せハ。左なから冬野々御狩のことく成りし故。帝是を不思議に思召され。彼一村の内を叡覧あれば。庵のうちに雪氷を多く集め置たり。主上余りに奇特に思召。如何成事ぞと宣旨有れバ。其時主の翁答て曰。夫仙家にハ紫雪紅雪とて。薬の雪の御座すを。此老人ハ其薬雪を(ト)服致すにより。か様に息才延命に御座候と申上。則薬の雪を捧げ申べしとて。君へ氷を供御に奉れバ。帝叡慮浅からずして。夫より氷(ヒ)の物の供御といふ事初りたり。其後ハ人皇十七代仁徳天皇の御宇に。大和の国菖下の郡に氷室を構へ。氷(ヒ)のものを供御に備申す。又夫より以後は山城の国松が崎。今ハ丹波の国桑田の郡に御座候。去ながら是は先氷室の目出度子細。又都より勅使御下向の由申間。急きあれへ参らばやと存る〔ト云、脇ノワキヘ行、下ニ居テ。〕 「是は当社明神に仕へ申者成るか。此所への御参詣目出度ふ存る。然れバ此氷室の明神の神秘にて。我等如きの者が雪を乞申せば。か様の晴天にも。必す時ならぬ雪が其侭降来り候が。是を少と御らふじられまひか〔ワキ「左あらハ雪を乞ふて見せられ候へ」〕 「畏て候〔ト云立テ、シテ柱ノ先キヘ行。〕 「さらバ毎の者を呼出し申そふずる〔ト云幕ヘ向イ〕喃居さしますか居(イ)るかの〔ツレ、幕ヨリ出ナガラ。〕 ツレ 「某を呼出すハ何事ぞ ヲモ 「はて扨わこりよハぬかつた人じや。爰に目出度イ事の有るが。夫を知てたまつたか。但し知らぬか ツレ 「いや何共知らぬよ ヲモ 「夫ならバ語て聞そふ。都より勅使の御参詣成されたが。外聞かた〳〵めて度事でハないか ツレ 「誠に其方のいはします如く。在々より平人の貴賎群集致さへ。当社の御威光じやと思ふに。殊に雲の上人の御参詣ハ。一入明神の御威光じやと思へバ。我等体迄も大慶な事じや ヲモ 「扨某は御前ヘ出たれバ。当社の神秘を御らうじられ度と有程に。いざ雪を乞ふて稀人の御慰にせふ ツレ 「一段とよからふ ヲモ 「是へ寄て拵て呉さしませ ツレ 「心得た〔ト云太鼓座ヘ行キ、ヲモノ肩ヲトリヤル。ツレハ初ヨリ取出ル。〕 ヲモ 「さあ〳〵是へお出やれ ツレ 「心得ておりやる〔ト云、ヲモハワキ正面ノ方ニ立、ツレハ地謡ノ座ノ方ニ立。〕 ヲモ 「いざ雪を乞て降らせふ ツレ 「能うおりやらふ ヲモ 「〽雪こう乞ふこう〔ト云ナガラ、肩ヒラキ、両手ニテウヘ下ニアヲグ。尤ノリ乍ツレモ同断。〕 「霰乞こう〳〵〽〔ト云乍、互ニ小廻リスル。尤左ヘ廻ル。〕 ヲモ 「雪乞〳〵〳〵 ツレ 「あられ乞〳〵〳〵 ヲモ 「されバこそ降て来るハ ツレ 「其通じや ヲモ 「唯こへ〳〵。雪乞〳〵〳〵〔ト云乍、初ノ通リマネキ乍、ツレト入違フ。〕 ツレ 「霰こう〳〵〳〵  ヲモ 「雪乞〳〵〳〵〔又入違、元ノ所ヘ行。〕 ツレ 「霰乞〳〵〳〵〔先ノ所ヘ入替ル。〕 ヲモ 「何と夥敷う降た事でハないか ツレ 「実としたゝかに降ておりやる ヲモ 「いざ雪こかしをせう ツレ 「能うおりやらふ ヲモ 「更ハ雪を一所(ヒトヽコロ)へよせさしませ ツレ 「心得た ヲモ 「さあ〳〵つくねひ〳〵〳〵 ツレ「つくねひ〳〵〔ト云乍、両手ニテ雪ヲトリ、丸クツクネルテイヲスル。ツレモ同断。〕 ヲモ 「更ハ雪こかしをせふ ツレ 「一段と能らふ〔ト云、両人雪ノソバヘヨリ、モツテイ。〕 ヲモ 「雪ころばかし〔ト云乍、少ツヽ先キヘコロバステイ。〕 ツレ 「雪まろこかし〔如此ニ返シテ。〕 ヲモ 「ぐいり〳〵〳〵や ツレ 「ぎつし〳〵〳〵や 二人 「あらつめた〔両手ヲ口ニアテル。ツレモ同断。〕 ヲモ 「アヽつめたひ事哉 ツレ 「扨も〳〵つめ度事しや ヲモ 「いざ此雪を氷室の谷へ納めふ ツレ 「よからふ ヲモ 「是へ寄らしませ ツレ 「心得た〔ト云、始メノ通リ両人ソバヘヨリ、雪を持テイ。〕 二人 「ゑいとう〳〵〳〵。さあづし〳〵〳〵。どう〔ト云、正面ヘコカシ出シ、雪ヲオトステイ。〕 ヲモ 「まんまと谷へ納た ツレ 「誠にとつくりと納メ済イた ヲモ 「いざまた雪を乞て降らせう ツレ 「能おりやらふ ヲモ 「雪こう〳〵〳〵〔始メノ通リ、一ヘン小廻リ。〕 ツレ 「霰こう〳〵〳〵〔小廻リ。同断。〕 ヲモ「雪こう〳〵〳〵〔目付柱ヘサシ行ク。〕 ツレ 「霰こう〳〵〳〵〔同断。サシ行。〕 ヲモ 「雪乞〳〵〳〵〔カザシ戻ル。〕 ツレ 「霰こう〳〵〳〵〔同断。カザシ戻ル。〕 二人 「〽山や里の軒端に。降や留れこう〳〵〽〔二人拍子一ツ。〕 十一 加茂 〔中入来序。〕 「か様に罷出たる者ハ。都加茂の明神に仕へ申末社の神にて候。我等の是へ出る事余の義にあらず。昔此所に秦ノ氏女の在すが。正直を第一にして親に孝有り。殊に慈悲心深く神を(ノ)敬ひ。毎も此川辺に立出流れを汲ンで。神に手向られし故やらん。或時川上より白羽の矢一ツ流れ来ツて。今の女人の水桶に止(トヾマ)るを。何心もなく其矢を取りて帰り。我屋の軒に指置給へば。彼秦氏の主シ程なく懐胎し。玉を延たことく成男子を産(ヨロコ)ひ。我なからも不審に思われけれど。斜らす育し所に。其子三歳斗に成りし頃。御身の父ハ如何成人ぞと尋ければ。軒に差置たる矢に指(ユビ)をさす。其時白羽の矢は鳴雷と現じて。天に登り別雷の神と成らせ給ふ。故(カルガユヘ)に此御母も神に祝ひ。上加茂下加茂中加茂とて。加茂三所(ミトコロ)の御神是なり。去ながら是は先神徳の目出度キ子細。又当社と播州室の明神とハ。同一体の神にて御座す故。室の明神の神職の方。唯今当宮へ参詣の由申間。先あれへ参り。いか様成人々ぞ余所ながら見申そふずる。〔ト云乍、右ヨリ左ヘ廻ル。〕誠に同一体にてあれバ社。室より此所へ遥々登られたれ。去なからどこ元にぞ。大方此隣にて有ふ。されバこそ是におりやるよ。先あれへ参ふ。〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「是は当社明神に仕へ申末社成るが。此所への参詣めてたふ存る。爰元に逗留の中。何の慰もなふてハいかゞな。面白くハなく共。何ぞ一曲致ふずるか。〈ト少ノビ。〉やあ。〈ト腰ヲツケ。〉あゝ。でおりやる。〈少シキスル。〉尤。〔ト云立テシテ柱ノ先ヘ行ク〕 「流石室の明神の神職なるぞ。何そ一曲と申たれバ能(ヨカ)ろふと思ふ心やらん。ほつくり〳〵とうなづかれたか何をせうぞ。いや思ひ出(ダイ)た。此まへ一指舞ふた事の有る間。急て是を調(カナデ)ふずる 和哥「〽目出度かりける。〈ウタイナガラ大小ノ前ヘ行。〉時とかや〔三段ノ舞。太鼓打上。〕「あら〳〵めでたや〳〵な。掛る目出度き折からなれバ。〈左ヨリ右ヘサシ、直ニ扇ヲ右ノ手ヲ添ヘ、前ヘカヘシテ持直シ、左ヨリ右ヘ小廻リ。〉末社の神も。悦ひ勇ミ。〈五ツ拍子。〉〈扇ヲ上ヘアケ、下ヘサゲ、又上ヘアゲル。足ヅカイアリ。左ヘ小廻リシ乍、扇持出ス。〉是までなりとて末社の神ハ。〳〵。本のやしろに。帰りけり〽〈拍子一ツフミ、ワキ正面向キ、トメル。〉 十二 白髭 〔中入来序。〕 「か様に罷出たる者ハ。江州白髭の明神に仕へ申末社の神にて候。去程に天地既にわかれて後。第九の滅却人寿二万歳の時。迦葉仏(カセフブツ)西天に出世し給ふ時分。大聖(ダイセウ)世(セ)尊(ソン)ハ其授記(ジユ キ)を得て。都率天に住給ひしが。八相成道の後遺(ユイ)経(キヤウ)流布(ルフ)の地。何れの所にか有べきとて。此南膳郡州を遍く飛行して御覧するに。漫々たる大海の上にして。一切衆生悉(シツ)有(ウ)仏性(ブツセウ)如来。常住無有遍(ムウヘン)易(ジヤク)と立波の音あり。釈迦仏此理を聞し召。扨ハ此浪の流れ留(トヾマ)らんずる所一ツの国々成ツて。我教法弘通(グヅウ)する霊地たるべしと思召れし故。則彼浪の流れ行に随ツて。拾万里の滄海を漕き来り見給ふに。彼浪一葉の芦の浮(ウカベ)るに流れ止(トヾマ)り。其芦氷洙(コリカタマリ)一ツの国と成る。今の比叡山の麓大宮権現の波止土濃(ハンドノ)なり。是に依て波止土濃とハ。なミとゝまつてつちこまやかとハ書なり。扨又人寿百歳の後。悉達太子ハ中天竺摩端陀国。浄(ジヤウ)飯(ボン)王宮(ワウグウ)に誕生し給ひて。御年十九にて衣更着上の十日の夜半に。王宮を退れいで雪山に身を捨。頓て万事の正覚を還させ給ひて。此豊芦原中津国に来り見給ふに。其頃ハ鸕鵜草葺不合の尊の御代なれバ。人いまた仏法の名字をだにも聞ず。然れども此国ハ大日遍照の本国として。仏法繁昌の霊地たるへけれハ。何れの所にか応化(ヲウゲ)利生(リセウ)の門を開かんと。爰彼を尋給ふ折節。則比叡山のふもと志賀の浦の辺りに。老人の釣を垂て居りしを御覧じて。汝此所の主ならバ当山を我に得させよ。頓て仏法繁昌の霊地となすべしと有を。其時翁答て曰。我人寿六千歳の昔より。此湖水の七度(ド)迄桑原と変ぜしとも正シく見るに。此度爰に仏閣を建。仏法繁昌となすならバ。漁人する事成まじきと思召。釈尊早く去て他国に御求あれと。荒々と宣ひたるハ。忝も白髭の大明神にて御座候。是ハ先当社の目出度子細。扨又当公に仕へ御申有臣下。唯今当社へ御参詣と申間。先あれへ参り見申そふずる。誠にか様に治る御代なれバ社。稀人の御下向なれ。此度見物仕らずハ。見る事ハおりやるまひ。併とこ元にぞ。去バこそ是におりやるよ。先あれへ参ふ。是は当社明神に仕へ申末社成るが。此所への参詣目出度ふ存る。爰許に逗留の内。何の慰もなふてハ如何な。面白くはなくとも。何ぞ一曲致そふずるか。やあ。あゝ。でおりやる。尤。流石稀人成ルぞ。何ぞ一曲をと申たれバ。能ふと思わるゝ心やらん。ほつくりほつくりとうなづかれたが何をせふぞ。いや思ひ出た。此所一指舞ふた事の有る間。急で是を調ふずる〔和歌三段ノ舞。跡ノ謡、加茂同断。〕 十三 嵐山 〔中入来序。〕 「か様に候者ハ。大和芳野の明神に仕申す末社の神にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊仏霊社国々在々に地をしめ給ひ。仏法繁昌の目出度御代にて御座候。去れバ夫に付昔より此日の本に於て。花の名所多しと申せど。中ニも此三吉野の桜と云ツパ。世に隠なき名木なれバ。君聞召及せ給ひ。則叡覧有り度思召せど。都よりハ余り遠路にて。御幸(ミユキ)なされん事もいかゞなれバ。千本の華の種を取寄られ。夫より都の西嵐山に。悉く植置給ひし故。花の盛にハ詠度思ひ。国々在々所々よりも。毎日老若男女共に。我劣じと貴賎群集致す。殊更一条の院に仕へ御申有臣下。唯今勅使に是へ御参詣の刻。子守勝手の明神も老人夫婦と現じ。様々御詞を替ハし。我ハ千本(チモト)の桜の守(マモリ)の神(シン)と。名乗も敢ず帰り給ふが。拙者にハ何にてもあれ一曲仕り。稀人を慰め申せと有程に。取物も取敢ず罷出た。先あれへ参ふ〔此跡白髭同断。但シ謡留メノトコロ。〕 〽三吉野さしてぞ帰りける〽〔ト謡留ル也。〕 十四 江嶋 〔中入来序。〕 「か様に候者ハ。相模国江島の弁財天に仕へ申す。嶋津島の精にて我等も末社の神にて御座候。去程に当社と申奉るハ。忝も欽明天皇の御宇に。世間打覆ひ日月も明ならず。少の晴間と思敷時分。諸の神明仏陀の出現成され。とこ暗の如く有しが晴天と成り。見れバ当嶋涌出仕るを。此島の江野に準て江島と申て。廻(マワレ)ハ三十余町高き事は数十余丈なり。是へ弁才天の影向成されし故。忝も仏法繁昌の霊地成れバ。当島へ一度なり共参詣の輩ハ。三千世界に無量福の宝を与へ給んとの御誓なり。夫而巳ならず天部の御利益の深き事。申も中々愚なる御事にておわします。夫を如何にといふに。武蔵と相模の間深沢といふ湖に。大蛇住んで人を取事限りなし。殊に頃日ハ龍悪盛成しを。弁才天部ハ衆生を痛敷く思召て。今より人を取止に於てハ。夫婦の語ひをなすべしと仰られけれバ。大蛇(ヲロチ)ハ喜悦の思ひをなし人をとり止ミ。夫より国土の民豊成る事も。偏に天部の御恵の深き故なり。是に依て彼大蛇(ヲロチ)をバ龍の口の明神と祝ひ。天部夫婦の御神にて御座すが。古への悪心を引替へ善心と成給ひ。君を守護し国家を守り給ふ。然れバ当嶋へ勅使御下向の由申間。いか様成御方ぞ来りて見申ふずる〔此跡ノ詞、和哥、三段ノ舞、切ノ謡、白髭同断。但シ替ノ謡、左ノ通リ。〕 〽出いで鵜の徳語り申さん。〈扇ヒラキ、左ヨリ右ヘサシキリ。〉地神五代の尊の産屋。〈扇ニテ我鼻ヲサス。〉我等が羽にて葺も合せぬ其内に。〈結ビサシ。〉命ハ生れおわしませば。扨こそ鵜の羽葺合せずの。〈目付柱ヘサシ行。〉命を申も鵜の羽の威徳。〈カザシモドル。〉ふき合せずの尊と申て。〈シテ柱ノ先ニテ、ユウケン。〉鵜の羽の威徳ぞ。目出度けれ〽〈●一ツ拍子ニテ留ル。〉  十五 大社 〔中入来序。〕 「か様に候者ハ。出雲国大社に仕へ申。末社の神にて御座候。去程に珍しからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神国々に跡を垂給ひ。威光区((ママ))たるにより。誠に吹風枝を鳴さず民鎖をさゝす。別而目出度御代にて御座候。然るに当社と申奉るハ。素戔烏の尊にて御座すが。去子細有ツて此所に宮居をなし。則三十八社を勧請あり。稲田姫と夫婦の御神と成給ふ。殊に王子五人御座す。〇△此御神を始として国々の諸神。毎年初冬(ソトヲ)一日(ヒトイ)の寅の一天に。是へ御影向成さるゝに。就中住吉大明神は長月三十日に来り給ひ。人の妹背(イモセ)を定め御座す。左有に依て当国にてハ。十月チを神在月とて喜ひ勇ミ。毎日毎夜老若男女共に。袖を連ね踵を次で。歩を運ふ衆生数限りなけれバ。神前の一入賑う在す御事。申も中々愚なり。又あれに上道(カミミチ)下道中道とて海道数多候。中にも上道をバ諸神御通り有に付。人間ハ恐れて通る事なし。扨是成は四面の芝とて。神の駒を御放チ有るにより。十月にハ牛馬を放し申さず候。先当社の目出度キ子細ハ斯のことく。又承れバ雲の上人御参詣の由申間。先あれへ参り見申そふずる〔此跡白髭ノ通り。但シ□▽此印ノ間、神在月ノ能ニハ不云、神在月の間別ニモ有リ。然し大方此間を用ユルナリ。神尽し云時は○△ノ間ヘ左ノ文句を入ルナリ。〕第一ハ飛鳥(アシカ)の大明神山王権現是なり。第二にハ湊の大明神とも申シ。又九州宗像(ムナカタ)の明神とも顕れ御座す。第三ハ稲佐速(イナサハヤ)霊(タマ)の神と申も。常陸鹿嶋大明神も同一体にて御座候第四には鳥(ト)屋(ヤ)の大明神が。信濃の諏訪の明神共現れ給ふ。第五番ハ出雲路の大明神を。伊豫の三嶋の大明神と崇め奉る〔△「此神を初トして」トツヾク。〕 十六 和布刈 〔中入来序。〕 「か様に罷出たる者ハ。長門の国早鞆(トモ)の沖に。年久しく住鱗の精にて候。唯今爰許へ出る事別の儀にても御座なひ。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝は天地開闢より神国なれバ。諸神国々に跡を垂給ひ。威光まち〳〵成りとハ申せとも。取分キ早友の明神と申奉るハ。隠なき霊神ニて御座すにより。老若男女ともに渇仰致し。毎日毎夜袖を連踵を次で。歩を運ぶ衆生数限りなきに依テ。神前の賑しう在す御事。又と并びたる神(シン)もなけれバ。末の代迄も君を守護し奉り。弓箭(セ)ンの家を専に守り給ふ。殊に海船の事ハ申に及ず。和歌の道迄も祈を懸(カク)る(ル)に。何にても叶ぬといふ事のなき故。一入御神徳目出度ふ候。夫に付当社において。年中に御神拝(バイ)様々多(ノヲ)しといへど。中にも十二月チ晦日の祭礼を。和布刈の御神事と名付られ。当社と住吉と両社の神主。寅の一天に松明テと御(ミ)鎌を持。神力に任せ滄海へ分ケ入給ふに。龍神潮(ヌ)を守護し申されて。寄せ来る波も左右へたち別れ。行先か干潟に成りし程に。半町斗も海の底に下(クタ)り。海底の若(ワ)和布(カメ)を三鎌刈り。元日に当社の神前へ備へ給ふが。則其御神事が今夜に相当り。殊に当年ンハ目出度キ告の有りて。早神主殿の御出と有が。毎年相替らず目出度イ事なれバ。一指舞ふて罷帰らふ〔謡放生川同断。但し留の所「元の水中」といふ所左ノ如ク。〕元の海中に入にけり〔ト謡ひ留ル也。〕 十七 白楽天  〔中入来序。〕 「か様に候者ハ。住吉大明神に仕へ奉る末社の神にて候。去程に我朝に霊神数多あれと。中にも当社住吉大明神ハ。君を守護し国家を守り給ふ。夫をいかにといふに。唐の太子の賓客(ヒンカク)白楽天ハ。大唐にてさへ利根者と云れしに。増てや日本ハ粟散遍地(ソクサンヘンヂ)の小国なれバ。定て智恵愚に有べし。然らバ日域の人の心を斗り見て。順(シタガヘ)んと匠ミ此度渡すを。住吉大明神ハ神通なれバ御存じ成され。彼者を陸へ上ケてハ悪かりなんと思召。賎しき釣の翁と御身を現じ。今の唐船の辺の海上に浮ミ給ふを。唐人ハ是を見付。あれハ日ツ本の者かといふを聞給ひ。扨ハ心易しさせる智恵にてはなし。此国の人を見ながら日本の者かと問ふ程鈍でハ。差たる事ハ有間敷キと思召。是は我朝の漁翁ニて候が。御身ハ唐の白楽天にて在すかと御申あれば。漢朝人ハ大に驚き。我此国へ初て渡りたるに。早名を知たるハ不審なりと思われ。扨此頃日ツ本にハ何を翫(モテアソ)ぶぞと問れしを。扨又唐土にハ何事を翫び給ふぞとあれハ。唐土にハ詩を作(ツクツ)て遊ぶといゝし程に。日ツ本ンにハ歌を詠(ヨミ)て。人の心を慰ミ候と御申あれバ。そも歌とハいかに。天竺の霊文を唐土の詩賦とし。唐土の詩賦を我朝の哥とす。三国を和らげたるを以ツて。大に和らぐ哥と書て大和歌と読り。しろし召されて候へ共。翁が心を御覧ぜん為候なと有けれバ。いや夫にてハなし。出目前ンの景色を詩に作ツて聞せふとて。青苔衣を佩て巌の肩に掛り。白雲帯に似て山の腰を廻(メグ)る。心得たるか漁翁といへるを。又明神ハ此心を哥に。苔衣着たる巌は左もなくて。衣着ぬ山の帯をするかなと。斯詠じ給ふを楽天聞(キヽ)。姿は賎しき釣人成るが。哥を読む事不審なりといわれしを。和国に於て歌を詠ずる事。人間ハ申に及バす。鳥類畜類迄も読申其子細ハ。孝謙天皇の御宇に。大和の国高天(タカマ)の寺の鶯は。初陽毎朝来不遭還本栖と鳴を。文字に写して和らげ見れバ。初陽(ハツハル)の朝(アシタ)毎(ゴト)にハ来(キタ)れども。何にてぞ還(カヘ)る本(モト)の栖(スミカ)にと。斯御物語有を唐土人は聞(キヽ)。太唐にて鳥類畜類抔の。詩を作りたる例(タメシ)ハなし。唯是より押戻らんと思ふ心を御存成され。楽天ハ暫く御待あれ。海上に立舞楽をなして見せ申そふずるとて。其儘御帰り被成たると申聞。先あれへ参り唐船の模様を見物致そふ。〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉いかに大唐の楽天成りといふとも。日本を(ノ)妨ん事ハ中々思ひも寄らぬ事じや。〈シテ柱ノ先ヘ廻り止ル。〉さて唐船ハとこ元に有るぞ。扨も〳〵夥敷イ事哉。あそこへ某も行ふか。いや〳〵卒爾に行(ユキ)てハいかゞな。是にて一指かなてて罷帰ふ〔和哥、三段ノ舞、跡ノ謡、加茂同断。但留ノ和哥左ノ如く。盛久ノ和哥も謡。〕 〽納りなびく。時なれや〽 十八 竹生嶋  〔中入来序。狂言ヨリ、後見一人出ス。腰桶ノ蓋ニ、鍵二股竹、玉、角、珠数入、持出ル。〕 「箇様に候者ハ。江州竹生嶋の弁財天に仕へ申社僧にて候。去程に我朝に福殿数多おわしますとハ云へと。中にも当社の御事ハ。福徳自立を叶へ給へバ。国々在々所々迄も。朝夕袖をつらね踵を次で。老若共に知るも知らぬもおしなへ(メ)て。参詣の人々多き中(ウチ)に。取分程近き都より毎日貴賤群集なし申さるゝ。夫に付当島の天女の霊神成る御事。大内迄も其隠なくして。勅使御下向のよし申す程に。先あれへ参り御礼を申。又御用有に於てハ走り巡(メグ)らふと存る。誠に目出度イ御代成に依て。希人の此所へ御下向被成た。去なからとこ元に御座るぞ。去れバこそ是に御座るよ。先あれへ参ふ〔ト云ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「是は当島の天女に仕へ申者成が。止事なき御方の御参詣と承り。取物も取あへず伺公致て御座る。爰許に於て御用の御座らバ。何事成り共我等に仰付られひ。又此嶋へ御参りの旁にハ。弁財天の御(ミ)宝物を拝せらるゝが。是は何と御座らふぞ〔左あらバ、其御宝物を拝せて給り候へ。〕 「畏て候〔ト云後見座へ行、鍵ヲ右手ニ持出、ワキノ前へ行キ、下ニ居テ。〕 「是は当社の御鍵で御座る。急て御(ミ)戸を開き申さふ〔ト云作物ノ前へ行、鍵ヲ両ノ手ニ持。〕 「ごと〳〵〳〵〳〵。〔ト云乍、鍵ニテアクルテイヲシテ、カギヲ腰ニサシ立チテ。〕 ぎい。〔引。〕〔ト云乍、扉(トビラ)ヲ右ヘヒラク所作アリ。〕 ぎり〳〵〳〵〳〵〔ト云乍、左へ開ク。後見座ヘ行、鍵ヲ置キ、扇ヒラキ左リニ持、右ニ竹ヲ持、扇ノ上ヘノセ、ワキノ前ヘ出ル。〕 「是は此嶋現れ出た時生じた竹で御座る。是に依て当社を竹生嶋とハ申習す〔ト云立テ、後見座ヘ行、竹ヲ置キ、珠数ヲ持出る。尤持様始メノ通り。〕 「是ハ天女のお珠数で御座る。少と各に戴せませう〔ト云、ワキノ側ヘ行、戴スル。〕 「此方もいたゞかせられい〔ト云、ワキツレニモイタヾカスル。後見座ヘ行珠数ヲ置テ、玉ヲ持出る。尤始ノ通リ。〕 「是は牛の玉て御座る。珍らしい物じや程によふ御らふじられい〔ト云立テ、玉を置、角持出ル。初メノ通リ。〕 「是は駒の角で御座る。夫へ持て参り御目に懸ふ。〈ト云乍ワキノ側ヘ持ヨリテミスル。〉よふ御らふじられひ。〈ツレワキヘモミスル。〉此方も御らふじられい〔ト云立テ、玉ヲ置キテ、扇スボメ持、ワキノ前行下ニ居。〕 「先御宝物ハ斯の如く。又是に岩飛の有を御らうじられまいか〔ワキ「左あらハ岩飛とんで見せられ候へ」〕 「畏て候〔ト云立テ、後見座ヘ行、扇を上る。後見肩取リ、作リ物持入ルナリ。扨扇ハサシテ、大小ノ前ヘ出ナカラ謡イダス。〕 〽出いで岩飛を始めんとて。〳〵。〈上ヲミル。〉高き所に。走り上り。〈正面ヘ走リ出、少飛上り。〉東を見れバ。日神月神照暉て。〈大臣柱ノ方ヲミル。〉〈下ヲミル。〉水に移れる影を見れバ。〈目付柱ヘ袖ニテサシ行。〉怖しそふなる岩巌石を。〳〵。〈サシ戻り真中ヘカヘル。跡ヘ少飛。〉飛越へ。水底に。〈正面ヘ走リ出テ飛テ下ニ居ル。〉づぶと入つてぞ。帰りける〽〔ト云乍、両耳ヲ手ニテタヽキ立テ、鼻ニ手ヲアテヽ〕 「はあくつさめ。〳〵〔ト云テ入ルナリ。古来ハ宝物ノ内七難ガ毛アリ近代ヌキテ不用。〕 十九 難波  〔中入来序。太鼓作物持出、太鼓座ニ置キ、扇ヌキ持、シテ柱ノ先ニ立テ、名乗ル。〕 「か様に候者ハ。津の国難波の梅の青葉の精にて候。去程に此名木の名高き子細は。昔応神天皇の御宇に。難波の王子宇治の尊(ミ)子と申て。二人の御連枝のおわしますが。帝の御位を難波の皇子へ御譲あれバ。主上ハ皇になしとて御取なかりし間。左あらバと思召宇治の宮へ参せらるゝに。現在の嫡々だに春宮に立せ給ぬを。我皇子なれ共庶人(ソジン)の身として。帝位を継がん事中々思ひもよらぬと仰られ。彼方此方と御辞退有り。三年(ミトセ)か間天子の位定らざる折節。百済国より王仁といふ相人此土へ始て渡るに。天下の事を奏しさせ給へバ。勅定を蒙り懇に考て申上る様。難波の皇子の御位に即せ給ひて。天下目出たからふずると。相人の判したるに任せ。重て難波の宮へ勅使立てバ。其時何と思召候やらん。御位を受取御申成られ。大鷦鷯の帝と崇め奉り。唐土の尭舜にも弥増んとの御事に候。其頃王仁の哥に。難波津に咲や此花冬籠り。今ハ春べと咲や此花と。斯目出度キ君を添歌なれバ。此梅は我朝に隠なき名木にて候。夫に付我等の是へ出る事余の儀ニあらず。当今(キン)に仕へ御申成さるゝ臣下。唯今此所へ御参詣なれば。古への王仁ハ花守と現じ詞を替され給ふが。今度は舞楽をなして慰んと有により。某は太鼓を成とも置申さふと存て罷出た。〔ト云、後見座へ行、太鼓持出、シテ柱ノ先ニ立チ。〕どこ元に置て気に合ふ知らぬ事じや。去ながら爰元がよからふか。〔ト云乍、ワキ正面へ置、立退テ見テ。〕いや〳〵是ハ片脇で悪(ワル)そふな。〔ト云乍正面へ持行置ク。〕大方爰かよからふ。〔立退キ見て。〕見た所が一段とよい。扨又止事なき御方の御出と申間。先あれへ参り見申そふずる。か様に治る御代なれば社。稀人の御下向成された。此度見物仕らずハ見ん事ハおりやるまい。併とこ元にぞ。去れバこそ是に御座るよ。我等の風情でお前へ出(ヅ)るハいかゞなが何と致さふぞ。いや〳〵苦しからぬ事たゞ参ふ。〔ト云、ワキノ前へ行、下ニ居テ。〕爰許へ罷出たるを。興(キヤウ)有(ガツ)た者と思召れうずる。是ハ難波の梅の青葉の精成が。雲の上人此所へ御来臨と承り。取物も取敢す罷出た。此辺に御逗留の内。何のお慰もなふてハいかゝな。面白くはなく共。何ぞ一曲致そふずるか。やあ。あゝ。で御座る。畏つた。〔ト云立テ、ワキ正面へ行。〕流石稀人で御座るぞ。何ぞ一曲をと申たれば。能らふと思召心やらん。ほつくりほつくりとうなづかれたが何をせふぞ。いや思出イた。此前一指舞ふた事の有る間。急で是をかなでうずる〔和哥、三段ノ舞。加茂同断。〕 「〽あら〳〵目出度や〳〵な。かゝるめでたき折柄なれば。青葉の精も。喜び勇み。是迄なりとて青葉の精ハ。〳〵。元の梢に帰りけり〽 〔所作、加茂末社ノ通リ也。〕 二十 西王母 〔初作リ物出。後見引と口明、シテ柱ノ先キニ立。〕 口明「抑是ハ周の穆王に仕へ奉る官人にて候。扨も我君八疋の駒とて。一日に千里をかくる程の名馬に召され。霊鷲山の麓に至り。普門品の二句の偈を。仏より直身に授り。御悦ひは斜ならす候。今日ハ此殿に御(ミ)幸成され。四方の気色を叡覧有へきとの御事なれバ。百官卿相に至るまで。其分心得候へし〔ト云ナガラ、左ヨリ右ヘ少シ廻リナガラ、ワキ正面ヲ向留ル。太鼓座ヘ引居ル。中入過テ、シテ柱ノ先ニ立シヤベリ。〕 「去程に頼奉周の穆王の御事は。昔の三皇五帝より以来。並なき賢王にておわしまし。先帝を重んじ政事慢怠り給わず。民を憐豊に広き御心を。天も納受し地神も感応なし給ふか。此御代にハ不思議の事而巳数多御座候。夫をいかにといふに。唯今も容顔美麗成女人の独り。禁中に参内し奏聞申を。如何成者ぞと問せ給へバ。三千年(ミチトセ)に花咲実(ミ)なる桃花成るが。今時に至て目出度キ御代成る故に。仰(アヲギ)て捧参らすると申されけれバ。彼仁を(ノ)はや仙女と御存成され。名に聞し西王母の園の桃花を。初て叡覧成さるゝ事。偏に治る御代の印と思召。主上御(ミ)手にふれさせ給ひ御感浅からず候。夫に付此西王母の園の桃と申ハ。三千ン年に一度片枝に花咲き。片枝に実(ミノ)る桃成るが。此桃を一ツ服すれバ。則三千ン年の齢を保(タモツ)桃成ルを。東方朔といへる仙人ハ三ツ迄服せらるゝ故に。九千歳を経(フル)といへり。掛ル名高き桃の花を持て。王母唯今参内申されしが。重てハ誠の桃(トウ)実(ジツ)を(ト)捧申さふずるとて。天上有る。然らバか程寿命長遠成る桃実を(ト)。仙女の捧るは例(タメシ)鮮(スクナ)き事なるに。只納め置れんもいかゞと思召。管絃講を以ツて請取御申あらんとの御事なれバ。糸竹の役にハ一人も残らず早々御参りあれ。相構て其分心得候へ〳〵 二十一 寝覚 〔中入来序。ツレ仙人二人、或ハ五人出ル。立方玉井同断。〕 「か様に罷出たるを。興有た者と思召れふずる。是ハ木曽の高山に年久敷く住んで。命量も無き世捨仙人にて候。其仙人が何とて爰へ顕れ出たるぞなれバ〔ト云ツレ皆「エヘンエヘン」ト云。〕 ヲモ 「いやわごよ達ハ。何と思ふてお出やつたぞ ツレ 「何かハ知らずわこりよが出(ヅ)るに依て。是迄附てハ出たが。様子ハ何共な ツレ皆々 「中々 ヲモツレ共不残 「知らぬよ ヲモ 「夫ならバ子細を語て聞せふ ツレ 「急て語らしませ 【語】「先我朝に神武天皇より名君数多有りとハいへど。中にも此君賢王に御座す故。天の加護あり地神敬ひ。仙人ハ山より出聖人賢人も参内し。不思議の奇瑞様々有る中(ウチ)に。又此程も新成ル霊夢の在して。信濃国木曽の郷寝覚の里に。三(ミ)帰(カヘ)りの翁と申者有りて。寿命長遠の薬を与ふる由。忝も帝聞シ召及はせ給ひ。急き御説有ツて奏聞あれとの勅により。延喜の聖主に仕へ御申成さるゝ臣下。当所へ初て御ン下向成さるゝ。夫に付寝覚の里におゐて。寝覚の床と申ハ。役の行者此床に暫く座して。観念の眠を覚し給ふ所なり。彼行者ハ仙通を得られたる故に。三帰の翁ハ生所も知らず出所もなく。唯忽然と顕れ出。毎も寝覚の床を栖として。老せず死せぬ薬を服し。一チ度ならず二度ならず三度迄若やぐ故に。則三帰の翁とハ申習す。是と有も諸仏の天子へ齢を授ン為に。千年セを経る老人と現じ。不老不死の御薬を。唯今君へ捧んと有るが。南方目出度イ事でハなひか ツレ 「おしやる通り目出度事ておりやる ヲモ 「いさ此様子を謡ふて帰らふ ツレ 「一段とよふおりやらふ ヲモ 「〽あら〳〵目出度や〳〵な。〈扇ヒラク。〉掛るめて度仙人どもハ。此処に。あらわれ出て。〈左ヨリ右ヘサシ切ル。〉寝覚の床の。目出度き子細を語り申し。〈ツレノ方ヲミル。〉〈アトヘカヘル。〉帰らんとせしが。〈立モドリ。〉猶も所を富貴に守り。〈扇ト手ニテアヲグ。〉七百歳を国土に授け。〈正面ヘムスビサス。〉是までなりとて仙人どもハ。〈目付柱ヘサシ行。〉〳〵。〈カザシ戻ル。〉元の仙境に。〈ユウケンブタイ真中ニテ。〉帰りけり〽 〈●拍子一ツフミ留ル。〉〔語リ申ト、ツレヲミルト。ツレ皆々跡ヘ下リ、並ビ立ツ。〕 二十二 源太夫 〔中入来序。太鼓持出ル。難波同断。〕 「か様に候者ハ。尾張国熱田の宮。源太夫の神に仕へ申末社の神にて候。去程に当社と申奉ハ。神代の時ハ素戔烏の尊と現し。出雲ノ国簸(ヒ)の川上に御座候が。有時河上に啼哭(テイコク)する声を聞し召。命ハ不審に思ひ立寄御覧あれバ。老人夫婦が中に美き姫を一人懐き。泣叫(サケブ)体をつく〴〵と見給ひ。いかなる者ぞ子細を申せと有ければ。其時老人答て曰。是ハ手摩(テナ)乳(ツチ)足摩乳と申て。夫婦の者にて候。又是成ハ稲田姫とて我等の娘成が。大(ヲ)蛇に生贄を備へ申に付。唯今此姫が番に当り候故。か様に嘆き申由語りけれバ。尊聞し召近頃不便の次第なり。其儀に於てハ此姫を我に得させよ。其難を(ノ)遁すべしと宣ふ程に。彼夫婦の者ハ悦ひ易き間の御事。此難を(ノ)遁して度給へと申を。扨其大蛇(ヲロチ)の容体を委しく語れと有けれバ。さん候胴一ツにて頭ハ八ツ御座候と申を。左あらバと有ツて酒舟を八ツ作らせ。国々の名酒を集め。八ツの船に一杯宛たゞへ。扨又真中に高く床をかき。彼姫を棚に上置給へば。八ツの舟に姫の顔の移るを。大蛇ハ人影と見て酒を呑程に。前後も知らず酔臥たるを。尊は御覧じ十束(トツカ)の剱を(ノ)持て。八ツの頭を皆打落し給ふ程に。夫より牲(イケニエ)といふ事を止メ。宮作して稲田姫と一所に住せ給ふ。先神代の時ハ斯の如く。又人代に成りてハ東夷をたひらげ。悪魔をしづめ。終にハ爰に地をしめて熱田大明神と申す。其時の手摩乳足摩乳ハ。則源太夫の神と祝われ給ふ。扨又勅使此所へ御下向に付。舞楽をなして慰め給ふべきとて。太鼓の役は源太夫の神にて御座候故。某は太鼓を成とも置申さふと存て罷出た。〔難波の如太鼓ヲ持出ル。〕とこ元に置て能からふぞ。先是に置ふ。〈難波のゴトク。〉いや〳〵是は片脇でわるそふな。爰かよからふ〈難波の如く〉。見た所か一段とよい。扨稀人ハとこ元に御座るぞ。参りて見申さふずる〔是より跡、白髭同断。〕 二十三 道明寺  〔中入来序。〕 「か様に罷出たる者ハ。河州道明寺の天神に仕へ申末社の神にて候。去程に我朝に天神を勧請申。国々在々に数多御座とハいへど。其中ニも当寺の天神の新成る御事ハ。天下に其隠御座なく候夫をいかにといふに。相模ノ国田代(タシロ)の尊浄とて。仏法に志深く有難聖の候が。此程ハ信濃の国善光寺に参り。後生一大事の祈念を申されけれバ。有ル夜の夢の告に。汝誠の志切(セツ)なり。併河内の国土師寺(ハジデラ)へ御参りあれ。是ハ忝も天神の御ン在所なり。彼寺の乾の角にして。天神の御自筆にて。五部の大乗経を遊し。彼所に埋給ふが。其経の軸より木一本ン生上す。則是を木槵樹と名付ク。其菓(コノミ)を取り数珠とし。念仏一万遍申に於てハ。現当二世の望も叶ふべしと有間。其告に任せ沙門ハ当寺に参り。いかなる人も来れかしと思わるゝ所へ。止事なき老人と御身を現じ。彼尊浄に行合たまひ。当寺の事を委しく語り掻消様に失給ふ。先某はあれへ参り。彼尊浄とやらんを見申そふずる。誠に我朝に貴僧高僧多しといへど。〈ト云乍左へ廻ル。〉中にも彼御方の様な。殊勝な人ハ御座有るまひかと存る。併どこ元にぞ。去れバ社是におりやるよ。誠に一段貴さふな。此体であそこへ出るはいかゞなが。いや〳〵苦しからぬ事唯参ふ。是へ罷出たるハ。当寺の天神に仕へ申末社成るが。旁の是へ御越の由承り。取物も取敢ず罷出た。爰許に逗留の内。何の慰もなふてハいかゞな。面白ハなく共。何ぞ一曲致そふずるか。やあ。あゝ。でおりやる。尤。流石貴尊浄成ルぞ。何ぞ一曲をと申たれバ。能ふと思わるゝ心やらん。左リのほで。につこりにつこりと笑われたが何をせふぞ。いや思ひ出た。此前一指舞ふた事の有る間。急て是を調デふずる〔和哥、三段舞、跡ノ謡、白髭同断。〕 二十四 九世戸 〔中入来序。〕 「か様に罷出たる者ハ。北国浦の海中に住鱗の精にて候。去程に我等の是へ出る事余の儀にあらず。先丹後ノ国九世戸の文殊は。神代の古跡にて御座す故。当今(キン)に仕へ御申成さるゝ臣下。唯今是へ御参詣と聞く。夫に付北国浦の中に取りても。丹州此浦といふにハ。朝夕(テウセキ)北風(ホクフウ)烈しく吹イて。荒波の鎮(トコシナヘ)に立来たるを。伊弉諾伊弉冉の尊是をつく〴〵とご覧じ。何共して龍神の心を取りて。風波を鎮(シヅメン)と思召れ。天竺の五大山の大聖文殊にハ。いかなる竜神の猛き心も和らき。海底も鎮らんと思召。五台山の文殊を始て移し奉り。則御説法宣給ふ刻。竜神の事ハ申に及ばす。或は山野郷((ママ))河のうろくず迄も。残らず浮ミ出て聴聞致し。其外有る海の大神に至まで。皆悉く法果を得たる故に。か様に納る御代とハ罷成た。其後文殊当浦を立ツて海に入り。あそこや爰と居所を尋給ふ時。伊弉諾伊弉冉の命天降り給ひ。種々様々の計略を成され。是に寄り色々子細有に付。此所を天の橋立とハ名付給ふ。掛る目出度キ此島に。守護神なくてハ叶ふまじと。其時の龍神を彼嶋に祝ひ置き。今の橋立の明神是なり。故に其文殊は。天神七代地神二代の尊迄。当島を守り給ふにより。爰を九世の戸とハ申伝(ツタユ)る。か様に妙なる霊仏霊社成に依て。今に於て御神木の松にハ。天燈竜燈を備へ給ふ。掛(誠ニ)る目出度キ治(ヂ)代(ヨ)なれバ。我等如きの者までも目出度イ事じやに。いさ諷ひ舞ふて帰ふ 「〽あら〳〵目出度やめでたやな。掛る目出度折からにて。四海ハ波も納まれバ我等が様なる鱗まても顕れ出て謡ひかなで〳〵て。もとの海中に。入にけり〽〔立廻リハ、放生川ウロクヅノ舞同断。〕 二十五 絵馬 〔中入来序。直ク下リ端ニテ、鬼五人ヨリ七八人迄、槌ヲカタゲ出ル。一ノ松ニ立留ル。太鼓打上謡出ス。〕 ヲモ 「〽有難や。〳〵。治る御代の験とて。蓬莱の島よりも。鬼社君の御威光に。数々の宝物を。いざや君に捧んいざ〳〵君に捧ん〽 〔ヲモ真中ニ立ツ。ツレ鬼左右ニ立並。〕 ヲモ詞 「此目出度様子を。皆ハ知つたか知らぬか ツレ 「いや何共な 〈跡ノツレ不残。〉 「中々  皆々 「知らぬよ ヲモ 「更ハ語て聞さふ ツレ 「急て語らしませ ヲモ【語】「先我朝は天地開闢より小国なから神国にて。仏法繁昌の目出度御代なり。殊更此君の御威光忠り((ママ))ましますゆへ。別而伊勢大神宮を信し給ひ。数の御宝物を捧け給ふにより。其勅使是へ御参宮成され。折しも今夜は節分なれバ。当宮に絵馬(エムマ)を掛くると聞し召され。御見物の為是に御座成さるゝ所に。夜半過と思敷時分人音のするを。いかなる者ぞとお尋あれば。案のことく絵馬をかくると答られ。扨来年よりハ猶以て国土豊に治り。雨露の恵も一入にて。耕作の道も成長致し。民の有難く存る御代の例(タメシ)に。黒と白との絵馬を二ツ掛申す。毎年一ツ掛たる例なれども。当年より始て二ツに致す事ハ。時分の能き頃には雨を降ラし。又水増らん時にハ日の照りて。干損水損なく五穀成就仕り。人民の楽ミ尽せぬ様に。斯のことく祝奉と有る。扨是をいか成人々ぞ。具に聞度とわこりよ達の思(ヲモオ)ふが。忝も伊勢の二柱の御神。夫婦と現じ来り給ひ。雲の上人に念頃に御雑談成され。掻消様に夜の内に御帰り有りたるが。南方目出度事でハないか ツレ 「其子細を今こそ聞たれ。左様に神の夫婦と現じ出給ひ。弥天下安全にて。世の中のよひやうにと思召ハ。人間の事ハ申に及ばす。我等如きの者迄も別て有難事てハ有ぞ ヲモ「其事じや。か様に目出度御代なれはこそ。此者共迄も出現したる事じやに。弥天下泰平に御繁昌成さるゝ様に。御(ミ)宝物を爰へ打出て帰ふ ツレ 「一段とよからふ ヲモ 「蓬莱の嶋なる。〳〵。〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉おれか持つ宝ハ。隠蓑にかくれ笠打出の小槌。〈槌ヲ見ル。〉諸行無常じやう。〈ト云乍、ツチヲ両手ニ持廻ス。尤三ベン廻ス。〉〳〵。〳〵。くわつしもゝにくハつたり〳〵。〈下ヘ打出ステイ。拍子フミナガラ。〉 ツレ皆打出ス 「いやくわつたり〳〵 ヲモ のふ〳〵。様々の宝物を打出て目出度事でハなひか ツレ 「わこりよのいふ通り。めて度事でハ有るぞ ヲモ 「いざ蓬莱の嶋へ帰らふ ツレ 「能カらふ ヲモ 「こちへおりやれ〳〵 ツレ皆々 「心得た〳〵 ヲモ 「こちへおりやれ〳〵 ツレ皆々 「心得た〳〵 二十六 東方朔 〔口明。西王母同断。〕 「抑是は漢の武帝に仕へ奉る官人にて候。扨も此君賢王におわしますにより。誠に吹風枝をならさず。民鎖をさゝぬ御代にて候。然れバ此程青き鳥の足の三ツ候が。禁中を飛廻(メグ)るを。いかなる怪鳥ぞと君御不審成され。博士に占わせられ候へバ。君の御為けしからず目出度キ御瑞相と占ひ申す。又今日は七月七日七ツ夕の節会なれば。我君ハ承(ジヤウ)華(クワ)殿(デン)に御幸(ミユキ)成され。御遊フの有へきとの御事なれバ。百官郷((ママ))相に至る迄。其分心得候へ〳〵〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。シテ出、一セイ、サシ、小謡過テ、案内を乞ウ。シテ「いかに奏聞申べき事の候」官人立向フ。〕 「奏聞とハいかなる人ぞ〔シテシカ〳〵〕 「夫に御待候へ。其由申そふずる〔ト云、ツレワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「いかに申上候。此国の傍に住者成るが。君の御為けしからず目出度御瑞相在す間。此事を申上ん為。唯今参内仕りたる由申候〔ワキシカ〳〵〕 「畏て候 〔シテノ方ヘ行向。〕 「其由申上候へバ。則庭上へ参内申せとの御事にて候間。号御参り候へ〔ト云、直ニ幕へ入ル也。中入来序。仙三人或ハ五人出ル。寝覚同断。〕 仙人 「是へ罷出たる者ハ。隣近き山に住仙人にて候。唯今爰許へ出る事余の義にあらず〔ツレ、エヘン〳〵ト云、諷等寝覚同断。〕 【語】「先此君の御繁昌成さるゝに付。東方朔の奏聞申さるゝ様は。此程青き鳥の足の三ツ候が。禁中を飛廻(メグ)るハ。一段目出度キ事なり其子細は。崑崘山の仙人西王母の寵愛の鳥也。此仁は三ン千ン年ンに一チ度花咲実なる。桃(トウ)実(ジツ)を(ト)持申されたるが。是を一ツ服すれバ。三千ン年の齢を保ツといふに。東方朔は三ツ迄服致すにより。九千歳を経(フル)といへり。其寿命目出度桃実を。王母我君へ捧申さりやうずるとの御事にて。三足の青鳥(セイテウ)先立(サキダチ)たる由を申せば。君の御感(カン)浅からず。彼仁は掻消様に失給ふ。扨又我等如きの仙人も。形の如く寿命目出度けれバ。いさ皆々是に休らひ。弥めで度様子を見まひか ツレ 「一段とな 皆々 「中〳〵 不残 「能うおりやらふ ヲモ 「先爰に居よふ ツレ 「能うおりやう〔ト云、笛座ノ上ヨリ段々ニ大小前ヘ並居ル。偖一セイニテ、桃仁ノ精出ル。一ノ松ニテ謡フ。尤扇持。〕 桃仁 【謡】「〽抑是ハ。三千年に一度花咲き。三千年に一度実の成(生)る。西王母の園の桃の。桃仁の精なり〽 【詞】「是は崑崘山の仙人。西王母の桃仁の精成るが。目出度御代に付仙人も山より出ると申せバ。此君賢王に御座すにより。桃仁の精罷出て候〔右ノ詞ノ内ニ皆々立ツ。〕 仙人ヲモ 「是へ興有た者が参た。詞を掛ふ ツレ皆々 「能うおりやらう〔ト云桃仁ニ向イ。〕 仙人ヲモ 「のふ〳〵夫へお出やつたハいか様成人ぞ 桃仁 「是は崑崘山の仙人。西王母の桃仁の精成るが。目出度御代にひかれ是迄顕れ出て候 仙人ヲモ 「左有バ某なとも寿命をあやかる様に。舐(ネブリ)度ふおりやるが何とおりやらふぞ 桃仁 「如何様に成とも御舐(ネブリ)候へ 仙人ヲモ 「皆々是へ寄つてねぶらしませ 皆々 「心得ておりやる〔ト云、諷ナガラ仙人左右ヘ立ワカル。桃仁舞台真中ヘ出ル。〕 仙人ヲモ 「〽出いて更バ舐らんとて。〳〵大勢中に取籠て。先我さきにと進ミけり 桃仁 「其時桃仁跪て。〈ト云下少先ヘ出、下ニヒザ立テ居ル。〉頭を差出し待けれバ 仙人皆 「寄りてハ舐り。〈左右ヨリ皆々側ヘヨリ、桃仁ノ頭ナメルテイ。〉帰りてハねぶり〈跡ヘ少シ帰リ、又ソバヘヨリ、桃仁ノ頭中ヲ一ツトリ、フトコロヘ入ル。〉余りに強く舐られて〈皆々大小ノ前ヘ下リ立並ブ。〉頭ハちいさく成ぬれど。〈桃仁扇ニテ頭ヲサス。〉 桃仁 「命は長き桃仁の。〈扇ヒラキ目付柱ヘサシ行。〉〈カザシ戻ル。〉〳〵精ハ。〈ユウケン。〉王母の御(ミ)元へ。帰りけり。〽 〔●拍子一ツ。フミトメル。扇スボメ桃仁ヨリ入ル。ツヽイテ仙人皆々入ル也。〕 二十七 輪蔵 〔中入来序。〕 「か様に候者ハ。忝も王城の鎮守。北野の社内に住末社の神にて候。某此所へ出る事余の儀にあらず。先筑前の宰府に居住の僧の有しが。稚き時より五戒を保チ。仏道修行怠慢なく。其隠なき貴僧にて有けるが。宰府と当社とハ同一体の事なれバ。唯今是へ参詣申され。輪蔵を拝して信心をなし申さるゝ刻。釈迦一代の雑経の守護神の内。火天出られし程に。火天にて在さば一代の妙経を。今夜に読誦申度と上人望あれバ。拝せ申べきとの御事に候。夫ニ付此輪蔵と申ハ。伝(フ)太士(ダイシ)の作り初られし事也。此伝太士は去子細有ツて。普建(フゲン)普成(フゼウ)の子を儲ケ。則伝太士普建普成とて。輪蔵の本尊として。尊敬なすは此故なり。去れバ一代の雑経を此北野に納(ヲサマ)り有るを。念願深く爰に来れる志殊勝なれバ。火天顕れ出今夜の内に。神通方便にて。妙経を悉く伝゛経させ申へきと有により。取物も取敢す罷出た。先あれへ参り。彼貴僧の様体を見はやと存る。誠に仏道修行の人なれバ社。〈ト云乍右ヨリ左ヘ大廻リ。〉宰府よりはる〴〵登られたれ。左様の念願ふかき仁ンを見て置ねバ。我ら如きの者迄も残り多イ事しや。併どこ許に居らるゝぞ。〈ワキ正面ヨリ見廻ス。〉さればこそ是におりやるよ。思ひの外殊勝なお方じや。偖ヶ様の例(タメ)し鮮き事を。諸人に申聞せよとの儀なれバ。急で相触申さふずる。〈ワキ正面ヲ(ノ)向。〉やあ〳〵皆々承り候へ。釈迦一代の雑経を今夜のうちに。悉く伝経有べきとなれバ。老若共に早々罷出拝し申べし。御経の功力にて現世は無非(ムヒ)の楽(ラク)。来世ハ仏果に至らん事。疑ひ有間敷き間。構へて其分心得候へ〳〵 二十八 右近 〔雷序出端同事。〕 「か様に候者は。忝も北野の社内に仕へ申。末社の神にて御座候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先王城の鎮守数多ありとハ申乍。取分キ当社天満天神ハ。風ウ月ツの本ン゛主文道の大祖たり。天に在して八日月の光りを顕し給ふが。本地ハ救世観音にて在す故。和光利物の御結縁に。菅原の家に天降り。塩梅(エンバイ)の臣と成ツて君(クン)政(セイ)感理し玉ひ。か様に北野の南無天満大自在天神と。君も渇仰の御事なれば。増て数ならぬ衆生毎日毎夜歩を運びて。神前の賑う在御事。又と並たる神も御座なく候。されバ当社に於て。神拝様々なりとハ申せど。中にも皐月上旬に執行フ。右近左近の真手番を。葵(ヒ)折の日と申其子細は。近ン衛の舎人(シヤニン)の着たる歩行の後(ウシロ)を引折故に。則是を葵折の日とハ名付給ふ。去乍是ハ先当社の子細。又承れバ。鹿島の神職何某此春都に上り。洛陽の名所(ショ)残りなく一見有たるが。今日は右近の馬場の花を詠め給ふに。流石都の事なれバ。花見の人々女車を数多立ならへ。輿をつづけ置たるを見て。古へ在原の業平も。右近の馬場の葵折の神拝を見物有し時。是も向ヒ立たる女車を御覧じ。見ずもあらず見もせぬ人の恋敷キに。あやなく今日(フ)や詠暮さんと。よめる哥を。今の鹿嶋の何某ハ折節思ひ出し。所から面白く思われ。唯何となく口ずさひ給ふを。隣りに有つる花見車の女房是を聞(キヽ)。夫より詞を掛様々語られしが。後には桜場の明神と名乗もあへず。其侭暮(クレ)に失給ふ。是は如何成神体ぞなれバ。伊勢にてハ桜の明神。当社に於てハ桜場の明神と申て。君を守護し国家を守り。当社に於て第一の末社にて候。然れハ今の宮人は。常陸の国より遥々登り給へば。我等ハ先あれへ参り。彼宮人の様子を見申そふずる〔是ヨリ跡、白髭の如し。〕 廿九 同語 〔初ワキツレ呼出シ有。詞放生川ノ如し。〕 【語出】「去程に珍らしからぬ御事なれど〔●此印ノ間前同事▲〕則是を葵折の日とハ申習す。然れバ古へ在原の業平も。右近の馬場の葵折の神拝を御見物成されし時。有(サ)繁都の事なれハ。花見の人々女車を数多立並べ。輿をつつけ置給へバ。誠に異香四方に薫じ。吹来る風も郁(カウバシキ)内に。然へき所に女車を立たるを御覧じ。見すもあらす見もせぬ人の恋しきに。あやなくけふや詠め暮さんと。か様に詠じ給ひたると承る。又当社ニて桜場の明神と申スハ。右近の馬場左近の馬場に桜の木数多候により。伊勢にては桜の明神。此所にてハ桜場の明神と申て。君を守護し国家を守り。当社に於て第一の末社にて候。是に付謂の数多有りとハ申せど。神秘なれバ白地(アカラサマ)には申されず。先我等の承りたるハ斯のことくにて御座候 「言語同断奇特成事仰らるゝ物哉。旁の常陸の国より遥々御登り有り。洛陽の名花残なく見物成され。殊ニ当所の花盛まで一入に詠給ふにより。桜場の明神御納受被成。権に人間と見へ給ひ。委く御物語有たると存る間。暫く是に御逗留あり。重て奇特を御覧し。其後御帰国あれかしと存る 「尤に候 三十 岩船 〔雷序出端同事。〕 「か様に罷出たるを。興有ツた者と思召されうずる。是ハ此海中に住鱗の精にて候。某唯今出るを別の儀にあらず。去程に珍らしからぬ御事なれど。此君賢王におわしますにより。国土豊に治る験にハ。吹風枝を鳴らさず民鎖を差ず。千代万歳と栄ふる御代なる故。仙人も山より出聖人も出世し。余りに目出度折柄成るに付。摂州津守の浦に浜の市を立(タテ)。高麗(コマ)唐土の宝物をば。残らず買取れとの宣旨を蒙り。勅使此所へ御下向成さるゝに。我朝の名物は申に及ず。老若共に貴賎群集の中に。姿は唐人(カラヒト)にあれとも声ハ倭(ヤマト)言(コトバ)にて。銀盤に玉を居て持たるを。稀人是をつく〴〵御覧じ。如何成者ぞと御尋あれバ。我は天(アマ)の昨(サク)女(メ)にて候が。是に持たるハ宝珠にて在。合浦の玉を君へ捧くると有るを。雲の上人ハ御喜び斜ならずして。猶も目出度キ子細を語れとあれバ。我君長久にて御座す事を。天も納受垂給ふ程に。即天(アマ)の岩船を作り。金銀珠玉如意宝珠。其外千貨万類の宝物を。何も残らず舟に積ミ。其岩船を此昨女が漕て。当浦へ無事に着んと申上ゲ。其侭掻消様に失申ス。扨又止事なき御ン方の御ン下向なれバ。拙者抔も見物致度イと存る間。先あれへ参り見申さふずる〔是ヨリ跡、詞難波同断。三段ノ舞有リ。但シ一段略ス。難波の如し。跡謡、和布刈同事。〕 下ケ札((ママ)) 岩船 誠に目出度イ御代なれハこそ稀人の此所へ御下向なされたに此度見物仕らずハ見る事ハおりやるまい併どこ元にぞされハこそ是におりやるよあそこへ某も行ふかいや〳〵卒尓ニ行てハいかゝな是にて一さしかなてゝ罷帰ふ〔謡ハ和布刈。〕 三十一 雨月 〔乱序出端同事。〕 「か様に罷出たる者ハ。摂州津守の浦。住吉大明神に仕へ申末社の神にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神数多おわしますとハ云乍。中にも此住吉大明神と申奉るは。昔神功皇后当社諸共に。異国の戒を平げ給ひ。鬼(キ)界高麗契丹国(カイコウライケイタンゴク)迄も。悉く日本に靡順ひ。今に国土豊に御座す事も。偏に当社の御神徳成るに依テ。則四所明神と顕れ給ひ。我朝安全の守護神にて。就中哥道を専に守り給ふ故。和哥の道は古へ今に至る迄。猶弥増に栄行とハ云へど。三十一字の言の葉を連る程の人は。別して住吉玉津島に歩を運ひ給ふ。夫ニ付仁皇七拾四代の帝(ミカド)鳥羽の院の北面の侍。佐藤兵衛則清と云ツし人。浮世を厭ん為に元結切リ。名を西行といへる哥人。年月当社へ信心深きにより参詣申さるれバ。明神の御納受斜ならずして。釣殿の辺りの御神木の松の下(モト)に。柴の庵を結び老人夫婦と現し給ふを。西行ハ立寄一夜の宿を乞ルれバ。内よりもお宿ハ安キ間の御事去ながら。爰に両人の者の諍の有りて。此庵リの家根成就致さぬ其子細は。祖母(ウバ)は月を見うする程に葺じと云(イヽ)。又祖父は雨の音を聞ん為にふこうと申ス。此論に付歌の下の句を思ひ出したり。則其歌は。賤か軒端を葺ぞ煩ふと有る。此上の句を旅人の御継有に於てハ。お宿は惜ミ申間敷き由仰せらるれバ。其時修行者心に思るゝ様。是は雨月の二ツを争ふ心なりと思ひ。折しも頃は秋の半の事なれバ。月は洩れ雨は留れと兎に角にと。ヶ様に申さるゝを明神ハ聞し召。荒面白の深き言の葉や。左様に月を思ひ雨を厭ぬ人ならバ。御留(トマ)りあれとて内へ請じ入レ。賤の営む業なれハ登(ト)て夜もすから月を詠め。衣うつ体をまなび給ひ。早夜も深更になり鳥の声納れバ。御ン休ミあれ我も共に真眠(マドロマン)と。云捨て其侭御帰り被成るゝ。扨彼旅人への御馳走には。舞楽をなして慰め給んとの御事により。取物も取敢ず罷出た。急て相触申そふする。〈ワキ正面ヲ向。〉やあ〳〵皆々承り候へ。当社住吉大明神ハ。今ン度ハ宜祢が頭に移在て。旅人を慰給わんとの御事なれバ。構て其分心得候へ〳〵〔地謡座ノ方ヨリ見廻シ、ワキ正面ニテ留ル。〕 三十二 金札 〔雷序出端同事。〕 「か様に候者ハ。山城の国愛宕(ヲダギ)の郡。伏見の里に住者にて候。去程に此伏見のさとに於て。大宮作有べきとの御事により。勅使唯今御下向成さるゝ所に。何国とも知らず化したる宜祢一人。御前近く進ミけるを。如何成者ぞと御(ヲ)尋あれバ。我ハ伊勢の国阿子根の浦の者成るが。此所に大宮作り有べき事。近頃目出度御瑞相なり。此事成就致に於て。君の御事ハ申に不及。天下万民息才(ソク)延命にて。弥御繁昌有べきと申程に。扨木取りの事を御相談あれバ。車の為ならバ椎の木か左なくば桐の木か。針の木か榊は神の宿り(ヤドリ)木抔とて。種々様々に宣ふ刻ミ。空より金(コガネ)の御札降り下ル。表には目出度キ文字すわり。裏ニは大宮作りの指図の御座候を。則御覧成サるれバ。伏見に御ン住有んとの御ン誓なり。偖伏見とハ何と心得候ぞとあれバ。勅使宣ふ様ハ。いや御(ミ)社の事よと仰らるゝ。伏見とハ日本の総名也。伊弉諾伊弉冉の尊。天の岩倉の苔莚にて。伏て見出し給ひし国なれバ。此秋津島の名なりとて。其侭金の御札を追取ツて。虚空に失給ひて候。是を如何成御方ぞと存ずれハ。伊勢の国阿児根の浦に於て。天津太玉の神にて御座すが。我を崇と思召サバ。大宮作と押並べて御札の社を建玉へ。其儀に於ては御影向被成。天下安全に御守り有べきとの御神託(タク)なり。皆々其分心得候へ〳〵 三十三 淡路 〔初、放生川同様呼出し有り。詞等皆同事。〕 「去程に当社二の宮と申奉ルハ。則伊弉諾伊弉冉の尊。二神此嶋に天降宮居し給ひ。今に至る迄斯の如く霊験(レイゲン)新成(アラタナル)御神にて在す。就夫此国の目出度子細は。伊弉諾伊弉冉の陽神陰神の二柱。天の浮橋の上にして。天のぬ鉾を差下(ヲロ)し。大海を掻(カキ)探(サグ)り給ひて引上玉ふ其鉾滴(シタタヽ)り(リ)。氷誅(コリカタマリ)島と成る。今の磤馭慮(ヲノコロ)嶋(ジマ)是レ也リ。次に一ツの国を産給(ウミタマヒ)し所に。此国余りに少キ故に淡路の国と名付く。左有るに依御国の始とハ。則此淡路の国なる由申習す。其後陰陽和合の道相伝(アイツタワ)り。今の世迄国土豊に治り。忝も淡路の国一チの宮とハ申せど。二柱の御神なれバ。社頭は二社の大明神にて御座候。又あれ成ルハ当社の御供田(ゴコウデン)にて在す。毎年の事とハ申せど。田水(テンスイ)穏(ヲダヤカ)に候へ共。政(マツリゴト)と号して水口に五重の御幣(ミテダラ)を建(タテ)。神主御神拝を相勤。夫より苗代をならし一粒万倍の種を下(ヲロ)し。万民とり〴〵に祝ひ申ス御事に候。当社に於て目出度子細数多有り実に候へども。神秘なれバ白地(アカラサマ)にハ申されず。先我等の存たるハ斯のことくにて御座候「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉。雲の上人此所への御下向を。一入御納受被成。二ノ宮権に人間と見(マ)へ給ひ。御詞を替されたると存る間。神前に於て信心私なく御祈念被成。其後都へ御ン登あれかしと存る 「尤に候 三十四 松尾 〔乱序出端同事。〕 「か様に候者ハ。忝も王城の鎮守。松の尾の大明神に仕へ申末社の神にて候。去程に珍らしからぬ御事なれと。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。〇霊神数多御座とハいへど。中にも当社と申奉ルハ。昔神代の御時丹塗の矢に化して。石川の瀬見の小川(ヲガハ)に流れ来り。加茂建(タケ)角(ズミ)の尊の御娘の玉奇姫の水桶にやどり。上鴨の明神出生ありて其後。別(ワケ)雷(イカヅチ)の神ンと成ツて天上有るが。猶も王城近宮居をなひて。君を守護し国家を守(マゼラ)んガ為に。此松の尾の大明神と威光を顕し。殊に本地は大通智勝仏成るが。和光同塵の御結縁に。か様に当社と現し給ふと承る。現世安穏後生善所の其為に。知るも知らぬも押なめて。老若男女共に袖を連ね踵を次イて。歩を運(ハコ)ぶ衆生数限なけれバ。神前の一入賑ハしう在す御ン事。△又と並たる神も御座なく候。先是は当社の目出度キ子細。又承れバ天(クモ)の上人此所へ御参詣の由申聞。先あれへ参らふと存する〔是ヨリ跡同断ニて略之。〕 三十五 同語 〔初セリフ呼出シ有リ。志賀同断。〕 「去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝は天地開闢より神国なれバ〔〇此印ノ間右同様△〕又と并たる神ンと御座なく候。当社の目出度キ子細数多有とハ云へど。先我等の存たるハ如此にて御座候 「言語道断奇特なる事御諚成さるゝ物哉。左様に何国共なく老人の来るべき者。此隣ニてハ不レ覚候か。小賢キ申事なれど拙者の推量にハ。雲の上人此所への御参詣を御納受被成。当社明神権に老人と現じ給ひ。御ン詞を替されたるかと存る間。暫く是に御逗留あり。重てハ誠の神姿を御覧じ。其後都へ御帰りあれかしと存ずる 「有難とふ 三十六 逆鉾 〔初呼出シ、セリフ有リ。志賀同事。〕 「先当社と申奉るハ。瀧祭の御ン神にて御座候。其子細ハ。爰に天神七代に当ツて出世し給ふを。伊弉諾伊弉冉の尊と号す。時に国常立の尊託して宣ひけるハ。豊芦原に一千五百種(ジユ)の国あり。汝よく知べしとて。天(アマ)の御鉾を授け給ふ。夫婦の御ン神ハ天祖の御教の如く改めんと。天の浮橋に二神彳(タヽズミ)給ひて。彼御(ミ)鉾を以ツて下界を捜(サガシ)給へば。淡路(アワジ)嶋(シマ)鉾(ホコ)の先に当りしを。あわ国かとて鉾を引上ゲ給ふに。其滴(シタヽ)りこりかたまつて一ツの島となる。されハ其時御(ミ)鉾を青海原に差おろし給ふ故に。天の逆鉾とハ申実候。其後一ツの芦原生ひ出し故。豊芦原中津国とハ申ス。然る所にこの伊弉諾伊弉冉の尊の御本地は。大日覚(カク)王(ワウ)如来にて在が。我朝を顕さんか為に。辱も伊弉諾夫婦の御ン神と。和光の姿を権に現じ玉へバ。か程の宝の御(ミ)鉾を当山に納御座すにより。此お山を宝山とハ申習す。其鉾の守護神滝祭の御ン神(ガミ)と崇奉も。則当社の御事成る由語伝候。故(カルガユヘ)に此山の紅葉ハ常のと替リて。鉾の刃先の刃(ヤイバ)のことく八葉有る故に。一枝一葉も折る事もなくして。唯自(ヲノヅカ)らか様に渇仰致し。別して目出度御ン山にて御座候。当山におひて謂の多くありとハいへど。神秘なれバ白地にハ申されず。先我等の聞及たるハ斯のことくにて御座候 「言語道断奇特成事御諚被成るゝ物哉。稀人此所へ御参詣成されたるを一入御納受有り。当社明神権に宮人と現じ玉ひ。当山の謂委敷御ン教成されたるかと存る間。暫是に御祈念成され。其後都へ御ン登りあれかしと存る 「有難ふ 三十七 御裳濯川 〔乱序出端同事。〕 「か様に候者は忝も日本の守護神。皇大神に仕へ申末社の神にて御座候。去程に御裳濯川の由来といつハ。人王十一代の帝垂仁天皇の御宇に。天照大神の御鎮座有べしとて。皇女(クワウジヨ)倭(ヤマト)姫(ビメ)の尊御神体を戴き。大和の国より近江の国へ御出あり。夫より美濃尾張を尋廻(メグ)りて。此伊勢の国二見の浦より。河路に付きて御上(ノボ)り有るに。其折節沖玉の神(シン)ハ田ン作クの翁と現じ。倭姫に見(マミ)へ委しく語ツて曰ク。我此山に住(スム)事三十八万歳を経たり。誠に止事なき神の霊地なれバ。此所に御座を御ン卜(シメ)あれと申されたるに。殊に天照太神の御託宣在して。神代の昔より此伊勢の国狭長(サヲサ)田(ダ)の。五十鈴の川上に宮柱大敷立ツて。御座被レ成。君を守護し国家を守給ふ。然れバ此沖玉の神ハ。背(セイ)高く背中の長サ七(ナヽ)尋(ヒロ)ありて。面の色ハ丹塗の如にて鼻が七寸あり。目ハ丸(マロ)く光り酸漿の様に赤く御座ス。併忝も是は天照太神の化権成る由申習ス。又其折節倭姫ハ老ウ翁ウの教のことくに。五十鈴の川を渡り尋入給へたるに依。其時川を越玉ひたる所を今に神が瀬と云(イヽ)。御ン上り有たる山路を神路山と申ス。されバ夫に付神路山に降る雨の音(ヲト)ハ神秘にて。田(タ)の長(ヲサ)の籾(モミ)を蒔如く成るに。諸歌に千磐破神路の山の村雨は。種をまく成る音ぞ聞ゆると。か様に読給ひたると申ス。又此川上に五十鈴の有故に五十鈴川と申を。古へ倭姫の裳(モスソ)を濯(スヽギ)給ふに依て。夫より御裳濯川とハ申習す。忝も此伊勢天照皇太神宮ハ古今(イニシヘイマ)に。我朝の宗廟と仰(アヲガ)れさせ給ひて。四海を擁護(ヨウゴ)成さるゝ。目出度キ御神にて御座候。又当公に仕へ御申有ル臣下。唯今是へ御参詣の由申間。先あれへ参り見申そふずる〔跡、白髭同断。〕 三十八 伏見 〔初呼出セリフ有。志賀同事。〕 「去程に此伏見の御ン社と申は。忝も昔伊弉諾伊弉冉の尊。天の岩倉の苔莚の上にして。伏て見出(ミイダ)し給ひし国なれハ。日本の惣名を伏見とやらん申由承る。夫に付人皇五十代桓武天皇の御宇に。当国伏見の里に大宮作成サれんと思召。則此所へ御幸(ミユキ)成され。大宮作の神地(シンチ)を定メ給ふ処に。榊を持たる宜祢か先キに進ミ出たるを御覧じ。如何成ル者ぞとお尋あれバ。我ハ伊勢の国阿児根の浦に住者成るが。王法を貴ミ参りたる由申シ。天津空より降下る金(コカネ)の札を捧しに。表にハ君の御ン為目出度キ文字すわり。裏には大宮作りの差図の有由申シ。夫より天子弥此平(タイラ)の京(キヤウ)に皇居定ンと思召刻ミ。則何国共なく老人来り一首の哥に。いざ爰に我代は経(ヘ)なん菅原や。伏見の里のあれまくもおしと。斯詠ぜしより伏見の翁と成されしが。其後誠の伏見の翁顕れけるにより。重て宮作改メ在す由申伝(ツタユ)る。又白菊の総名を翁草と申子細ハ。彼翁が住(スミ)し此伏見の国に出生したる故に。自(ヲノヅ)から白菊の総名を翁草とは申習す。是に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて御座候 「言語道断奇特成事御諚被成るゝ物哉。旁の此所への御参詣を御納受成され当社の御ン神老人と現れ給ひ。御言葉を替されたると存る間。暫く是に御逗留被成。神前に於て信心私なく。御祈誓(ゴキセイ)あり。重て奇特を御覧じ。其後都へ御ン登りあれかしと存する 「有難とふ 三十九 鵜祭 〔雷序出端同事。〕 か様に候者ハ。能州気(ケ)多(タ)の明神に仕へ申末社の神にて候。去程に当社の御神事を御覚有つて。奏聞あれとの宣旨により。勅使唯今此所へ御下向ある。総じて我朝は小国なれど神国にて。国々在々所々迄も。霊神数多地を卜(シメ)て御座すとハ云へど。中にも当社一ノ宮と申奉るハ。天下に隠なき霊験(レイケン)新成(アラタナル)御ン神にて。然れバ今月(コングワツ)〔ツメル。〕今日(コンニチ)の御神事を。鵜の祭と申子細は。此あなた湯(ユ)の江(ゴウ)と申所より鵜の鳥をとり。神前に於て神主牲に伝へ申せば。彼鳥神前にて羽を垂れ申ス。是第一神慮の奇特なり。左有に依て当公の臣下此所へ参詣遊すを。当社夫婦の御悦び被成。我等如きの者迄罷出。一曲仕り慰メ申せとの御事なれバ。先あれへ参らふ〔是ヨリ跡、白髭詞同断、略之。〕 四十 橘 〔雷序出端同事。ツレ仙人二人付出ル。寝覚同様。〕 「か様に候者ハ唐土(モロコシ)巴邛(ハキヤウ)の深山(シンザン)に。年久しく住世捨仙人にて候。我等の是へ出る事余の儀に非ず。〔「ヘエン〳〵」セリフ寝覚同様。〕 「先時に至ツて此君聖王に在故。麒麟(キリン)も出世し鳳凰ハ翅(ツバサ)を延(ノベ)。龍神ハ早く出世を遂(ト)げ。僊人も山より出都に栖(セイ)居(キヨ)を構(カマ)へ。君万歳と仰き奉る折柄。別して爰に目出度事の有るぞ。此巴邛の里に於て。大キなる橘登(ミノ)りたり。万民是を見るより早く喜悦浅からず。如何なれバヶ様の珍物の出来致事。聞及し仙橘にも異らずと。色々不思議をなす所に。此義を漢の文帝聞召。急き見て参れとの宣旨あれバ。則勅使此所へ御ン下向成され叡覧有刻ミ。何国共なく老人の見(マミ)へたるに詞を替し。橘の様子を尋給へバ。其時彼翁答テ曰。我当所幾(イクバク)住覚共左様事ハ存ぜず候。併稀人ハ先此所に暫く御逗留候へ。橘のありかを尋出し。又当所の目出度子細を語り申べし。夫蓬莱山の仙胴に花咲実成橘は。一ツ菓千歳の齢を保チ。十菓ハ則一万歳を延ると申上ケ。費(ヒ)長坊(チヤウボウ)の壺中に入たる謂抔を念頃に語り。是成橘も君仙(セン)橘(キツ)にてもや有らんと疑ひ。其後夕霧に紛れ園生の方に行と見て失ぬ。誠に是と申も国土豊に治る御代と云。君の恵深き験なれバ。我等如きも此国の深山に住と云乍。か様の例(タメシ)なひ瑞相は余所(ヨソ)ならす目出度イ事でハ無イか。 ツレ 「是はわこりよの云ことく例なひ事じや ヲモ 「殊に稀人のお下向なれバ。先あれへ行お目に掛るまいか ツレ 「一段とよからふ ヲモ 「いざこちへおりやれ〈ト云乍、ツレト入違、ヲモモワキ正面ノ方ヘ行、ワキヲ見。〉されバこそ是におりやるハ。流石名君の臣下成ぞ。先唯人とハ見へぬよ ツレ 「実(マコト)に豊な事じや ヲモ 「更ハ御覧成さるゝ様に。謡舞ふて帰ふ ツレ二人 「一段と能ふおりやらふ ヲモ 「わこりよ達も謡しませ ツレ二人 「心得た 【謡】「〽荒々目出度や〳〵な。治る御代の始とて。仙人共は此所に。顕れ出て。勅使を慰め舞遊び。千歳万歳の寿命を君に授け奉り。是迄なりとて仙人ともハ。〳〵僊境さしてぞ。帰りける〽 四十一 浦島 〔雷序出端同断。〕 「か様に候者は。此丹後の国浦嶋の明神に仕へ申。末社の神にて御座候。去程に当社の御神と申ハ。昔当国の住人に浦嶋太郎と申人の有しが。毎日あの島崎にて釣を垂れ渡世を送り給ふが。或(アル)時(トキ)大キ成る亀を釣上げ。我屋に持て帰り思わるゝ様は。亀ハ万年ンの齢を保ツと聞程に。我も寿命をあやかる様にと。色々様々宣命を含め。又本の所へ放チ給へば。何国共なく女人一人ン来り太郎を伴(トモナ)ひ。我が先に立連て行程に竜宮に至り。様々の饗応(モテナシ)にて。日夜の遊覧心言バにも及ず。一七日緩々と逗留有り帰らんとし給ふ折節。彼女人玉手箱を与(アタ)へし時。構へて此箱の蓋をあけ給ふなと堅く契約申さるゝ。扨浦嶋当所に帰り見給へば。人の様(サマ)家居(イエイ)の体。殊外替りたると思ひ。隣りに有つる翁にとへば。其比は最早七百年以前の事と申ス。扨ハ龍宮の七日と云ハ我朝の七百年ぞと思ひ。昔の浦島太郎よと名乗玉へバ。其時子孫の者共寄合もてなし申スに依て。七世の孫に逢ふとハ此事に候。其後彼玉手箱の内に。如何成事の有やらんと明(アケ)て見れバ。七百年ンの皺(シワ)をたてたるに巻込入置たるにより。俄に白髪たる老人と成に依て。浦嶋の玉手箱あけて悔敷キとハ此事に候。左有に依て当社にてハ扉(トビラ)もあけず。神楽も庭(ニハ)火(ビ)も宵迄にて。明くるを忌御事に候。先是は当社の物語。扨亀山の院に仕へ御申有臣下。唯今是へ御下向有に付。取物も取敢す罷出た。先あれへ参らふ〔是ヨリ跡、白髭同様。但一通りの和哥、目出度かりける時とかや謡ふ。替ノ和哥如此。〕浦嶋の齢を誰かうらやまん〔所作、白髭同様。三段舞跡。〕〈謡太鼓打上テ。〉荒々目出度や〳〵な〈ヒラキタル扇ニテ、左ヨリ右ヘサシ廻シ。〉掛る目出度き折からなれバ〈左ノ人指ユビニテ、我鼻ヲサシ。〉我等が様成る末社の神も顕出て〈ヒラキタル扇ニテ、始サス心正面ヘ。〉齢を民に授つゝ〈ト目付柱ヘサシ行。〉是迄なりとて末社のの((ママ))神ハ〳〵〈トサシ戻リ、シテ柱ノ先ヘ行キ、ユウケンニテ留ル。白髭同様。〉本のやしろに帰りけり 四十二 代主 〔初呼出シセリフ有。放生川同事。〕 「去程に天地(アメツチ)開(ヒラ)ケ初りしより此方。此豊秋津洲に霊神国々に地をしめ給ふにより。吹風枝を鳴らさず民鎖をさゝず。国土安全に納る御代なれバ。諸人喜(ヨロコビ)の笑(エミ)を含ミ。千代万ン歳と仰奉り。国々在々所々に於て民百姓に至る迄。老若ともに袖を連ね踵を次で。歩を運ぶ衆生数限り御座なく候。夫に付此葛城の加茂の宮居と申ハ。則都賀茂の大明神と。同一体にて御座有由承る。惣じて神ハ正直の首に宿り玉ふ故。和光同塵は結縁の始。八相成道は利物の終りを見せ給ふにより。御朝新成ル御事申も中々愚にて候。誠に神と申も仏と有も。皆是水波の隔とあれハ。本地垂迹を顕し。三世了達の智恵を以て。現当二世を明に照し給ふ。然るに此御ン山ハ胎金両部の其一方を片取り。金剛山(コンゴウセン)と申て三国無双の御事なれバ。御代の宝の山とハ申ス実候。併葛城の加茂と申事。神代(カミヨ)より伝来甚(ジン)深(シン)成(ナ)る御事に付。謂の数多有とハ申せど。我等式の存る儀ニてハ御座なく候へども。御意に任せ聞及たる通は先申上候が。扨何と思召寄て。お尋有たるぞ不審に御座候 「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉。左様に老人と見へ給ひたるハ。旁の都より遥々御参詣を御納受成され。当社事代主の御神にて御座有ふずると存る間。弥神所に於て信心私なく御祈念被成。重て奇特を御覧あれかしと存る 「尤に候 四十三 鼓瀧 〔初呼出シ、セリフ有リ。志賀同事。〕 「去程に天地己別レてより以来。神代を過き人代に及んで。此豊秋津洲の万民四季折々の時に至り。思ひ〳〵の翫をなし。其一年を越送り。夏たけ秋すぎ冬ごもりにハ。春を待得友どち打連。爰や彼(カシコ)と山々の花を愛し詠尽せず。目も夕陽に傾(カタム)くは。又と頼んて帰さにハ名残を惜む事限御座なく候。夫に付此桜州に於て。名所旧跡数多有とハ申せど。去乍大方諸人の申習すハ。先須磨明石生田毘野の勝尾(カチヲロ)金龍(コンリウ)副馴(ソナレ)松(マツ)或ハ若木の桜。其外箕面(ミノヲ)布曳の滝とハ申せど。中にも当初ハ鼓山と申て。御覧せらるゝ如く谷峯迄も。巌窟魏ニ迄聳。誠に尋常ならぬ景色にて候。又是成を鼓の滝と申事ハ。分キて謂レ御座なく候へ共。鼓山よりの流水(リウスイ)なるに依て即鼓の瀧とハ申ス。又一ツ説にハ岩の硲より落来(ヲチクル)水音(スイヲン)鼓の音に異らねば。誰表するとハなけれど自(ヲノヅカ)ら鼓の瀧とハ申実候。此瀧に付忠敷子細の有べく候へども。我等こときの者なれば委敷事ハ存も致さず。先我等の聞及たる通り申上候が。扨唯今ハ何と思召寄てお尋成されたるぞ不審に御座候 「言語道断奇特成事御諚被成るゝ物哉。雲の上人此所への御下向を御納受成され。瀧祭の御ン神山賊と現し。御言葉を替されたると存る間。暫く是に御逗留被成。重て奇特を御覧あれかしと存る 四十四 冨士山 〔来序出端同事。〕 「か様に候者ハ。冨士浅間に仕へ申末社の神にて候。去程に此名山の由来といつぱ。人皇七代孝霊天皇の御宇に。七日七夜世間殊外震動し。黒雲(コクウン)引覆(ヒキヲヽヒ)上下万民に至迄。昼夜不思議の思ひをなす所に。良有ツて空晴天に打晴れ。諸人喜の笑(エ)ミを含たる頃。凡孝霊四十余年戊(ツチノヘ)申(サル)。同日同刻に当山湧出し。其後天より大盤石降り。弥当山とハ罷成ツた。夫ニ付昔唐土に方士と申者我朝に渡り。不老不死の薬を求ンとて来。今又聖明王に仕へ申者此土に渡り。薬を求ンと此冨士山へ尋入所に。大菩薩出合給ひ。則薬を教御ン申有る。惣して此薬を服する輩ハ。諸病を去つて安穏に成事明也。殊に赫夜姫は顕れ出不老不死の薬を。唐土の勅使に与給ふへきとの御事なり。当山の御本地は阿弥陀如来にて在す。又赫夜姫は浅間大菩薩と渇仰致し。怠慢なく祈(イノ)りを掛る輩ハ。諸願成就疑有間敷との御事にて候。扨又唐土の勅使御下向の由申間。先あれへ参り余所なから見申そふずる。〈ト云乍、右ヨリ左へ大廻リ、シテ柱ノ先へ行。〉誠に天下泰平に治る御代なれバこそ。大国より波濤を凌き渡らるゝ事。さりとてハ大慶千万目出度事じや。併どこ元にそ。〈ト云乍見付ケ。〉去れハこそ是におりやるよ〔是ヨリ跡、白髭同断。〕 四十五 御裳濯語間 〔初呼出シ、セリフ。志賀同様語、初ノ通リ同事、但合印所ヨリ。語出シ、又合印迄同様。〕 ●▲先我等の聞及たるハ斯のことくにて御座候 「言語道断奇特成事御諚被成るゝ物哉。雲の上人此所への御下向を御納受成され。沖玉の神権に田作の翁と現じ委敷御雑談被成たると存ずる間。重てハ誠の神姿を御覧じ。其後御上洛あれかしと存る 有難ふ 四十六 同 大蔵大夫流儀 言語同断奇特成事御諚被成るゝ物哉。誰有て此所へ左様の老人と若き人の来り。当所の子細念頃に語可申者爰元にてハ覚ず候か。我等の推量には。沖玉の神権に人間と見へ給ひ。御言葉替されたると存る間。弥此所にて神心私なく御祈念有りて誠の神姿を御覧あれかしと存る 有難ふ 四十七 佐保山 〔初呼出シ、セリフ有。放生川同事。〕 「先此南都に於名所数多有とハ申せど。中にも此所を棹山と申子細は。昔より泰平の御代にハ当山に御衣を晒され候。此白衣(ハクエ)ハ裁(タチ)目も縫目もなくして。異香四方に薫じ銀色に輝き誠に妙成る御衣(イ)にて御座候。此山に掛てさらされしより。則棹山とハ申習す。夫に付当山の奥に仙境の有しが。夫より仙人の出て晒給ふ共云(イヽ)。又国土豊に治り。万民悦をなす折節ハ。此山の御神佐保姫の御ン出有りて。今の布を御晒し成さるゝと申が誠に尋常ならぬ衣(キヌ)なれバ。若天乙女の羽衣にても有ふずるとの御事に候。去バ有ル哥に。裁縫(タチヌハ)ぬ衣着し人もなき物を。何山姫のぬのさらすらんと。詠し給ひたると承る。惣じて佐保姫の御威光ハ。千秋万徳(トク)の春を得て。草木森羅万像まても緑り満々枝葉栄へて。万物悉く成長仕候程に。取分キ佐保姫の御神徳ハ猶弥増に有難との御事に候。去乍当所の子細抔をバ俊家(トシイエ)の能く御存成されうずるに。拙者にお尋有るは何とやらん不審に存候 言語道断奇特成事御申有物かな。旁の常に神慮を渇仰被成。殊に是まて遥々御参詣を。神ハ一入御納受在す故。此山の御神狭(サ)穂(ホ)姫(ヒメ)権に人間と現れ。布を御ン晒し成されたるかと推量仕る。余りに新た成御事なれバ。今宵ハ是に御逗留有り。信心私なく御祈誓あらバ。佐保姫の誠の御姿を御覧じ。其後御上洛あれかしと存る 尤に候 四十八 難波 〔此語間ハ、宝暦年中従田安右衛門督殿被仰付相始ル。〕 此処の者如何様成御事にて候ぞ心得申候 此難波の里の者お尋ハ如何様成御用にて御座候ぞ〔セリフ志賀同様。〕惣して梅の名所国々に有とハいへども。此難波の梅を殊に目出度例しに申子細は。昔応神天皇の皇子(ミコ)に大さゞきの皇子(ワウジ)宇治の皇子(ミコ)とておわしましけるが。御互に帝位を御ン譲有りて。三ト年が間御位定らさりしに。百済国より来りし王仁と云相人。大さゝきの皇子(ワウジ)御ン位に即セ給ハゞ。天下太平なるべしと申せし間。大さゝきの皇子(ワウジ)御ン位につかせられ候。かくて高き屋に登らせ給ひて。国の有様はる〳〵と叡覧有りけるに。民(ミン)戸(コ)に烟の乏(トボ)しかりけれバ民のまづしき事をしろしめして。三年迄貢物を停めさせ給ひて候。其後又高き屋にて叡覧有に。万民の家々に煙のにぎはしく立ければ。高屋に上(ノボ)りて見れバ煙立。民のかまどハにぎわひにけりと読せられたるげ候。かの三年セか間貢を御ゆるし有ける故にや。召さゞるに万民我も〳〵と貢物をさゝげて宝の山をなし。目出度御代にて御座有けると申候扨此梅の花ハ。其大さゝきの皇子の御位につかせ給ふ折節。咲出たりけるを王仁か歌に。難波津に咲やこの花冬ごもり。今ハ春べと咲や此花とよみて。かゝる目出度御(ミ)門の御事をそへ奉りたれバ。此梅を天下にめて度ためしに申伝候。先我等の聞及ひたるハ如此にて御座候言語道断奇特成事御諚被成るゝ物哉。雲の上人此所へ御下向なされ。此難波の梅を尋給ふにより。古の王仁は花守と現じ。御物語有たると推量致す余りに不思儀の御事なれハ。今宵ハ木影に御逗留有り。重て奇特を御覧あれかしと存る 有難ふ 四十九 右近 〔宝生流間也。宝暦中ニ改、雷序出端同事。〕 か様に候者ハ。北野の桜葉の明神に仕へ申。神職の者にて御座候。我等の是へ出る事余の儀にあらす。唯今承れバ。鹿嶋の神主筑波の何某と申御方。右近の馬場の花の様子を聞召。此所へ御参詣のよし申間。先あれへ参り御礼を申。又如何成御方ぞ様子を見申そふずる〔直ニ脇ノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 是ハ桜葉の明神に仕へ申神職の者成るが。希人の御参詣のよし承り。取物も取敢ず出て御座る。爰元にて御用あらバ我等に仰付られふずる〔ワキ語、所望セリフアリテ。〕 是は思ひも寄らぬ事お尋有物かな。去乍珍敷御所望にて候間物語申そふずる 【語】先我朝ハ天地開闢より。霊神国々在々に跡を垂給ひ。威光まち〳〵成とハ申せども。当社桜葉の明神と申ハ。忝も日向の国にハ桜木の御神トモ申。伊勢にてハ桜の宮と崇奉る。何レも一体分ン〝神ンの御事にて。就中王城の鎮守なれバ。毎日毎夜老若男女共に。袖を連ね踵を次で。歩ミを運ぶ衆生数限なけれバ。又と並たる神も御座なく候。去れバ当社に於て。皐月上旬に執行。右近左近の真手つがへを日折の日と申子細ハ近衛の社人の着たる歩行の後を引折ル故に。日折の神事と申実候さ様の御事を何レも見物に御ン出候。昔人皇五十四代仁明天皇の御宇に。在原の業平も是を御見物被成。女車の立たるを御覧じて。車の内へ御哥を参らせられ候其歌に。見すもあらず見もせぬ人の恋しきに。あやなくけふや詠暮らさんとか様に遊し玉へば御返歌に。知る知らぬ何かあやなくわきていわん。思ひのミこそしるへなりけりと。詠じ給ひたると申習す。先我等の存たるハ斯のことくにて御座候 「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉。其車に召されたる女性は。疑ふ所もなき桜葉の明神にて御座有ふずると推量致す。夫を如何にと申に。遠国より遥々御上洛成されたる事を嬉しく思ひ御詞を御替し被成たると存る間弥信心私なく御祈念有り。再誠の神姿を御拝ミあれかしと存ずる 【翻刻】 [二冊目] 一   田村 二   八嶋 三   忠度 四   兼平 五   通盛 六   敦盛 七   頼政 八   知章 九   箙 十   実盛 十一  朝長 十二  巴 十三  碇被 十四  経政 十五  俊成忠度 十六  軒端梅 十七  芭蕉 十八  菜((ママ))女 十九  井筒 二十  江口 二十一 定家 二十二 夕顔 二十三 半蔀 二十四 空蟬 二十五 野々宮 二十六 檜垣 二十七 伯母捨 二十八 仏原 二十九 藤 三十  誓願寺 三十一 六浦 三十二 陀羅尼落葉 三十三 胡蝶 三十四 朝顔 三十五 松風 三十六 同 短キ方 三十七 楊貴妃 三十八 祗((ママ))王 三十九 二人祗((ママ))王 一 田村 〔間初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。中入過キテ後見引、シテ柱ノ先ニ立テ名乗。語間ノ分、先出所等右ノ通リト心得ベシ。三番目雑間ニテモ略シテ印サズ。出入ノ節、シテ柱ノキワニテ礼アリテ座ニ付ベシ。〕 「是は清水の門前に住者にて候。某此中当寺へ日参いたすが。今日ハ(タ)遅り申間。急き参詣仕ふする。此間ハ一段と世間も長閑にて。地主の花も今を盛なれバ。立越心を慰はやと存する、〔ト云乍正面ヘ出、ワキヲ見付。〕いや是成お僧は何国より御ン参詣成されたるぞ 「中〳〵此隣の者にて候 「心得申候〔ト云真中ヘ行、ワキノ前ヘ行座ス。〕 「扨お尋有度キとハ如何様成御事にて候ぞ 「是ハ思ひも寄らぬことお尋有物哉。我等も此隣にハ住者なれとも。さ様の御事聢(シカ)とハ存も致さず候。去乍初たるお僧の。思ひ寄てお尋有を。一円に存ぬと申も余りなれバ、片端聞及たる通り物語申そふずる〔ト云正面ヘ真向ニムキ語ル。右向様語間ノ分、皆如是故略之印サズ。〕 【語】去程に当寺清水寺と申ハ。大同二年に坂の上の田村丸の御願ンに。御草創有たる由承る。其子細ハ。昔大和の国小島寺と云所に。玄信といへる僧の在すが。一段尊く慈悲心ン深き人なる故。正真の観世音の拝ミ度キと思わるゝ所に。或(アル)時不思議の夢の告ありて。木(コ)津川の河上に金色の光り差を。御出ありて。御覧すれバ老翁壱人。忽然として御入有るを尋給へバ。我名ハ行叡居士と答ましまして。汝沙門ハ暫く此地に住ミ。一人ンの檀那を待ち。大伽藍の(ヲ)建立あれとて。東(ヒンカシ)を指て行かと見へて失せ給ふ。去バ其時の行恵居士と有は観音の御事。又一人の旦那とハ。田村丸をさして御申有る。夫を如何にといふに。其已後伊勢の鈴鹿山に鬼神籠り。往来(ユキキ)の者をとり国土の悩と成るに依。頓て此由奏聞申せバ。忝も帝ハ聞し召れて。田村丸に退治あれとの勅使立を。此事安からすに思召。其時観音への御立願に。今度鈴鹿の鬼神を順へたるに於てハ。当寺に伽藍の(ヲ)建立なすべしと有に。新成ル御告抔のましまして。軍兵を催し掛り給ふに。神力仏力にて鈴鹿の鬼神を順へ給ひ。此寺の大伽藍を大同二年に建て終り。則寺号をバ清水寺と名付られ。我朝に隠なき霊地にて在す。又あれに見へたるハ田村堂とて。田邑麻呂の御影(ゴヱイ)を居へ置れたる御堂にて候。是ニ付数多子細の有とハ云へど。先我等の存たるは如此にて候〔ト云ワキノ方ヲ向。〕 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国とも知らず童子の来り。当寺の御来暦又田村丸のいはれなとを。委しく語申べき者。爰元にてハ覚ず候が。偖ハお僧の御心中貴により。古の田村丸かりに花守と現じ。御言葉を替されたると存る間。今宵ハ木影に御逗留有り。夜と共に花を御覧じ御経をも御読誦被成。重て奇特を見給ひ。其后何国へもお通りあれかしと存ずる 「何にても御用の事あらバ承ふずる 「心得申候 〔ト云太鼓座ヘ行居ス。シテ出、地取済て引也。尤前後片幕ニテ出ル。前後出てシテ柱ノアタリニテジキ。礼アリテ座ニツク。引込時も礼アリテ引也。〕 二 八嶋 〔此印ノ所ニテ、ワキ「いや〳〵忘((ママ))語申さす候、夫ニ付少尋たき事の候」ト云ハヽ、「心得申候」ト云座シテ「実々御出家の身ニて偽ハ仰られまい、扨お尋有度とハ如何様成御事ニて候ぞ」ト云ベシ。〕 「是ハ八島の浦に住者にて候。今日た(ハ)天気能候間。浜へ出て塩を焼うと存る。あら不思議や塩屋の戸が明たよ。見れバ〈下ヲミル。〉人の足跡も有よ。〈少シ先ヘ出、ワキヲミ付。〉いや是成お僧達は。何とて此塩屋へは押入て御座るぞ 「主ハ某なるに。扨ハ旁ハ妄語仰せらるゝか △「実々御出家の身にて偽りハ仰せられまい。夫ハ如何様成者か借申たるぞ 「心得申候〔此所同事。〕 【語】去程に讃岐へ落る平家追討の為に。範頼義経ハ渡辺福嶋に陣の取り。数千艘の船を集メ置れし時分。判官殿と梶原ハ逆櫓の遺恨有つて。義経ハ御ン船五艘押出され。阿波の国へ御上り有りお尋あれバ。勝浦と云所と申上るを。義経聞し召軍の門出に。勝浦に着(ツイ)たる事の目出たさよと。其儘桜馬の城を攻落し。夫より此所へ押寄られし程に。平家の軍兵ハ驚騒き。我先にと船に乗沖へ出給ふ。左有に依て平家は船。源氏は陸の戦成るに。或日の合戦に兵船一艘礒へ着ケ。武者一騎上り大音声に名乗様。是は平家の侍悪七兵衛景清と。高らかに呼わる声を聞しより。東国の兵ハ我も〳〵と討て出る。中にも三保谷の四郎と名乗ツて。真先キ掛て馳向ひ。𨭚(シノギ)を削(ケズ)り鍔(ツバ)を割り、戦ふ中チに。四郎の帯刀(ハカセ)の鉄(カネ)かさへたるか。但又悪目刃切レも有たるか。鎺元二三寸置て二ツに折れし程に。討物取に帰る所を景清は美穂谷の甲の𩋙(シコロ)を無手と捕へ。後ロへゑいやと引とむれバ。四郎ハ一命大事と前へ引ク。互にゑいや〳〵と引勢にて。檀の浦ハ地震のことくゆらめいたると申ス。去レ共左右方の力が牛((ママ))角成るか。鉢着の板を曳ちきつて。前後へ動ど転れた所て。美穂(ミホ)矢(ノヤ)はうつむきにすべつて倒(タヲレ)し程に。折しも比ハ春なれバ鼻の先が落花致ス。悪七兵衛は後へ引とて。あをのけに転んてぼんのくぼに踏貫を致されたると申ス。源平の戦数度に有りとハ申せど。元暦元年三月十八日の此合戦が。一声(ハナ)花(ヤカ)に有たると承る。扨唯今ハ何と思召寄てお尋有たるぞ不審に存候。 「是ハ奇特成事仰候らるゝ物哉。義経は高館にて果給ひたるとハ申せど。当浦にての合戦を一入に思召。御心を残し給ふにより。義経の御亡心見(マミ)へ給ひ。念比に御雑談有たると存る間。暫く是に御逗留あり。重て奇特を御覧あれかしと存る 「重てハ某の宿に留申そふずる 「心得申候 三 忠度 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今日ハ物淋敷折柄なれバ。若木の桜の隣へ立越。花の盛ならバ詠メて遊び。又浦山の躰をも見て慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御越被成たるぞ〔セリフ前同事。〕 【語】「先和哥の道ハ古へ今に至る迄。弥増に栄行とハ申乍。取分キ後白川の院の御宇に。五条の三位俊成の卿の。千載集を撰給ふ由を聞(き)。載集に入れバ時の面目を設と云。又末の代迄も哥の家に生れ。名を後代に上ん事を安からずに思ひ給ひ。三十一字の言の葉を連る程の人は。住吉玉津嶋に歩を運。明暮此事を而已嘆きおわします。然れバ其比平家の公達の内に。我劣ラじと思ひ給ふ哥人多しといへど。中にも薩摩の守忠度は。文武二道の侍なれバ。此集哥に入度思召せども。其時分勅勘の御身なる故。望の叶ぬを無念に思給ひ。南方敷嶋の道に執心深き事成そ。又平家の一門ハ寿永二年の初秋に。都を落西国さして下り給ふが。忠度ハ其刻ミ俊成の卿へ御出有り。哥の読たを書付俊(トシ)成(ナリ)へ渡され。夫より主上へ参(マイ)らんと急れし程に。桂川の辺りにて追付奉り。安徳天皇の供奉成されたる由承る。去レ共三位殿ハ漣の哥を千載集に入レ。勅勘の身なれバ読人知らずと書れたると申ス。去程に平家は一の谷を城郭に構へ。四国西国の能き兵を。勝て十万斗籠置レ。西の木戸口ハ薩摩の守の堅メ給ふを。源氏ハわずか六万余騎にて取掛ケ。山より義経の押入玉ふに。平家の軍兵ハ驚騒キ。我先へ舟に乗んと落行程に。忠度の心ハ剛に在せど。一人にて防事のならざれバ。此辺迄静〳〵と引退給ふを。東国の兵ハ能キ大将と目掛ケ。遁さじと追欠奉るを取ツて返し。爰にて討死召たると承る。されバ名将の果給ひし所なれバとて。跡の印に植置れし木なれバ。今に若木の桜とハ申習ス。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。旁の是迄御出有事を。一入懐敷思給ひ。忠度の亡魂顕れ出。御詞を替されたると存ル間。今宵ハ是に御逗留あり。重て奇特を見給ひ。其後都へ御登あれかしと存る。 四 兼平 〔此間武者揃也。常ノ間ニ云時ハ印の間取申候。〕 「是ハ江州粟津か原に住者にて候。今日ハ浦へ出て船を渡そふと存る。喃〳〵お僧向へ御座らバ舟に召され候へ 「今日ハ某の渡し番にて。余人の越事ハならず候が。旁ハ人の舟に乗りて船遊ひを召されたるか 「実々御出家の身にて偽ハ仰られまいが。夫ハ如何様成者が越申たるぞ 【語】「去程に木曽義仲ハ都に討て登り。禁中をも思ず悪逆有るを。前の兵衛の佐ハ聞召。急き木曽が狼藉を静めんとて。舎弟範頼義経を大将と号し。六万余騎を相添へて遣され。尾張の国より二手に分ツて登ると聞。義仲大キに驚き宇治勢田の橋を引放し。軍兵を分て差遣さる。偖東国より攻登る大手の大将軍ハ。蒲の御曹子範頼に相伴ふ人々ハ。武田太郎かゝみの次郎。一条の次郎板垣の三郎。稲毛の三郎端見谷の四郎。榛(ハン)谷(ガヘ)の四郎熊谷の次郎。猪股の小平六。を始として。都合其勢三万五千余騎。近江の国野路篠原に陣を取る。又搦手の大将軍ハ。九郎御曹子義経に。同く相伴ふ侍は。保田の三郎大内の太郎。梶原源太佐々木の四郎。▲畠山の庄司次郎糟屋の藤太。渋の谷の右馬之允。平山の武者所を先として。以上二万五千余騎付添(ソヒ)。宇治橋の詰に押寄せ給ふ所に。数万騎の中より佐々木の四郎高綱。梶原源太景季を始として。宇治川を我も〳〵と渡されし故。木曽殿の都を持事叶ずして。兼平と一所に死んと思召か。勢田を指て御下り有所に。勢田をハ稲毛の三郎重成か計にて。田上(タナカミ)供御の瀬を越れし程に。勢田を防事もならされバ。今井の四郎ハ主君を覚束なく思われ。都を差して登る折節。義仲に大津の打出の浜にて行合。兼平が巻たる旗を揚けれバ。落武者が三百余騎程参り。最期の合戦声花に成され。主君ハ粟津の松原にて果給ひ。今井の四郎ハ敵の中に切ツて入り。馬の上より自害致されたると申ス。是に付数多子細の有とハ云へど。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様の老人は疑ふ所もなき。今井の四郎兼平の亡魂にて御座有ふする。夫を如何にと云に。お僧は木曽の山家より御ン出と有レバ。一入懐う思ひ給ひ。兼平の亡魂権に渡守と見(ミ)へ。舟を越給ひたると推量致す。余りに不思議成御事なれバ。暫く是に御逗留あり。木曽殿兼平の御菩提を慇に御弔あれかしと存ずる。 〔跡のセリフ如レ前。印付候所ハ武者揃也。常云時ハ印より印ノ間脱ナリ。〕 五 通盛 「是ハ阿波の鳴戸に住者にて候。爰に貴きお僧の在が。毎日毎夜御経怠らず読誦成るゝ間。急キ参り聴聞申さばやと存る〔ト云テワキノ前ヘ行、座シテ。〕 「唯今参して候 「我等も疾に参可申を。彼方此方隙を得ず延引迷惑仕候〔此間ノセリフ前ノ如シ。〕 「去程に平家の一門多しといへど。入道相国の一人在ネバ。何れの公達も我先にと都を落て。讃岐の八嶋に内裏を建られ。安徳天皇を御幸成シ奉り。猶も東国の勢を防がん為に。次男宗盛を大将と号して。其外一類ハ寿永二年の冬の頃。津の国難波潟に押渡り。一の谷を城郭に構へ。〽東〽 幾田の森を大手の城(キ)戸(ド)口として。四国西国の能キ軍兵を。勝ツて十万斗籠置れしが。其中にも越前の三位通盛と。舎弟能登の守教経兄弟ハ。一の谷鵯越の麓なる。山の手を両人して堅メ給ふを。源氏の方にハ此由聞し召れて。平家追討の為に。範頼義経を大将と号して。都より六万余騎を二手に分て。一の谷へ押寄給ふ刻。西国の軍兵は心愚成故。東西を専と斗持れしを。九郎判官ハ鉄拐が嶺に上り。騎馬を汰(ソロヘ)て巌石を落し。一同に鯨(トキ)を咄(ドツ)と上給へば。平家の公達ハ驚騒き。何レ茂舟に乗沖へ出給ふ。其時通盛少しハ防給へ共。終にハ叶すして礒間近く退れしが。重手を負敵七騎に取込られ。湊川の下にて討死有し程に。小宰相の局ハ此辺まて御落成されけれど。三位殿の最後の由を聞給ひ。命長らへ再ひ古郷に帰りても。生キ甲斐有間敷と思召。此鳴戸の沖に身を投空しく成給ふ。通盛小宰相の御事に付。数多子細の有とハいへど。先我等の存たるは如斯にて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。毎日毎夜此礒辺に於て。御経怠らず読誦成るゝ事有難思ひ給ひ。通盛夫婦の御亡魂現出。御詞を替されたるかと存間。尚々御経御読誦あれかしと存る〔跡のセリフ前ノゴトク。〕 六 敦盛 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今日ハ上野の隣(アタリ)へ立越心を慰はやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御越成されたるぞ 【語】「去程に平家ハ寿永の比都を落て。則一の谷を城郭に構へて御入有るを。源氏の方にハ範頼義経を大将として。六万余騎を二手に分て押寄給ふ処に。九郎判官ハ搦手ノ山より攻入。夜明に鯨を咄と上給へば。平家にハ思わぬ方より責入られ。驚きさわぎ。我先にと船に乗沖へ出給ふ。其折節門脇の修理太夫経盛の御子に。無官の大夫敦盛も御落有るが。御秘蔵の笛を忘れて置給ふを。敦盛は取乱し。名管を敵(カタキ)へとられたる抔と。死しての後に沙汰の有りてハ。御一門の名折と思召。本陣に取ッて返し笛をとり。又此礒近く御出有る内に。御座船を初て兵船ども皆沖へ出けれバ。波(ナミ)打際に兎やせんかくやあらんと思召処に。武蔵の国の住人私(シ)の党(ドウ)の旗頭に。熊谷の次郎直実と名乗ッて。御返しあれと申す程に取て返し。馬の上にて無手と組ミ。両馬か間(アヒ)に動ど落る所を。熊谷ハ流石の剛の者なれバ。敦盛を取ッて下に組伏セ。甲を押退け御ン首を掻んとせしが。生年十六歳なれバ。薄仮粧に歯(カ)黒(子)付て。容顔美麗成御姿成し間。助け申そふずるとて駒に取ッて乗セ。我も馬にのり西をさして行処に。跡より児玉党追欠来り。熊谷社心替りあれ。直実共に打取れと声々に申程に。力及ず敦盛を馬より引おろし。終には御首を給りし事。熊谷は骨髄に染ミて痛敷存せられ。元結切りて黒谷へ行キ。法然上人の御(ミ)弟子となり。名を蓮性法師とや覧申て諸国を巡らるゝと聞く。我等を始メて此所の若イ者共の申事に。哀れ其蓮性法師か爰許へも来れかし。捕へて鼻を弾(ハヂキ)竹(シツ)箆(ペイ)を当。種々に嬲て遊ひ度いとの申事に候。先敦盛の御最期の様体。大方ヶ様に聞及て候 「左様の御方とも存せずして。只今は疎怱成事を申迷惑仕候。当所の面々申され事に。哀れ其蓮性法師の爰許へ御座れかし。一夜のお宿をも致度キとの念願にて候。偖只今ハ何と思寄て。敦盛の事をお尋有たるぞ不審に存候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。必悪に強き人は善にも強きとハ此事に候。惣して弔ハ僧々に非らず俗々によらずと申せば。暫く是に御逗留あり。敦盛の御菩提を念比に御弔あれかしと存する〔跡ノセリフ前ノ如シ。〕 七 頼政 「是ハ宇治の里に住者にて候。今日ハ志す日なれバ。平等院へ参らばやと存る。辞是成お僧ハ。何国より御参被成たるぞ。 【語】「先宮軍の発りと申ハ。源三位入道頼政の嫡子仲綱の。木の下鹿毛と云名馬を持れしを。頓て宗盛の卿の聞し召れて。折々御所望被成けれど。彼方此方と有りて参らせられぬにより。此事を父の入道ハ聞付給ひ。種々様々に異見在故。力及ず同心致され。其時仲綱は取敢ず。恋しくハ来ても見よかし身に添る。鹿毛をば争で放ちやるべきと。か様に歌を読て参らせらるれバ。又大臣殿よりハ南鐐と云馬を遣さる。されども此已前に馬を惜ミ申されたるを。心中の程を余に悪キと思給ひ。彼馬に仲綱と金焼をあて。何時も人の有折節ハ。其仲綱に鞍置け曳出して責よ抔と宣ふを。頼政父子ハ伝聞。此義を無念に存ぜられ。治承の頃高倉の二の宮へ。由なき御謀叛を進められし事。悪事千里と其隠なけれバ。宮ハ京都に御叶なくして。其儘三井寺へ入御成されしかバ。頓て六波羅より是へ攻来る由。此事頻に風聞有し故。南都の衆徒を頼んと思召か。宮ハ夜中に此所江御座被成。宇治橋の板を曳放し。頼政の一類は是にあり。其間に宮をハ大和へ退け奉る。然りとハ雖も敵の軍兵ハ遁さじと。我も〳〵と追欠来り。橋を隔て是にて戦に及といへど。軍半迄ハ左右方牛角に有つるが。敵の方より川を渡して攻たりし間。仲綱兄弟は郎等。何レも悉く討れし故。頼政ハ此平等院に有しが。流石文武二道の人なれバ。其刻辞世を読置れ。即此芝の上に扇を敷キ自害致されたると申ス。更ハ名将の果給ひし所なれハとて。扇のことくに芝を取残し。今に是成を扇の芝とハ申習す。先我等の存たるハ斯の如くにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共知らず老人の来り。官軍の子細又扇の芝の謂抔を。委しく語可申者。此辺にてハ覚ず候が。去乍某の推量にハ。古への頼政の亡魂顕出。詞を替されたると存間。暫く是に御逗留あり。彼の跡を御弔あれかしと存る 〔跡ノセリフ如前。〕 八 知章 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今日ハ(タ)物淋しき折からなれば。関の隣へ立出心を慰はやと存る。いや是成お僧は。何国より御越被成たるぞ 「去程に平家ハ一の谷を城郭に構へ。四国西国の軍兵を。勝て拾萬斗り込め置れしが。中にも大手生田の森をバ。知盛の大将軍にて堅メ給ふを。源氏の方にハ範頼義経を大将として。六万余騎を二手に分ケて押寄セ給ふ所に。九郎判(ハウ)官ハ。鉄拐が峯に上り。騎馬を揃へて巌石を落し。敵キの城に攻入一同に鯨波を咄と上給へば。平家の軍兵は我も〳〵とお舟に召れし故。知盛ハ数万騎の兵(ツハモノ)も討たせつ。逃て御子息知章と。郎等に監物太郎頼方と。主従唯三騎に成ツて御座舟に乗らんと落給ふ所に。跡より敵(カ)ハ追ツ欠来り。知盛を討んとするを。御ン子知章ハ父の討れ給ワんことを悲ミ。駒掛ケよせて。敵(カ)と引ツ組ンで落チ。敵(テキ)の細頸(クビ)掻落し。其儘立上らんと成されしを。頓て敵の侍渡合イ。知章を敢なく討奉し刻ミ。又監物太郎ハ主君の敵(カタキ)を矢場に取り。是にて主従三騎討死有る内に。知章は井の上黒と云名馬に召され。海へ颯と打入れて游(ヲヨガ)セ。沖成ル船に難なく召れし故。御秘蔵の馬なれバ舟に乗せ度思召セ共。立(タチ)所なけれハ力及ず礒へ曳キ向ケ乗放チ給へバ。馬ハ主に名残を惜ミけるが。お船を慕ひ游行ケども。次第に遠ざかれば空敷陸に打上り。跡を見送り足掻致し。高いなゝきしたる抔と承る。然るに此馬を井上黒と申子細ハ。信濃ノ国井ノ上゛立なるに依て。則井ノ上゛黒とハ名付給ふ。先我等の存たるハ如是にて候。 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。旁の遥々是迄御下向と申。殊に御心中貴により。知章の御亡魂顕れ給ひ。御詞を替されたると存る間。暫是に御逗留有り。彼御菩提を御弔あれかしと存る 〔跡のセリフ前ノごとし。〕 九 箙 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今日た生田の八幡へ参ばやと存ずる。いや是成お僧は何国より御越被成たるぞ。 【語】「平家は津の国福原の都に居住(キヨシウ)して。則一の谷を城郭に構へ。〽東〽幾田の森を大手の城戸口と定給ふを。範頼義経は二手に分れて押寄セられ。其時大手の侍大将にハ。梶原平三景時にて有つるが。五百余騎にて一同に鯨波(トキ)を作る。頃ハ衣更着七日の事成しに。是成梅花の盛成を景季ハ是を見て。惣して楳(うめ)は諸花の先をかくる物なれバ。今日先掛をセふずるといふ心にて。此花を一枝折りて腰に差し。父の平蔵兄の源太。次男平次同三郎。五拾騎斗に討なされ。颯と引イて出る所に。其中に景季ハ見へざりし間。梶原取ツて返し大音声にて名乗様。是ハ鎌倉の権五郎景政が末葉。梶原平三景時とて。一人当千の兵ぞや。我と思ん人々は是へ出て。景時を討ツて見参に入れよと呼わるを。其折節知盛仰られける様は。梶原ハ東国に聞へたる兵なり。夫を余(アマス)な洩(モラス)な打やとて。大勢の中に取込給へ共。数万騎の中を豎様横様。蜘手拾文字に欠廻り尋ければ。源太は退(ノ)ケ冑(カブト)に成ツて戦ひ。二丈斗り有る岸を後ロにあて。敵五人か中に取込られ。郎等二人左右に立ツて。面も振らす戦ふを景時ハ是を見て。急き馬より飛ンでおり。親子して五人の敵を三人討取。残り二人の武者に手を負ふセ。弓取ハかくるも引も折によれとて。父子共一所に成ツて引キたるを。梶原が二度の掛とハ是を申ス。其時景季是成梅花を腰にさし。隠れなき名を上たるに依。夫より此木を箙の梅とハ申習す。先我等の存たるハ如斯にて候。 「是は奇特成事仰せらるゝ物哉。扨はお僧の御心中貴く((ママ))より。殊ニ此花に心を付られたるにより。梶原源太の亡魂顕れ出、言葉を替されたるかと存る。暫く是に御逗留有り。景季の菩提を御弔あれかしと存ずる 〔跡のセリフ前の如く。〕 十 実盛 〔ワキ出シテ柱ヲ越スト、間片幕ニテ出。時宜アリテ座ニ付ク。ワキ状机ニカヽリ、ツレワキ座スト、間立チテ、シテ柱ノ先キニテ名乗ル。〕 「是ハ加賀の国篠原の里に住者にて候。唯今此所へ遊行十六代陀阿弥上人御ン着あれバ。志の輩ハ皆々御ン参候へや 〔ト云太鼓座ニ居ス。シテ中入有リテ、又シテ柱ノ先ニ立、詞云。〕 「去程に当所の面々申され事に。此中上人ハ日中の時分。物を仰らるゝを皆々聞くに。座中に人の有かと存れバ隣にハ誰も見へざる折柄。問ツ答ツ請つ流イつ語り給ふを。老若ともに奇特に思われ。拙者に不審仕れと有程に。急き参り此由申ばやと存る 〔ト云ワキ前ニ座シテ。〕 「只今参ンして候 「我も疾に参り申へきを。彼方此方隙を得ず延引迷惑仕候。又唯今参る事ハ余の儀にあらず。誠やらん上人様ハ日中の以後。独事を御意成るゝ由申ス。余りに不思議成る御事なれバ。拙者にちと尊意を得よかしと有に付。卒爾なから是迄伺公致たるが。何とも思召合セらるゝ儀は御座なく候か 〔セリフ如前。〕 「先実盛は北国の住人なるが。初の程は源氏の侍にて。武蔵ノ国永井の庄を御領に給り。夫より永井の斎藤別当実盛とハ申ス。然れ共代に順ふ習にて。治承の比より平家の味方と成り。斎藤五斎藤六とて兄弟の男子を。毎も主君の御ン前に付置て。別義なく御奉公申されしが。有時東国へ出陣の時分。此度永々の在陣ならバ。隠なき名を上ふずると思ひ給へど。平家の軍兵には如何成天魔も附添ひたるか。未敵(カタキ)も見へぬ其先に。水鳥の立羽音を聞イて驚き。跡をも見ずに空敷ク凱(カイ)陣セられ。其後此篠原合戦の時。実盛は都鄙に名を得し兵成るに依。大臣殿より錦の直垂を赦され。弓取ツての面目是に過じと喜び。如何様今度ハ討死を心掛給ひたるか。武具を声花に軽々と拵へ。都を打立チ当国に下着の刻ミ。義仲は五万余騎にて打て登り。是にて戦に及ブといへど。軍半迄は左右方牛角に有つるが。木曽殿の方にハ勢強くて味方少し馬手(メテ)に見へしを。掛れや〳〵と声を計に勇れ共。前方に殿((ママ))れを取たる武者なれバ。下知をも聞す我先にと敗軍するを。斎藤別当ハ独り無念に存せられ。何共して大将と組んと匠ミ。敵きの中に破ツて入り左右へ切廻りしが。光盛りに渡り合打死有たると承る。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是は奇特成事仰せらるゝ物哉。実盛は此篠原の合戦に討れ給ひし故。亡魂顕れ出言葉を替されたると存する間。篠原の地の辺りへ御ン出有り。彼跡を御弔あれかしと存る。 「左有バ其由お触申そふずる 〔ト云立てワキ正面へ行。同キ方ヲ見テ。〕 〔やア〳〵篠の原の面〳〵承り候へトモ。〕 詞「やあ〳〵皆〳〵承り候へ。此中上人ハ夢現(ユメウツヽ)ともなき折節。実盛の亡魂顕れ給へば。篠原の池の辺りにおひて。臨時の踊り念仏を以つて。彼菩提を御弔有るへきとの御事なれバ。構へて其分心得候へ〳〵 〔ト云見廻し触レテ、太鼓座へ行居ス。中入後、入所如前。〕 十一 朝長 「誰にて渡り候ぞ〈太鼓座ヨリ立、橋掛リ一ノ松ニ立。但ワキ橋掛リヨリ案内ヲ乞バ、シテ柱ノ方ニ立。〉 「参候朝長の御旧跡ハ。あれに見へたる藪の内に塔婆の数多候。中にも新敷が朝長の御印にて候間。初たる御方ならバ御出ありて御覧候へ 「尤に候 〔ト云テ太鼓座へ行居シ、シテ中入前ニツレ女ニ云付アリテ中入スル。ツレ女間ヲ呼出ス。〕 「御前に候 〔ト云乍、女ノ前ヘ行キ居シテ。〕 「心得申候〔ト云立テ。〕 「是は思ひの外な儀を仰付られた。毎もお客の有折節ハ。我等抔にハお座敷の掃除の事を仰付らるゝに。罷出おン宮仕致せと有ハ合点の行ぬ事で御座る。併先あれへ参り様子を見申そふずる。いや是は最前お目に懸りたるお僧にて候よ 「中〳〵我等ハ此屋の内の者にて候が。旁の是へ御出被成るゝに付。罷出御宮仕ニ致せと申付られ候間。取物も取敢ず参りて候 〔セリフ常如シ。〕 【語】「先保元の年号の後平治の比都にて。源平両家の戦ひ出来致す処に。源氏ハ無勢なりし故打負給ひ。大内を開キ東国差て御下り有るが。落口の事なれバ三男兵衛の佐殿を。夜中に路次にて取落し給ひ。無慙やな平家の方へ生捕にせられ。義朝御父子鎌田金王丸斗り。去年極月八日に日暮て是へ御出あり。忍びてお宿を召されし所に。義朝御意被成ける様ハ。嫡子悪源太ハ北国へ御越ありて。加賀越前の人数を催し討ツて御登りあれ。又次男朝長ハ木曽路に掛り。甲斐信濃を繕ひ仲仙道を登り給へ。我ハ関東に軍兵を残らず引連。猛勢を以ツて東海道を切ッて登り。敵を平け会稽の恥を雪んと仰られ。当国より川船に召され。尾州野間の内海へ御出被成るゝ。然れ共朝長ハ都大崩に重手を負ひ。寒天に摺針伊吹の雪を凌イで御越有るが。深手なれバ御身もすくミ行歩も叶わで。早く落行事も成難思召か。夜半過と思(ヲボ)しき時分御自害被成候。△先朝長の御最期の容体大方か様に聞及て候か。扨只今ハ何と思召寄て。お尋有たるぞ不審に存じ候 「扨ハ旁ハ朝長の所縁の御方にて候か。左様の御心中社御ン頼母しう存候。殊に怨敵(ヲンテキ)の中を忍びて是迄御出有るハ。尋常ならぬ御志と存間。今宵ハ是に御逗留有り。「朝長の御菩提を御弔あれかしと存る。 「是ハ近頃有難き御事にて候。殊に観音懺法にて御弔ヒ有へき事。一入に存候間。長にも其通りを申。憚乍拙者も是にて聴聞仕ふずる 〔中入ニシテツレ呼出シ無之時ハ、「唯今承れバ長ハ墓所ヨリ旅人ヲ御同道被成たると申間。先あれへ参り見申そふずる。いや是ハ最前お目に懸りたるお僧にて候よ」是より同断。〕 〔又脇へ語所望の時のセリフ左の如く、但し遠キ事故云合タルベシ。〕 〔初前ノ如く。〕中〳〵我等ハ此家(ヤ)の内の者にて候が旁の是へ御出被成るゝに付罷出御宮仕致せと申付られ候間取物も取敢す伺公致イた拙者抔も自分の用所ありて行か又は頼申人の使に参るか毎年爰彼こをありき申が何程心易イ旅じやとあつても旅宿は万不自由成物なれバ何にても似合の御用有るに於てハ御心おかれず仰付られい成程の事ハ随分御地走申そふずる 〔爰ニテワキヨリ語所望スル。セリフ常ノ如ク云テ語有リ。尤語如前。〕 △先朝長の御最後の様体我等の存たるハ如此にて候又源平両家の御中不和に成りて平治の乱と成たる由来を此田舎の者ハ一円に不存候間逆縁なから語ツて御聞セ候へ 【ワキ語】懇に御ン物語始て承り別して祝着致候左様に深く御ン包有ルハ今ハ平家の国土を守護し給ふにより清盛を憚つて仰せらるゝと存る。△夫を如何にと申にか程の怨敵の中を忍びて御出有るハ余りの常ならぬ深き御志と存る間今宵ハ是に御逗留有り夜と共に観音懺法を以て朝長の御菩提を御ン弔被成其後何国へもお通りあれかしと存る △又只今亭主の墓所へ参られたるハ源家の大将源の義朝の次男太夫の臣朝長の御自害被成たるを長者は御痛敷う存ぜられ空しく野辺の塵となし申されたるに誰有ツて御跡を弔フ人も御座無故長ハ七日〳〵に墓所へ参り花水を手向け申さるゝが今日は御名日に相当り参申されたるにあれより旁を御同道有りたるは定メて義朝の御一門衆か然らずハ御家老の歴々か又朝長の御所縁の御方か如何様唯人でハ御座るまいかと存る殊に御法体の御方なれバ我等ハ苦からぬ者にて候間唯包す御名字を御明し被成候へ 「偖ハ旁ハ朝長の所縁の御方にて候か左様の御心中社御頼も敷存候殊に怨敵の中を忍びて是迄御出有るハ尋常ならぬ御志と存る間今宵ハ爰に御逗留有り朝長の御菩提を御弔あれかしと存る 〔ト云引也。〕 十二 巴 「是ハ江州粟津か原に住者にて候。今日た當所の御神拝なれば。急イて参らはやと存る。いや是成お僧は。何国より御ン参り成されたるぞ 【語】「先其比ハ壽永二年癸の酉の夏に至つて。木曾義仲ハ五万余騎を率し。信濃の国を立給ふ。其折節巴酴醿(ヤマブキ)とて。二人の女房を連て登り給ふが。山吹ハ去ル子細有つて都に残し置れ。巴一人を召連らるゝ。此巴と申ハ髪長く色白くして。眉目像チ並びなかりしが。武士に忠して槻(ツキ)弓(ユミ)勢(セイ)兵(ヒヤウ)例(タメシ)なく。討物取つてハ鬼神なりとも事共せず。誠に一騎当千の兵共の。手答へしたる荒馬をも清く乗り。戦場といへば大鎧を着し。大太刀をはき弓靭を持せ。何時も一方の大将と承る。度々の高名肩を並らぶる人もなく。夫ニ付今度数多の兵討れ。又ハ落行者有りとハいへど。巴ハ難も蒙らず数度の合ツ戦に打洩され。主従五騎に成給ふ。其時義仲宣ふ様ハ。其方ハ女なれバ急ぎ何方へも落行候へ。我ハ討死せんと思ふなり。最期迄女を連たりと。人に云れん事後難と如何なりとあれバ。巴心に思ふ様。哀れ能らん敵(テキ)も哉。最後の軍をし木曾殿に見せ奉らんと扣へたる所へ。武蔵の国の住人新田(アラダ)の八郎師重。大力と名乗ツて。三十騎斗にて馳来る。巴ハ思ひ儲たる事なれバ。敵の中にわつて入リ師重と無手と組ミ。取ツて引寄セ我乗ツたる馬の鞍の前輪に押付。ちつとも騒かず首捻切ツて差上ケ。木曾殿の御ン目に懸ケ。其儘鎧脱捨行キ方知らず成たると申。偖(サテ)々ヶ様の甲斐〳〵敷女人は。類すくなき事なりと今に申伝(ツタヘ)候。先我等の存たるハ如斯にて候。 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。扨ハお僧の此所へ御出有たるを一入懐しう思われ。巴の亡魂現れ出。詞を替されたると推量致す。余りに痛敷事なれバ。今宵ハ是に御逗留有り。彼跡を懇に御弔なされ。其後何国えも御(ヲ)通りあれかしと存る 十三 碇被 「是は長門の国早友の浦に住者にて候。此程ハ打続沖の波荒くして。我等如キの漁捕一円成らざれバ。今日ハ罷出浦の様子を見合申そふずる。されバこそ此中とハ替りて。海上の静なる事哉。昨日ハ早々より船を出そふと存れバヶ様の大慶な儀ハ御座らぬいや是ハ見馴レ申さぬお僧達の海辺と申。殊に暮に掛りたるに宿をも御取なく。是にハ休らふて御座候ぞ 「中〳〵此浦の者にて候 「心得申候 〔ワキノ前ニ座シテ〕 「偖御尋有度とハ如何様成御事にて候ぞ是ハ思ひもよらぬ事仰らるゝもの哉我等も此浦にハ住者なれど。左様の御事委うハ存せず候併当浦の者と思召お尋有るを。少も存せぬと申も如何なれバ。古キ者共の語り伝たるを承置候間。跡先の差別なく語り申そふずる 「去程に平家は木曾義仲に都を落され。津の国一の谷に御座候処に。源の頼朝ハ院宣に任せ。舎弟蒲の御曹子九郎義経を大将として。六万余騎を差登せられ。驕る木曾殿を打果し。夫より津の国一ノ谷へ押寄セ。又平家を讃岐の八嶋へ追落し跡より追欠様々戦ひ候へバ。平家打負此所迄逃給ふを。義経ハ尋常ならぬ名大将にて在せバ。何国迄かは遁へきと是迄追欠給ふ。平家の一門ハ是より落給ふべき所なけれバ兎角勝負を決せんとて。我も〳〵と進出舟軍に戦ひ給へど。終に平家負軍に成りし処に。其時知盛并ニ二位殿思召様。早御運も究りたり御痛しなから安徳天皇を。海底へ供奉し申さんと。泪を流し仰られしが。二位殿泣々尤遁れぬ御身なれバ御供申さんと。神璽を脇に挿ミ宝剣を腰にさし。内侍所を局に懐せ。主上に向奏し申されけるハ。比浪の下に極楽世界と申て。目出度キ所の御座候間。急キ御幸成シ奉んと宣へば両眼に御涙を浮へ給ひ。東西に向勧念を成さるゝ所に。二位殿走り寄り玉体(ギヨクタイ)を懐キ千尋の底に入給ひたると申。其時門脇の教盛の次男教経ハ。義経の召れたる船に乗移り戦ふ処に。判官殿ハ叶じとや思召けん。二丈斗隔たる味方の舟に飛乗給ふを。教経飽(アキレ)果て御座候処に。安芸の太郎同次郎ハ教経を打取んと押よするを。兄弟の者共を近付。汝等を冥途の伴に連んとて。引𤔩(ツカン)て両の脇に挿海へ入水有る又平家の大将宗盛親ン子ハ水心をよく御存有ツて游(ヲヨギ)上り逃んとし給ふを。源氏の兵共何かハ遁へきと船を押寄。櫓櫂を以ツて打流し。生捕にして鎌倉へ引れたると申が。是も海に沈ミ申されたるか共取沙汰にて御座候。先我等の存たるハ如是御座候 「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉惣じて此隣りに左様の人は御座なく候。小賢キ申事なれど拙者の推量には。平の知盛の御亡魂にて御座有らふずると存間。暫く是に御逗留成され。有難き御経をも御読誦あり。重て奇特を御覧あれかしと存る 十四 経政 「御前に候 「畏て候〔ト云立、シテ柱ノ先ニテ。〕 「去程に皇后宮の亮経政は。幼少より仁和寺御室に同行にて。八歳の時御所へ参初。十三にて元服仕(シ)給ふ迄。片時も君辺を立去事候わず。掛る御馴染成に依て平家都落の時分も。御ン前に参り前に下し給ハりし。青山と云琵琶を上ゲ。一の谷にて打死有るを不便に思召。彼青山を手向管絃講を以て。経政の菩提を御弔ひ有べきとの御事なれバ。管絃の役者ハ其分心得候へ〳〵 十五 俊成忠度 「誰にて渡候ぞ 「左有らハ其由申そふする間。夫に暫く御待候へ 「如何申上候。薩摩守忠度の御参りにて候 「畏て候。御出の由申て候へバ。御対面あらふずるとの御事に候間。号御通り成され候へ 十六 軒端(東北)梅 〔脇次第ノ内ニモ片幕ニテ出、太鼓座ニ居ス。ワキ道行過キ詞有テカヽル。一ノ松ニ立ツ。〕 「誰にて渡候ぞ 〔ワキシカ〳〵〕 「お尋尤に候此梅ハ和泉式部と申て。天下に隠なき名木なれバ。心静に御詠有ふずる 〔ワキシカ〳〵〕 「尤に候〔ト云太鼓座ヘ引居。シテ中入過て、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「最前都初たるお僧とて。東北院の梅花をお尋有し程に。則教やり申たるが。いまたあれに御座るか。但し何方へもお通有りたるか。参りて見申さふずる。いやいまだ是に御座候よ 〔ワキシカ〳〵〕 「中〳〵最前の者にて候 〔ワキシカ〳〵〕 「心得申候 〔ト云ワキノ前ヘ行キ座ス。〕 「扨お尋有度とハいか様成御事にて候ぞ 〔ワキシカ〳〵。セリフ二番目ノ通リ。〕 「是ハ思ひも寄らぬ事お尋有物哉。我等も此隣にハ住者なれど。左様の御事しかとは存も致さず候。去なから初たるお僧の。思寄てお尋有を。一円に存せぬと申もいかゞなれバ。承り及たる通り物語申さふする 【語】「去程に此東北院と申ハ。昔上東門院の御所成りし時。御(ミ)内に名高き哥人数多あれど。中にも和泉式部と申御方は。本国ハ因幡の国うぶミの里の人なりしが。和泉守の妻たる故に。則名を和泉式部と申て。上東門院に宮付給ヒし所に。幼少の時より敷嶌の道に執心深く。明暮言の心色香に染バ。おのづから其風を得られて。何方にて御歌合のある時も。人に先立名歌を読給ふにより。和歌の達者と誉を取られたると申す。又あの方丈の西の妻ハ。式部の御休所にて有しを。後にヶ様に御(ミ)寺と成りても。名匠(メイシヤウ)の住給ひし所なれハとて。作りも替へず方丈の内に込置(コメヲキ)。今に式部の臥戸成る由語伝へ候。然るに比梅を和泉式部と申子細ハ。式部手づからうへ給ひたるにより。則和泉式部とハ申習す。又方丈の軒端の梅共申実候。最前も語しごとく。式部此木を植置れ。春の花の盛りは申に及ばす。夏の梢茂るうちにも。若炎天の梅推(バイズイ)も出るかと疑ひ。秋ハ梅の紅葉(モミヂ)を一入愛し。冬ハ寒苦を経るが面白き抔とて。四季ともに目かれせず詠給ひしを。帝聞し召勅定として召されけれど。式部ハ梅を惜ミ御玉章を参らせらるゝ。されバ其哥に。勅(チヨク)なれば最も賢し鶯の宿ハととわばいかゝ答んと。忝も天子此哥を叡覧成され。扨ハ鶯の宿の梅にて有るならバ。定て名ハ鶯宿梅にてあらふずるとて。重て綸旨を成され。先より此梅を鶯宿楳(バイ)とも申。又論((ママ))旨を蒙りたる梅なれバ。綸旨梅にても有ふずるとの御事に候。是ニ付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて候 〔ワキシカ〳〵〕 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。偖ハ都初て一見のお僧なれバ。誰有ツて此名木の子細を。語り申べき者有間敷と思召。和泉式部の亡魂現れ給ひ。委敷御物語有たると存る間。今宵ハ木影に御逗留有り。重て奇特を御覧あれかしと存る。 「何ニ而も御用の事あらバ承ふずる 〔ワキシカ〳〵〕 「心得申候 〔ト云太鼓座ヘ引居。後シテ出、地トリテ、片幕ニテ入ルナリ。〕 十七 芭蕉 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居。中入過テ、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「是ハ唐土楚国の片原に住者にて候。爰に小水の辺(ホトリ)りに貴キお僧の在すが。毎日毎夜御経懈怠(ヲコタラズ)ず読誦成さるゝ間。急き参り聴聞申はやと存る 〔ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「唯今参じて候 〔ワキシカ〳〵〕 「我等も疾に参り申べきを。彼方此方隙を得ず延引迷惑仕候 〔ワキシカ〳〵有リ。セリフ東北同断。〕 【語】「去程に芭蕉と申物ハ。其精凡の物にてハなきかとの御事に候。夫を如何と申に。先春の時分よりほの〴〵と萌出けるが。生(ヲイ)立(タツ)次第に捲(マクレ)葉も綻(ホヨロブ)るとハ云(イヽ)なから。大方雷の声を聞(キイ)てならでハ。葉をハ思ひの侭にハひらかぬ物にて有由申す。△然れば漢の李夫人ハ此代の縁も尽けるか。程なく空しく成給ふを。野辺の土中に込置れしに。其塚の上にハ芭蕉の生茂りたるが。世を渡る狩人山より鹿を追出し。遁じと彼塚迄追欠来るを。李夫人ハ痛しくや思召けん。芭蕉の影に鹿を隠し置給ふ程に。猟師は行衛を見失ひ帰る折節。畜類の悲しさハ一声二声鳴を聞。狩人立帰り一矢射留申を。其時李夫人の御哥に。隠しつゝ甲斐なき鹿の声立て。思ひいるさの山ぞ面難きと。ヶ様に遊されたると承る。又雪のうちの芭蕉の偽(カレ)れるとハ。昔唐土に有絵書の居たるを召されて。帝より四季の芭蕉を書せ給ふに。春夏秋までは残らず写しけるが。冬の躰にても候か芭蕉をよし(ク)書(カキ)。夫に雪を持せたる有様は。言語道断珍敷見事なれ共。併雪中にハなき物なるに依て。雪のうちの芭蕉の偽れる姿とは。此子細にて有由申す。又芭蕉は佛法にも用ひ申さるゝか。或貴き僧の有しが。庭前に彼名草を植置れ。則其院主の哥に。古寺の庭の芭蕉は一ト本の。数多に咲(サケ)と秋風が吹と斯詠じ給ひたる実候。是に付数多子細の有りとハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是ハ奇特成る事仰らるゝ物哉。左様に夜な〳〵女人の来るべき者。爰元にてハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴により。芭蕉の情魂あらわれ出。有難き御法をも聴聞申たるかと存る間。猶々御経御読誦あれかしと存る 〔ワキシカ〳〵。此跡セリフ、東北同断。〕 十八 采女 〔出入、芭蕉同断。〕 「是は和州南都に住者にて候。今日ハ物淋しき折柄なれハ。猿沢の池の辺(ホトリ)へ立出心を慰はやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御越なされたるぞ 〔セリフ、東北同断。〕 【語】「去程に春日大明神と申ハ。神護景雲二年に河内国平岡より。此三笠ノ山本宮の峰に飛移らせ給ひたる由承る。初ハ此お山に神木とてハ。殊に木影一ツも御座なかりしを。当社の宮奴申され事に。春日山に木を植給ハヾ神慮に叶ひ。諸願成就致すべき由宣ふ程に。藤原氏各木を植参らせて。程なく諸木生ひ茂り申所に。されハ明神の御ン誓にハ。人の歩を運ハ嬉しけれど。衆生ハ恵を受んと植へし木成るに。落葉も裳につきてや行らんと。か程迄深く惜ませ給ふと聞く。当社ハ慈悲万行の御ン事なれバ。現世安穏後生善所の其為に。知るも知らぬもおしなべて。我先にと進んでうへ。か様に夥しき深ン山とハ成り申す。又承り候采女の御事ハ。昔ハ内裏へ国々よりも。像(カタチ)よき女を撰ミ上けるに。其上童名にて有由申す。然れバ古へ天(アメ)の帝の御ン時。恣心も優(ユウ)に誮しき采女の有しが。初メハ人に抽で叡慮に叶ひ。片時(ヘンシ)も君辺を立去る事の無りしが。高きも賤きも人の妹背の習ひとて。程なくすさの参らせしを。情の道とて女心の墓なさハ。及ばずながら君をうらみ奉り。大内を夜半に紛れて忍ひ出。此猿沢に身を投空しく成り給ふを。初メの程ハ人の知らざりけれど。後にハ其隠れなかりし間。此儀を事の序に奏し給へば。主上も痛しく思召され。南方忝き御事なるぞ。猿沢の池の辺りへ御幸あり。采女の死骸を叡覧成され。則御哥に。わきもこがねくたれ髪を猿沢の。池の玉藻と見ぞ悲しきと。但し是は去ル人の哥なれど。余りにかひたるにより君の御哥とハ申習す。先我等の存たるハ如斯にて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国とも知らず女性の来り。当社の御ン謂又采女の子細抔を。委しく語り申べき者。爰元にてハ覚ず候が。扨ハお僧の御(ゴ)心ン中貴により。古への采女の亡魂顕れ出。詞を替されたると存る間。しバらくこれに御逗留あり。彼跡を御弔ひあれかしと存る 〔跡セリフ、東北同断。〕 十九 井筒 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ和州石上に住者にて候。今日ハ志ス日なれバ。在原寺へ参らばやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御参詣成されたるぞ 〔セリフ、芭蕉同断。〕 【語】「去程に此在原寺と申ハ。昔在原の業平紀の有常の息女。夫婦住せ給ひたる所にて候。然れハ業平も有常の息女も。いまだ幼(イトケナ)き時ハ友達語(カタラ)ひし。倡(イザナ)ひ寄りて御遊ひ候時分。是成井筒に立寄水鏡を見給ふに。何れも御像(カタチ)美しくおわしませバ。我影を人の影と御争ひあり。互に手に手を取替(トリカハ)し。朝な夕な御狂ひ有りしが。程なく生立給ひて後。息女ハ美女の誉を取給ん抔と沙汰の有比。在中将ハ彼御方を床しく思召。御玉章を参らセらるゝ。されバ其哥に。つゝ井筒いつゝに懸しまろがたけ。老にけらしな妹見ざる間にと。か様に遊バし遣わさるれバ。頓て返歌の有ける。くらべこし振分髪も肩過ぬ。君ならずして誰か上グべきと。互に心とけて詠替されし処。終にハ靡(ナビ)かせ給ふ程に。御契り浅からぬ事にて有りたると申す。去れ共河内国高安と申里に。有る女の有りて折(ヲリ)々通ひ給へバ。定て息女厭ひ申されうずるところに。左様に御座なきを不審に思ひ給ひ。毎のことく高安通ひと号して御(ミ)内を御出あり。庭の一村薄の陰に立寄御覧ずれバ。紀ノ有常の息女夫をハ夢にも御存じなくして。夜半過と思敷キ時分妻戸を明ケて出。物案じ姿にて暫く休らひ給ひ。君が河内通ひの道の程の心元なきと。有哥を詠じ給ふを業平聞し召。か様に心替りのなき人を嫉ミつる事よと。却而我身の心中を恥しく思召。夫より高安通ひをふつに思ひ切り。夫婦の御中猶睦敷有たると申す。業平紀の有常の息女の御事に付。数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。扨ハお僧の御心中貴により。古への紀の有常の息女の亡魂顕れ給ひ。御詞を替されたると存る間。暫く是に御逗留有。彼跡を懇に御弔ひあれかしと存る 二十 江口 〔出入、東北同断。ワキカヽル。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキシカ〳〵〕 「さん候江口の君の御旧跡ハ。あれに見へたる藪のうちにて候間。初たる御方ならバ。御出有りて御覧候へ 〔ワキシカ〳〵〕 「尤に候〔ト云太鼓座ヘ行居。中入過テ、シテ柱ノ先ヘ立ツ。〕 「最前旅のお僧とて。江口の長の旧跡をお尋有し程に。則教へやり申たるが。未あれに御座るか。但し何方へもお通り有たるか。参りて見申さふずる。いや未た是に御座るよ 〔此所セリフ、東北同断。〕 【語】「去程に江口の君の本国ハ。周防の国室隥の郷のうち。中の御手洗(ミタライ)の御方成りしが。衆生済度の為に流を立つる身となりて。諸国を廻(メグ)り給ふ所に。王城近く住んと思召か。此江口の里へ御出有りて御座候時分。西行ハ立寄一夜の宿と乞るれバ。内よりもお宿は叶ふ間敷キ由宣ふを。憲清ハ何となく。世の中をいとふ迄こそかたからめ。仮のやとりを惜む君かなと読給へバ。長ハ惜ぬよしの御返歌有たると承る。誠に江口の君ハ普賢菩薩の化身成る由申す。夫をいかにといふに。播摩国書写の開山性空上人ハ。正身の普賢を拝ミ申度と。一七日文殊に御祈誓あれバ。満ずる夜の夢の告に。津の国江口の長を御覧ぜよと有し故。御霊夢にまかせ是へ御出あれバ。長ハ十人の遊女を集め。酒宴をなして御入有しを。上人ハ閉目即見と勧念をなし是をよく御覧有るに。疑もなき普賢菩薩にて御座候。又其十人の女房達は。十羅刹女と見(ミエ)させ給ふを。亦開目即悉と両眼を(ノ)開き御覧すれバ。本の江口の君にて有たると申が。其後ハ誠の普賢菩薩と現れ。光明を放チ紫雲に乗じ。西方さして去給ひたるとやらん承る。去なから今も月の明々と面白き折節ハ。此川辺をお舟に召れけるが。川逍遥の遊ひ謡の音の聞ゆると申す。是に付数多子細の有とはいへど。先我等の存たるハ斯の如にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。女人の古哥の理を申されん人。爰許にてハ覚す候が。扨ハお僧の御心中貴により。古への江口の君の亡魂顕れ出。詞を替されたると存る間。暫ク是に御逗留あり。彼跡を御弔あれかしと存る 二十一 定家 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ洛中に住者にて候。今日ハ物淋しき折柄なれバ。千ン本ンの隣へ立出心を慰はやと存る。いや是成るお僧ハ。何国より御越成されたるぞ 〔セリフ、芭蕉同断。〕 【語】「先都のうちの名所旧跡ハ申に及ばず。辺土の山野深谷の致景迄も。我か日の本には類ひ少ナき事成るに。増てや洛外のうちに面白く思われ。古人の住れたる所多といへど。中にも藤原の定家の卿ハ。此辺を心すごく物哀に思召。あれ成宿りを立置れ。折々ハ御出ありて哥を詠じ。御心を慰ミ給ひたると承る。然れハ比ハ陽月の事なりしに。時雨の音を聞イて。世の中ハ定なき事のミ成るに。四節は折を違(タガ)へぬといふ下心を以つて。時雨時を知るといふ題にて。偽りのなき代なりけり神無月。誰(タガ)誠より時雨染けんと斯遊して。先より此額を時雨の亭(チン)と打れたると申習す。又其比は後鳥羽の院の御宇成るに。式子内親王と申御方。初ハ加茂の齊(イツキ)に備り給ふが。後に大内に住せ給ひし刻。和歌の友なれば定家の卿と睦間敷キ時分。御歌合に恋の歌を読給ふを。君聞し召れ思ひ内にあれバこそ。掛る言の葉を詠し給ひけれと有れば。内親王ハ科陳法にあらず。哥人は見ぬ名所を知ると宣ふ。され共其故哉覧程なく下(ヲ)りて。勧喜寺に居させられしかども。天上の交りなくてハ有甲斐なく思召か。頓て薧御成らせ給ひし間。跡の印を立置れし所に。程なく蔦かつら生ひ茂りたるを。或(アル)僧(ソウ)の取退(ノケ)て置れけるに。又一夜の間に前の如く纏しを。各御覧して草木心なしとハいへど。此蔦ハ尋常ならぬと御不審成さるゝ折節。有小賢人の申され事に。是ハ定家の執心葛と成ツて。か様に御墓に這掛るよし宣ふを。皆人の聞て先より蔦葛をば定家がつらとハ申習す。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。お僧初て都へ御登有たるに。誰有ツて此あたりの名所を。語り申べき者あるまじきと思召。式子内親王の御亡心かりに見(マミヘ)給ひ。委しく御教へ成されたると存る間。暫く是に御逗留あり。彼御菩提を御弔ひあれかしと存る 二十二 夕顔 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ都五条隣に住者にて候。今日ハ物淋敷折柄なれバ。何某の院へ立出心を慰はやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御越成されたるぞ 〔セリフ同断。〕 【語】「去程に夕顔の上と申ハ。頭の中将の御思ひ人にて候ひしが。去子細有て五条にかくれておわします頃。光源氏ハ六条の御息所へ通ひ給ふ折節。此五條隣を御通り有しが。御車の内より差眮(ノゾ)き給へば。頃ハ秋の夕ツ方の事成るに。白き花の心地よきに這掛りたるを御覧し。御(ミ)随身に何の花ぞととわせ給へバ。夕顔と申花成由答へけるを。一房折て参れとありし処に。△内よりも女の白き扇の爪(ツマ)灼(コガ)したるをもて出。是にすへて参らせられよ。枝も情なげなんめるをと申さるゝを。其時惟光して上けるに。源氏の君今の扇を見給へバ。心あてに夫かとそ見る白露の。光添たるゆふ顔の花と有る。哥を書付たるを御覧せられ。夫より何角方便(タバカリ)て源氏を通せ申されたるに。此五条隣の事なれバ。隣にハ物詣とて。夜深より御嶽精進の御(ミ)声。鳥のから声松の響。其外世を渡る賤の営申す。万物騒しき事を六ケ敷思召。何某の院へ伴ひ御申有るに。路次すがらの哥ども数多有り実候へ共。夫迄ハ聞も及ず候。扨河原の院に御座候時分。六条の御息所生霊(イキリヤウ)となり。夕顔の上を取申されたる由承る。是ニ付数多子細の有とハ申せど。先我等の存たるハ如此にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物かな。最前お僧ハ豊後の国より御登り有たると御申。あれば玉かつらの所縁(ユカリ)をなつかしく思召。ゆふかほの上の亡魂あらわれ出。御詞を替されたると存る間。しばらく是に御逗留あり。彼御菩提を御弔ひあれかしと存る 二十三 半蔀 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。爰に花の供養の御座候間。急き参らばやと存る 〔ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「唯今参して候 〔ワキシカ〳〵。此所ノ詞セリフ等、芭蕉同断。語、夕顔同断。但語ノ内合印ノ所。〕 △内よりも女の半蔀を上げて。白キ扇の〇 〔此ノ如ク語スミ。〕 是ハ奇特成事仰らるゝ物かな。左あらハ是より五条へ御出ありて。夕顔の跡を御弔ひあれかしと存る 同 立花供養之時ハ如左 「御前に候 「畏て候。皆〳〵承り候へ。花の供養を被成るゝ間。色能き花を参らせよとの御事なり。又志の輩ハ皆御参あれ。其分心得候へ〳〵 〔中入過テ。〕 いかに申。唯今の様子ハ何と思召され候ぞ 二十四 空蝉 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ都下京辺に住者にて候。此程ハ打続徒(ツレ)然なれハ。罷出心を慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。此隣にてハ見馴申さぬ御方成が。何とて此所にハ休らひ給ひたるぞ 〔セリフ、芭蕉同断。〕 【語】「去程に古への空蝉と申ハ。光源氏と申せし時。いかゝ有けん中川の宿へ御出の折節。止事なき上臈の一人在すを御覧じ。頓て御心をうつしあこかれ給ひ。重て又御越被成。今に初ず御出ありつれども。終に難面なく御帰りあれど。弥胸の煙りも晴やらで。坐(ソヾロ)に思ふ暮方の。衛士の焚火も消方に成り。扨彼寝夜のうちへ忍入給へば。兼而より源氏の体をしろしめされたるか。其夜ハすご〴〵と寝やを替させ給ひ。跡に衣ばかり脱捨置れしを。中将は是を御存なく。衣にたより給ふ事の墓なさよと思召。此衣を脱置れたるに付て。源氏の一首口号(クチヅサミ)給ひたると申す。其時の御歌は。空蝉の身を替へてげる木の本(モト)に。なを人からのなつかしき哉と。か様に読こま〳〵と参らせられたるを。彼御方ハ委敷御覧じけるか則返哥の有ける。うつせミの羽に置露の木隠れに。忍ひ〴〵にぬるゝ袖哉と。斯のことくよみ替し給ふ故。則空蝉とハ名付られたると申す。夫より度々御文を通ハされ。歌の御返哥抔も有つれども。兎角うつ蝉は色深き御方にて。終に打解給ハさる由承り及ひて候。是に付あまた謂の有とハいへど。最前も申如く。委しき事ハ存も致さず。先我等の存たるハ斯の如くにて候が。扨只今ハいか様の子細にて。御尋有たるぞ不審に存候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。左様にいづく共知らず女性の来り。初たる御方に言葉を掛け。殊に古き事共を物語致べき者。爰許にてハ覚ず候が。小賢き申事なれど我等の存るハ。お僧の御心中貴により。古への空蝉の亡魂あらハれ出。旁に逢申されたると推量致す。余りに不思議の御事なれバ。今夜ハ此所に御泊有り。終夜御経をも御読誦遊し。御跡を御弔あり。其後何国へもお通りあれかしと存る 二十五 野々宮 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ野々宮の御神拝(ジンバイ)なれバ。急で参らばやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御参り成されたるぞ 〔セリフ同断。〕 【語】「去程に此野々宮と申ハ。伊勢斎宮(サイクウ)に御立有人の。仮に移りおわします。御ン精進(シヤウジ)屋の為に建置れたる所と申す。是にて御身を清められ。夫より桂のはらひに逢ひ。竹の都に御座候由承る。然れバ古への御息所の御ン息女。斎宮に立給ハんとて此野々宮に移られ給ふ。御母御ン息所は源氏と御契深かりしが。葵の上に付キて空しく成シ給ふ故。夫より御心能く思召ざる間。息女の斉宮に離れ難きと号して。伊勢へ御下り有べきとて是へ御出有る。光源氏ハ御息所の御心。つらき物とハ思召せども。流石。又。別れ給わん事もいとおしく思ひ給ひ。此野々宮へ訪(トムラ)らひ参らせらるゝに。其折節殊更成物の音など聞へけれど。源氏渡り御座す由聞し召されて。御遊ひをも止られたると申す。其時源氏の君ハ榊の枝を折りて。翠簾のうちへ差入レ給へば。御息所の御哥に。神垣はしるしの杉もなきものを。いかに紛へて折れる榊ぞと。か様に遊し給へハ源氏の御返哥に。乙女子(コ)か隣と思へば榊葉の。かほなつかしミ留て(ト)こそおれと。互に読替し御申あり。夫より色々様々の御恨どもにて。月も傾(カタムケ)バ光源氏ハ御帰り有る。御息所は都の方名残惜く思召せ共。ちから及ばす伊勢へ御参成されたる実候。先我等の存たるハ斯の如くにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に女人の忽然と来り。此所の子細を語るべき者爰元にてハ覚へず候か。扨ハお僧の御心中貴により。古への御息所の御亡心見へ給ひ。御雑談成されたると存る間。末は急きの旅なり共。今宵は木影に御逗留有り。彼御菩提を御弔ひあれかしと存る 二十六 檜垣 〔出入、芭蕉同断。〕 「是は肥後の国に住者にて候。然ハ当国岩戸の観世音に貴きお僧の在すが。毎日毎夜御経懈怠らず読誦成さるゝ間。参りて聴聞申ばやと存る 〔ワキノ前ヘ行下ニ居テ。〕 「唯今参して候 〔ワキシカ〳〵〕 「我等も疾に参り申べきを彼方此方隙を得ず延引迷惑仕候 〔ワキシカ〳〵有リ。セリフ、芭蕉同断。〕 【語】「去程に珍らしからぬ御事なれど。国々在々所々に於て。像よき女(ニウ)房数多ありとハいへど。中にも九州太宰府に。檜垣の女とて隠なき白拍子の有しが。若く盛なりし時は人に越。容顔美麗にして心殊に誮(ウツクシク)て。増して立舞舞の袂(タモト)も尋常ならねば。見る人毎に耳目を驚し。彼方此方へ召て御(ゴ)寵愛浅からず。誠に近国他国迄も美女の誉を取し身なれども。年闌て有し姿もなき時分は。誰も御酌とて召人なけれバ。同じき国の白川辺に。庵(イホリ)を結びて住けるが。有とき藤原の興範御通りあり。水や有ると乞せ給へば。彼女内よりも水を持(モ)ていて哥に。年経(フ)れハ我黒髪も白川の。ミつハくむまで老にける哉と。ヶ様に取あへず詠しけれども。掛る面白き名哥成に依て。後撰集とやらんにも入たると承る。檜垣の老女に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて候か。扨只今ハ何と思ひよりて。お尋有たるぞ不審に存候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共知らず老女の。毎日樒(シキミ)閼伽(アカ)の水を汲是へ参申べき者。此あたりにてハ覚へず候が。扨ハお僧の御(ゴ)心ン中貴により。古への桧垣の老女の亡魂あらハれ出。詞を替したると存る間。是より白川へ御出ありて。彼跡を御弔あれかしと存る 二十七 伯母捨 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ名月なれバ伯母捨山に上り。田毎の月を見て心を慰ばやと存る。いや是に御座候御方ハ。夕間暮にてしかとハ見へ分ず候が。何国より御越被成たるぞ 〔セリフ同断。〕 【語】「先信濃国更級の郡に於。伯母捨山と申子細ハ。昔更科の里に若き男の有しが。幼少の時より父母(チヽハヽ)に殿れし間。親の妹の有りて一入痛り。誠に我子のことく養育して。後にハ妻を向へ置れし所に。其女の心中萬(ヨロヅ)物憂事多くて。伯母の老かゝまりて久敷く居たるを。彼女いまた死せさる事よと思ひて憎ミ。男にも此伯母の御心情なき抔と。常に悪事を而已語り聞せし故。古へのことくになく疎成る折節。老女を深き山に棄給へと進れバ。夫(ヲツト)ハ責られて月の隈なき夜。伯母御倡給へ寺にたうとき事の有を。見せ奉らんと偶に云れて。誠と心得悦び負れし間。山に遥々入りて峯ノをるへき道もあらざる。是成る木高き桂の木の元に置て戻を。何とて我をバ此山中に捨給ふぞと。声をはかりに呼れどもいらへもせで。逃て宿に帰りつく〴〵思ふ様。女の悪しき様にいふ時ハ。腹(ハラ)立(タチ)斯ハ致せども。年ン来親の如く養ひ相添けれバ。流石心の内に最(イト)おしく存る刻。此山上より月も最赤く差出たるを詠て。其夜ハいも寝られず悲しく覚へ。斯詠し給ひたると承る。我心慰め兼つ更科や。姨棄山に照る月を見てと読て。急き迎ひ来るとハいへど。夫より世間に伯母捨山とハ申習す。又田毎の月と申。或ハ棚田とも申其子細ハ。御覧せらるゝことく嶺より麓へ。次第〳〵に山田を作り申に。月のさやけき時分山の上より見渡せば。何れの田にも残らす月影の移るに依。おのづから田毎の月と申て。隠なき名所にて候。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是ハ奇特成る事仰らるゝ物哉。扨ハ旁の此山に始めて御登りあり。殊更明月を御詠成さるれバ。古へ捨られし老女は。妄執の雲も晴かたきゆへ顕れ出。言葉を替されたると存る間。暫く此所に休らひ給ひ。心静に月を御詠あれかしと存る 二十八 仏原 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ物淋敷折柄なれバ。草堂の隣へ立越心を慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御参り成されたるぞ 〔セリフ、同断。〕 【語】「去程に大政の入道清盛ハ。日本を(ノ)思ひの侭に治め給ふにより。不思儀の事而已色々仕給ふ。其頃都に遊女数多有中に。刀自と申白拍子の娘に。祇王祇女とて兄弟有りしが。姉の祇王をバ平相国の召置れ。朝暮御寵愛限りなき折節。三年に成りて此加賀の国の白拍子に。名をハ仏と申人の有りて。美女の誉を取り舞も上手なりしが。有時西八條へ参り申されけるを。大政の入道ハ聞し召れて。いかに遊女なりとも祇王があらん所へハ。神ともいへ仏ともいへ叶ふましきぞ。とう〳〵出よと宣ふ折節。祇王清盛に申されける様ハ。譬舞を御覧なく哥を聞し召さずとも。御対面ばかり成共あれかしと申に付。召帰されて今様を謡ひ。并に舞をまわせ御覧あれバ。見ン聞ンの人々ハ耳目を驚し給ふ。殊に眉目像(ミメカタチ)声よく舞も上手なれバ。相国仏御前に御心を移されけれど。祇王の思われん所も恥しく思召。此度ハ御暇給べと申を。左様にあれか有を憚に於てハ。祇王に出よと御使有りし程に。なからん跡の忘れ筐とや思われけん一首の哥に。萌出(モヘイツ)るもかるゝも同じ野辺の草。何れか秋にあわで果べきと。此哥を年月住なれし障子に書付。すご〴〵と出世の中を恨ミ。二十一にて髪をおろされけれバ。妹の祇女も母の閉も尼に成。嵯峨の奥に柴の庵を結ひ。一心不乱に念仏申所に。仏御前ハ次の年の初秋の時分。祇王の一間所に書たる哥を見て。いづれか秋にあわで果へきとは実もと思ひ。浮世をいとわん為に忍出様をかへ。嵯峨野の方へ尋行祇王に逢イて。我身の科なきよしを語り。四人一所に居て浄土を願われしが。仏御前ハ此国の人成ゆへ。後には古郷に帰り是にて果られたると申す。さあるに依て此草堂の主(アルジ)ハ。仏にて有由承る。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是はきどく成事仰らるゝ物哉。此草堂のあるじハ仏にて有と申せば。貴きお僧の此原中へ御出有り。殊に是へ立寄給ふにより。仏御前かりに見へ給ひたると存る間。末は急きの旅なり共。今宵ハ是に御逗留あり。終夜有難き御法を遊バし。其後何国へもお通りあれかしと存る 二十九 藤  〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ越中国多胡の浦に住者にて候。今日ハ能き天気にて候間。多胡の浦へ立出藤を詠め心を慰ばやと存る。いや是成お僧は。此辺にてハ見馴申さぬ御方成るが。何とて此所にハ休らひ給ひたるぞ 〔セリフ同断。〕 「先此海を布勢の海と申。此隣を多胡の浦とも申。又是成松に掛りたる藤を。多胡の浦藤と申名花にて候。昔奈良の帝の御宇に。大伴の家持の卿。越中の守にて御座有し時。此所へ御出有りて様々御遊覧の刻。折柄此藤今を盛りに咲乱れ。是成汀に影移り。水底清く候しがバ。春の名残りを一入面白く御賞翫に思召。御酒宴を成され一首の御詠歌に。藤浪の影なる海の底清ミ。しつく石をも玉と我見ると遊されたる実候。其時御伴ひ候し綱(ツナ)丸と申御方ハ。越中の亮にておわしましけるが。取敢ず。多胡の浦底さえ匂ふ藤浪を。かざして行ん見ぬ人の為と読給ひしより。此所を田子の浦とも。又多胡の浦藤共申由承り及候。誠に何国の藤よりも。しなひ長く別而色深く。世々の集の哥人(ウタビト)も数多読置れたると申習す。併遠国の事なれば。誰有ツて打続き詠ず(む)る(る)人もなく。毎年我等如きの見申迄にて。委細の事ハ存ぜす候が。古き者共の申伝る通りを。先物語仕りたるが。何と思召てお尋有たるぞ不審に存候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。当浦ハ世に隠なき藤の名所なるに。貴きお僧此辺江御越被成。浦の景色を詠め給ひ。殊に此藤に心を付られたるにより。非情とハ申ながら此藤に限り。古へより様々哥にも読置れたる程の。名高き今に絶せぬ葛なれバ。仏果の縁を成し度存。かりに女と現じ詞を替したると存間。暫く是に御逗留あり。草木国土悉皆成仏の御法を遊バし。重て奇特を御覧あれかしと存る 三十 誓願寺 〔ワキ次第ノ内ニ出、太鼓座ニ居。道行過キ、詞アリテワキ座ヘ行、腰掛ルト、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「是ハ都小川(コガハ)表に住者にて候。此所へ一遍上人御着あり。六十万人決定往生の御札を。国土に御弘成され候間。志の輩ハ皆々御参り候へや 〔ト云触テ太鼓座ニ居ル。シテ中入過テ、シテ柱ノ先ニ立。〕 「扨も小川表の面々。今夜不思議の夢を見申さるゝに付。上人へ参り拙者に不審仕れと有る程に。急き此由申さふする 〔ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「是ハ小川表に住者成るが。当寺への御参詣目出度存候。又我等の参り申事余の儀にあらず。今夜小川表の老若共の夢に。昔より誓願寺と打(ウチ)たる額を退られ。唯今上人様の御手跡にて。六字の名号に御成し有ると。何れも同じことくに見申により。余りに希代成る御事なれバ。拙者に少尊意を得よかしと有に付。卒尓ながら是まで伺公致たるが。何共思召合せらるゝ儀は御座なく候か 〔セリフ同断。〕 【語】「去程に和泉式部と申ハ。因幡の国政廣の息女。和泉守道貞の妻にて御座候しが。夫におくれさせ給ひてより上東門院の上童に宮付。女人の身とハ申せども。世に勝れ和哥の達者にておわしませば。正身の歌舞の菩薩の化権とハ申習す。惣じて哥道ハ仏神の御内證にも叶ひ。鬼神を和らげ武士(モノヽフ)の心を慰むるに依。衆生済度の為に和泉式部と生れ給ひたる由承る。亦当寺は天智天皇の御願に。立置れたる御寺にて。御(コ)本(ホン)尊(ゾン)ハ慈悲万行の御作にて御座候。即和泉式部も当寺に印を立置れ。後には往生を遂天上有たる由申伝る。是に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。古への和泉式部ハ仏の化身とハ申せ共。権に人骸を請給ふにより。左様の罪咎も御座候べし。小賢(サカシ)き申事なれど我等の推量には。上人の御心中貴故。式部の御亡心見へ給ひ。御詞を替されたると存る。然らバ御本尊の御告のことく。誓願寺とうちたる額を御退(ノケ)成され。六字の名号に遊されいかしと存候 「左有バ其由相触申さうずる 〔ト云立テ、シテ柱ノ先キニテ、ワキ正面ヲ向キ。〕 「やあ〳〵皆々承り候へ。上人へも新成る御告の在す間。弥陀の教のことく当寺の額を。六字の名号に成し給わんとの御事なれバ。志の輩ハ参りて拝れよとの御事なり。構へて其分心得候へ〳〵 三十一 六浦 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ相模国六浦の里に住者にて候。今日ハ何とやらん徒然成折柄なれバ。称名寺のあたりへ立出。山々の紅葉を見て慰はやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御参詣成されたるぞ 〔セリフ同断。〕 【語】「先此寺ハ称名寺と申て。一遍上人の開山にて有由承る。此上人ハ俗体の時より。正直を第一にして親に孝あり。慈悲心専として道心深き故。浮世をいとわん為に発心を遊バし。則一遍上人と申て。諸国を修行あり念仏を弘め給ふ事。天下に其隠なくして。殊勝第一の智者にて有たると申す。然れバ一ト年吾妻へ御修行の刻。即当寺を御建立有りて。念仏三昧の道場と定め。暫く是に御逗留の内。本堂の庭に此楓の木を植置れしが。世間の楓とハ抜群に替りて。四方の山々ハいまた成に。此木に限つて如何にも色美しく。毎年よく紅葉(コウヨウ)致に依て。当寺の錺にて有と申され。何れも寺僧達は申に及ばず。近郷他郷の老若迄も。紅葉見には貴賎群集致たる実候。しかれども其以後に。昔鎌倉の為相の郷((ママ))と申御方。是を御見物有度思召。当寺へ御参詣の時分。此名木の今を盛成を御覧じ。さなから錦を晒せるといふ共。是にハいかで勝べきと思ひ給ひ。其時為相の卿の御歌に。如何にして此一ト本に時雨けん。山に先だつ庭の紅葉ばと。か様に遊し給へば。草木心なしとハ申せど。此御詠哥を理りとや思ひけん。其次の年より一チ葉も紅葉(モミヂ)致さず。御覧せらるゝことく今に青葉にて候。先我等の存たるは斯のことくにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共なく女性の来り。古き事語申べき者。爰許にてハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴により。此名木の精女人と現じ。言葉を替したるかと存る間。末は急きの旅なりとも。今宵ハ是に御逗留被成。終夜御法を遊し。其後何国へもお通りあれかしと存る 三十二 陀羅尼落葉 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ都小野の隣に住者にて候。今日ハ物淋しき折からなれバ。罷出て心を慰はやと存る。いや是成るお僧ハ。何国より御越成されたるそ 〔セリフ同断。〕 【語】「去程に落葉の宮と申ハ。一條の御息所の御息女にて有たると申す。又其比柏木の右衛門督と申人。折しも比ハ春の暮つ方の事なるに。霞める空を面白思ひ給ひ。六条の院にて御鞠遊ひの有し時。日比女三の宮の手馴させ給ふ。虎毛の猫翠簾の外(ソト)へ出し故。纏(マトワリ)綱(ツナ)にて翠簾をあけけれバ。女三の宮の立姿を右衛門一目見奉り。夫よりしづ心なく悩(ナヤ)ミ給ひ。宮の御乳母小侍従を頼ミ。玉章を書送らせ給ふ其時の哥に。諸かづら落葉を何に拾ひけん。名ハむつましきかざしなれ共と。か様に読給ひしより以来(コノカタ)。女三の宮を落葉の宮とハ申習す。其後女三の宮に逢参らせられ。互に色々の私語(サヽメゴト)など有りつれ共。併忍ひ思ひの事なれバ。如何斗絶難く思われけん。終に身を徒に成し給ふと承る。然れバ御母御息所ハ。物の化にて此山里におわしますにより。終にハ女三の宮も当所へ御出有り。則母儀と一所に住せ給ふ。惣して女人ハ五障三従の罪浅からざれバ。貴僧高僧の声をあげ。陀羅尼品を一千巻。他念なく読誦し給へども。御息所ハ快気なかりたると申す。亦落葉の宮ハ夕霧の大将と伴ひ。程なく都へ登り給ふにより。扨々執着の罪いかゞあらんと。専取沙汰致たる実候。先落葉の宮の子細。大方か様に聞及ひて候が。何と思ひよりて尋給ふぞ。殊に御出家の身なれバ不審に存候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。扨は古への落葉の宮の亡魂顕出。詞を替されたると存る間。是より都へハ程近く候間。先々当所に御逗留あり。女人成仏の御経を御読誦成され。彼跡を懇に御弔ひあれかしと存る 三十三 胡蝶 〔出入、芭蕉。〕 「是ハ洛中に住者にて候。今日ハ物淋しき折柄なれば。古宮の隣へ立出心を慰ばやと存る。此間ハ一段と長閑なれバ。漸梅花も盛にて御座有らふずる。いや是成お僧ハ。爰許ニてハ見馴申さぬ御方成るが。何国より御越被成たるぞ 〔セリフ同断。〕 【語】「先爰元は都の内にても上京にて。一条大宮と申名所にて候。お僧は洛中初たる御方ならバ。定て一円御存有まゐほどに。此宮を常の古き宮と迄思召れふが。昔より様々謂の有古跡にて。是成梅花の盛の折節ハ。洛中の事ハ申に及ばず。国々在々所々よりも。毎年我先にと進んで登り。老若男女によらず花見の人々ハ。貴賎群集致たるよし承る。其上旁の見給ふことく。大内も殊の外程近く候へバ。春の花の盛は申に及ばす。夏の木末茂るうちニも。若炎天の梅推も出るかと疑ひ。秋ハ梅の紅葉を一入愛し。冬ハ寒苦を経(フ)るが面白などゝて。雲の上人ハ四季共に是へ御出成され。幕打廻し屏風を立。詩哥管絃の御遊ひにて。夜明ケ日の暮るをも弁へ給ハず。詠たへせぬヶ様の名所なれバ。昔ハ千草(センソウ)萬(バン)木(モク)も生茂り。心言葉も及ひ難き故。千艸(チクサ)に集(スダ)く虫の音迄も。聞人毎に立留りたる抔と申す。夫ニ付胡蝶ハ春夏秋を経(ヘ)て。草木の花に戯るゝとハいへど。梅花に縁の疎き事を歎き。啼悲む涙の色も紅井の。此花を面白く存けるか。飛かけりて戯れ遊ひたるを。花園の小蝶をさへや下草に。秋松虫はうとく見るらんと。斯のことく遊され。今に語伝たるも此故にて有ると申習す。誠に爰ハ所から名所なれバ。其古への落葉の時分も。木の葉を一葉もためじと有りて。毎日掃除以下をも清く致し。あたりも耀く様に有たると申候。御覧せらるゝことく棟の瓦には青苔生ひ。軒も扉も皆苔むして。か様にあれたる古宮成るに。其昔の様体を今も承れバ。某抔ハあきれ果て居申候が。扨只今ハ何と思召寄りて。お尋有たるぞ不審に存候 「是ハ奇特成る事仰らるゝ物哉。此荒果たる古宮の隣へ。殊に暮に掛りて女人の唯独りいで。詞を替し申べき者ハ覚ず候が。小賢申事なれど我等の存るハ。唯今の御物語を承るに。先以お僧の御心中貴く。其上此梅花に御心を付られたれバ。別て馴々しく思ひ。小蝶の精魂あらハれ出たるかと推量致ス。何も利益はおなし御事なれバ。末は急の旅なり共。今宵は木影に御逗留あり。彼者を念頃に御回向遊し。重て奇特を御覧あれかしと存る 「此近所に宿を持たれバ。御用の事あらバ承ふする 三十四 朝顔 〔出入、芭蕉同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ佛心寺へ参らはやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御参り成されたるぞ 〔セリフ同断。〕 【語】「先當寺ハ佛心寺と申て。洛中に隠なき御寺にて候。昔桐壺の御門の御代に。式部卿と申御方の。住せ給ひたる御旧跡にて有由承る。此式部卿の御息女の在すが。朝顔の(ノ)斎院と申て。加茂の齋(イツキ)の宮に備り給ふを。光る源氏の聞し召され御心を掛させ給へば。神慮もいかゝと思召。折々の御返事ハ遊せども。御心底ハ御なびきなく候処に。桃園の宮過させ給ひて後。女御の宮と一所に住せ給ふを。折に幸と思召。源氏の宮ハ御訪と号して。最繁(イトシギヤ)ふ御出成されけれど。此院ハ更に討解給ねば。重々の御玉章言葉に花を咲せられ。猶以度々通わせ給へバ。終に難面なびき給わず。大方の御文通し迄にて有たるにより。数々の御恨ミ尽せざる様に承る。夫ニ付存出たる事の候。惣じて御出家ハ何れも残らず。定て能く御存し成されうが。世間に我人萩朝顔とハ云つゝけ共。此程と申草花を。佛前に於て手向には。終にこれなき様に取沙汰致す。ヶ様の事に付色々子細有実に思へども。委しき事ハ存も致さず。先我等の聞及ひたるハ斯のことくにて候が。何とて朝顔の謂を。御出家のお尋有たるぞ不審に存候 「是ハ奇特成事仰らるる物哉。扨々お僧の心中貴により。朝顔の亡魂女人と現じ。有難き御法をも受度思ひ。お僧に詞を替されたると推量致す。余りに不便成事なれバ。暫是に休らひ給ひ。お経を御読誦あれかしと存る 三十五 松風 〔上掛ナラバ名乗ワキ故、シテ柱ヲ越ユルト出ル。下掛リナラバ次第ノ内ニ出ル。ワキ名乗過テカゝル。一ノ松ニ立。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキシカ〳〵〕 「さん候あれに付。謂の有るを語て聞せ申さふずる。昔行平の中納言と申御方。当浦へ始て御下向の刻。此在所に兄弟海人の有に御心を掛られ。月の面白き折節ハ。あの松の元にて御酒宴を(ノ)成さるゝ。其時分村雨抔のバら〳〵と致候へば。折にふれて二人の名を松風村雨と名付給ふ。其後行平ハ都へ御登り有り。御音信のなかりし事を。兄弟の海人は是を恨ミ。思ひと成り空しくなれバ。二人の海士の旧跡とも存じ。ヶ様に札を打短冊を掛られて候。お僧も逆縁ながら弔ふてお通りあれかしと存る 〔ワキシカ〳〵〕 「尤に候 三十六 又短キ方 「誰にて渡り候ぞ 「さん候あの松ハ。松風村雨二人の海士の旧跡にて候が。去子細有ツて空しく成り給ふにより。あのことく札を打短冊を掛られて候。お僧も逆縁ながら弔ふてお通りあれかしと存る 三十七 楊貴妃 〔ワキ次第ノ内ニ出、太鼓座ニ居ル。道行過ギテカヽル。一ノ松ニ立ツ。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキシカ〳〵〕 「さん候此所に楊貴妃と申ハ御座なく候。去ながら唐土より仰らるゝに付て思ひ出た。爰に玉妃と申御方の。明暮もろこし恋しや腰方恋しやと仰候が。若左様の人にてばし御座候か 〔ワキシカ〳〵〕 「あれに見へたる森の中(ウチ)に宮作り数多候が。中にも大(タイ)真(シン)殿(デン)と打(ウチ)たる。額のうちにて玉妃と御尋候へ 〔ワキシカ〳〵〕 「尤に候 三十七(【八】) 祇王 〔ワキ名乗スギテ呼出ス。但ワキ出、シテ柱ヲ越スト片幕ニテ出、太鼓座ニ居ル。〕 「御前に候 〔ワキシカ〳〵〕 「畏て候 〔ト云幕ヘ向フ。〕 「如何に祇王へ申す。佛御前を伴ひ。急き御前へ御参りあれとの御事に候 〔ト云太鼓座ニ居ル。シテ中入過テ、呼出ス。〕 「御前に候 〔ワキシカ〳〵〕 「畏て候 〔ト云立テ、シテ柱ノ先ニテ。〕 「是ハ一段の見物哉。夫を如何にと申に。祇王祇女佛閉とて。都四人の白拍子にて候か。彼佛と申ハ。本国は加賀の国佛の原の人成が。都へ登り白拍子と成り。舞の事ハ日本ニ隠れなく候。夫に付祇王と佛御前と。相舞に仰付らるゝ間。皆々罷出見物申されよとの御事なり。相構て其分心得候へ〳〵 三十九 二人祇王 〔此ノ如ク二人祇王トコレ有候ヘ共、ヤハリ右祇王同様ノ事カ。〕 「御前に候 「御意のことく祇王の御取成を以。佛御前を召出さるゝハ忝事にて候 「畏て候 〔シテ柱ノ先ニ立。〕 「扨も珍らしい事を仰出された。是と有も天下泰平に納り万目出度折柄なれバ。か様の儀を仰付られ。下々迄も見物仕る様にと有るは。誠に忝事で御座る。殊に此舞人を如何成る人ぞと存れバ。祇王祇女佛閉とて。天下て四人の白拍子と申す。中にも祇王祇女といふは兄弟なるが。姉の祇王をば則御前に召出れ。並ひなき御寵愛浅からさるに依て。片時も御前を立去事なく。朝夕御宮仕へ申さるゝと承る。又此佛御前と申ハ。本国は加賀国の人成るが。都へ登り白拍子となり。声より舞も上手成る由聞召され。則舞を御覧成さるゝと推量致ス。誠に一人舞るゝさへ大切な事成るに。御意なれバこそ相舞には致さるれ。か様の珍しい事を。某抔ハ重て見る事ハ罷成まい程に。此度何卒見物仕り。後には我等の孫子共や見ぬ者ともに。老ての雑談に仕ふと存れバ。大慶千万是に過ぬ事じや。いや由なき獨言を申た。急度仰付られた事じやに。若見物が小人数にてハいかゝな。急き此由を相觸申さふずる。やあ〳〵皆々承り候へ。今日御前に於て。祇王と佛御前と相舞を致さるゝ間。老若男女によらず。罷出見物仕れとの御事なり。相構へ其分心得候へ〳〵 鷺流十一世          矢田文蕙(「狂言堂」角印) 【翻刻】 [三冊目] 一   雷電 二   車僧 三   同替 四   大会 五   是界 六   鞍馬天狗 七   同天狗 八   葛城天狗 九   飛雲 十   土蜘蛛 十一  鵺 十二  鵜飼 十三  橋辨慶 十四  同二人 十五  小鍛冶 十六  同乱序 十七  吉野天人 十八  紅葉狩 十九  同武内 二十  羅生門 二十一 同二人 二十二 現在鵺 二十三 熊坂 二十四 鍾馗 二十五 張良 二十六 藤渡 二十七 三山 二十八 同 二十九 求塚 三十  当麻 三十一 須磨源氏 三十二 吉野天人 三十三 第六天 三十四 項羽 三十五 大瓶猩々 三十六 錦戸 三十七 同文使 三十八 同二人 三十九 夜討曽我 四十  阿漕 四十一 野守 四十二 殺生石 四十三 天皷 四十四 絃上 一 雷電  〔来序ニテ出ル。シテ柱ノ先ニテシヤベリ、巻数ヲ右ニ持ツ。〕 「か様に罷出たる者ハ。比叡山延暦寺の座主(ザス)。法性房の僧正に仕へ申者にて候。去程に菅丞相と申御方ハ。法性房の御(ミ)弟子成るが。時平の大臣の讒奏により。思わざる外に遠流(ヲンル)の身と成給ひ。筑紫にて空敷く成給ひたる由承る。然れバ我等の頼申御ン方ハ。別行の子細有るにより。百座の護摩を焚せ給ひ。心肝に銘じて御ン入有る比。何国共なく中門の扉を叩く程に。不思議に思ひ物の透より見給へバ。正敷う菅丞相にて御座す。其時頼申人胸打さわぎ。肝を消給ふとハいへど。流石貴き僧正の御事なれバ。少も色には見せ給わず。さらぬ体にて戸を開き。荒珍らしの丞相や。先内へ御ン入あれと請し申され。さなから生たる人に物を云ことく。互に様々の御雑談有りて後。其方ハ筑紫にて果給ひたると申程に。色々弔を致たるが。定て届ぬ事ハ有間敷キと仰らるれバ。逆様成る御弔に預り申事。誠に以難有ふ存る。殊更幼少より別して菅相公の養にて。此御(ミ)寺に入りいつきかしづき給ふ。責て御禮に伺公致イた。扨又我等の存生に有し時。某に悪事を申掛ケし雲客を。退治致さんと存る間。雷電と成ツて大内へ乱れ入べし。其時ハ僧正を召に参ふずる。譬幾度勅使立ツとも。必御参内あつて下されなと申さるれバ。頼申人ハ委細心得存る。勅使両度立迄ハ参るまじい。若三度にも及ならハ。王土に住身の争(イカデカ)勅をバ背べき。迷惑なから参内申そふずると有レバ、菅丞相の気色俄に鬼面の如くになり。折節柘榴(ザクロ)を取て噛ミ碎き。妻戸に吐掛ケ給へば。忽火焔と成ツて燃(モヘ)上(アガ)るを。僧正少も驚き給わず。灑(シャ)水(スイ)の印を結ひ掛ケ給へバ。難なく火焔は消る程に。其煙と共に打紛レ掻消様に失給ふ。扨禁中へ乱れ入ルに。誠に鳴神の事なれバ。晴天に有つるも俄に掻曇り。黒雲(コクウン)空(ソラ)に引(ヒキ)覆(ヲヽヒ)大洪水(ダイコウズイ)を出(イダ)して。大内を鳴廻り震動致すにより。公卿天上人驚き給ひ。急き僧正に御参りあれとの勅使。一度ならず二度ならず三度迄立により。是非に及はず御参内成サれふするとの御事じや。則御用意遊すとハ云へと。流石御ン参りの事なれば。次第〳〵の御供役人を召連らるゝにより。未だ御出成されぬ。去なから此巻数をさへ持て参れバ。僧正の御ン参り有たるも同じ事と思ひ。取物も取敢ず罷出た。少も時刻移イてハ成まい程に。急で参ふと存る、〈少シ先ヘ出上ヲミテ。〉荒不思議哉。今迄能キ天気が。俄に雲の気色か替ツた。扨も〳〵冷まじい空哉。鳴神の事なれバ何時鳴ふも知らぬに。某一人行く事ハ強物(コワモノ)じや。爰許にて頼ふだ人を待チ。御供仕らふずる。先ならバ此辺の人々を頼ミ申ぞ。〈ト云乍ワキ正面ヲ向。〉僧正の御出有らバ此方へ御知らせあれ。構へて其分心得候へ〈左ヨリ右へ見廻シトムル。〉〳〵 二 車僧 〔竹杖ツキ、来序ニテ出ル。〕 「爰許へ不図罷出たるを。興有た者と思召されふずる。是ハ愛宕山の谷峯に。年久しく住木(コ)の葉天狗にて候。然れバ爰に車僧とて。貴キ知識の在(マシマス)が。牛も見へず人も引ぬ車に乗り。四方(ヨモ)の山々を飛行自在にあろく人の候。されバ其貴僧の心の内に思わるゝ様。我程貴(タツトキ)者ハ三国にも有間敷きと。余りに慢心の指事を。太郎坊の憎キと思ひ給ひ。今の僧が今ン日嵯峨野の隣(アタリ)へ来たるを。頼申御ン方ハ客僧の像に御なり有り。抜群(バツク)が間を片時が程に飛ンて行キ。如何に車僧と詞を懸給へば。彼僧がねそ〳〵と。何事ぞと答ふル時。浮世をば何とか廻る車僧。まだ輪の内にありと社見れと読給ふ。此まだ輪の内にと有る事を。某抔の推量致すハ。彼和尚の乗られたる車の輪の事かと存すれバ。さハなくして。禅の話頭とやらん申て。一千七百束(ソク)ばかり有ル事を。今の僧はいまださんぜぬと云心にて読れたるを。車僧は悉くさんじたるとて。浮世をバ廻らぬ者を車僧。法もうるべき輪があらバ社と。ヶ様に返哥の有れバ又太郎坊。法もうるべき輪が有らハこそと。いふハ誰そと斯仰られたるを。常の詞かと存すれバ。是は誰(クリ)の輪の心にて申されし時。空道風すゞしと。あの虚空を吹風ハ涼しいと。我等抔の一円心得ぬ事じや。扨お僧の住家ハととわれたれバ。一所不住と答へ。車ハ如何にと仰られた時。火宅の出車。引ケど曳れず。押せど押されぬ車僧じやと。ヶ様に何共聞知らぬ事を。問ツ答へツ請ケツ流(ナカイ)ツ。良久敷く問答(モンダハ)るれと。一字滞る事のなき故。頼た魔軍の思わるゝ様ハ。詞多キものハ品鮮(シナスクナシ)と。か程の貴僧に言葉をすごし。一言なり共つまりてハ口惜しかるべきに。唯爰ハ引退(ノク)所じやと思召セども。流石詞の由のなき侭。我等の栖(スミカ)ハ愛宕山。太郎坊が庵室へ少と御座れかしと。云も敢ず其侭飛ンて御帰りある。我等の梢に遊山を仕たるを。何とて夫に心もなく居たるぞ。車僧こそ唯今西山辺へ来りたれ。某一人なり共先急て行き。如何様にも妨て見よと有るにより嬉しく存。御詞の下より参りたるが。彼車僧と〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉やらんハ何としたる体ぞ。一刻も早ふ見度イ事じや。どこ元におりやるぞ。大方此隣にて有ふ。されバこそ〈元ノ所ニ廻リ留リ、ワキヲミテ。〉是におりやるよ。聞及ふだよりも一段貴とさふな人じや。太郎坊も種々の事を仰掛られたに。我等も先詞を掛ふ。如何に車僧。〳〵。是ハいかな事。鹿(シヽ)の角を蜂がさいた様な。何とせふぞ。いや思ひ出イた事か有る。惣して人間と云者ハ。おかしい事ハ得こらへぬ者じや程に。少とこそぐつて見て。自然少しなり共笑ふたならバ。某の分にても魔道へ引落そふ。いや。こそ〳〵やこそ〳〵。こ(●)そ〳〵やこ(●)そ〳〵。こ(●)そ(●)〳〵やこ(●)そ(●)〳〵。車僧の鼻の先キより。〈杖ニテワキヲサス。〉廿(ハツカ)日鼠が土俵靭を腰に〈杖ヲ両手ニ持腰ニアテ。〉付ケて。あなたへハ〈目付柱ヘチヨロ〳 〵ト走リ出ル。〉ちよろ〳〵。こなたへハ〈大臣柱ノ方ヘ走リ出ル。〉ちよろ〳〵。ちよろ〈ワキヲ見テ。〉〳〵やちよろ〳〵。可笑(ヲカシイ)か車僧。笑へや車僧。笑へ〈ワキヲミテウナヅク。〉わらへ車僧。いや。〈是ヨリ左リ廻ル。尤ノリナガラ。〉こそ〳〵やこそ〳〵。こそ〳〵や。こそ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〈ト云何遍モ返シ、シテ柱ノ先キマデ行迄云。シテ柱ノ先キニ廻リトマリワキヲミテ、能キ時分ニコソ〳 〵ト云乍、左ノ手ヲ出シワキノソバヘヨル。ワキノ腋(ワキ)ノ下ヘ手ヲヤリソウニスル〉。こそ〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵。あいた〳〵〳〵〳〵〈アイタ〳 〵ト云乍、シテ柱ノ先ヘ片手ヲアテヽニゲユキ、下ニ居テ、其侭又立テ。〉是ハ如何な事。笑ふ事ハ扨おゐて。結句したゝか打擲せられた。比分でハ成まい。急て頼申魔軍を呼出し申そふ〈ト云シテ柱ノキワヨリ幕ヘムカヒ〉如〽何〽に太郎坊太郎〽坊〽 三 同替 「か様に候者ハ太郎坊の御(ミ)内に住溝越天狗にて候何とて溝越天狗と申なれバ洛中洛外の大溝小溝を飛行自在に飛かけるに依て。京童(ハランベ)の溝越天狗とハ申実候我等の是へ出る事別の儀にても御座ない然バ爰に車僧とて貴キ智職の在すが。〈是ヨリ前ノ如シ。〉嬉しく存御言葉の下ヨリも。取物も取敢ず罷出た。先急て参ふ。太郎坊こそ種々の事を仰掛られたれども少ももちろく致さぬ車僧を某一人にて妨ン事ハ強物で御座るが。先あれ参り妨てみませう〈ト云乍橋掛リヘ行舞台ヘ出ル。〉とこ元に居られうぞ。〈ト云迄ニシテ柱ノ先ヘ出、ワキヲミテワキ正面ヘヒラキ。〉されバ社あれに居らるゝよ。聞及ふだよりも一段貴そふな〈是ヨリ又常ノ通リ。〉いやこそ〳〵やこそ〳〵こそ〳〵やこそ〳〵こそ〳〵やこそ〳〵車僧の心が浮ずと笑せう左の脇の下を。つゝと入ツてこそくらふか。右からこそぐろふか。思案する間に。笑ふまいとたしなむ顔ばせがあらわに色に又出て。そろり〳〵と。鼻の穴が嗔(イカ)る嗔り嗔ツたる穴より。廿日鼠が。土俵靭こゝに付て。ひよつこ〳〵と踊り出てあなたへハくわら〳〵比方へハちよろ〳〵ちよろ〳〵やちよろ〳〵狂(ヲカシ)ひか車僧笑や車僧〈是ヨリ留メ迄常ノ如。〉 四 大会 〔来序ニテ出ル。ツレ五人カ三人。ヲモ舞台真中ニ立、ツレ左右ニ別レ立並ブ。〕 「か様に候者ハ。比良野の峯に住給ふ。次郎坊の御(ミ)内成ル溝越天狗にて候。我等の是へ出る事別の義にても御座ない。ツレ 「エヘン〳〵〳〵 ヲモ 「いやわこりよ達ハ何と思ふてお出やつたぞ ツレ 「わごりよがいそがハしそふに出(ヅ)るに依て。是迄付てハ来たが。子細ハな 皆々 「中々 皆々不残 「何共知らぬよ ヲモ 「夫ならバ子細を語ツて聞せう ツレ 「急で語らしませ 【語】「先頼申次郎坊ハ。先度鳶に成ツて。洛中洛外を飛行自在に翔(カケリ)り給へバ。都東北院隣の事成ルに。大キな蜘の家の有るに行掛り。切も切られずはづすもはづされずして。中(チウ)にかゝつてまぢ〳〵として居給ふを。稚キ者共が是を見付。爰な蜘の家に鳶こそ掛ツたれとて頓て捕へ。其侭羽(ハネ)を貫(抜)ふと云者も有り。いや只絞(シメ)殺せと云者も有る所へ。叡山の僧正の通りて御覧セられ。元より慈悲第一の御方なれば。其鳶を我に呉よと仰せられ。今の幼き者共にハ扇珠数抔を下され請。自(ミツカラ)鳶を請取蜘の家をよく取ツて。其侭おはなしやたれバ。二ツ三ツ身震(ブルイ)して頼ふだお方ハ帰られたが。南方あふない事てハなかつたか ツレ 「おしやる通り是ハなあ 残る皆々 「中々 不残 「あぶなひ事ておりやる ヲモ 「扨次郎坊ハ此恩を報じ度思われ、山伏の姿に御身を現(ゲン)じ。僧正の法味をなし給ふ折節。日外ハ我等の命危(アヨウク)見へし所に。御憐(ナハレミ)により命(イノチ)たすかり申御報志に。何にてもあれ御望有ルに於てハ。刹(セツ)那(ナ)が間に叶へ申そふずるとあれバ、山伏の命を助たる事は。未覚ぬ由御申有るを。都東北院隣の由申さるれバ。扨ハ其時の鳶は天狗にて有つるぞと。そこで思ひお当りやつた処で。〔フン〕何にても我此世に望ハなし。去なから。釈尊霊鷲山にて。御説法有りたる様体を。眼前に於て見まく欲キと宣へバ。夫こそ易間の御ン事。刹那が間に。まなふで御ン目に掛ケ申そふずるとて。其侭飛で御ン帰り有る。彼釈迦の説法と哉覧ハ。仏菩薩五百羅漢のあまた入ルと有が。我等にも何ぞ一役請取れと有らバ。面々ハ何に成ふと思ふぞ ツレ 「某ハ不動にならふと思ふ 二ノツレ 「身共ハ二王に成らふと思ふ ヲモ 「いや〳〵わごりよ達の分ンて。二王や不動にはなられまい。爰にならふ仏かおりやる。堂の角(スミ)なる賓(ビン)頭(ヅ)盧(ル)に成らふと思ふが。是ハ何とおりやらふぞ ツレ 「是ハなあ 残り皆 「中々 不残 「一段とよふおりやらふ ヲモ 「夫ならバ比様子を謡ふて帰らふ 皆々 「一段と能ふおりやらふ ヲモ 「是へ歩て謡しませ ツレ皆々 「心得ておりやる ヲモ 「〽おかしき〈扇ヒラク。〉天狗ハ寄合て。〔切〕〳〵。何仏にかならふやれと。談合〈左右ノツレヲミル。〉するこそおかしけれ。 ヲモ上 「愛宕〈上羽〉の地蔵に得なるまじ。 〔皆々〕 大嶺葛城ハ。〈右ヨリ左ヘ廻ル。ツレ皆々大小ノ前ヘ下リ立並フ。〉発喜菩薩。これま(●)た(●)〈正面ヲ向、拍子五ツ。〉大(●)事(●)の(●)仏なり。〈ユウケン。〉よく〳〵物を案ずるに。〈大臣柱ノ方ヲ扇ニテムスビサシ。〉堂の角(スミ)なる賓頭盧に成らんと。〈目付柱ヘサシ行。〉皆紙衣を拵へて。皆紙衣を〈カザシモドリ。〉着連つゝこそり〳〵と〈左右ニテトメル。左右ノ袖ヲアヲルヨウニ二ツホトシテ、片左右ニテモトメル。〉帰りけり〽 五 是界 〔来序ニテ出ル。巻数ヲ持。雷電同断。〕 「か様に罷出たる者ハ。叡山の僧正に仕へ申者にて候。去程に我等の是へ出る事別の儀にても御座ない。先太唐の天狗の首領是界坊。此年月つく〴〵と思わるゝ様。我国震旦に於て。慢心の高僧数多有とハ云へど。皆我道に誘引せずと云事なきに。仏法東漸と聞く時は心に掛る間。何様一ト度ハ日本に渡り。仏法を妨ンと匠ミしに。其心中を違へず此秋津洲に来る。され共太郎坊に談合せずハ成まじきと思われ。先愛宕山に行案内と申さるれバ。太郎坊は出合比方へと請じ申され。扨只今ハ何の為の御出ぞと有れバ。是界答て曰。唐土に於てハ育王山青(セウ)龍寺(リウジ)。般若台に至る迄。悉く魔道へ引なし申しが。誠や日本ハいまだ仏法盛ンなる由申間。旁も御同心に於てハ。我行徳をも見せ申そふずるとあれバ。太郎坊下心には同心申されねども。某の事ハ委細心得存る。又あれに見へたるハ比叡山とて。我朝の天台山にて候程に。先あれへ御出ありて。心の侭に伺ひ御申あれと宣へば。是界は悦び愛宕山を立出る。仏法の事ハ申に及バず。先王法を妨ンとするを。僧正に御出有りて御祈祷あれとて。度(タビ)々勅使立申により。則御参内なされんと思召せど。流石頼申人の御ン参りの事なれバ。御車の牛飼の抔と有りて。遅(ヲソナワ)り給ふ事も余儀なき次第にて候。然とハいへども。王土に住身の勅定を油断仕りてハ空おそろ敷キに。譬僧正は今少し遅く共。先此巻数をさへ御寺を出せば。早捧申たるも同じ御事なれバ。拙者に早々持て参れと有るにより。取物も取敢ず罷出た。急で〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉参らふと存る。殊に珍らしからぬ御事なれと。先我朝は天地開闢より神国たるに。如何に魔軍の是界成と云とも。仏法を妨ン事中〳〵思ひも寄らぬ事じや。〈元ノ所ヘ廻リ留リ上ヲミテ。〉荒不思議や。今迄能キ天気が。俄に雲の気色の替りたるハ。是ハ何としたる事ぞ。殊に辻風が吹イて。〈アトヘモドル。〉跡へも〈正面ヘ出ル。〉先きへも行れそふもない。実と今思ひ出イた。彼是界と哉覧ハ神通を得たれバ。僧正の大内へ御参リ有る事を存じ。早魔の業をなすと見へたに。某壱人て行事ハ強物じや。爰許にて頼ふだ人を待。御ン供仕らふずる。夫ならハ比辺の人々を頼ミ申ぞ。是へ僧正の御ン出あらバ。我等に御知らせあれ。構て〈左ヨリ右ヘ見廻ス。留ル。〉其分心得候へ〳〵 六 鞍馬天狗 能力 〔文ヲ右ノ手ニ持。シテ名乗リ過キ太鼓座ヘクツロギ、能力出シテ柱ノ先キニテ名乗ル。〕 「か様に候者ハ。鞍馬の西谷の僧正に仕へ申者成るが。東谷へお使に参る。急て〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉参ふと存る。誠に毎とハ申なから。当年程西谷の花の見事な事ハ。吉野初瀬と申ても。あれ程にハ御座有まいかと存る。定て此お文の内も。左様の事て御座らふと推量致イた〈ト云迄ニシテ柱ノキワ迄退リトメ、ワキノ出ヲミテ。〉〔ワキ子方ヲ連右ノ内ニ出ル。尤子方大勢先キヘ立、ワキトワキヅレ子方ノ跡ヨリ出ル。橋掛リニ立並。〕いやはや是へお出被成た。急て此由を申そふ〔ト云子方ノ後ロ内欄カンノ方ヘ付キ通リ、ワキノ側ヘ行キ下ニツクバイ。〕 「如何に申。西谷よりお文を持チ参じて候〔ワキトリテシカ〳〵〕 「参ン候〔ワキヒラキヨム。謡ニナルト太鼓座ヘ引居ス。ワキ子方舞台ヘ出並居ス。能力出テワキノ前ニ居ス。〕 【謡】いざ〳〵花を詠めん〔トウタヒ留ルトワキ呼出ス。〕 「御前に候〔ワキシカ〳〵〕 「畏て候〔小舞「イタヒケシタル」ヲ舞、シテ右ノ小舞済時分ニ出、目付柱ノ下ニ居ル。但シシテ真中ヘ出ルモアリ。聞合スベシ小舞ノ留メ「マリコユミ」ト下ニ居ルトキ、シテヲミテキモヲツブシ其侭立テ。〕 「是ハ如何な事。はて扨興がつた者か参つた。急で此由を申そふ〔ト云ワキノ前ヘ行下ニツクバイ。〕如何に申。あれへ見馴ぬ客僧の参られた程に。某の引立ませう〈ト云、ウデマクリシテ立フトスル。〉〔ワキシカ〳〵〕 「いや苦うない事。私の追立ませふ。〔ワキシカ〳〵。子方一人残リ跡皆立。ワキモ立ヲ、シテ。〕 「アヽ大事ない事で御座る物を〈ト言乍ワキノ跡ニツキ行。ワキシテ柱ヲコヘ。〉申。〳〵〳〵。〈ト云。〉喃申。はて扨〈正面ヲ向シテ柱ノ先ニテ。〉是程しうだ座敷を妨る。某の侭ならバ。あれには是々〈シテヲミテ「コレ〳 〵ヲ」ト右ノ手ヲ廻シ、ニギリコブシヲ見スル。〉を戴せ度イ 七 同 天狗 中入間也 〔来序ニテ竹杖ツキ出、シテ柱ノ先キニテシヤベル。〕 「是へ罷出たる者ハ。鞍馬の森に住小天狗にて候。去程に珍らしからぬ云(イヽ)事なれど。先一天四海の諸人(モロビト)四季折々を待得て。様々に興を催すとハいへど。就中春にもなれバ都人。花見とて。思ふ友どち打連。爰やかしこに貴賤群衆致す。取分此程は鞍馬の西谷の花。今を盛なるに依て。一山の人々ハ木(コ)の下(モト)に集り。遊舞をなすを。頼申大天狗羨(ウラヤマ)敷(シク)思われ。山伏の姿に身を変じ。今の花見の座敷へ御出あれば。卒忽成ル者か追立ふずると云(イフ)を。其中にも古老の仁の申さるゝハ。源平両家の童形達の御座候中に。外人ないかゞなれ共。人を選に似たれバ花をば明日御ン詠あれとて。一度に座敷を立給ふ。其中にも源家の大将義朝の末子。常盤腹には三男。沙那王殿と申児一人残リ給ひ。客僧に近ふ寄ツて花御覧あれと宣へバ。頼申御ン方ハ少人ンの御詞に懸り。誠に心誮(ヤサシキ)人哉と奥深ふ思われ。さあらバ方々を御目に掛ケ申そふすると有りて。先愛宕高雄比叡山。葛城高間如意か嶽。吉野初瀬の花ハ申に及ばず。比良や横河の遅桜まで残らす見せ給ひ。君ハ元より源氏の大将なれバ。平家を安々と亡さん為に。僧正が谷にて兵法の大事を御相伝有り。我等如キの小天狗にも。少人の打太刀致せと有程に。日頃稽古致たる奥の手を出し戦へ共。誠に君の御事なれバ御伝受被成たる。獅子奮迅虎乱ン入(ニウ)。飛鳥の翔などゝやらん。我等式の聞も及ぬ名太刀を遊せバ。さながら霞稲妻の如くに見へ。忽眼くらミ。中〳〵隣へ寄る事ハ扨置き。即座に切られそふであふない。兎角手を負ぬ先キに我等は退(ノコ)ふ。いやあれを見れバ師匠の御出と見へて。大風吹キ谷峯までも震動致すに。少人の御稽古なくてハいかゝな。急ぎ呼出し申そふずる〔ト云シテ柱ノキワヨリ幕ヘムカイ〕「〽如〽何に沙那王殿〳〵 八 葛城天狗 〔ツレ五人、或ハ三人。大会同断。来序ニテ出ル。〕 「か様に罷出たる者ハ。葛城山に住溝越天狗にて候 ツレ 「エヘン〳〵〳〵〔セリフ、大会同断。〕「去程に役の行者ハ峯を踏分。大峯葛城にて行(ヲコナ)ひ給ふを。我等の頼申大天狗。心につく〴〵と思わるゝ様。役の優婆塞に年月の栖を。浅間に成されてハ如何と思召。色々緊縛妨給へど。行者ハ通力を得たる人にて。あそこへハ指出し爰へはひよつとぬけ。何共妨か成りそふもない程に。責て先達なり共魔道へ引入れんと。葛城山の岩窟にて動を為(ナス)処へ。魔軍を独り差遣され。御身幾の法力を得。さばかり慢心を具足せし。其妄念ハ如何ならんと有れハ。先達頓て心得て申さるゝ様ハ。我行力を妨ン為に。魔軍の霊鬼来ルか名乗れと云(イヽ)し程に。此山に住む大天狗の眷属成が。師匠へ申さん間暫待給へと有折節。頼申御ン方の大声を上ゲて帰れと仰られた。此上ハ大大狗の自身御座らずは成まいが。其間に彼客僧を。少ト妨ケて見度が何と哉せうぞ ツレ 「おしやる通り嬲ツて見度事でおりやる ヲモ 「夫ならハ皆の心に思ふ事を謡に作ツてうたふてまふ ツレ 「一段と能ふおりやらふ ヲモ 「いざ謡わしませ ツレ 「心得た  ヲモ 「〽溝越天狗の好にハ〈扇ヒラク。ツレ皆々大小ノ前ヘ下リ並フ。〉〈ツレ〉〳〵喧嘩〈ヒラキ扇ニテサシ乍右ヘ廻ル。〉口論其外悪乗の。知識辻風。是等〈ユウケン。〉をけばくす時こそ心も面白けれと。飛行自在にかけらん〈目付柱ノ方ヘ走リ行キ、又大臣柱ノ方ヘ走リ行キ左ヘ廻ル。〉とするを。梵(●)天(●)帝(●)釈(●)嗔(●)り給へバ〈少正面ヲミテイカル心アリ。グワツシ下ニ居、左ノ袖ヲカザス。右ヘ腰ヲカヾメ廻ル。〉力及ず迷惑さに。ひつそとしてこそ帰りける〽〈左右ニテトメ。拍子一ツ。〉 九 飛雲 〔来序ニテ出ル。シテ柱ノ先ニテシヤベル。〕 「か様に候者ハ。熊野の権現に仕へ申末社の神にて候。某爰許へ出ル事余の義に非らす。去程に熊野山の先達羽黒に参詣申ス。夫ニ付一ト年セ近江の国伊吹が嶽に於。飛(トブ)雲(クモ)走(ハシル)雲(クモ)などゝ云鬼神集。往来の人を取リ悩ス事限りなし。君此事を聞召及せ給ひ。急き退治あれとの宣旨にて。余五の将軍平の維持に仰付らるゝ。惟持ハ宣旨畏て承り。頓て江州伊吹ケ嶽に罷越し。程なく彼鬼神共を安々と退治致す。則其時の御恩賞ニ。近江の国余五の庄を給り。夫より余五の将軍平の惟持とハ申ス。然るに彼山にて討洩されの。飛雲ンと云鬼神残り居て。又只今此先達を妨ンと匠ムにより。権現よりも急ぎ我等に彼山に参り。此由先達に告参らせ申せとの御事に付。取物も取敢ず罷出た。先あれへ参ると存る。誠に彼客僧と云ハ。其隠なき行者成に。如何に飛雲なり共妨ン事ハ中々思ひも寄らぬ事じや。兎角時刻移イてハいかゞな。去ながらどこ元にぞ。されはこそ是におりやるよ。急で申渡ふ。如何に先達慥に聞給へ。只今其方に詞を替シける老人は人間にてハなし。飛雲と云鬼神にて有間。眠を覚まし行力を以て亡し給へ。か様に申者は熊野の権現の御使。一の王子にて有ぞとよ。我等も随分力を添ふずる間。構て其分心得候へ〳〵〈●拍子一ツ。〉 十 土蜘蛛 〔竹杖ツキ早鼓ニテ出、シテ柱ノ先ニテ留ル。早鼓留リ名乗リシヤベル。〕 「是へ閙敷(カハシ)そふに不図罷出たるを。如何様成者ぞと御不審を成されふずる。是ハ忝も源の頼光(ライコウ)の御内。独り武者に仕へ申者にて候。某只今爰許へ出る事別の義にても御座ない。此程頼光ハ風の御心地にて。以の外に悩せ給ふにより。胡蝶と申女房衆の御薬を持参被申。医者数を尽し御養生被成るれ共。未御快気成されぬにより。諸人の息を詰て居申処に。唯今各の御雑談成さるゝを聞バ。昨夕(サクセキ)夜半斗の事成るに。何国とも知らず物冷敷僧形一人。君の御枕近く参りて申様。今夜の御心地ハ如何おわしますぞと申上る。其時頼光思召ス様は。早夜も更たるに不思議なりと思ひ給ひ。扨汝ハ何者ぞと御意成さるれバ。彼僧少も動転せずして。我せこがくべき宵なりさゝがにの。蜘の振舞兼てしるしもとある。古哥を連ぬると思召せば。長七尺斗の蜘蛛の像と顕るゝを。何が君の御事なれバ。不断御ン前に置せられたる。膝丸と申御太刀にて切付ケ給へば。其侭身をひらき退(ノカン)とする所を。遁さじと畳掛ケて遊せども。化生の者なれバ虚空に失セて見へなんだ所に。某の頼ミ申御方ハ。常々武道を心掛ケ早イ人なれハ。此事を聞と否に御所へ欠付給ひ。唯今ハ御高声に聞へ候ひつる間。取物も取敢ず伺公仕たると。具に仰上られけれバ。誠に早くも来りたるとて御感に預り。即其時の様子を委敷う御雑談被成。彼膝丸被申御剣を今日よりして蜘切丸と。名付させ給んとの御諚にて有ると申ス。其時頼申人給ふ様。真に珍しからぬ御手柄と申シ。御威光といひ目出度御事ハ申上難き次第なり。扨彼僧形を如何成者ぞと存れバ。昔大和の国葛城山に。年久敷住馴し土蜘の精成るが。五体より思ひの侭に糸を繰出(クリダ)し。自由自在に変すると聞く。又有時は鬼神となつて人を悩し。往来の者をやらず過さず取ツて服す。ヶ様に徒者を只置ンも如何なり。其上彼者ハ御ン手に懸り血を曳て候へバ。此血を慕ひ行彼者を退治申そふずると。御前にて急度仰上られ。其侭御帰り有り則御用意遊すにより。御内の衆ハ何れもお供に参らるゝ筈じやに。某も伺公致そふと存て罷出た。先頼申人の私宅へ急フ。誠にヶ様に目出度イ折柄ならでハ。我等如キの者の終に差出る事の御座ない程に。責てヶ様の砌なり共手に合ふと存る。いや其許に大勢人声のするハ何事ぞ。何とたのミもふす人の御出じや。是ハ如何な事。我等も随分急で罷出たに早遅た。去なからお跡から見へ隠れに成とも参ふか。いや〳〵皆の衆ハ綺羅(キラ)美(ビ)やかな出立て御座らふに。我等の此不断の体にて行事ハいかゝな。是非に及はぬ是より宿へ罷帰ふずる。去ながら唯今にても我等を尋る人有らバ。心殿(ヲク)れたると思われさる様に。某の如在なき通りを御申有て給われ。構へて其分心得候へ〳〵 十一 鵺 〔ワキ道行ノ内ニ片幕ニテ出、太鼓座ニ座ス。ミチユキスキ案内ヲ乞、一の松立ツ。〕 「誰にて渡り候ぞ〔ワキシカ〳〵〕 「お宿参らせ度ハ候へども。旁の様成ル修行者を留申ス事堅き法度なれバ。思ひながら叶候まじ〔ワキシカ〳〵〕 「いや〳〵私にて借事ハならす候間。唯何方へも御通り候へ〔ワキシカ〳〵〕 「荒痛敷イ事哉。何れにがな留申そふやれ。シヽ申お宿参らせうずる〔ワキシカ〳〵〕 「あの洲崎の御(ミ)堂へおしやつてお留りやれ。あれを借シ申そふずる〔ワキシカ〳〵〕 「いやあれハ総堂にて候〔ワキシカ〳〵〕 「左様におしつても。川より夜る〳〵化物か上ると申ぞ〔ワキシカ〳〵〕 「一段とすねひお人じやよ〔ト云捨テ太鼓座ニ居ス。シテ中入有リテ、シテ柱ノ先ヘ立。〕 「夜前往来の僧の宿を借せと仰られたを。洲崎の御堂えをしへやり申たるが。未あれに御座るか。但し何方へもお通り有たるか参りて見申そふずる。いや是成お僧ハ奇特に御逗留にて候よ〔ワキシカ〳〵〕 「誠に夜前はお宿参らせ度ハ存たれとも。所の大法なれハ思ひなから借不申候。扨何にても不思議なる事ハなく候か〔ワキシカ〳〵〕 「心得申候〔ト云ワキノ前行居ス。〕 ○「扨お尋有度キとハ如何様成御事にて候ぞ〔ワキシカ〳〵有リ。セリフ三番目同断。〕 「昔近衛の院の御ン位の時。帝の御悩以の外に御座候ひて。大法秘法の御祈祷にも叶ハず。博士を召て占せらるれバ。占方を考て申上る様。是ハ偏に変化の者の業にて。夜な〳〵御殿の上(ウヘ)迄来(クル)由申を。いかゞ有るへきとて公卿詮儀成さるゝ所に。其中にも有る智臣宣ふ様。先帝にも去ル例の有れバ。武士に仰て射させられよと有を。此義尤然るへしとて。源平両家の内を尋給ふに。中にも頼政と云射手を選(エリ)出されしかバ。其時頼政の出立にハ。魚(ギヨ)綾(リウ)の直垂を着し。滋(シゲ)藤(ドウ)の弓に鋒(トカリ)矢(ヤ)二筋添て持。郎等には遠江の国の住人。猪の早人((ママ))と云寸計(ズント)の早者を一人ン連。内裏の大床に伺公し良久ク待るれハ。案のことく夜半過と思敷キ時分に。東三條の森の方よりも。黒雲ン一群(ムラ)飛来り。御殿の上に霞たるを見て。鋒矢を取ツてつがへ雲の中(ナカ)と思敷所を。よつ引て切て放されたれバ。あたつたと手答へして。御殿のうへをころめいて。庭上へどうど落る所を。早太ハつる〳〵と寄て取ツて押へ。鎧通しを持て九刀突れたると申ス〔元本九日ト有。直シテ九刀ト有。〕〔ワキシカ〳〵〕 「実と九刀が定て御座らふずる扨火をともし御らふじられたれバ。種々の物が化たと申ス 「先頭は猿胴ハ狸。目ハ猫足ハ尺八。尾ハ長刀啼声ハ笛に似たるとて夫より彼者の名を笛々と申実候〔ワキシカ〳〵〕 「誠に是も鵺が本ンで御座らふずる。扨ヶ様の怖キ物を聊爾に捨置れてハと有り。(ウツホ)舟(ブネ)に入れて流されたれバ。しばしハ此浦に流れ滞(トヾマ)りたるとハ申せど。委しき事ハ存も致さず。先我等の聞及たるハ如斯にて候 「是は奇特成事仰らるゝ物かな。扨ハお僧の御心中貴きにより。古の鵺の亡魂顕れ出。詞を替したると存る間。暫是に御逗留有り。彼者の跡を懇に御弔あれかしと存る〔ワキシカ〳〵〕〔太鼓座ヘ引、中入。後シテ後見、出入ル也。〕 十二 鵜飼 〔初ワキ宿借ル。会釈、鵺ト同断。中入後、此〇印迄同様。〕 「扨お尋有度とハ如何様成る御事にて候ぞ 「是は思もよらぬ事お尋有る物哉。去ながら其鵜遣ひの事をば我等の委敷う存候間。語て聞せ申そふずる 「去程に此石和(イサハ)川(ガワ)と申ハ。昔より川の上下(カミシモ)三里が間ハ。堅く殺生禁断の所成るに。是より下(シモ)に岩落といふ在所の者。夜毎に忍登ツて鵜を遣ふ由風聞致を。此里の若イ者の申様。石和川の殺生仕らぬと云事ハ。近か(ン)国まても其隠なきに。当所の者を有るがなしに致とて腹を立。何様彼れを一ト度見顕し。後代の例に伏(フシ)漬(ヅケ)に仕ふずるとて。深く隠て夜な〳〵待をば夢にも知らず。有る闇の夜毎のことく。真鳥を放ちつかふ所を。日比覘(ネラヒ)し若者共は嬉敷ク思ひ。前後よりぱつとよりて。重科人を無手と捕へ。汝年月此辺の人々を侮り。堅キ法度の所にて漁捕を致す事。前代未聞の曲事成りとしかりけれバ。其時盗人(トウジン)の漁翁答て曰。我等も近郷(キンゴウ)に住者とハ申ながら。左様に殺生禁断の川とも存せぬ故。皆人にさへ異見をも申べき老(ヲイ)の身が。天命の尽き懸る聊爾成る事を仕り。今は一段迷惑致候。去なから此度ハ我等の命をお助ケあれ。是からハ御意次第に仕ふずると程々に侘けれど。利非をも聞ぬ早り若者共ハ。矢庭に成敗セふすると云者もあり。先ハ走り掛ツて散々に打者も有るを。某の見付て皆々に申様。如何に科人なりとも左様にな痛メそといゝて。大竹を取りにやり。弐ツツヽに割たるを三所(ミトコロ)あミて。其簀の上に鵜遣を緩りと寝させ。片端に巻イて縄を以て五ツ所しかとしめ。両の端に大キな石を二ツ結付て。所をもかへずいさわ川の淵へだんぶとはめて候。扨唯今ハ何と思ひよりて。鵜遣の事をお尋有たるぞ不審に存候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。扨ハお僧の御心中貴キにより。古への鵜遣の亡魂顕れ出。詞を替したると推量致す。何と利益は同じ事なれバ。暫く是に御逗留あり。一石に一字御書付被成。彼者の跡を念頃に御弔ひあれかしと存る〔ワキシカ〳〵〕 「さあらバ石を拾ふて参らせふずる 十三 橋弁慶 〔早鼓。竹杖ツキ出、シテ柱ノ先ニテ名乗ル。ツレ出ルトキハ、ツレ地謡座の方ニ立ツ。〕 「か様に罷出たる者ハ。下京辺に住者にて候。我等の是へ出る事別の儀にても御座なひ。先平家は一天四海を掌の内に納め給ふといへども。入道相国の悪逆により。諸人の息を詰て而己居申処に。此程西塔の武蔵坊弁慶ハ。去る宿願の子細有ツて。東山十禅寺に参籠申されしが。又今夜より五條の天神〈スム〉へ。丑の時詣せんと有るを。去ル人異見申されける様ハ。昨日(キノフ)夜更(ヨフケ)て五条の橋を通りし時。年の頃十二三計成る幼き者の。小太刀にて切ツて廻るハ。さながら蝶鳥の如く早けれバ。今夜の丑の時詣ふデハ。只思召留れかしと有るを。弁慶程の者が聞逃は致まじひ。是非共に参らふすると有るが。じやうのこわいもことにこそ寄れ。南方不思案な人(●)にて在す。扨其橋へ出(イデ)て人を切る。幼イを能く聞ケバ。源家の大将義朝の末子。沙那王殿と申少人の御座すが。幼少にて父御におくれ給ひ。鞍馬の東谷独鈷の坊に御入り有る頃。天狗に兵法を御相伝有りし。稽古の手柄を見せ度思召折節。母上に向顔の為都へ帰り給ふが。其児の日暮て五条の橋へ御出有り。往来の人を遣(ヤラ)らす過さず切らるゝと云。由々沙那王殿にてもあれ。又ハ化生の物にてもあれかし。今宵弁慶よりも先へ行。彼知れ物を退治して。隠なき誉を(△)取ふと存る。誠に〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉比年月人の前にて口を聞なから。ヶ様の者を唯置ンも無念な事で御座る。〈元ノ処ヘ廻リ留ル。〉いや〳〵某は心なからも肝の太イ事を思ふた。我等一人ン参ツて手柄をせふと云ハ無分別な事じや。入らぬ事を申さず共。足本のあかゐ時早ふ罷帰らふ。喃〳〵おそろしやの(○)〳〵〈ト云ナガラ入ル。〉 十四 同 二人間 「か様に罷出たる者ハ。下京辺に住者にて候。我等の是へ出る事別の儀にても御座ない ツレ 「エヘン〳〵 ヲモ 「いやわごりよハ何と思ふてお出やつたぞ ツレ 「様子ハ何共知らぬが。わごりよか閙敷そふに出るに依是迄付イてハ出たが子細ハ何共知らぬよ ヲモ 「夫ならバ子細を語て聞そふ ツレ 「急て語らしませ 〔語同断。●此印迄。〕「不思案な人でハないか ツレ おしやる通り不思案な人ておりやる ヲモ 「扨其橋へ出て〔是ヨリ又同し。△比印迄。〕誉を取ふと思ふがわこりよハ何と思ふぞ 連 「是ハ一段と能ふおりやらふ ヲモ 「夫ならバいざ行ふおりやれ〳〵 ツレ 「心得た ヲモ 「喃何と思わしますぞ。此年月人の前にて口を利(キヽ)ながら。か様な者を只置ハ無念な事でおりやる ツレ 「おしやる通り無念な事ておりやる ヲモ「いや何角と云内に是ハ五条の橋へ参た〈元ノ如ク廻リ留リ。〉 ツレ 「実と五條の橋でおりやる。偖某は面目もない事がおりやる。宿に叶ぬ用事の有るを失念致た某は一寸いて参ふ〈ト云乍行フトスル。〉 ヲモ 〈トメ乍。〉「是々先お待ちやれ。是迄来て戻ると云事か有者か。待て居て手柄をさしませ ツレ 「いや〳〵某は一寸いて参ふ ヲモ 「いや〳〵戻す事はならぬ〈ト云乍トムル。〉 ツレ 「わこりよハ手柄をさしませ某は戻るぞ〈ト云乍ヲモヲツキノケ逃入ル。〉 ヲモ 「やい〳〵腹痛者。先待〳〵。是は如何な事。何とせふぞ。いや〳〵某は心なからも肝の太イ事を思ふた〔是よりトメ迄前ノ通リ。〕 十五 小鍛冶 〔早鼓也。当時ハ諸流共ニ早鼓ナシ。観世流ハ何モナシ。竹杖ツキ只出、シテ柱ノ前ニテ名乗ル。〕 「か様に罷出たる者を。一円に御存ない御方ハ。何者ぞと思召れふずる。是ハ三条の小鍛冶宗近の弟子にて候。去程に珍らしからぬ云事なれど。先宗近の打申されたる太刀刀ハ。さわる所が欠ず屯(タマラ)ぬ物切レ成に依て。老若共に小鍛冶を指ぬ人は。彼方此方の付合にても。皆初心な様に宣ふ程に。国々在々よりも。日々に討物を誂へに来れど。少も隙なくて皆請取申されぬを。種々の縁取をして御頼ミ被成るゝ。夫に付爰に目出度キ事の有るぞ。今の帝一條の院。頃日つく〴〵と思召様ハ。剣を打せて置れんと思召され。今日本に何と云者か。太刀刀をよく打ぞと宣旨有ければ。或(アル)古老の臣下宣ふ様ハ。小鍛冶に増たるハ御座なき由風聞致すとあれば。実も彼が上手成る由一同に仰上らるゝ。殊に今夜帝に不思議の御霊夢在により。橘の道成の卿宣旨を取ケ。三条の小鍛冶宗近に。御剣ンを仕れと有りて勅使立を。宗近一世の面目と思ひ。謹(ツヽシン)で申上ラるゝ様は。尤御剣キなとを仕るには。我に劣らぬ。相槌打者なくしてハ罷ならず候へ共。併綸言汗の如しと申程に。即領掌申されたるが。南方大事のお請にて候。扨宗近心に思わるゝ様。ヶ様の大事の打物には。神力を頼まずハ成間敷キと存せられ。先氏の神なれバ稲荷へ参給ふ処に。何国共知らす見馴ぬ人の出て面々ハ三條の小鍛冶宗近にて渡り候き。雲の上より御剣ンを仕れと有りて勅使立共。心安く思ひお請を申上。急き檀の飾て待給へ。其時節我等の行て力を添んと云も敢す。其侭稠の内へ入給ふ。此御剣キの勅ハ唯今成に。早知りたるハ扨も〳〵奇特成りとて。弥稲荷の明神を信心に存じ。今下向申されて候。いや其許の〈ワキ正面ヲミテ。〉賑なハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。扨も早イ事哉。去ながら此由を外の弟子共ハ存せまい程に。急て触れて聞そふ。やあ〳〵皆〳〵承り候へ。頼申宗近の宿所には。今度の御剣キを仕らんとて悦ひ勇ミ。仮屋を建新敷金床を据(スヘ)。其上に檀の飾。稲荷の明神を(ノ)勧賞申シ。七重に注連を曳。精浄潔斎にせんとて。夥敷用意じやと申間。各も早々出られて尤ニ候。構へて其分心得候へ〈左ヨリ右ヘ見廻シ乍、ワキ正面ニテ留ル。〉〳〵 十六 同 乱序 「是ハ都四條隣に住者にて候。去程に此君一條の院。此中つく〳〵と思召さるゝ様。我日の本トの帝位に備りながら。何にても有れ末世の宝に成物を仰付られ。後記に止(トヾ)メ度ク思召に。剣(ツ)と云物ハ朝敵を鎮(シヅメ)。鬼神を順へ虎狼野干も退(シリゾケ)バ。是に上越す物ハ有まじ。惣じて剣の発を尋ぬるに。天神七代地神五代。大戸の道の命大戸辺の尊の時に当て。神剣天より降下ル。夫より人皇の御はしめ神武天皇に伝り。神器と成るを景行天皇の第三の皇子。日本(ヤマト)武(タケ)の尊の帯ル所の十束の剣是なり。然りとハ云(イ)へとも神秘を白地(アカラサマ)に云ハ恐れなり。如斯神代よりかゝる目出度キ宝物を。今打セ置レんと思召所に。今夜帝に不思議の御霊夢の有りて。橘の道成の卿勅を蒙り。鍛冶(タンヤ)多キ中にも。三條の小鍛冶宗近に御剣を打て参らせよと有バ。宗近謹て申上る様。か様の大事の御剣ンを仕るには。我におとらぬ相槌打物なくてハ。何共罷成ざる由申けるが。併我朝ハ神国なれバ。唯神力を頼ミ申そふずる。殊に氏の神ハ稲荷にてまします間。此稲荷を頼ミ奉ンとて。稲荷へ歩を運折節。道もなき方より童子一人来り。如何に宗近天子の御剣キを。檀を飾り心清浄にして打給ハヾ。其時我か姿を顕ハし。力を添んと云も敢ず。稲荷の山に入リ給ふ程ニ。小鍛冶はたのもしく思ひ下向申され。押付細工所を作り隣りを清(キヨ)め。早檀を築キて御七五三(シメ)を引き。殊の外渇仰のけしき見へたると申ス。若御(ミ)剣打を見物に御出あらバ。我等も参り申そふずる間。何時成共御知らせ有れ。構へて其分心得候へ〳〵 十七 吉野天人 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。中入過、シテ柱ノ先ヘ立テ、シヤヘリ。〕 「是ハ和州吉野の郷に住者にて候。扨も当山の桜世に隠れなきにより。毎年花の盛りにハ貴賤群集致す事。申も中〳〵愚にて候。夫に付都人。花見とて若キ人を伴ひ来り。止事なき女性の見(マミ)へし程に。いかなる人とぞ不審をなし申されけれバ。我ハ上界の天人なるが。今宵(ヨイ)ハ爰に旅居して待給ふならバ。古エの五節の舞。今(イマ)月の夜遊に学(マナ)びて見せ申さんと。迦陵頻伽(カリヤウビンガ)の声はかりして失(ウセ)給ふと承る間。ヶ様の例すくなき事をバ。諸人は存すまじく候間。此由聞せばやと存ずる。やあ〳〵皆々承り候へ。当山ニ於て上界の天人。夜遊を学び申さるゝ間。老若共に罷出て見物申され候へ。構へて其ぶん心得候へ〳〵〔ト云太鼓座ヘ行居ス。後シテ出、地取リ入ル也。〕 十八 紅葉狩 悪女 〔シテ次第ニテ出ル。其跡ニツキ出、太鼓座ニ居ス。次第過キ、ツレ女トモニ座ツキ、シテ柱ノ先ニ立、フルヽ。〕 女 「やあ〳〵皆々承り候へ。此辺の上臈衆紅葉を御覧被成るゝ間。幕打廻し屏風を立。酒宴の用意有レとの御事なり。構へて其分心得候へや〔ト云太鼓座ヘ引ク。ワキ一セイ過キテ、シカ〳〵有。ワキ連案内ヲ乞。〕 「誰にて渡り候ぞ〔シカ〳〵〕 「此辺の上臈衆紅葉見にて候。又あれ成ハ如何様成御方にて候ぞ〔ワキヅレシカ〳〵〕 「由々そなたは誰人にてもあれ。此方ハ只去ル御方と斗御申候へ〔ト云引ク。中入ノトキ、ツレ女ノ末ニ付入ルナリ。〕 十九 同 武内 〔来序ニテ出ル。太刀右ニ持。〕 「か様に罷出たる者ハ。八幡宮に仕へ申末社の神にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝は天地開闢より神国なれば。霊神数多御座すとハいへど。中にも八幡の御事ハ。皇后の胎内にて早三韓を順へ。後に弓矢の守護神とならせ給ふにより。此秋津洲に於。武家の誉を取り給ふ事。偏に八幡の利生に非ずと云事なけれバ。老若共に弓馬の道を嗜む人々。袖を連(ツラ)ね踵(クビス)を次で。歩を運衆生数限りなけれバ。神前の一入賑か在す御事。又と並たる神も御座なく候。夫ニ付我等の是へ出る事余の儀に非らず。余五の将軍平の惟持。信濃の国戸隠山の御狩をせんと。此程種々様々の用意有るを。彼山には鬼神の住けるが。神通を得たる故に此事を存し。何共して取奉んとたくミしに。人間ハ如何なる貴人高人も。酒(シユ)博女(バクニヨ)の道には心を悩す物成りとて。如何にも双なき美人と現し。外有山の傍に紅葉見と号して並居たるを。惟持夫をバ夢にも知らず。唯深山に女人の多く有を見付。使者を立いかなる御方ぞと尋給へば。此辺の上臈衆紅葉を見給ふと申を。由々誰人にてもあれ。女房衆の酒宴の折から乗打ハ叶ふまじと。馬より下(ヲ)リさらぬ体にて通り給ふを。九献を一ツ御参りあれとて袖をひかゆる。惟持も岩木にあらざれバ立帰り申さるゝを。鬼女ハ無明の酒(サケ)を取〳〵数杯(スハイ)つぎ。前後も弁へ給わぬ有様(アリサマ)を。八幡三所は御存被成。此度惟持に少も悪事の有りてハ。神国の甲斐有間敷と思召。拙者に早々彼山に飛移り。此由告知らせ申せとの御事により。即御剣ンを遣さるゝ間。是を持戸隠山へと急ぎ候。流石智恵第一の〈右ヨリ左ヘ廻リ、橋掛リヘ行。〉貴人とハ申せど。方便(タバカル)事を存ぜられぬハ尤じや。兎角時刻を移イてハ叶ふまい。今少し急ギ申そふずる。〈是迄三ノ松マテ行留リ。〉是ハ早戸隠山と思敷て。隣(アタリ)ハ〈見廻ス。〉人倫離れた深ン山ンの。谷峯〈下ヲミ、上ヲミ。〉遥に岩屈多く。さながら鬼神の住そふな山じやよ〈ト云乍舞台ヘ出ル。〉亦此傍な紅葉は扨も見事哉。いや大方爰元にて〈シテ柱ノ先ヘ出、ワキ正面ヨリ見廻シ、ワキヲ見付。〉有そふなが。されハこそ是に生体もない有様じやよ。急て此由を申そふ〈ト云、少シワキノソバヘヨリ。〉如何に惟持慥ニ聞給へ。八幡よりの御ン使に。武内の神ン是迄参りたり。此山に住鬼神御身に毒酒をしい。酔伏給ふを取んとするを。八幡ハ影身をはなれず添イ守り。則御剣ンを遣さるゝ間。〈ト云乍、ワキノヒザノソバヘ太刀ヲ置ク。跡ヘ戻リナカラ扇ヌキ、右ニ持。〉是を持鬼神を安く順へ。早々上洛あれとの神託なり。構へて其分心得候へ〳〵〈●拍子一ツ。〉 廿 羅生門 〔一人、或二人。橋弁慶同断。尤早鼓。〕 「箇様に罷出たる者ハ。渡辺の綱の御内に仕へ申者にて候。去程に頼申綱ハ。唯今人と争論を致さるゝ其子細ハ。源の頼光(ライコウ)丹州大江山の鬼神を順へ給ひしより以来(コノカタ)。武士(モノヽフ)を数多御集メ成されし故。此程は春雨の晴間(ハレマ)も見へ分ぬ徒然に。頼光(ヨリミツ)を初として。其外保昌綱公時。貞光季武独武者迄末座に伺公致し。種々の御雑談の有折節。頼光(ヨリミツ)の御意には。何にても珍らしき事や有るとお尋成さるゝ。総じて貴人の御ン前などにて。聊爾に物をバ申ましい事成ぞ。保昌の進ミ出て宣ふ様ハ。此程九条の羅生門に鬼神の住ンで。日暮て通る者をバやらず過さず取ル由申さるゝを。頼申人の仰らるゝハ。土も木も我大君の国なれバ。何くか鬼の宿と定んと聞時ハ。流石に彼羅生門ハ都の南門なれハ。譬鬼神の住メバとて住せ置るべきか。是ハ誠しからぬ由御申あれバ。重て保昌の宣ひけるは。扨ハ我等の御前ンにて偽を申と思召か。其儀ならバ今夜にてもあれ。彼羅生門へ行て御覧せよとあれバ。そこで頼ふた人のむかとつられか様に承るハ。某の得参る間舗キ物と思召さるゝか。夫ならバ今夜の内に。其證(シヨウ)跡(セキ)を見せ申そふすると嗔り給へバ。御ン前の人々ハ一同に。去りとてハ御無用と御留メ有るを。いや保昌に対して遺恨はなけれ共。王城に鬼神の住とあれバ。一ツハ君の御為なれバ。印を下されい立て参ふずると乞るゝを。頼光も下心には御留被成度思召せども。左様に御意あらバ御心おくれ給ひたると。人に思われてハと思召。則印(シルシ)を被遣し間。綱ハ札を給りて。其侭宿(〇)へ御帰り被成たると申間。某もお供に参らふと存て罷出た。急て参ふ。〈右ヨリ左ヘ廻ル。〉誠に頼申御方を誉るでハ御座ないが。左様に鬼神の住と有る処へ御座ふと有様な。けなけな事ハ御座るまい。某も道々御奉公申ハヶ様の時の為なれバ。此度手柄を仕り。お詞に預ふと存る。〈是迄ニ廻リ留リ。〉其皆の云ハ何事ぞ。何と頼申人の早御出じや。扨も早イ事かな。某もお供に参りたけれども。お供には誰も召連られぬとあれバ。某ハ是より宿へ罷帰る間。自然頼ふだ人のお尋あらバ。こなたへ御知らセ有て給われ。構へて其分心得候へ〳〵〈左ヨリ右ヘ見廻シ、ワキ正面ヲ向トメル。〉 二十一 同 二人間 〔立形、橋弁慶同断。〕 「か様に罷出たる者ハ。渡辺の綱の御内に仕へ申者にて候〔ツレ「エヘン〳〵」セリフ、橋弁慶同断。〕 【語】〔〇此印迄前同断。〕宿(〇)へ帰られたか南方浮雲(アブナイ)争ひでハなかつたか ツレ 「誠にわこりよの云ことく左様に鬼神の住と云所へ御座らふと有様な。無分別な事ハおりやるまいぞ ヲモ 「其上某の思ふは。鬼神の住所へお出成されふならバ。定て人をあまた召連られふと思ふたれば。唯御一人ン御座ると聞たに依て。某ハお供に参ふと思ふて出たが。わごりよハ何と思しますぞ ツレ 「其事じや。常々御奉公申ハか様の為じや程に。わごりよさへ行ならバ某も行イでハ ヲモ 「夫ならバ先頼ふた人のお宿へ向ケて行ふ。〈ト云乍廻ル。〉いざおりやれ ツレ 「心得た ヲモ 「何と思わしますぞ。頼だ人を誉でハないが。さ様に鬼神の住と有る所へお出被成れふと有様な。けなけな事ハおりやるまい 「誠に其方の云シます通り。某抔は人を大勢連れてさへ強物じやに。増て御一人御座る様な。けなけな事ハおりやるまいぞ ヲモ 「其通しや共〈元ノ通リ廻リ留リ。〉 ツレ 「扨のふ某は今迄ハお供を仕ふと思ふたか。俄に腹か痛んて成らぬ程に。得参るまいぞ ヲモ 「はて扨わこりよハむさとした事を云。其腹の痛ひ分て此度のお供をはつそふか。いさおりやれ行ふ ツレ 「辞わこりよか何といふても頻に痛ンて成らぬ(来た程に)程(とも)に。先宿へ帰ツてとつくりと。養生せねハ成らぬ戻ると云へバ〈ト云捨テ逃入ル。〉 ヲモ 「やい〳〵〈ト云乍、シテ柱ノキワ迄追欠行。〉先待〳〵。まだ用が有有わいやい。はて扨世間にハあの様な。臆病な者か有るに依て致様かない。去なからあれハ参らす共。某は行ふか。いや〳〵あれが戻ツたれハ。某も何とやら行とむなふ成ツた程に。先宿へ参ツて分別を致そふ。是ハ帰るでハない。唯戻るぞ〳〵〈ト云乍入ル也。〉 二十二 現在鵺 〔二人。早鼓ニテ出ル。橋弁慶同断。〕 「か様に罷出たる者ハ。源三位頼政の御(ミ)内に仕へ申者にて候〔ツレ「エヘン〳〵」 セリフ、橋弁慶同断。〕 ヲモ 「先是ハ禁中に於の事成が。丑の刻斗と思しき時分に。東三条の森の方よりも黒雲一群(ヒトムラ)飛来り御殿ンの上に覆と思召せど。君ハ其侭御悩と成せ給ふ。夫に付或人(アルヒト)奏し申さるゝ様ハ。是化生の者の業と見へ申間武士に仰て射させられよと申さるゝ所に又一方より申上らるゝハ。此以前にもヶ様の刻。弓の弦音を致す其験にて。程なく御快気被成た例の有れバ。先例に任せ射させられよと申上るに付。さあらバと有ツて源平両家の射手をお尋有るに只頼政に仰付られて然るへからふずると口々に宣ふ故。頼だ人の所へ勅使立に。頼政申さるゝ様ハ。朝敵など社候へ左様に未目にも見えぬ。化生の物を仕れとの御事ハ。迷惑に御座ると有つたれども。是非に及ず畏ツたとお請を申され。則今夜伺公仕ふずるとて。取物も取敢ず御用意有が御供にハ遠江の国の住人。猪の早太一人斗お連りやつて。わこりよや某をバ連まいと仰らるゝが。常々御奉公申ハヶ様の時の為なれば見へ隠れになりとも行ふと思ふが。其方ハ何と思わしますぞ ツレ 其方のおしやる通り。常々御奉公申ハか様の時の為じや程に。わこりよさえ行ならバ某も行イでハ ヲモ 夫ならバ先頼ふだ人のお宿へ向ケて行ふ。いざおりやれ ツレ 心得た ヲモ 何と思しますぞ。頼だ人を誉るでハないが左様に化生の物を射させられふと有るハ。けなけな事でハないか ツレ 誠に其方の云します通り。某などハ人を大勢連れても強物じやと思ふに。増て御一人御座らふと有る様な。けなけな事ハおりやるまいぞ ヲモ 其通じや ツレ 扨のふ。某は今迄ハお供を仕ふと思ふたか。俄に腹が痛ンて成らぬ程に得参るまいぞ ヲモ はて扨わごりよハむさとした事を云。其腹の痛分で此度のお供をはづそふと思ふか。いざおりやれ行ふ ツレ 「いやわこりよか何と云とも頻に痛ンで来た程に先宿へ帰ツてとつくりと養生せねば成らぬ戻るといへば ヲモ やい〳〵先待〳〵。また用か有ルハひやい。若イ者と云ハあれじや。兎角の談合も成らぬか何としてよからふそ。辞其許に〈ワキ正面ヲミテ。〉どどめくハ何事ぞ。何と頼申人の是へ御出じやといふか。漸々晩する程に尤しや。某もお供に参りたけれ共。誰も参るなと仰出された程に拙者ハ是より宿へ罷帰る間。若頼た人のお尋有らバ。必す我等に御知らせあれ。構へて其分心得候へ〳〵 二十三 熊坂 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。立形、二番目ノ間同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ物淋しき折柄なれバ。青野か原へ立出(イ)で心を慰ばやと存る。辞是成お僧ハ。何とて此所にハ休らひ給ひたるぞ 「中々此隣の者にて候 「心得申候。扨お尋有度とハ如何様成御事にて候ぞ 「是は思ひもよらぬ事お尋有物哉。去なから爰に熊坂の長範と申て。悪逆を致し相果たる物の子細を。片端物語申そふずる 【語】「去程に熊坂の長範と申ハ。生レハ北国の者成しが。幼少の時より仮染に人を掠(カスメ)。夫を稚心に面白く思ひ。爰(コヽ)彼(カシコ)にてひた゛取に取る程に。後にハ悪徒の名を得。諸国の盗人彼に付添イ。国々をあろき有徳成者を押へて取るに。一チ度も不覚を致たる事のなかりたると申ス。然れバ源家の大将義朝の末子。沙那王殿と申少人の御座すが。平家の代の萬未断(ミダン)成ル分野(アリサマ)を御覧じ。何共して東国に下リ。御舎兄兵衛の佐殿に此事を語申。一ト度切ツて登り。源氏一統の御代となし度思召折節。其頃三条の吉次信高と云商買人は。毎年五畿内の宝物を買集メ。奥へ下ル商人(アキンド)を御頼あり。忍びてお下向被成しを。熊坂先をば夢にも知らず。吉次か高荷を取らんと匠ミ。京都を出る時よりも目付を置キ。当赤坂の宿にまんまと付込ミ。究竟の盗人七八十人程。此青野か原に押寄談合致し。夜半過鶏の前と思敷時分。吉次か宿所へ夜討を掛しかバ。内にも老た若に寄らす人多しと云へど。何れも路次に草臥前後も知らず伏たりしに。沙那王殿只御一人ン渡リ合。進ンて掛る盗人を残りすくなに討給へバ。夜盗の大将長範ハ独り無念に存じ。討物追取直し少人を目掛ケ。詰ツひらひツ請ツ流イツ。秘術を尽し戦へども。沙那王殿には年月の手柄も出ずして。終にハ討れたると申ス。夫迄ハあの人見の松に遠見を置キ。登り下りの旅人ン里通ひの者迄も。討(ウチ)取(トリ)剥(ハギ)取(トリ)仕。遠国他国迄も迷惑致たるが。熊坂か相果ての以後は。上下の旅人も心易通りたるなどゝ承る。先我等の存たるは斯のことくにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。古の長範は悪逆を而已致たれバ。誰有ツて跡を弔フ者も無きにより。後世を能く問われ度ク思ひ。熊坂か幽霊顕れ出。詞を替したるかと存る間。余りに不便成ル事なれバ。暫く是に御逗留あり。彼者の跡を御弔あれかしと存る 二十四 鍾馗 〔立形、熊坂同断。〕 「是ハ唐土終南山の麓に住者にて候。今日ハ物淋敷折柄なれば。罷出て往来の人を見て心を慰はやと存る。辞是ハ何国より何方へ御通り有る人そ〔セリフ二番目ノ如シ。〕 【語】「各も遍く御存の事なれバ。是は詳に語申に及ねど。去ながら大方太唐の習には。其人の器量骨柄の能き悪敷に寄らず。又ハ老(オイ)タ若(ワカ)イの隔もなく。氏素生(スゼウ)の気(ケ)貴(ダカキ)分チもなくして。如何成ル田夫野人の子なりといふとも。学問の達シたる者なれバ。栄耀栄花高位の望も叶イ。一類迄も夫に応じて人となり。諸人に囲饒渇仰せられ。子々孫々迄も名を後代に奉ル故に。一在所の惣知りハ隣郷の司を望ミ。一郡の学匠ハ一国を心掛ケ。国中に名得た儒者ハ及弟致し。己に天上の交(マジハリ)を為に依て。士農工商の家々の幼イ衆も。八歳小学十五大学とハ申習す。然ルに昔終南山の麓に鍾馗といへる進士の有りしが。幼少の時より書物を面白く思われ。何様一ト度ハ学文の奥儀を極んと。夜る昼るの境もなく嗜まれけるに。早一チ度聞イたる事ハ忘れず。大智なる故。万巻の書を諳(ソランジ)給ひしかバ。古へより儒者の用ひ来(キタ)ル事と。学文の道には何を問掛ケたり共。つの(マ)る事ハ有間敷キと自慢をせられ。伯父(ハクブ)の御ン時武徳年中の頃。及第に上り申されし処に。類ひすくなき才智の学匠たりといへど。誠に天命の尽(ツキ)たる故か。及第叶ずして其侭帰りし時。鍾馗心に思わるゝ様。此年月学文したる事を空敷して。古郷に帰り人に面を瀑(サラサン)事。骨髄(コツズイ)に染(シミ)て面白なふや思われけん。南方短慮成ル人にて渡り候ぞ。玉階に首(カウベ)を触レて死するを。忝も帝ハ聞し召されて。彼者の心中余りに不便に思召により。頓て死骸を土中に込置れ。緑袍を贈官成されたると承る。されども其執心今に残り。終南山に住ンで年(トシ)月を送り。人に付添忽奇瑞をなすと申習す。先我等の存たるハ如斯にて候 「是ハ奇特成る事仰らるゝ物哉。古への鍾馗大臣ハ。禁中の悪鬼を鎮んと思わるゝ折節。旁の帝都へ趣キ給ふにより。雲の上へ此事を告知らせ申さんとて。鍾馗の亡魂顕れ出。詞を替されたると存る間。暫く是に御逗留有り。重ねて奇特を御覧あれかしと存る 二十五 張良 〔竹杖ツク。早鼓ニテ出。シテ柱ノ先ニテ、シヤベリ。〕 「か様に罷出たる者ハ。漢の高祖の臣下。張良の御(ミ)内に仕え申者にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。高祖の御(ミ)内に我も〳〵と思召臣下。数多おわしますとハ云へど。中にも頼奉る張良ハ。君を重ンじ朝暮御伺公被成るゝ故。御前に於て御出頭並なけれバ。諸候の内に中の悪敷キ人もなく。朝夕(アサユウ)門前に市をなすとハいへど。俸禄に目出て非分を捌(サバ)き在(マシマ)さす。仁義の道一ツも闕(カケ)たる事なく。民を憐ミ慈悲心専にして。家中の法度忠ウ仰付られ。御(ミ)内の者には常に情ケ深キに依て。哀れ此主君の御用に立チ。一命をも参らせ上んと思ひ。諸人の起伏に忝ふ存る心中。誠に天道迄も通じけるか。此以前にも様々の奇瑞有ツて。何事も思召侭に御座候。夫に付比程不思議の夢を見給ふ。其夢中の様体。比山蔭に下邳(カヒ)といふ所に土橋有り。そこに何となく休(ヤスラヒ)給ふ処に。馬上に老翁来りて申さるゝ様ハ。今日フより五日に当ん日是へ御ン出あれ。兵法の一巻の書を授んと。慥にいふと見て夢ハかつはと覚ぬ。扨も是ハ稀代成る事を見て有る物哉。総じて夢といふ物ハ合ふ事も有り。大方ハ合ぬものとハ云ながら。され共兵法の書を授んと有るを。知らぬ体ニて唯置ん事も残多く思われ。五日して彼下邳へ御越あれば。案の如く夢を見せ申されたる老人の。早疾(トク)に来りて申さるゝ様は。何とて張良は遅く御出ありたるぞ。老たる者と契約有るといゝ。殊に大事の秘伝を授んと云に。其゛不執心にて相伝ハ成まじきとて。殊の外不興(フキヤウ)申されし間。頼申御ン方ハ誤たる体にて。謹て暫く御入有る故。彼翁も程なく機嫌を直し。又今より五日に当らん日是へ御出あれと。云も敢ず其侭暮に失給ふ。張良ハ先ン度の夢中をさへ嬉しく思召に。是ハ正敷く目(マ)の前の約束なれバ。人も愛せぬ咲を含んて御帰り有る。然らば重て下邳へ御越有る時のお供にハ。誰々を召連らるゝぞ。少と伺ふと存じて罷出た。急で参ふと〈ト云乍少シ先キヘ出ル。〉存る。其皆の云は〈ワキ正面ヲミテ。〉何事ぞ。何と頼申人の早御出じや。去れバこそ日外の遅イを無念に思ひ玉ひ。此度ハ早く御出有ると見へたに。今御供の沙汰など御意得たらバ。却て御機けんかわるからふに申まい。去ながら張良の我等を召さバ御知らせあれ。構て其分心得候へ〳〵〈左ヨリ右ヘミ廻シ、ワキ正面ヲ向トメル。〉 二十六 藤渡 〔脇、次第ニテ出ル。跡ニ付出、太鼓座ニ居。当時ハ初メノフレナシ。ワキノ方ニテ済ム。ワキ連、太刀持也。太夫中入前ニ、ワキ呼出ス〕 「御前に候 「畏て候〔ト云、シテノ後ロヘ行キ、下ニ居テ腰ニ手ヲ付。〕 「旁の愁嘆ハ尤なれ共先お立ちやれ〔ト云、引立連行ナガラ。〕 「皆人の親は不器用な子をもかわゆく存じ。東西を弁ぬ幼子さへ別れを悲むに。増てや成人の子を失ひ嘆かるゝ事余儀なけれども。今ハ頼申人も不便に思召。我等迄も痛敷う存れど。早帰らぬ道なれバ。此上ハふつと思ひ切ツて。其方の後世を大事と能く願ひ。逆様なれ共なき人も弔ひ給へ。又跡をば世に立させらるゝ様に。某随分取合セを申そふずる間。先宿へ帰られ候へや〔ト云迄ニ、シテヲ幕ヘ送リ入。シテ柱ノ先ヘ行、シヤベリ。〕 「扨も去年此所にて。源平の戦を思ひ出せば今も怖しや。平家ハ数千艘の兵船を浮へ。此小島の前に居たりし所に。源氏はあの向ひの西河尻。藤戸に旗を立られし程に。源平海岸を隔陣を取給へば。舟なふして越すべき様もなかりし処に。最前頼申人の御物語のことく。兼て案内を問れ御存しあれバ。頼朝より遣されし芦毛なる馬に乗り。海へ颯と打入れ給ふほどに。某も誰にか劣べきと思ひ。盛綱に付て向ひの磯迄至りしが。藤戸を渡スと見て平家ハ船を側立て。取詰引詰散々に射立し程に。某は其侭取ツて返し。面目もない事なれど人足の仕置を致た。先あれへ罷出ふと存る〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「扨も唯今の体ハ哀れな事で御座る。何れも親子の中ハ悲む物とハ申ながら。取分キ今の老たる母の愁嘆ハ深く有べきと存る。夫を如何にと云に。殊に当島を御拝領あれバ。此砌はいかなる御褒美にも預るへき処に。さハなくしてやミ〳〵と害せられし事を。親の身として嘆き申も理りなれバ。恐ケ間敷キ申事なれど。一ツハ(タ)後(カウ)者の計略の為。又は生残りたる母の思ひをもやめ。亡者の恨もはるゝ様に。彼の者の妻子を世(ヨ)に立られ。なき跡をも御弔あれかしと存る〔此間ニ楽器ノ詞有之候へ共、当時諸共無之候ニ付、相除キ認不申候。〕 「畏て候〔ト云テ、ワキ正面行。〕 「やあ〳〵皆々承り候へ。今度藤戸に於て失れし者の跡を。管絃講を以て。御弔あるべきとの御事なれバ。一七日の間は浦々の綱をも上ゲ。殺生禁断の由仰出されて有るぞ。構へて其分心得候へ〳〵〔初触有之時ハ、脇ノ供ニテ出候ヘ共、当時フレ無之候ニ付、初同ニテ出、中入後同音ニ成リテ入ル也。〕 二十七 三山 〔ワキ道行ノ内ニ出、太鼓坐ニ居ス。ワキ、道行過キ狂言呼出ス。一ノ松ニ立。〕 「誰にて渡り候ぞ 「参ン候和州三ツ山と申ハ。先南に見へたるを耳(ミヽ)無山(ナシヤマ)と申ス。初たる御方ならバ。心静に御覧候へ 「御用の事あらバ承ふずる 「心得申候〔ト云、又座シテ、中入過キ、シテ柱ノ先ニテ立テシヤベル。但シ語間ノトキハ●此印ノ処、「尤ニ候」ト云ガヨシ。〕 「最前小原の良忍(リヤウニン)聖(ヒジリ)と有りて。当所の三山をお尋有りし程に。則懇に教やり申たるが。就夫あの南に見へたるを天の香久山と申子細ハ(△)。天照太神葛城の天の岩戸に御籠り被成し時。其所か異香四方に薫んじたるに仍て。天の香久山とハ申ス。然れハ古へ香久山の麓に。柏手の公成と云人有りて。色(イロ)好(ゴノミ)成ル御方にて御座スが。此北に見へたる耳無山にハ。桂子と申遊女あり。又畝火山にハ桜子と申女の有けるに。彼公成ハ桂子に心を掛ケ。誠に妹背の契り浅からざりしに。世の中の人の心ハ移り替る習なれバ。又桜子に心を移し。桂子の方へハ通ひもなきにより。桂子此由を聞。此世に有りても何かせんと思ひ。耳無山の麓成る。池水に身を投空しく成るを。亦柏出の公成是を聞付給ひ。我を恨ミ相果たる事不便成りと思召。先(〇)より桜子をふつと思ひ切り給ふ。誠に昔語りとハ申なから。桂子の心中余リに痛しき事なれバ。彼御聖へ此由を申シ。融通(ユヅウ)念仏(ネンブツ)を(ト)以御弔ひ成さるゝ様に。申上べきと存る間。此辺の人々ハ。皆々〈見廻ス。〉其分心得候へ〳〵〔ト云、座ス。後同ニテ入ルナリ。〕 二十八 同 〔初、出所右ノ通リ。ワキ道行過、教ヘ等、右ニ同シ。中入過キテ、シテ柱ノ先ニ立テ。〕 「最前小原の良忍聖と有りて。当所の三ツ山を尋給ふ程に。則チ念比に教やり申たるが。いまだあれに御座るか。但し何方へもお通り有たるか。参りて〈ト云乍先ヘ出。〉見申そふずる。〈ワキヲミテ。〉いや未是に御座候よ 「心得申候〔ト云、ワキノ前ヘ行、座して。〕 「扨お尋有度とハ如何様成御事にて候ぞ〔此所セリフ常之通リ。〕 「先南に見へたるを天の香久山と申子細ハ〔△〇此印ノ間、右ニ同シ。〕夫より桜子をふつと思ひ切給ひたる由承る。是に付数多子細の有とハ申せど。先我等の存たるハ如斯にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。偖ハお僧の御心中貴キにより。古への桂子の亡魂顕出。三ツ山の子細を語り申されたると推量致ス。誠に昔語とハ申ながら。余リに桂子の心中痛敷事なれバ。暫く是に御逗留被成。迚の御結縁に融通念仏を(ト)以。彼跡を念比に御弔ひ被成。其後何国へもお通りあれかしと存る〔此跡常ノ通。後同ニて入ル。〕 二十九 求塚 〔初同ニテ出。太鼓座ニ居ス。中入過、シテ柱ノ先ニテ名乗ル。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ何とやらん徒然成ル折からなれバ。罷出て心を慰はやとぞんする。辞是成るお僧は。爰許にてハ見馴申せぬ御方成ルか。何国より御越被成たるぞ 「去程に此求塚の子細といつぱ。古へ摂州此幾田の里に。有(ウ)□(ナイ)乙女と云女の有たると申ス。其頃和泉の国篠田の在所に。千(チ)奴(ヌ)の益(マス)雄(ラ)建(ヲ)男と申男。又当所にも篠田(サヽダ)といへる夫(ヲツト)の有の有しが。或時比二人のもの有□乙女を見初しより以来(コノカタ)。同し如くにこゝろを移し。余り思ひに絶兼便を求め。同シ日の同シ時玉章を認参らする。女房此二ツの文を取て見れバ。同シ様成ル言の葉を書送り。夫よりも我劣らじと思ひ詰メ。種々様々に手を尽せども。更に其印なかりし故。女ハ返事にしかね余りの事に。あの幾田川に浮ミたる水鳥を。互に一矢宛遊し給へ。中リたる方へ返事すべしとあれバ。力及はずとて河の辺へ立出。随分鳥を覗ひ放ツ程に。両人の矢先キ此一ツの翅に留りたれバ。其時肝を消し先宿へ御帰りあれ。重て此方より申べしとて帰し申ス。其侭跡にて一首の哥に。思ひ侘我身を捨ん津の国の。生田の川ハ名のミなりけりと。頓てヶ様に読置て。幾田川に身を投空しく成申ス。父母是を聞付驚騒き。死骸を取上愁嘆すれとも叶わねハ。是非に及ばす土中に込申を。彼二人ンの者又同し時此塚へ求来て申様。我等故か様に成り給ふ間。何れも遁(のが)れぬ所なりとて。時刻移さず塚の前にて差違へ。相果たると申伝る。左有に依此中成るは女塚。又左右に有るハ男塚にて有実候。されバ女塚を求メ来たるを以。世上に是を求塚とハ申習す。先我等の聞及たるは如斯にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。扨ハお僧の御心中貴キにより。御経を聴聞申度思ひ。此塚の幽霊顕れ出。若菜摘体に饗応。求塚を懇に教へ給ひたると存る間。今宵ハ爰に御逗留あり。彼亡者の跡を御ン弔あれかしと存ずる〔跡常ノ通リ引テ座ニ居。後同ニテ入ル。〕 三十 当麻 〔立形出入、右ニ同。〕 「是ハ当麻の門前に住者にて候。今日ハ徒然成ル折柄なれバ。当寺へ参り心を慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。何国より御参リ被成たるぞ〔セリフ常ノ通リ。〕 【語】「先当寺に於て曼荼羅を織給ひたる子細は。人皇四十七代の帝廃帝天皇の御宇に。横萩の豊成公の御(ゴ)息女に。中将姫と申御方。幼少の時より後生一大事と思召を。未御年にも足ざる人の。あの如く成る御心中ハ。奇特成りとの御沙汰にて候。一度ハ山深キ方に御身を隠されしが。後に此寺へ御出あり御ン櫛(グシ)を卸され。御名をバ仁和とやらん申て。大誓願を発し給ふ様。正真の弥陀如来を拝ミ奉らずハ。此草庵を出間舗キとあり。明ケ暮レ念仏を(ト)御申有る処に。或時弥(ミ)陀老尼と現じ来り給ふを尋給へバ。おことの呼玉ふにより是迄来(キ)たる由御申あり。蓮の茎を数多集め給へ。極楽の容体を曼荼羅に織付。拝せ御申有べきとの御ン事により。百駄の蓮の茎を集め置給へバ。彼尼来り自(ミツカラ)糸を取り。あれ成る池にて濯(スヽキ)給へば五色と成を。是成る木にて干給ひしにより。池を染殿の井と名付ケ。是成る桜をも染桜とハ申習す。夫より此花五色に咲(サキ)たる抔と申ス。其後観音と弥陀来迎被成。此寺の乾の角にして。酉過より寅の前方に。一丈五尺の曼荼羅を織立給ひ。極楽の様体上品上生。中品中生下品下生の九品の体を。明に顕し給ひたると承る。折節元来(末)同じ如く成る竹が涌出して。彼曼荼羅の軸に成たると申ス。然れば此竹一夜に生したるにより。一夜竹とハ申習す。又節の間唯ひとよ成るに依りて。一ト節(ヨ)竹とも申実候。其後彼老尼ハあの二上山(フタカミヤマ)を差て上り給ひし故。夫よりも尼上が嶽とハ申伝る。先我等の存たるハ如此にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。扨はお僧の御心中貴により。古への化尼化女権に見へ給ひたると存る間。暫く是に御逗留あり。重て奇特を御覧あれかしと存る 「何にても御用の事あらバ承ふずる 「心得申候 三十一 須磨源氏 〔立形出入、右ニ同。〕 「是ハ摂津の国須磨の浦に住者にて候。漸々春も半なれバ。浦の気色も長閑に成り。亦若木の桜も盛成る間。立越花を詠め心を慰ばやと存る。辞是成ル御方ハ。何とて此所にハ休(ヤスラ)ひ給ひたるぞ〔セリフ常ノ通リ。〕 【語】「去程に古への光源氏と申スハ。醍醐の天皇の二の宮にて御座す。御ン母ハ按察の御息女(ゴソクジヨ)にて。桐壺の更衣(カウイ)と申奉る。然れバ此君十二にて御元服を遊し。初冠(ウイカンムリ)を着し。桐壺の蔵人(クラフド)の少将。箒木の巻に頭の中将。又紅葉の賀の巻に正(ジヤウ)三位(ザンミ)に任セられ。誠に古今無双の御ン方ニて。就中色深くおわしませバ。有時朧(ヲボロ)月と申ス女(ニウ)房と契り給ふ故。二十五の御ン年朱雀院の御宇に。当浦へ流罪の御身と成らせ給ひ。此須磨明石にて三年(ミトセ)の秋を送り給ふ。然れとも去ル事の有りて程なく帝都へ還帰(クワンキ)成され。夫より数の位の官を(ノ)御請遊し。牛車(ギウシヤ)の宣旨を蒙らせ給ひ。終にハ太上天皇と崇奉たると承る。夫ニ付光る源氏と申御事ハ。忽然と御身光り曜(カヽヤキ)し故。高麗国の相人も光源氏とハ名付たる由申ス。扨都にしてハ御遊覧を被成るゝ。中にも庭前に池を掘せ山を築せ。古木大木を植置れ。種々の畜類を数多放チ置。麓の池にハ様々の水鳥の並居て。奥深キ山より白浪を落し。其景筆にも写し難し。又お船遊ひと申ハ。唐めいたる龍頭鷁(ゲキ)舟の粧ひ。金銀(コンゴン)瑠璃(ルリ)硨磲(シヤコ)碼碯(メノウ)。珊瑚(サンゴ)琥珀(コハク)鏤(チリバメ)たるお舟を浮べさせ給ひ。日もうらゝ成る折節は御(ミ)舟に召され。管絃の御遊フ有たると申習す。去れハヶ様の都物語抔を。此田ン舎の者の聞伝へたる事。不思議に思召されうずれども。古へ源氏の君此須磨明石に暫く御座被成。則爰も源氏の古跡と成て。又是成ル若木の桜も御寵愛ありし木なれど。御覧せらるゝことく木(キ)も老木に成たれど。毎年春を待得枝葉栄へ。年々に生する枝に花咲故に。若木の桜と申て。今に我等如キの者の詠メ申御事にて候。源氏の御事に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ如是にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共知らず老人来り。源氏の謂を委く語申べき者。此辺にてハ覚ず候か。點キ申事なれど拙者の存るハ。古への光ル君当浦へ御心を残し置れ。御亡心見へ給ひたると推量致す。余りに不思議成ル御事なれハ。暫く是に御逗留あり。重て奇特を御覧あれかしと存る〔跡、常ノ通り。〕 三十二 吉野天人 〔出入、右ニ同。中入過、シテ柱ノ先ニテ、シヤベリ。〕 「是ハ和州吉野の郷に住者にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先当山のあり難き事は。天竺五台山の坤(ヒツジサル)のすミ。二ツに闕下(カケクダツ)て我朝に来り。一ツは常陸の筑波山となり。今一ツハ此吉野ゝお山と現れ出るが。貴人の御目にハ金(コガネ)の峯と見ゆるに仍而。当山を金峯山とハ申習す。就夫此山の桜の名高き子細ハ。昔役の行者桜を植置き給ひしより以来(コノカタ)。次第〳〵に木々の枝タ葉も栄へ。花も色増今の代迄も。桜の名処と成り申せば。誠に春を待。毎年花見の人々多キ中に。取分キ当年ハ一入盛りなれバ。都より老若男女ともなひ来り。爰(コヽ)彼(カシコ)と詠メ申さるゝ所に。止事なき女性のまミへし程に。如何成者ぞと不審のなし申されければ。我は上界の天人なるが。今宵は爰に旅居して待給ふならバ。古の五節の舞。今月の夜遊に学ひて見せ申さんと。迦陵頻伽の声斗して失せ給ふ。か様のためし鮮なき事ハ。某をはじめ諸人ハ存間敷候間。此由申聞せはやと存ずる。やあ〳〵皆〳〵承り候へ。当山に於て上界の天人。夜遊を学び申さるゝ間。老若共に罷出見物申され候へ。相構へて其分心得候へ〳〵〔ト云引テ座シ、後同ニテ入ル。〕 三十三 第六天 〔シテ中入来序。末社来序ニテ出、シテ柱ノ先ニテ、シヤベリ。〕 「箇様に罷出たる者ハ。忝も伊勢太神宮に仕へ申ス。末社の神にて御座候。我等の是へ出る事余の義に非ず。先都に解脱上人と申貴き沙門の御座スが。初て大神宮へ参詣致されし所に。第六天の魔王共寄リ合ヒ。此度解脱上人を(ノ)魔道へ引入レ。仏法を妨申さんとて。種々様々に変じて来たるを。太神宮御存じ被成。急き沙門に告知せんと思召。権に人間と顕れ。上人に行合給ひ。御裳濯(ミモスソ)河(ガワ)の由来宮居を委しく御物語有り。扨彼魔王共集り仏法を妨んと匠ムよし。慥に御告知成さるれバ。沙門ハ随喜の悦を成し申さるゝ。殊に太神宮も別して大切ニ思召により。如何成魔王共成共障礙(セウゲ)を成さんと致バ。神力仏力にて忽退け申さふずる事を。疑ひ有間敷キ事と存ル其故は。内宮外宮の神達は申に及ず。住吉の明神出雲の大社。惣じて日本国中の神々迄も。力を添給んとの御事なれバ。仏法を妨ン事ハ思ひも寄らぬ事じや。併ヶ様に申せ共魔王と云物ハ。唐土天竺我朝に於。虚空三界に多キ物にて。風雨流通に働く物なれバ。早此内にも何事か仕ふも知らぬ程に。先我等ハ罷帰り用意致シ。急き解脱上人に力を添申さうする間。当社の神々迄も残らず御出あれ。其分心得候へ〳〵 三十四 項羽 〔立形、鍾馗同断。〕 「是ハ唐土烏(ヲウ)江(ゴウ)の渡守にて候。今日も浦へ出て舟を渡そふと存る。喃〳〵あれ成る草刈達。向イへ行るゝならバ船に乗給へ。今フ日ハ某の渡し番にて。余人ンの越す事は成らず候が。夫ハ如何様成ものが越シ申たるぞ。 「心得申候。扨お尋有度キとハ如何様成ル御事にて候ぞ〔セリフ常ノ如。〕 【語】「先項羽高祖の戦と申ハ。秦の天下を望ミ給ひ。始は御兄弟の契約有り。先キへ入たらん人を王と崇メ。遅キ人ハ臣下と成らふずると堅く仰合され。二手に分ケて切ツて登り給ふ所に。高祖ハ不勢成リとハ申せ共。計略(ハカリコト)を廻らし慈悲心成ルにより。行先キの国々も靡順ひ。早ク都に入給ふ。項羽ハ猛勢を頼ミ。手柄を而已成さるゝ故。路次にて隙入遅く御ン着(ツキ)有りし程に。数万騎にて跡に登りたるを無念に思ひ。後にハ項羽高祖の戦と成り。七十余度(ヨド)に及たる事と申ス。然れども初は度々(ドド)項羽御勝候か。後に高祖一チ度の理を得給へバ。名大将成故敵も味方と成り。却て項羽を責奉り。烏江の野辺にて果給ふ。其折節望雲騅と云馬ハ。一日に千里を駆ル程の名馬なれど。主(ヌシ)の運命つきぬれバ。膝を折黄なる涙を流し。一足も行す候程に。項羽は呂馬童を近付給ひ。我首取ツて高祖に奉り。名を後代に揚よと御申あれど。流石主君の御事なれバ。左様に立寄人もなかりし程に。手(テ)自(ヅカラ)御首を掻きり給ひたると承る。又項羽の后に虞氏と申御方の候ひしが。別れを悲しミ身を投空しく成給ふを。取上ケ野辺の土中に込置しに。其塚の上より草花一ト本ト生出るを。見馴ぬ草とて不審成さるゝ所に。有る點キ人の申され事に。后の廟所より生出たる花なれバ。是ハ美人草と申そふずるとて。夫よりも美人草とハ申実候。項羽高祖の戦ひ美人草の謂。大方か様に聞及て候が。扨唯今ハ何と思ひよりて。お尋有たるぞ不審に存候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。旁の草花数多持れたる中に。美人草を刈持給ふにより。后の御事を懐敷思召。項羽の亡魂顕れ出。美人草を御所望被成たるかと推量致す。余りに不思議の御事なれバ。何れも弔ハ僧々ニあらず。俗々に寄らずと申せバ。項羽の御菩提を念頃に弔ひ。其後支度へ帰り給へかしと存る 「何にても用所あらバ承ふずる 「心得申候 三十五 大瓶猩々 「是ハ唐土潯(シン)陽(ヨウ)の江の辺(ホトリ)りに住居仕民にて候。爰にかうふうと申御方の候が。毎日参り酒を給べ申候間。今日も参らバやと存る。唯今参ンじて候。我等も疾に参べきを。さり難き用事御座候ひて遅り申て候。扨毎とハ申ながら。今日も夥敷キ市人にて一入賑に候へバ。毎の如く酒を下され慰申そふずる 「扨夫ハ如何様成事にて候ぞ 「是ハ思ひもよらぬ事お尋有る物哉。左様の者は見申たる事ハなく候へども。人の物語を致たるを承候が。しかとしたる事にてハ御座有間敷候得共。聞及たる通り語ツて聞せ申そふずる 【語】「惣して猩々と申者ハ。海中に住獣にて有由申ス。先像ハ猿に等しく毛色黄にして。耳白く面手足などハ人に似たり。髪長ウ顔声(カヲコヘ)ハ児啼(ニテイ)に違(タカワ)ハ((ママ))ず。左有ルに依て幾年(イクバクトシ)経て後ハ能ク人の詞を知り。我も自(ヲノヅカラ)人間のことく詞を替すなどゝ共申ス。去れ共畜類の悲さハ国々にてとらハれ。就中西湖にハ猩々の血を以て。万物を(ト)染申により。猩々緋とハ申実候。其上猩々ハ生を受しより此方。婬(イン)欲(ヨク)を犯さず無量寿を保チ。聖人賢人の時に至り日月清明にして。五日の風十日の雨土塊(ツチクレ)を動さず。豊年ンの。御代にハ一ト度出現致すと申伝る。誠に古へより猩々には。三説同からずと申せば。我等如きの委うハ存せず候へども。先聞及ひたる通りハ物語致候が。扨何と思ひ寄て尋給ひたるぞ不審に存候 「是ハ近頃珍敷イ事を御申有物哉。左様の怪敷キ物ハ。疑もなき海中の猩々。目出度御代にひかれ顕れ出。取分毎日爰に来り。酒を愛し旁に詞を替し申事も。弥富貴の身と成シ給ん瑞相と存る。殊に酒に八十の徳ありと申せバ。遂レ日猩々を待随分酒を与へ。立所に於て奇特を見給へかしと存る 「左様に候ハヽ先某は罷帰り。重て参り酒を給べ申そふずる 「心得申候 同三十五 同 乳((ママ))序 「箇様に候者ハ。唐土横巨(ワウキヨ)と云海中に住鱗の情((ママ))にて候。我等の是へ出る事余の儀に非らず。爰に別て目出度事有り其子細ハ。先此唐土周の国の傍に。楊子のさとゝ云所有り。何の頃よりか市を建初メ置けり。彼里に一人の民有り。正直憲法(ケンボウ)の者にて親に孝有り。常に酒を造りて渡世を送りけるが。或夜の夢中に。汝楊子の市に出酒を売ルに於てハ。富貴の家と成るべきとの。夢の告に任せ業を営(イトナミ)けるに。案のことく逐レ日楽ミ尽せぬ身と成りぬ。然る処に夜毎に若キ男一人来り酒を買ふ。姿を見るに常人に替り。像(カダ)チ紅にかしけて流石うるわしく。衣裳も人間にたぐゑず。頭(カシラ)ハ荊(ヲドロ)棘のことく。亦酒を呑ム事限りなし。誠に数盃重れ共面色替る事なきに依て。余り不思議に思ひ。旁ハ何国より来り玉ふぞ。名ハ如何(イカン)。名乗らずは向後酒を売ましきと有りけれバ。其時彼者畏て云様。今ハ何をか包ミ申べき。是ハ潯陽の江に年月を送る。猩々と云ル者なり。御ン身親に孝を尽す故。諸天納受の加護有り。目出度キ折柄なれバ我も爰に来りて見(マミ)ユ。夢中に告シ潯陽の江も此河の辺り成り。南陽嶮の菊水も是成るべし。譬へ河流(カリウ)を汲迚も。尽(ツキ)すまじきハ此泉なれバ。心嬉しく売せ給へと念頃に訓(オシ)へ。うバ玉の夜紛(マギレ)に川瀬の浪に入り失ぬ。誠にか様の例なき事の出来致も。偏に四海治り。天地人の威光明らか成る験なれバ。同ジ海中に住者とハ云乍。我等体の鱗迄も。自(ヲノヅカラ)万峯の御代に引れ。齢を保ツ故。海上に浮出。陸の目出度キ様子を見る様な。有難イ事ハ御座るまい。扨告を得られたる民ハ何方ニぞ。一ト目見度イ事じやが。されバ社是にいらるゝよ。先結構な衣装哉。仕合のよいが尤で社あれ。扨も〳〵優な体じやハ。何と我等も相応に仕合をあやかる様に。少と詞を替(カワ)そふか。いや〳〵我等如きの。なまじい詞をかわすはいらさる事じや。去なから掛る類無き果法人を。我等斗見申たる分ンにてハ如何な。然る者共を呼出し見せ申そふずる。やあ〳〵海底の鱗の老若。並に貝類迄も聞給へ。比潯陽の江に目出度事の出来致シたれば。何れも残らず浮出一見申され候へ。早〳〵出られ候へ〳〵〔右の乱序間ハ、常ノ猩々ノ間ニ候ヘ共、観世流大瓶猩々、当時乱序有之候ニ付、右ノ間ヲ用候テモ可然。〕 三十六 錦戸 「御前に候 「畏て候如何に此内へ案内申候 「和泉の三郎殿の御座候□。錦戸の太郎是迄参られて候 「心得申候。其由申て候へバ。此方へ御入あれとの御事に候 三十七 文使 女 「喃悲しや〳〵。如何に案内申候。大方殿よりお文を持。御使に参じて候 〈又、号モ云。〉「如何に案内申候。大方殿よりの御使にて候。錦戸の太郎御申には。三郎殿同心なきにより。則猛勢を以押寄られ候間。先何方へ成共御退(ノキ)あれとの御事にて候 三十八 間 〔羅生門ノ如二人、出ル。〕 「扨も〳〵にが〳〵敷イ事か出来致イて途方(トホウ)がないが。是ハ何とした物で有ふぞ 「是ハ如何な事。きやつは何として取敢ず急で出たぞ 「夫ならバ子細を語て聞そふ 「先頼朝義経御中不和に御座有るにより。義経比国へ御下向被成。秀衡を頼ミ御申候得ば。即頼れ貴ミ渇仰申さるゝ所に。判官殿の御運の尽る所は秀衡死去致され候。此事鎌倉に聞シ召れ。錦戸の太郎次男泰衡。三男和泉三郎四郎基義。樋爪の五郎五人の兄弟の御中へ。御奉書を下し給ふ。趣ハ。判官殿を討奉り印を鎌倉へ登する物ならバ。勲功ハ望次第に致さるべきとの御文言(モンゴン)なり。則御兄弟御談合被成。能キにも悪きにも御一統有べき処に。中にも和泉の三郎同心なき故。太郎殿腹立あり。和泉の城へ押寄らるゝと有が。是ハ尤な事でハないか 「誠に様子を聞ケバ。さふなふてハ叶ぬ事でハ有るぞ 「扨何と思わしますぞ。如何に我等体の者じやと云ても。だまつて居てハ口惜しい事じや程に。人に抽で出て手柄ヲせりと思ふか。わごりよハ何と思ふぞ 「其方の云通り常々口を利乍。此度だまつて居て。諸人に臆病しやといわれては。両人なからすたる事じや程に。此度随分手柄をせひでハ 「夫ならバ何と思ふぞ。三郎殿ハ義理の堅イお人じや程に。お勝に成たらバくわつと御褒美に預ふ程に。三郎殿の方へ行ふと思ふが何と有ふ 「やあらわごりよハ無分別な事を云。太郎殿は猛勢なり。三郎殿の方は不勢なれハ。某ハいやじやよ 「いや〳〵。如何にそちがそふ云ても。只某は三郎殿の方へ成り度迄 「わごりよハ有無に三郎殿贔屓と見へた程に。急で三郎殿へ行しませ。某は是から直に太郎殿へ行ぞ 「やい待てやい。そこな者。やい〳〵又談合もせうわいやい。はて扨云捨てにして行くと云事が有物か。某に委敷う語らせて於て。まだ談合もすまぬに。我等ハ三郎殿贔屓じや。我ハ太郎殿へ行と云て急(キウ)に退たハ。総じて世間の譬に。万事油断を致せバたまさるゝと云が定じや。去なから某一人にてハ。何とも分別にあたわぬが。是ハ何とした物で有ふぞ。いややう〳〵合点するに。是にうか〳〵として居所でハない。只急て退(ノコ)ふ。併何とぞ様子を見合イて。一手柄致そふと存る〔ト云乍急クテイニテ、キヲウテ入ルガ由。〕 三十九 夜討曽我 〔ツレ、弓矢ヲ持。尤矢ヲツガヘ、弓ヲ張持ツ。ヲモ、鑓ヲ持。ツレ先ヘ立ヲモ跡ヨリ出ル。早鼓也。幕上ルト、トントント二ツ、一所ニ拍子。〕 ツレ 「やるまいぞ〳〵 ヲモ 「退(ノガ)すまいぞ〳〵〔ト云乍舞台一ヘン廻ル。尤、何ベンモ云。〕 ツレ 「其夜討をのがすな〳〵 ヲモ 「松明(タイマツ)を出イて打留メい討留イ〳〵 ツレ 「暗イに早り出て伴具足にあたるな〳〵 ヲモ 「扨今夜のどしめきをわごりよハ知らぬか ツレ 「そちか道具を提て出たに依。如何様只事てハ有まいと思ふて是まで付イてハ来たが。何共様子ハ知らぬよ ヲモ 「夫ならバ子細を語て聞そふ ツレ 「急で語らしませ ヲモ 「先曽我の十郎祐成と五郎時宗か親の。河津ノ三郎祐重を。伊豆の国赤沢山に於。工藤祐経が念なふ討し程に。其妻子ハ隣国に有着し故。河津が二人の子を曽我の十郎五郎とハ名付ク。此両人の者親の敵を討んと思ひ。今度(ド)富士の御(ミ)狩に随分心掛けれど。能きつがいがなふて空しく帰り。今夜ねらふたを工藤ハ夢にも知らず。備前の国吉備津(キミツ)宮の大藤内や。遊女集め酒宴をなしていたるを。去ル者の異見により寝所(ネドコロ)を替へて。前後も知らず伏たる時分。祐成と時宗二人忍び入り。祐経に詞を懸ケ起上る所を。十郎五郎は喜ひ大声を上ケて切音か。大藤内が寝耳に入り這ふて逃る処を。しやつをも両人して四ツに切り。曽我兄弟ハ日比の敵を打ツて有り。我と思わん人あらバ。出合給へと呼わると云が。此東八ヶ国の諸大名の付キ合と云。殊に御前近ひ所で手柄ハせぬか ツレ 「おしやる通り是ハ手柄な事でおりやる ヲモ 「又其声の〈ワキ正面ヲミテ〉高イハ何事ぞ。何と十郎五郎が出御舘を差て切ツて入ル。是ハ又何として能らふぞ知らぬ事じや。夫ならばいざ両人してあれへ切ツて掛り。兄弟の者を仕留て名を上まいか ツレ 「是ハ一段とよふおりやらふ ヲモ 「いやどこ元にだまるをも知らいで。闇イ所よりふつと出て切られてハ如何じや。是に付とも跡先を能〳〵思案するに。只今にても若イ衆の出合イて。人のすゝむに控へたハ見苦しからふず。又世になし者の身を捨る所へ。先キ懸はあぶなし。兎角傍輩のこぬ内に。くらまぎれにしのけ〈ト云乍入ル。〉〳〵 「我屋を指てたつたかゝれ〳〵〈ト云乍入ル。〉 四十 阿漕 〔初同ニテ出。太鼓座ニ居ス。中入過キテ、シテ柱ノ先ヘ立ツ。ワキ、男ニテスルトキハ、「イヤ是ナル御方ハ」ト云。〕 「是ハ伊勢の国阿漕が浦に住者にて候。今日ハ物淋しき折柄なれバ。罷出て心を慰バやと存る。いや是成るお僧は。何国より御越成されたるぞ〔セリフ常ノ如。〕 【語】「先此所ハ伊勢の国阿漕が浦と申て。隠なき名所にて候。其子細は。忝も天(アマ)照(テル)太(ヲン)神(ガミ)。当浦へ初て御光臨被成し以後。此辺は御膳調進の網を引ク浦なれバ。何れか神慮に洩るゝ事のなき故。山野郷河の鱗此磯へ集るを。世を渡る近郷の海人共漁捕を望ミけれど。皆神罰を怖敷く存せられ。未是を免し申されぬ処に。渡世を送る業の多キ中に。爰に心体の拙キ漁人の有しが。忍びて夜な〳〵網を引を。初ハ曽て人の知らざりけれど。度〳〵重るに随て有ル物(者)思ふやう。彼レ程よく魚を取る者はなきと。心中に余程羨敷存じ。年月心を付て見れば当浦なりし間。一人知れば悪事千里と。世上にばつと風聞致を。後には所の老若聞付申様。此浦にて余人の殺生仕らぬ事。近ケ国迄も其隠なきを。当国に有ながら。太神宮を恐れぬと云(イヽ)。且は此里の者をあるか無シに致ス事。余りに悪キ奴なれば何ともして捕へ。後代の例に伏漬に仕ふずるとて。深隠して夜毎に待をバ夢にも知らず。有る暮に月入り夜更人しづまりし時分。沖にハ船も見へず陸には余人のなきと思ひ。当浦へ網を下(ヲロ)し引ク所を。覘(ネラフ)人々左右より一チ度に出(イテ)て。走り掛ツて阿漕を無手(ムツ)と捕へ。早り若者共は矢場に成敗せうずると云者も有り。又指先の強キ者の申事には。此重科人を只殺さんも惜けれバ。竹箟(シツペイ)を以て弾キ殺そふと云者もあり。或ハ串ざきに致そふする抔と。種々に申時分。古老の仁は辞々当国ハ神国成るに。先例の無キ事ハ後難も如何なれバ。先阿漕を高手小手に搦置き。大キな石を二ツ結付て。網を引たる此沖へ沈メし時。舟より出す迄ハわめき悲しむ声の高く聞へしが。海中へ入りてから後ハ音も致さず。底より四ツ五ツ泡か上ツた斗じやと申ス。是も一度二度引迄ハ誰も知らざりけれと。度重れバ人の存る故哥に。伊勢の海阿漕が浦に引網も。度重れバ顕ぞすると。ヶ様に読れたると申ス。先我等の存たるハ如斯にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。古への阿漕ハ善根ハなさずして。娑婆にて悪逆をのミ致し。我と身を徒に沈メし者なれバ。誰有ツて跡を弔ふ者もなきにより。彼亡魂顕出。詞を替したるそと存る間。暫是に御逗留有り。彼者の跡を御弔あれかしと存る 四十一 野守 〔出所、阿漕同断。〕 「是ハ和州南都に住者にて候。今日ハ物淋しき折柄なれば。春日野の隣へ立越へ心を慰ハやと存る。 「いや是成客僧ハ。何国より御越被成たるぞ〔セリフ常ノ通リ。〕 【語】「先野守の鏡とハ。是成ル池を申ス其子細ハ。御覧せらるゝごとく形(ナ)リも鏡の様に丸(マロ)クして。さながら曇もなく影の移るに依。野守のかゝみとは申実に候。又去ル人の咄し申されしハ。古へ此野を守(モ)ル者の有りしが。毎も野を守に出申時ハ。是成池水にて我影を移し。姿をよく見たる故に。野守の水とも申伝る。又一説にハ昔有ル賢王の有しが。当国に於て御(ミ)狩を被成し時。御秘蔵の白ふの鷹を失われ。爰彼を思ひ〳〵に尋あろき。折境(ヲリフシ)是に野守の翁の居たりし間。御鷹の行衛を見て有ルかと尋給へバ。御鷹ハあれ成ル水の底に有ル由申を。知らぬ者とておかしき事を云つる哉と。目を引指(ユビ)をさして御笑あれバ。其時彼翁大キに腹を立て。左様に偽と思召に於てハ。御出有りて御覧ぜよと申に付。狩人我先にと立寄見給へば。実と彼か云ことく水底に。翦(ソレ)たるはくたかの有るを不審に思召。暫ク心をしつめて御覧有れバ。水底にハなくして。側成ル木にこいを取りて居たるを。今の者ハあどなき事をのミ申たる実候。扨大宮゛人ハ御鷹を居(スヘ)上られ。喜勇て御帰り被成たると承る。是に依哥にも。箸鷹の野守の鏡得てし哉。思ひおもわす余所ながら見んと。読給ひたるよし聞及て候。又小賢キ人の申され事に。誠の野守の鏡と云事ハ。此塚の内に鬼神の住けるが。其鬼の秘蔵致て持たる社。正真の野守の鏡にて有ると申習す。夫を如何にと云に。彼鬼神昼ハ人と現じて此野を守(モ)り。夜ルハ鬼と成ツて是成る塚に隠れ住に。其鬼の三千世界須彌迄写す浄破璃が。誠の野守の鏡成ル由申ス。されハ野を守(モル)鬼の鏡成るに依。是か本説にて有らふずるとの御事に候。又春日野に於て烽(トブ)の野守と申ニ付。あまた謂の有りとハいへど。先我等の存たるハ如此にて候 「是ハ奇特成ル事仰らるる事哉。左様に何国とも知らず老(ロウ)人の来ルべき物。爰元にハ覚へず候が。點(コザカシ)キ申事なれど我等の存るハ。此塚の鬼神かりに野守の翁と現じ。詞を替したると存る間。暫是に御逗留あり。重て奇特を御覧あれかしと存る〔此跡セリフ、常ノ通リ。〕 四十二 殺生石 〔ワキ、次第ニテ出ル。其跡ニ付出ル。尤、払子ヲカタゲ出ル。太鼓座ニ居。ワキ次第道行過キテ、一ノ松ニ立。〕 「誠に御急キ被成たるにより。程なく下野国那須野の原に着せられた。〈作リ物ヲミテ。〉いやあれや〳〵〳〵。又〳〵〳〵 「あれ成ル大石の上へ鷹か食合ふて落チまする。取ツて参り晩のお料理に仕ふ 「実と楚忽成る事を申て御座る〔ト云、太鼓座ニ居ス。中入過テ、シテ柱ノ先ヘ立ツ。〕 「扨も〳〵怖敷イ事哉。先あれへ罷出ふと存る〔ト云、ワキノ前ヘ行、下に居テ。〕 「御見舞申上候。偖も唯今の女の物云フたこわ付。又姿迄も心を付ケて能く見る程ニ。何とやらん物冷敷キ体にてハ御座なく候か 「是ハ思も寄らぬ事お尋有物哉。か様の事ハ此方に社御存有べき所に。却て我等にお尋はお慰の為と存候間。聞及たる通り申上ふずる〔ト云、正面ヲ向、語出ス。〕 【語】「去程に殺生石の由来を尋るに。先天竺よりも発初し事成が。唐土に於ても数多御門(ミカド)を取奉り。野干ハ神通を得たる物なれハ。其後此豊秋津洲にも来り。鳥羽の院の御宇父母(ブモ)も出所も知らぬ宮女の。何の程よりか来りて上童に宮付。容顔美麗ハ宮中に並びなりしかバ。一入君の叡慮に叶ひ。片時(カタトキ)も君辺を立去ル事のなかりしが。智恵を斗リ諸色万物の発を尋給ふに。一事滞る事もなく明に申上ケ。詩哥管絃経論聖教和漢迄も。萬の事を太細によく極メ。心中に闇キ事のなき故。玉藻の前と名付給ひ。天子の御寵愛浅からさりし時分。其頃ハ晩秋下旬の事なれバ。月もいまだ出ざるに清涼殿に於。管絃(クワゲン)の御遊の有し時。俄に空掻曇風吹来ツて。玉殿の燈一同に消る。其時玉藻の前が身より光を放ち。日月の出たることく禁中を照し。夫より主上ハ御悩と成らせ給ふ間。博士(ハカセ)を召て占なわせらるれバ。占方を考て申上る様。是は皆玉藻の前が業なり。御祈祷なくてハ叶うまじと。調伏の祭事行わるれば。玉藻の前ハ正敷ウ稲荷(トウカ)と顕れ。下野の国那須野の原へ逃て行を。三浦の助上総の助に勅使立ツて。彼レを平ゲよとの宣旨を蒙り。両介ハ家の面目是に過じと悦び。家の子郎等引連当国に下り。爰彼を狩れ共化生の物にて射られさりしを。種々の計略を以彼者を退治し。君も寿命長遠に目出度御代とハなれど。併其野狐の執心今に残り。ヶ様に大石と成ツて殺生を致かと存る。何も利益ハ同じ御事なれハ。比年月の悪心を翻し。善心と成ツて成仏致ス様に。あの石を少ト喝してお通りあれかしと存る。さ有らバ払子を参らさふずる〔ト云テ太鼓座ヘ行、払子持出、ワキノ前ニ置キ、跡ヘノキ下居テ。〕 「急て喝し被成て尤に候。我等も是にて力を添へ申そふずる〔ト云テ引居テ、能済ワキノ跡ヨリ入。〕 四十三 天鼓 〔出所、野守同断。中入前ニワキ呼出ス〕 「御前候 「畏て候〔ト云シテノ後ロヘ行下ニ居テ腰ニ手ヲ掛ケ〕 「荒痛敷イ事哉。乍去是ハ玉殿なれバ先立申されよ。〔ト云引立連行乍〕 皆人の親ハ不器用な子をもかわゆく存じ。東西を弁ぬ幼子さへ別れを悲むに。増てや成人の子を失嘆かるゝ事余儀なけれ共。最早帰らぬ事なれば此上ハふつと思ひ切ツて。其方の後世を大事と能く願ひ。逆様なれ共天鼓か跡をも弔給へ。又跡式に付て訴訟あらバ。何事成共我等におしやれ。随分取合を申そふする間。先支度へ帰られ候へや〔ト云乍送ル。藤戸同断。〕 「扨も只今の老人か子の天鼓とやらん申者。玉殿の鼓を仕れバ能音(ネ)の出たるが。余人の打テバ少も鳴らぬに依。其父を召て打させらるゝと斗聞(キヽ)。前後の訳(ワケ)を能く存ぜぬ故に。某などの推量致ハ。天鼓と云ハ楽人の鼓の上手成が。此年月煩(ワヅラヒ)御(ミ)役をも勤ずして。近頃相果申により。其父に仕れとの仰出シにて御座有ふずる。左様に有るに於てハ。子の打さへ聞事ならバ。親の打(ウタ)バ弥面白く召へき間。拙者なども能く聞イて。人に語んと心嬉敷ク存たれハ。さハなくして当国の住人に。王伯王母とて。只何となき先婦の民の有りしが。男子にても女子にても子を一人ン欲くおもひ。明暮此事を而已仏神に祈誓し。若く盛ん成る時よりも正直を第一として。慈悲心深く二親に孝有る故やらん。此以前にも少の奇瑞度々有りとハいへど。其中にも有る夜の夢の中に。天津御空より鼓一ツ降下り。正敷ウ王母か胎内に宿ると見へて。誰起すとハなけれども夢ハかつはと覚ぬ。扨も是ハ不思議成る事を見て有る物哉。総じて夢と云物ハ合フ事ハ稀にて。十に九ツも合ぬ物とハ云ながら。され共是ハ妙な事と思ふ折節。程なく王母胎(カイ)懐(タイ)し十月の末には。玉を延た如くなる男子を産(ヨロコ)び。夢の告に任せ名を天鼓と号ケ。寵(イヅ)き愛(カシヅ)き育し処に。後にハ天より誠の鼓降下るを。打チて見れバ何とも心詞に及ぬ程の。しゆんな音(ネ)の出(イヅ)ると有るが。大内まても其隠なくして。例鮮き事なれバ勅定として召されけるに。真に彼れハ天命の尽たる故か。鼓を持深ン山へ逃て行を。数方の官人を以て捜(サガ)し出し。天鼓をバ呂水の江へ伏漬になされ。鼓ハ雲龍閣防房殿に居へ置給ひ。音楽の役人の事ハ申に及ばす。公卿天上人迄立替り遊せども。終に前の様成音の出ざりし故。若シ革に疵が付て鳴ヌか。又筒に垤(ヒヾキ)なと入て音か止(トマツ)たか。但シ又中に何ぞ入ツても有るかなどゝ。思ひ〳〵に御不審を被成けるを。忝も帝は聞シ召シて。元より鼓ハ心なき物とハいへど。空より降程の神変(ジンベン)の有る上ハ。若(モシ)主(ヌシ)の別れを悲しミ。鳴らぬ事も有るべきとの御事により。父王伯を召て打させらるれバ。又元の如ク感に絶たる音(ネ)の出し故。人は高イも卑(ヒキイ)も親子の中程の事ハないぞ。あのこゝろなき者さへ親ン子の間は隔のなきとて。君辺の老若迄も御袖を濡給ふにより。彼老人をバ我等の支度へ帰し申た。いや何角独言を申内に遅りた。先あれへ罷出ふと存る〔ト云、ワキノ前ヘ行、居ス。〕 「扨も只今の老人が体ハ哀な事て御座る。御存の如く此程いかなる高名の人々も。老た若イに寄らず遊て鳴ぬ鼓を。父王伯が打チて鳴様な。気特な事ハ御座なひ。是ニ付ケても人の親子の中ハ申に及ばす。親類迄も大切な物成るに。今の王伯ハ子に別れし老の身なれば。何卒お取成を以て身ン命をつぎ。二親ンの歎の止(ヤム)様に。仰付られて下されいかしと存候 「左様に御座らバ王伯ハ子の無き者なれバ。哀某を養子ニ仕り。其数の宝を先今半分も渡ス様に。恐ながら御意被成て下されいかしと存候 「畏て候〔ト云、立テ、ワキ正面ヘ行。〕 「やあ〳〵皆〳〵承り候へ。天鼓か事を余りに不便に思召により。我君ハ呂水の江に御(ミ)幸被成。天の鼓を居置管絃講を以て。天鼓か跡を御弔有べきとの御事なれバ。管絃の役者は其分心得候へ〳〵〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。後シテ出、地ヘ取リテ入。〕 四十四 絃上 〔来序ニテ出ル。〕 「か様に罷出たる者ハ。津の国須摩の浦の者にて候が。某爰許へ出ル事余の儀にあらず。唯今去人の御物語有たるを聞バ。都に住せ給ふ師長の卿と申御方ハ。琵琶琴の上手にて御座す故。天下に隠なき誉を取らせ給ふ。夫ニ付入唐の御志有るにより。国々在々所々をも御見物被成。殊にハ名所の月を御覧せられて。御心を慰まれたく思召。夜を込(コメ)て京都を出させ給ひ。則比浦に御着有り。海人のしほ屋に御宿を被成。徒(ツレ)然さのまゝ管ン絃を遊す処に。其折節村雨の致し、音楽の障りと成に依て。頓て御遊を止(ヤメ)られたるを見て。主の老人夫婦は笘を持チて出。其侭板屋の上を葺隠す。其時又御遊を初られけれバ。祖父ハ耳をすまして聴聞致し。されバこそ調子が合ふて候と申を。師長公は聞し召れて。扨々心誮しき翁かな。初より只人ならず思召されたる間。此上ハ御所望被成るゝぞとて。彼両人に琵琶琴を給われバ。是ハ存もよらぬ御諚にて候と云乍。違儀なく二面を受取て。琵琶を調(シラ)べ徽(コトデ)を立並べ。去とてハ言ひたり〳〵と。御ン前の人々ハ耳目を驚かし給ふ。其時師長の卿思し召様ハ。琵琶の奥儀を御極メ有るに依。渡唐有らんと思召立チ給ふ事の墓なさよ。所詮只思ひとまらんと思召。塩屋を忍びて夜紛に御出有るを。祖父(ヲヽヂ)と祖母(ウバ)ハ夫をもしらで弾居たるが。君の御立チと聞頓てひき止て。夫婦ながら其侭走り出。是はいかなる御事にて御座候ぞ。何とて御帰り候ぞや。殊に未夜も深く候に。是非〳〵御帰り有度思召さば。責て夜を明して御立あれと。深々と留申サるれバ。先々京都に御登り有ツて。以後に又御ン罷成されふずる間。御名字を御名乗候へとあれバ。今ハ何をか包申べき。我は絃上の主(アルジ)村上天皇。祖母(ウバ)は梨壺の女御成るが。御ン身の入唐の心を止(トヾ)メんとて。夢中に是迄見へ給ひたりと。慥に宣ふと思召セバ。掻消様に失給ひたるとやらん申ス。去なから師長公ハ御滞留被成たると承れバ。重て又管絃を遊す時ハ。定て比辺の衆ハ残らず。聴聞に参られぬ事は有間鋪キと存れ共。自然又各御出無くハ。拙者ハ一人なり共伺公致し。か様の類(タグヒ)なき事をば承り度候間。稀人の糸竹の御遊と申ス沙汰のあらば。昼夜(チウヤ)にかぎらず御知セ有ツてたまわれ。当浦の人々をたのミ申ぞ、構へて其分心得候へ〳〵 【翻刻】 [四冊目] 一   春日龍神 二   同脇 三   同乱序 四   鉢木 五   同供 六   芦刈 七   雲林院 八   遊行柳 九   三輪 十   龍田 十一  女郎花 十二  舩橋 十三  融 十四  海人 十五  梅ケ枝 十六  錦木 十七  葛城 十八  龍虎 十九  同 二十  松虫 二十一 忠信 二十二 大蛇 二十三 豊干 二十四 小塩 二十五 浮舟 二十六 玉葛 二十七 山姥 二十八 雲雀山 二十九 同 三十  大仏供養 三十一 盛久 三十二 草薙 三十三 同語 三十四 愛宕空也 三十五 三笑 三十六 合浦 三十七 同鱗 三十八 小原御幸 三十九 住吉詣 四十  鷺 四十一 双紙洗 四十二 碪 四十三 恋重荷 四十四 綾鼓 四十五 千引 四十六 常陸帯 四十七 弱法師 四十八 護法 四十九 満仲 五十  鶏龍田 五十一 鳥迎((ママ))舟 五十二 室君 五十三 高野物狂 五十四 加茂物狂 五十五 籠祇王 五十六 関原與市 五十七 二人静 一 春日龍神 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。中入過テ、シテ柱ノ先ヘ立、シャベル。〕 是ハ和州南都に住者にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神数多御座すとハ申せど。中にも此春日大明神ハ。愚(ク)痴(チ)無(ム)智(チ)の輩を救給ハん御方便に。諸(モロ)の菩薩の和光の姿を権に見(マミ)へ。当社と現し給ふと聞くにより。現世安穏後生前所の其為に。当国の者ハ我等を初て残らず。国々在々迄も老若男女共に。袖を連(ツラネ)踵(クビス)を次(ツイ)で歩を運び。神前の賑か在す御事。又と并びたる神ンも御座なく候。夫に付此秋津洲に貴僧高僧多キ内に。栂の尾の明恵上人をバ太郎と名付ケ。笠置(キ)の解脱上人をば次郎と頼ミ。此御両人ンの御ン方をバ。当社の両眼左(サ)右(ウ)の手のことくに思召。天下の御祈祷をも仰せ御申成さるゝ。其中に取リても明恵ハ。過去より殊勝に御座す故。明神の直に御詞を替さるゝなどゝ申ス。誠ハ左様にも御座有らふとぞんする。夫を如何にと云に。日外明恵御登山の刻。俗在出家共に人間は申に及はず。鳥類畜類迄も奈良坂へ迎に出。上人を見付畜類ハ膝を折り。鳥類ハ羽を垂レ、草木の類迄も。正敷ウ圍(イ)鐃(ニョウ)渇(カツ)仰の躰あれバ。末の代にか程殊勝成ル御方ハ。大唐の事ハいさ知らず。和国にハ有間敷キとの御事に候。〇夫ニ付今日明恵御登山の由風聞致其子細ハ。入唐渡天の御志有により。御暇乞の為当社へ御参詣被成るゝと申スが。誠に我等躰の存るハ。萬里の滄波(ソウハ)を凌キ入唐渡天ハ如何(イカゞ)と存る。殊に上人の御身にてハ。経論聖教の内にても大方御存じ有べし。其上人の申習スハ。天台山に望有る御方ハ。比叡山に御参あれ。五臺山を拝ミ度キ人々は。吉野筑波を拝し給ふと聞く。又霊山(リヨウゼン)を志す輩ハ。即当社を御信仰有ると申セバ。日本に御座有りても同じ御事かと存る所に。明神ハ秀行(ヒデユキ)を以て御留被成。仏跡を拝し度思召さバ。今夜の内に。三笠の山に五天竺を遷(ウツ)し。拝セ御申有べきとの御神託なれバ。南都に於て志の輩ハ。早々出て拝ミ御申あれとの御事也。構へて其分心得候へ〳〵 〔ト云、引居ス。後シテ出、地取ニテ入ル。〕 二 同脇 〔セリフノ時、〇此印迄、前之通。〕 夫ニ付今日明恵御登山の由風聞致候間。先あれへ参り見申そふずる〈ト云乍ワキヲミテ。〉いや是に御座候よ。〔ト云、ワキノ前へ行、下ニ居ス。〕 此程は久敷う上人の御参被成ぬとて。当所の人々ハ老若共に待兼申されたるに。唯今の御登山目出度う存候。併毎御参詣被成るゝ時は我等躰迄も御迎に参候が。此度ハ御沙汰なし。不斗御参詣は不審に存候。 是ハ思ひも寄らぬ事仰らるゝ物哉萬里の滄海を凌き入唐渡天ハ如何と存る殊に上人の御身にてハ経論聖教の内にても大方御存じ有べし。其上人の申習スハ。天台山に望有る御方ハ。比叡山へ御ン参あれ。五臺山を拝ミ度人々ハ。吉野筑波を拝し給ふと聞く。又霊山を(センノ)志す輩ハ。即当社を御信仰有ると申せバ。日本に御座有りても同シ御事かと存る。恐ケ間敷申事なれど此度の入唐渡天ハ。思召御留りあれかしと存候 言語道断奇特成事仰らるゝ物哉左様の新(アラタ)成る御事ハ。昔より聞も及ず候。此辺の人々に申聞セ。拝ミ申されよと相触申そふずる 心得申候 〔ト云、立テ、ワキ正面へ行。〕 やあ〳〵皆々承り候へ。只今明恵上人の御参詣ハ入唐渡天被成るゝ御暇乞の為なるを。明神ハ秀行ヲ以て御留被成仏跡を拝し度思召さバ。今夜の内に。三笠山に五大山を移し。拝セ御申有べきとの御神託なれバ。南都に於て志(ココロサシ)の輩は。早々出て拝ミ御申あれとの御事也。構へて其分心得候へ〳〵 三 同 乱序 「加様に候者ハ。和州南都春日大明神に仕へ申ス末社の神にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神数多御座すとハ申せど。中ニも此春日大明神ハ。武(タケ)甕(ミカ)槌(ヅチ)太(フト)神(ヌシ) 天津児屋根(アマ ツ コ ヤ ネ)にて御座セバ。愚癡無智の輩を救給ハん御方便ニ。諸の菩薩の和光の姿を権に見(マミ)へ。当社と現じ給ふと聞により。現世安穏後生善所の其為に。当国の者ハ我等を初て残らず。国々在々迄も老若男女共に。袖を連踵を次で歩をはこび。神前の賑しう在す御事。又と并たる神ンも御座なく候。夫ニ付此秋津洲に貴僧高僧多キ内に。栂の尾の明恵上人をバ太郎と名付。笠置の解脱上人をバ次郎とたのミ。此両人の旁をバ当社の両眼左右の手のことくに思召。天下の御祈禱を仰セ御申被成るゝ。其中に取りても明恵ハ。過去より殊勝に在ス故。明神の直に御詞を替さるゝ抔と申ス。誠ハ左様にも御座有ふと存る。夫を如何にと云に。日外(イツソヤ)明恵登山の刻。俗在出家共に人間は申に及ず。鳥類畜類迄も奈良坂へ迎に出。上人を見付畜類ハ膝を折。鳥類ハ羽を垂レ草木の類迄も正敷う圍鐃渇仰の躰あれバ。末代にか程殊勝成る人ハ。大唐の事ハいさ知らず。和国にハ有ましきとの申事ニ候。夫に付今日明恵登山の由風聞致ス其子細ハ。入唐渡天の志有により。暇乞の為当社へ参詣有ると申が。誠に我等躰の存るハ。萬里の滄波を凌キ。入唐渡天ハいかゞと存る。殊に上人の身の上にてハ。経論聖教の内にても大方存せらるべし。其上人の申習ハ。天台山に望有る方々は比叡山に参るべし。五臺山を拝ミ度キ人々ハ。吉野筑波を拝し給ふと聞。又霊山を心差輩ハ。則当社を信仰有ると申せバ。日本に在ても同シ事かと存る所に。明神ハ秀行を以て御留被成。仏跡を拝し度く思ひ給ハゞ。今夜の内に三笠の山に五天竺を移し。拝せ御申有べきとの御神託なれバ。南都に於て志の輩ハ。早々出て拝ミ申せとの御事なり。構へて其分心得候へ〳〵 四 鉢木 〔太夫、ワキ、早鼓ニテ入ル。竹杖ツキ、早鼓ニテ出ル。シテ柱ノ先ニテ名乗ル。〕 「爰許へ用有そふに不斗罷出たるを。一円に御存ない御方ハ。何者ぞと御不審に思召れふするに。是ハ忝も鎌倉最明寺殿の御(ミ)内。有る御方に仕へ申者にて候。去程に珍らしからぬ御事なれど。保元平治の頃より源平両家の内に。天が下を治メ給ふ人々多しといへど。中にも此君最明寺殿ハ。御先祖にも弥増し文武二道に名を得。勝負に長ぜず色にも愛す。当忠を以て猶忠と育。愁をも厭わず冨(トン)にして奢給(ヲコリタマ)ハず。萬慈悲は上より下り。怨をバ恩にて報じ。仏閣をそだて神社を修理し。御法度忠う仰付らるゝ故。国々在々迄も吹風枝を鳴らさず。民鎖(トザシ)を差ぬ御代にて候。夫に付此程忍々に取沙汰致ハ。在鎌倉成さるゝ諸大名の御出仕にも。又ハ朝夕(ユウ)御前に御伺公の侍中迄も。此程主君のお目見仕らぬと有りて。各御参会のお座鋪にても。明暮是のミ御不審成さるゝと承り。或(アル)若キ人の分別だてして申さるゝ様ハ。御内證の御用被仰付て表へ出させられぬか。若(モシ)哥道か儒道を聞かせられて。お隙のなきゆへ御出なきかと。老若共におもひ〳〵に取沙汰申せバ左ハなくして。か程に御政道忠イ上ニも。若俸禄賄賂に愛(メデ)て非分を捌か。又理を持ながら時の権に恐れて得申も上ぬか。萬侫(モオ)人悪人を御聞被成て。諸人の愁(ウレイ)をも除き給わん其為に。此中忍て御修行に御出有るを。能く御存被成た人々や御出頭の御方ハ。一年(ヒトトセ)も二年も御帰有間敷ト思召。如何にも御心安く思ひ給ふ所に。此一両日以前にふと御帰国被成。東八ヶ国の大名小名に至る迄。武具を用意し早々(ソウ)御参りあれとの御諚なれバ。早諸国へ飛脚を遣されて有れども。其上にも上意を大事と御念を入られ。重て我等に参れと被仰付て有る故。取物も取敢ず罷出た。誠に頼申御方の御内に人多と云へど。中にも某を達者成と思召。仰付られ外聞旁忝イに。此度由((ママ))断仕てハいかゞな。早ク参りて御感〈右ヨリ左へ廻ル。〉に預ふ。先是より武蔵に掛り下総へ出申さふずる。是に付(ツケ)ても常に武具を嗜ぬ若イ衆ハ。俄に迷惑致されふと推量仕ツた。いやあれへ四五千計押出イたは誰(タレ)の勢ぞ。何と上洲野州の軍兵じや。夫ならバ参るに及ぬ事じや。是から戻ふ。〈跡へ行フトシテ、又正面ヲムク。〉去ながら唯今にても我等を尋る人あらバ。早是より罷帰りたるよし御申有ツて給れ。構て其分心得候へ〳〵 五 同供 〔ワキ二階堂ノ跡ニ付出、笛座ノ上ニ居。二階堂呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候 〔ト云テ正面へ出。〕 「扨も〳〵綺(キ)羅(ラ)美(ビヤカ)な事哉。卯の花威。小桜威。又あれに真黒(マツクロ)によろふて扣へた武者ハ。如何様高名をせられそふな仁体じや。爰許ハ睴麗なが。仰付られた武者ハどこ元に居らるゝぞ。疑ひもない是じや。如何に申候 〔シテ、シカ〳〵〕 「二階堂の承りにて御前ンへ召され候 「中〳〵の事 「いやしかと夫の御事に候。ちぎれたる腹巻を着。錆たる長刀を横タへ、痩たる馬を自身扣へたる武者を連れて参れと有るが。此諸軍勢の中に。旁の様成る不奇麗なハなひ。急て御参り候へ 「参ン候 「心得申候 〔ト云、笛座ノ上ニ居ス。〕〔右ハ観世流会釈也。外流儀ニテハ、少シ違フ。聞合ベシ。〕 六 芦刈 〔ワキ道行ノ内ニ出、太鼓座ニ居ス。道行過キテ、詞有リテ、一ノ松ニ向イ呼出ストキ、一ノ松ニ立チ。〕 「誰にて渡候ぞ 「参ン候日下(クサカ)の左衛門殿ハ。古へハ此所に御入候が。去子細有ツて今は当所にハ御座なく候 「尤に候 〔ト云、立居ル。シテヅレト、シカ〳〵有リ。又来リ、一ノ松ニ向イ。〕 「是に候中々此隣の事なれバ。別に珍らしい事も御座ない。去ながら毎日此市に出て。芦を売面白ふ狂ふ男の候間。是を呼出しお目に掛申そふずる 「左有らバ号御通り候へ 〔ト云、シテ柱ノキワヘ出、幕へ向。〕 如何に毎の芦売男。今フ日も出て芦を売。面白ふ狂ひ候へ〳〵 〔ト云、太鼓座ニ居ス。〕〔太夫物着ノトキ、シテ柱ノ先キへ立テ。〕 「最前の都人ハ。未御逗留と見へたる間。先あれへ参フと存ずる 〔ト云、ワキノ前へ行テ居リ。〕 「是ハ先ほどお目に懸りた者て御座るが。当所に御逗留の由承り。御徒然に御座有べきと存じお見舞申て候 「誠に日下の左衛門殿をお尋被成けれど。殊の外世に衰へ給ひて。今ハ当所に御座なき由を折々人の取沙汰致により。先刻ハ其通りを申て御座る。扨又某は跡先の事を一円存ぜぬ故に。今の芦売たる人を。常の商売人と迄思ふて御座れバ。あれか左衛門殿にて有るよし承り。中〳〵驚入申候 「左様の御方共存せずして。唯今ハ疎忽成ル事を申迷惑致し候。誠に目出度御事成ぞ。只今の様子を見るに付ケても。哥道を知れば諸道を知ると申ハ此事にて候。総じて夫婦の中と有も。又は神代の御事抔も。皆和歌の道よりも発りたる事と承る。其上歌にハ鬼神迄も納受有と申が。左衛門殿の御身の上を見れバ一定て御座る。夫ニ付我等の様成ル数ならぬ者も常に聞覚へし哥ハ。物の名も所によりて替りけり。難波の鯵は伊勢の蛤と。ヶ様の古哥を覚へて候 「何と難波芦ハ伊勢の濱荻との。実と是が本歌で御座らふずる。扨又女性上臈の御身として。是迄遥々尋下り給ふ程の。頼母敷キ御心中ハ。女人には珍らしき御事に候。左様に御座らバ先あれへ参り。左衛門殿に其通を申そふずる 〔ト云、立テ太鼓ノ前アタリヘ行、居シテ。〕 如何に日下の左衛門殿。都へ御伴ひ有ふずる程に。烏帽子直垂を召され。急キ御出あれとの御事に候 〔ト云、太鼓座ニ居ス。地取リ入ル也。〕 七 雲林院 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居。中入過テ、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 是ハ洛中に住者にて候。漸雲林院の花も今を盛りなれバ立越心を慰バやと存るいや是に見馴申さぬ御方の御座候が。何国よりの花見にて候ぞ 〔セリフ三番目ノ間、同断。〕 先在原の業平と申ハ阿保(アボウ)親王第五の御(ミ)子。御母ハ伊藤の内親王にて御座す。幼少より学の窓に入ツて。書物に心を掛給ふ。殊に哥道の達者も余人に越させ給へバ君の叡慮浅からさりし故。早十六歳にて春日祭の勅を受天上にて冠(カンムリ)上衣(ジヤウエ)を許(ユル)させ給ひたると申が。天子の御ン前にて元服など遊すと有ル事は是末古今の初成るに仍即是を初冠とハ申習す。又古への哥人の内に伊勢と申たる女人。昔男の事を雙紙ニ書置れたるにより。今に於て伊勢物語とハ申伝る扨又当寺の子細と申ハ。何の頃よりか此所に三院を建置れしが。淳和天皇天長九年に。辱も此所へ御幸被成。其刻初て雲林院と号(ナツケ)られたると申ス総じて洛中洛外に名木数多有とハ申せど。取分キ此木に限ツて毎年春にも成れバ知も知らぬもおしなへて。老若男女共に此所に来ルに花の盛りハ申に及ばす。末開かさるにかうばしさも吹来る風に誘引(サソワレ)。誠に見る人毎に帰ルさを忘るゝ程の名木なれば世に普く雲林院の桜とハ申習す。古へ良撰法師も当寺の桜に詠入給ひて哥に此代をバ雲の林に首途して。煙と成らん夕部(ユウベ)をぞ待と遊されたると申ス。先我等の存たるハ斯の如にて候 左様の御方とも存ずして誠しからぬ事を申御恥う存候扨ハ旁の面白く思ひめがれせず詠め給ひ。和哥の道に執心深き事を感し御座し。御相伝有らん為に見へ給ひたると存る間。今宵ハ此花の影に伏給ひ伊勢物語の奥儀を残りなく御伝受被成。夢の告をも待給ひ其後何国へもお通りあれかしと存る 〔此跡、常ノ如。〕 八 遊行柳 〔出所、前ノ如。〕 「是ハ陸奥白川辺に住者にて候。今日ハ徒然成折柄なれバ。古塚の柳の辺(ホトリ)へ立越。心を慰ばやと存る 「いや是成お僧は。何とて木影にハ休らふて御座候ぞ 「去程に朽木の柳と申ハ。是成ル木にて候。人皇七十四代鳥羽の院の北面の侍。田原藤太秀郷よりハ八代目。左衛門の太夫秀清の御子に。佐藤兵衛藤原憲清出家し。後に西行法師と申て。諸国を修行被成奥へ御下向の時。頃ハ水無月中旬の事成るに。此河下より此辺を御覧するに。川副(ゾイ)に朽木の柳の御座候を御覧じ。涼敷候ハんとて此処へ来り給へば。木影より涼敷き風吹申間。暫く休らい此柳に向ひ一首の哥に。道の辺の清水流るゝ柳かげ。しばしとてこそ立留けれと哉覧。又つれとやらんけるとやらん読給ひたると申ス。田舎とハ申ながら。哥人の言葉に読れし程の木にて候へばとて。古塚の柳とハ申習す。其後後鳥羽の院の勅(ミコトノリ)有りて。建久二年三月。新古今和歌の集に入たる抔と承及て候。何れも柳には謂有実候得とも。委敷キ事ハ存も致さず。先我等の存たるハ如斯にて候が。扨只今ハ何と思召よりて。お尋有りたるぞ不審に存候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。最前も申如く。是成柳は名高き古木にて候。夫を如何にと申に。前きの遊行も是へ御出有たるに。今の上人ハ新道を御通り被成るゝ事残り多く存じ。草木心なしとハ申せど。青柳の情老人と現じ。御供申御ン十念を授り。其上古塚の古木の子細迄を御物語あり。御道しるべ申たるかと推量致ス。余りに不思議成ル御事なれハ。末は急の旅なり共。今宵ハ木影に御逗留被成。迚の御結縁に。六時不断の御法(ミノリ)を遊し。重て奇特を御覧あれかしと存る 九 三輪 〔出所、右同断。〕 「是ハ大和ノ国三輪の里に住者にて候。某此中明神へ日参致が。今日ハ遅り申間。急き参詣仕ふずる。 「去程に珍しからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。国々在々に跡を垂給ひて。霊神数多御座すとハ申ながら。中にも此三輪の大明神ハ。御神体に何事の御座すとハ知らねども。我等如きの愚癡無智の輩。其身にも応ぜぬ事を而已祈誓申に。萬叶ぬと云事の無キにより。毎日毎夜老若男女共に。袖を連 踵を次(ツイ)で。歩を運ぶ衆生数限りなければ。神前の一入賑しう在す御事。又と并びたる神も御座無く候。誠に当社へは何時参詣申せ共。毎も初て参りたる心地して。難有さのまゝ感涙の浮(うか)む迄に候。何角独言を申内に程なふ参り着キて候。〈ト云迄ニ少シ正面ニ出。作リ物ニ向イ、衣ヲミテ。〉荒不思議や。爰な御神木に衣の掛りて有るよ。是レハ再々見た様に覚ゆるが誰のぞ。実と今思ひ出た。玄賓(ヒン)僧都の衣にて候間。是より僧都へ参り此よし申そふする。有リの儘に〈ト云乍右ヨリ左へ廻ル。〉委敷雑談申たらバ。如何成とも不審の晴ぬ事ハ御座有まいと存る 〔ト云、ワキノ前へ行居リ。〕 「只今参ンして候 「我も疾(トク)に伺公致し。老少不定の世の習ひなれバ。有難き御法をも聴聞申。或ハ御ン座敷や庭前をも清め。又ハ御前にて似合イの御用承るべきを。俄に叶ぬ用所御座候ひて。今迄延引迷惑仕候。又御存のことく此中明神へ宿願の有リて。毎日参詣申間。即唯今も参りたれバ。神前の杉の一の枝に衣の掛リて有るを。何とやらん幾度も見馴たる様に思ひ。近々とよりて能ク詠むれバ。正敷う僧都(ツ)の御法の御衣かと存る。如何にお僧の衣にてもあれ。あの神木には御座有間敷キ事成るが。さりとては希代成ル御事と存じ。あれより直に伺公致たるが。何共思召合せらるゝ儀は無御座候か 「言語同断奇特成事仰らるゝ物哉。当社にハ女体の姿も御座スと承る。其上神には五衰(スイ)三熱の御苦ミの有ると申せバ。僧都(ヅ)の衣を御(ミ)手にふれられ。五衰(スイ)の苦ミを免れ度く思召。一衣(エ)を御所望被成たると推量致す。余りに不思議成ル御事なれバ。急き神前へ御出有りて。衣の様体を御覧あれかしと存る 「左有らバ某も御跡より参申そふずる 十 龍田 〔立方出所、右同断。〕 「是ハ和州龍田の山下に住者にて候。今日ハ明神へ参らはやと存る。いや是成お僧は。何国より御参詣被成たるぞ 「去程に珍らしからぬ御事なれど。先吾朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神国々に地をしめ給ひ。殊更大社に諸神多御座して。山神水神石體抔に像を現じ。威光區々なりとハ申せど。中にも此竜田の明神の御本地は。龍田彦龍田姫とも申て。女体の神も一所に御座候故か。神代の初メより好色に愛(メデ)給ヒ。当社にてハ紅葉を御神木共。又ハ御神体とも崇め奉る。然れバ当国三輪の明神ハ。杉をのミ御神躰と渇仰(カツカウ)申候。併此所の紅葉の名高き子細ハ。昔伊弉諾伊弉冊の尊。天の逆鉾を此山に埋給ふにより。当山ハ御(ミ)鉾の守護神にて。此お山をも鉾山と名付在すに。其御(ミ)剱キの上より生出たる木なれバ。此山の紅葉は常のと替りて。鉾の刃先の刃(ヤイバ)のことく八葉有ルと申ス。誠ハ左様ニも御座候ひけるか。御覧ぜらるゝことくか程に古木の多く。神前の籬(イガキ)の内迄生茂れ共。一葉(ヨウ)散らさず一枝折ル事もならず。自(ヲノツカラ)にして崇御申ある。左有に依て長月の頃にも成れバ。社頭へ参るか紅葉を見に来(キタ)るか。国々在々所々よりモ。此川上に楓の木数多候が。〈キセンクンジユナシ申サルゝ。夫ニ付一年紅葉ノ節御幸有也。〉 初冬(ソトウ)の時分立田川へ紅葉(コウヨウ)の散浮たるハ。さながら錦を張りた如成ルを。主上叡覧有ツて御製に。龍田川紅葉乱れて流るめり。渡らハ錦中や絶なんと。ヶ様に遊されたると承る。又其後家(カ)隆(リウ)の哥に。一姿面白く読れたると申ス。龍田川紅葉を綴る薄氷。渡らハ是も中や絶なんと。斯詠じ給ひたる実候。是に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるは斯の如くにて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国とも知らず女性の来り。当山の謂などを委しく語申べき者。爰許にて覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴キにより。当社明神権に人間と見(マミ)ヘ給ひ。御詞を替されたると存る間。暫是に御逗留あり。重てハ龍田姫の誠の神姿を御覧じ。其後何国へもお通りあれかしと存る 〔此跡、常ノ通リ。〕 十一 女郎花 〔立形出入、右同断。〕 「是ハ八幡の山下に住者にて候。今日ハ物淋敷折柄なれバ。麓の野辺ンへ立出。草花を見て慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。何とて此塚の辺にハ休ひ給ひたるぞ 「去程に古へ此八幡の住人に。小野の頼風と申人の御座スが。訴訟の事ありて永々在京有りし程に。眉目能き女に酌など取らせ給ひ。有夜の睦語(ムツゴト)に。我か古里に帰りなバ。必すお尋あれと契り置れ。訴訟叶ひ下り給ふ処に。三年セに成りて彼女尋来り。頼風の館へ案内と云を。内より女房(ニウボウ)の御留守と答しを聞。扨ハ君の偽り給ふを知らずして。女のはかなさハ誠と斗心得。是迄はる〳〵尋下りしに。空敷う再古郷へ帰らん事。余人の前面目なふや思われ候ん。放生川へ身を投底の滓と成りしに。頼風は社頭より御下向有しが。水辺に人の数多有を問れし時。隣に有つる者答へて曰。都より女性の人を尋て下りたるが。逢ぬを恨ミ身を投たると申を。不審に思われ寄りて見給へバ。疑もなき古へ人にて有りし程に。余りに心中を不便に存せられ。頼風も同く沈ミ果給ひしを。此辺の人々痛敷ク思ひ。取上二人共に塚に築込メ。則是成を男塚女塚とハ申ス。然れバ一ツの塚より草花一ト本生出るを。見馴ぬ花とて不審成さるゝ折節。有點キ人の申され事に。女郎塚より生出たる花なれば。是は女郎花(ヲミナメシ)と申さふずるとて。夫よりもおしなめて女郎花とハ申習す。左有に依て僧正遍照の哥に。名に愛(メデ)て折れる斗りそ女郎花。我おちにきと人に語るなと。斯詠じ給ひたる実候。是ニ付数多子細の有りとハ云へど。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共知らず老人の来り。男塚女塚の子細。又女郎花の謂を語り申べき者。爰許にてハ覚す候が。小賢き申事なれど我等の存るハ。古への頼風の亡魂顕出。委敷教へ給ひたると推量致ス。余りに痛敷キ事なれバ。暫是に御逗留あり。彼夫婦の跡を御弔ひあれかしと存る 〔是より跡、常ノ如し。〕 十二 舩橋 〔立形出入、右同断。〕 「是ハ上野の国佐野の郡ン内に住者にて候。今日ハ何とやらん物淋敷折柄なれハ。舟橋の隣へ立出心を慰ハやと存る。いや是成客僧ハ。何とて此所にハ休らひ給ひたるぞ 「先当国佐野の在所に。忍妻にあこがれたる若キ男の有けるが。其両人の家の間に川を隔て住し故。毎此舟橋を渡り行キて。夜更人しづまりてひそかに相馴しを。初の程は曽て人の知らざりけれど。度重れハ顕て。世上にばつと風聞致を。後にハ二親の聞付申様。内にハ然るべき縁者をも取らんと思ひつるに。掛る不思議の仕節出来致す事。人の思わく外聞旁口惜きとて。我子の友達を頼ミ程々に異見を申せバ。はやか程に遍(アマネ)く人の御存と云(イヽ)。殊に二世迄と契りし中なれバ。思ひ切らん事努々成間敷由申間。所詮此橋が有れバこそ道として通へ。是なくバ川を渡る事は成間敷キと存し。彼両人の子にハ深く隠して。橋の板を二三間程引放して置を。夫を二人ンの者ハ夢にも知らで。有ル暗の夜毎の如く。更行鐘を知るべに内を出。橋の隣に立やすらふ所に。向ひに人影の見ゆるを我待君と思ひ。行間遅しとこゝろそゞろに成りて渡るとて。踏はづし落て空敷ク成るを。今の一人の者ハ夫をも知らで思ふ様。只今向ヒより人の渡る姿の見へけるが。此方(コナタ)へハ誰も来らぬよと思ひ。下をも見ずして向ひに斗り心の有りて尋行とて。是も橋よりかつはと落て相果申を。夜明ケて親々ハ子の見へぬを不審に思ひ。爰彼をよべ共居ざりし程に。扨ハ橋の下へも落たるかと。後悔千萬泣涕(リウテイ)こかれけれど。其甲斐もなく。責て死骸(シガイ)を成とも見度と云(イヽ)て。河の上下を尋けれ共無キ折節。有る點き人の申され事に。ヶ様に水に溺れて死骸の見へぬには。鶏を舟に乗せて隣を漕廻れバ。必死骸の上にて時を謡ふと云し程に。左様に致そふずるとて鳥を尋けれど。昔より佐野三里か間にハ。一圓鶏のなき在所なれハ。爰を以て万葉集の哥に。吾妻(アヅ)路(マジ)の佐野々舟橋鳥はなし共。又取放しとも二流に読れし哥ハ。何れも本説有ると申ハ此子細と承る。先我等の存じたるハ斯のことくにて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。此舩橋より落て死したる夫婦の者。水底の苦ミをなし申処に。貴き客僧の是へ御出有るを嬉しく思ひ。彼亡魂顕出。詞を替したるかと存間。暫く是に御逗留有り。彼跡を御弔被成。其後何国へもお通りあれかしと存る 〔此跡、常の通り。〕 十三 融 〔立形出入、右同断。〕 「是ハ都五條隣に住者にて候。今日ハ物淋敷折柄なれバ。河原の院へ立出心を慰ハやと存る。辞是成お僧ハ。何国より御越被成たるぞ「去程に陸奥の千賀の塩竃を。都の内に遷されたる子細ハ。昔嵯峨の天皇の御宇に。王子数多御座すとハ云へど。中にも源の融の大臣と申ハ。父母の御寵愛限りなかりし故。古来にも聞も及ぬと有程に。種々様々の御遊覧を被成るゝ。春の花秋の月。千草に聚(スダク)虫の音。詩歌管絃琴碁書画は申に及ず。有時ハ鷹を遣われ鹿を狩(カリ)。又有時ハ池を堀山を築せ。其高山にハ枯木大木を植置れ。麓には鳥類畜類を放チ置キ。朝夕立去ず御覧有とハ云へど。是も一旦面白く思召て。重て翫ビ給ふ事御座なく。或時大臣仰られける様ハ。何にても珍らしき事や有る。見て慰度と御意被成しを。去人御ン前にて咄シ申されしハ。陸奥の千賀の浦わの体。余に越(コヘ)て詠一入の由申されしを。則御覧有度ク思召せども。是よりハ遠路にて御下向も叶わされバ。思召出されて比六條河原の院に。千賀の海浦を少しも違(タガワ)す移され。三千の人足を三手に分ケて。津の国御津(ミツ)の濱より毎日潮を汲せ。汐時を待チて一同にあけし程に。さながら差来(ク)る潮のことくに有たると申ス。され共塩焼有様なくてハと有り。此河原の院に濱をならさせ塩屋を建。風も鎮(シツマ)り日もうらら成る折節ハ。皆海士人の出て塩を焼に。花の都なれバ宮(クウ)殿楼閣の内より。塩屋の煙の細く立上る躰を。見る人毎に面白存ぜられ。往来の人の立留たると申ス。又あれ成は陸奥の籬が島を移され。毎も左府ハ御舟に召されて御出有り。思ふ友どち御遊ひ被成たると承る。其折節在原の業平も。是を面白ふ思召か御歌に。塩竃に何(イツ)か来にけん朝なぎに。釣する船も爰によらなんと。ヶ様に遊されたると申ス。又夫のミならずあの籬が島の森の梢に。鳥の宿し囀て。四門に移る月影迄も古人の讃られたると申ス。され共大臣空敷く成らせ給へバ。其後相続して翫人もなし。今ハか様に名のミ斗にて候。其刻貫之ハ立寄て哥に。君在(マサ)で煙り絶にし塩竃の。浦さびしくも見へ渡る哉と。斯詠し給ひたる実候。先我等の存たるハ斯のことくにて候「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。旁の是迄遥々御登り有たるに。誰有て陸奥の名所を。此所へ遷されたる子細を。語り申へきもの有間敷キと思召。融の大臣の御亡心権りに見(マミ)へ給ひ。委しく御教被成たると推量致す。余りに不思議なる御事なれバ。今宵ハ爰に御逗留あり。重て奇特を御覧あれかしと存る〔此跡、常ノ通。〕 十四 海人 〔初同ニテ出ル。太鼓座ニ居ル。太夫中入過キ、ワキ、シテ柱ノキワ迄来、呼出ストキ、一ノ松ニ立。〕 「此所の者如何様成御事にて候ぞ 「心得申候〔ワキ、元ノ座へ行居ス。直ニワキノ前へ行居リ。〕「此海人の里の者お尋ハ。如何様成る御用にて御座候ぞ〔脇能ノセリフヲ云。〕 「先あれに見へたるハ海人の野里とて。古へ海士人の住給ひし御在所にて候。又是成を新珠島と申子細ハ。昔天智天皇の御ン時。淡海公の御妹ハ。唐土高宗皇帝の后に立せ給ふ。然れバ南都興福寺ハ彼后の御氏寺なるに依て。大唐よりも種々の宝を渡さるゝ。華源磐四濱石。面向不背と申。其中にも面向不背といふ玉ハ。玉中に釋迦の像在すを。何方より参りて拝し奉れ共。同じ如くに御面相を拝し申により。面を向ふるに背ずと書て。面向不背の玉とハ申実候。此内二ツの宝ハ京着致し。名珠ハ此沖にて龍宮へ取たるを。大臣殿彼玉を惜く思召。当浦へ忍て御下向あり。賤しき海人乙女と契りを込られ。程なく一人の男子を産(ヨロコ)び給ふ。其折前大臣殿海士人に仰られける様ハ。此沖にして竜女の沈めし名珠を。かつぎ上よと御申あれバ。安き間の御事玉をは取上申べし。さあらバ今の御子を世継(ヨツギ)にと望まれしを。則御同心被成し程に。偖ハ我子故に捨ん命ハ惜からじと。一筋に思ひ定メ。千尋の縄を腰に付ケ。其儘海中へわけ入給ふが。良(ヤヽ)ありて水底の縄が動キけるを。すわ約束の縄こそゆるけとて。上へに待たる人ハ我先にと引イて曳上ゲ。是なる島にて彼玉を始て見(ミ)初(ソメ)しにより。則所を新珠島とハ申習す。ケ程の銘珠を再び日本の宝となし。興福寺に納置れしも此故と申ス。されども海士人ハ龍神の見入れけるか。程なく空しく御成りあれど。御契約なれバ御子ハ世継の位に備り。今都に房崎の大臣殿と申て御座るも。比子細ニて有由承る。先我等の存したるハ斯の如くにて御座候 「左様の御方とも存ずして。唯今ハ疎忽成事を申迷惑仕候。さあらバ其由相触申そふずる 〔ト云、立テ、ワキ正面ニテ。〕 「やあ〳〵皆々承り候へ。房崎の大臣殿此所への御下向も。御母海人びとの御追善の御為成れバ。一七日の間ハ浦々の網をも上ゲ。殺生禁断のよし仰出されてあり。然らバ御菩提をバ管絃講を以。御弔ヒ有べきとの御事なれバ。管絃の役者ハ其分心得候へ〳〵 〔ト云引居ル。後同ニテ入ル。〕 十五 梅枝 〔立形出入、雲林院ノ通リ。〕 「是ハ摂津の国住吉の者にて候。最前村雨の致したるが。程なく空も晴申て候程に。罷出て。四方の気色を見て慰ばやと存ずる。いや是なるお僧は。何国より御越被成たるぞ 【語】「去程に当社住吉大明神は。我朝に隠なき霊神にて御座ませバ。毎年御神事数多御座有により。我劣らじと思ふ役人多といへど。中(ナカ)にも冨士といへる大鼓の上手の有りて。是を聞ク人感を催し。神明仏陀迄も納受垂れ給ふと申ス。然れバ其比天下に名を得たる。糸竹の楽人を集メ。内裏に於て七日の管絃の有し時。此度冨士を召れんと諸人の取沙汰致し。主も内々左様に存ずる處に。当国天王寺の役人浅間を召るゝと聞。彼ハ外聞旁面目なふや思われ候ん。萬民に深く隠して都て(江)登り。禁中に参り此由歎き申されけれバ。是に仏神も憐給ひたるか。公卿天上人百官卿相に至迄。何れも冨士を御引被成し故。左右なふ御役を給りしを。悪事千里と浅間比由を聞付。若冨士か太鼓が叡慮に叶ひてハ。命(イノチ)長(ナガラ)へても生甲斐有間敷と存し。世にハ不得心なる者の有ぞ。忍ひ寄ッて冨士を討し程に。妻ハ夫の別れを悲ミ。中〳〵泣涕こがれたる気色の見へしが。誠に妹背の中は二世迄も契るやらん。程なく空しく成りて。跡にハ娘の一人残りたるが。幼き身にて父母(チヽハヽ)に送れし間。人目をわかず起伏に人を歎キて。南方痛敷キ事成るぞ。生死の習とて姫も頓て相果たる由承る。不便やな冨士存生に有し時は。大鼓を秘蔵仕たるとハ申せど。其後續く上手のなけ(ケ)れハ。今ハか様に苔むして御座候。冨士が事ニ付数多子細の有とハ申せど。先我等の存たるは如斯にて候 「言語道断奇特成事仰らるゝ物哉。さなきだに女ハ五障の罪深キと申が。冥途の苦ミを免れ度思ひ。彼亡魂あらわれ出。詞を替したるかと推量致す。余りに痛敷キ事なれハ。暫く是に御逗留あり。女人成仏の御法を遊バし。其後何国へもお通りあれかしと存ずる 〔跡、常ノ通リ。〕 十六 錦木 〔立方出入、右ニ同。〕 「是ハ陸奥狭(ケフ)の里に住者にて候。今日ハ物淋敷キ折柄なれバ。錦墳の隣ヘ立出心を慰はやと存ずる。いや是成お僧は。何国より御越被成たるぞ〔セリフ、常ノ通リ。〕 「先和国に於て。諸人(モロビト)の男女夫婦の語らひを為(ナス)には。皆媒(ナカフド)と云事の有りて縁を結ヒけるが。如何なれバ陸奥当所の習ひにハ。曽て左様の義ハなくして。我思ふ女の門に錦木を立し時。逢ふべき夫の錦木をバ取入レ。逢ふ間敷きをバ取入レず候印の木なれバ。色どり餝るを以錦木とハ申習す。然れハ古へ此所に田(タ)の長(ヲサ)の有けるが。眉目能キ娘を一人ン持たるを。有若き男の心を懸ケ印の木を立申所ニ。彼姫取入ず置たるを。夫ハ心の内に存る様。此事曽て人の知らぬに於てハ。ふつと思ひ切申すべきか。早(ハヤ)男女ともに其隠なきに。あれこそ女にうとまれたる者よなどゝ有りてハ。生ても甲斐有間敷と思ひ。夫より日毎に立けれど。終に難面なく置たりし程に。夫ハ思ひにあこがれ空敷く成つるが。誠に妹背の中は二世迄も契やらん。程なく姫も相果しにより。二人を錦木共に塚に築込メ。即是を錦塚とハ申習す。又細布と云子細ハ。昔此處に悪(アシ)キ鳥のありて。幼キ者共を取悩し候程に。子を持たる者ハ是を悲ミ如何ハせんと申所に。有ル小(コ)賢(ザカシ)き人の申され事に。ヶ様に怪鳥の有りて人を取るにハ。鳥の羽を布に拵へて着セけれバ。必取止ム由申間。左様に致そふずるとて。是を我先にと調へ着致させし時。元来(モトヨリ)鳥の羽にて織たる布なれバ。機(ハタ)張(バリ)狭(セバ)くて胸抔も合申さぬを。胸合かたき恋とハ讀れたると申ス。是に付数多子細の有りといへど。先我等の存たるハ如是にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共知らず女性と若キ男の来り。錦塚細布の謂委く語り申べき者。爰元にてハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴により。古への夫婦の者の亡魂顕れ出。詞を替したるかと存る間。暫く是に御逗留あり。彼跡を御弔ひあれかしと存る〔跡、常の通リ。〕 十七 葛城 〔立方出入、右ニ同。〕 「是ハ葛城山の麓に住者にて候。今日ハ一段の天気なれバ。山に上り薪を樵ばやと存る。いや是に見馴レぬ客僧達の御座候よ、喃〳〵旁ハ。何とて此所にハ休らふて御座候ぞ 「去程に昔彼の行者つく〴〵と思わるゝ様。一ト度ハ此山に分入悪魔をしづめ。国土安全になすべしと思ひ給ひ。則大峯葛城を踏わけ給ふゆへ。今に於先達衆ハ本山当山とて。二手に分ケて毎年恙(ヲコタリ)なく峯入を遊し。殊に嶮敷(ケワシキ)谷峯を越され。朝暮の御祈祷怠(タイ)満(マン)なく。誠に難行苦行浅からざらる故。仏法繁昌の目出度御代にて御座候。然るに役の行者と申ハ。生国ハ大和の国の人成が。尋常ならぬ御方にて候ぞ。四方の山々を詠メやりて思ひ給ふ様。葛城山芳野の御(ミ)嶽大峯を見渡せバ。いかにも程近きよふにハ打見へて。谷峯を廻り殊の外難所なれば。葛城より大峯迄岩橋をかけ。客僧達の通ひ路に被成度とて。此由一ト言主の御神へ仰らるれバ。尤とて御同心ありし程に。俄に巌を運せ積重て。種々様々の計略を廻らし給ふとハいへど。当社は女躰にて御座セバ。昼ハ御姿恥敷思召間。夜な〳〵橋を掛けふずると仰られ。彼方此方と様々有る内に。早夜ハ天(ホノ)明と明けれバ。終に岩橋成就致ぬ事を。行者は殊の外憤り給ひ。肝膽を碎き祈り給へハ。不動明王の索(サツ)杖(ク)の縄にて。頓て葛城の明神を戒給ひたる。其返報をなさんと思召。帝へ此旨奏し給ふにより。色々六ケ敷事ども有たると承る。先我等の存たるハ如斯にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物かな。御覧せらるゝ如く麓は能キ天気成に。俄に雪を降らし女躰の姿にて爰に来り。旁を留申されたるハ。行力の達たるを御納受被成。五衰の苦ミを免れ度思召。当山の御ン神権に人間と見へ給ひ。此窟を御宿りに参らせられたると推量致す。余りに不思議の御事なれバ。末は急きの旅なり共。今宵ハ爰に御逗留被成。終夜有難き御法を遊し。重てハ誠の神姿を再ひ御覧じ。其後何国へもお通りあれかしと存る〔跡、常ノ通リ。〕 十八 龍虎 「箇様に罷出たる者ハ。此国の傍に住者にて候。扨も爰に珍らしく面白き事の。出来致す其子細ハ。龍虎の戦の御座候が。竜ハ虎を呑んとすれバ又虎ハ。竜を喰ンと致す。誠に是人間蝸牛の諍に似たり。惣して海中の鱗山野の獣。其数量(ハカリ)り難しといへど。中にも龍ハ鱗の司と云。位の高き物成に依て。忝も天子に袞(コン)龍(リヤウ)の御衣(ギョイ)とて。御紋に龍を第一と織付。御ン眼(マナコ)をも龍眼と云(イヽ)。其上美く色取り餝りたる。御ン舸(ガ)を龍舸とハ名付く。又虎ハ常に竹の林シを栖(スミカ)として。人間の直なる者に戯れ。殊に仏法の明かなる事を知て。羅漢に仕へ。四睡の中に入ルと申ス。金龍雲を穿て猛虎遠山に風を出ス。爰を以竜吟ずれバ雲起り。虎嘯バ風生ずと。斯たとへにも申習す。併此二ツの争ヒ勝劣有間敷と推量致す。誠にヶ様の御代に生れ合セ。我等如きの者まても。かゝる稀成る事を見物仕るも別して大慶に存る。いや又漸龍虎の戦の始るやらん。大風吹きあれ成る高山ンより黒雲(クログモ)が出たるぞ。皆々心を定て御見物あれ。構て〈左ヨリ右へ見廻ル。〉其分心得候へ〳〵 十九 同 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。中入ニテ、シテ柱ノ先キニ立、名乗ル。〕 「是ハ太唐に住者にて候。我等ハ唐土人の中に取りても。他国の人に通詞(ツウジ)を致し世を渡り申が。夫ニ付遠国の人。只今是ヘ着れたるよし承り候間。いつれの国の人にてぞ参りて見申そふずる 〔ト云、ワキノ前へ行、座シテ。〕 「是ハ震旦の者成が。旁ハ日本の人にて候か 〔ワキ「参ン候。是ハ日本ヨリ此處へ渡リテ候。御身ハ此處ノ人ニテ候歟」〕「中々拙者ハ爰元にて。他国の人に通詞を致者なれバ。何にても諸用有るに於てハ。我等に仰付られふするにて候〔ワキ「左様ニ候ハヽ是ヨリ渡天ノ道ヲ教へテ給リ候へ」〕「某ハ此漢朝の住人なれと。未ダ四百余州を皆ハ見申さぬに。日本より遥々波濤を凌き御出有ハ。扨々奇特成ル御事にて候。又渡天の道と申ハ。先太唐の都より天笠迄の道は。遥々の難所数多有る由申が。其中ニも流砂(サ)と云て三国一の大河有り。是を通りて河原を行き。河原を過てハ川を幾瀬ともなく越すに。此川の表の広き事ハ数千町。常に水上より白浪(ハクラウ)みなぎり落て。早き事飛鳥リ射矢も事の数ならず。毎も強風(キヤウフウ)吹立ツて砂を飛して雨の如し。神力仏力にて此河を難なく越給ひても。又行先キに荀(ソウ)嶺(レイ)と云大山ン有り。此山の高き事ハ雲を穿(ウガ)チ。大成ル事ハ唐土天竺迄も懸リ。けれバ。日暮ても人里なけれバ野人村老も見へず。虎狼野干を友として夜を明し。夜明ケぬれバ何を限りともなく山を上(ノホ)るに。悪鬼毒虫あまた並居て。己(ヲノレ)先にと旅人(リヨジン)を取ツて餌食(エジキ)とし。誠に恐キハ渡天の道と申せバ。思召御留りあれかしと存る〔ワキ「念頃に御教祝着申候。我若年ノ時ヨリ仏法修行の志有により、日本をハ不残見廻り渡天の望候間。此所ニ来り、身命を仏力に任セ参ばやと存候。又あれなる竹林に俄に雲の掛り候間、不審ニ存し山人に尋て候へば、龍虎の戦ひ有由申候間、暫く逗留申そふずるニて候」〕 「言語道断奇特成ル事仰らるゝ物哉。日本ハ神国なれハ渡天を危く思召。氏の神山賤と現じ。御物語有りたるかと存る。恐しき事ハ天竺斗に限らず此国にも。向ひの高山ンの雲(クモ)霧(キリ)覆ひし内より。金龍の黒雲ンに乗りて飛来たるを。あれ成竹林の巌洞より悪虎の出て。龍虎の戦ひ致すを御覧じ。其後渡天の事ハ御分別あれかしと存ずる 〔ワキ「先々龍虎の戦を見物申そふするにて候」〕 「何にても御用の事あらバ承ふする 〔ワキ「頼ミ候べし」〕 「心得申候 〔ト云、引座ス。後同ニテ入ルナリ。〕 二十 松虫 〔立形出入、右同断。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ阿部野の隣へ立出心を慰ばやと存る。扨々今日の様な夥敷市立ハ。近ィ頃にハ希な事で御座る〔ト云、ワキノ前ニ座シテ。〕 「唯今参(サン)ジて候 「某も此一両日ハ隙を得ず延引致候 「是ハ近比面白き事をお尋成され候物哉。拙者よりハ旁の御存有べき所に。我等に御尋有事ハ不審に存候。去ながら聞及たる通り物語申そふする 「去程に松虫の音に友を忍と申子細ハ。古へ此所に。如何にも中の能き男の二人御座有しが。生国ハ和州方の人成る由申セど。誠の説ハ知れず。数年此所に住ンて一段と親しう致し。四季折々ハ互に楽ミ。此阿部野の方へ出酒を愛しけるが。有暮に此原を通りし時分。虫の音(ネ)いと物すごく聞へ。四方の気色も面白く見へしを。其虫も見へす声止(トヾマリ)りたるハ不思儀ぞと思ひ。鳴声に付次第に行聞しが。男ハこかれ入たるか。但又有為転変の習にてもや有けん。草を枕とし露の命終しを。今一人ハ左様の事をバ夢にもしらず。暫し此方(コナタ)に待けれど。余り遅しとて其跡を慕ひ。爰彼(コヽカシコ)を尋るに。彼者空敷死骸斗りなれハ。驚騒き嘆き悲しめ共。幼少の時より竹馬に鞭を当しより以来(コノカタ)。少も離るゝ事もあらす。死なハ一所と云替(イヽカハ)しつるにと。中々泣涕(リウテイ)こがれ伏まろひ。出入の息を絶て終に墓なく成し間。左様の儀を以松虫の音に。友を忍と申習したる実候。先我等の存たるハ如斯にて候」「是ハ奇特成事仰らるゝ物哉。左様に何国共なく若キ男の伴ひ来り。酒を愛し御物語申べき者。此隣にてハ覚へず候か。扨ハ古への替らぬ友の幽霊顕れ来り。詞を替したると推量致す。余りに不思議成る御事なれハ。重て奇特を御覧あれかしと存る」「何にても御用の事あらハ承ふずる」「心得申候」 二十一 忠信 〔早鼓ニテ鉾ヲ持出。シテ柱ノ先ニテ、シヤベル。〕 「か様に候者ハ。吉野十八郷の老中(ヲトナ)に召遣われ。彼方此方と走り廻り善悪を嫌ハず。幾千万の義を相勤る者にて候。然れバ我等の是ヘ出る事余の儀にあらず。扨も義経ハ爰彼(コヽカシコ)に御身を隠され。已に此山ヘ落入候程に。何れも痛り忍ひて置申を。其旨頼朝聞召れ。急き義経を討取ツて参らせよ。左ならハ当山を打破べきとの御事に付。驚騒き衆徒立合談合致され。ヶ様に隠し置き申事も。終にハ御兄弟御中直も有べきかと存る処に。是は思ひの外なる御事にて候へバ。是非なく討て参らすべし。乍去唯尋常(ヨノツネ)にてハ討事も成間敷候間。夜討を掛申そふずる。兎角時刻移イてハ叶ふまじ。夜半過と定られ。口々つまり〳〵に能き兵を待せ置き。若討洩らすに於てハ後日の詮議たるべし。此度当山の老若によらず。一人も残らず出らるべし。さなき物ならバ面々を(ノ)曲事(クセゴト)に成し申そふする。いや漸時も来り候間。油断なく早〳〵出らるべきとの御事なり。皆〳〵其分心得候へ〈見回し留ル〉〳〵〔ト云、入ル也。〕 二十二 大蛇 〔シテ、来序ニテ入ル。来序直リニテ出、シテ柱ノ先ニテ、シャベル。〕 「か様に候者ハ素盞烏の尊に仕へ申ス。随逐(スイチク)の神ンにて候。某唯今此処へ罷出る事余の儀に非ず。此程簸(ヒ)の河上に啼哭する声聞へ候間。尊不審に思召。川上に行て御覧すれば。老人夫婦の中に美しき姫を置泣呼居申間。尊弥不思議ニ思召。如何成子細ぞとお尋ありければ。夫婦の者申様。我ハ手摩乳脚摩乳(テナツチアシナツチ)と申者なり。又是成るは稲田姫と申て。我等か娘にて候。此所に大蛇の御座候に牲(イケニヘ)を備へ申が。此度姫が番に当り申に付。夫を嘆き申由語けれバ。尊聞し召近頃不便の事にて有り。其姫を我に与よ。大蛇(オロチ)の難を遁すべしと御諚有る。老人夫婦ハ大キに喜び。参らすべきよし申上るに付。其時尊は大蛇の容躰をお尋被成るゝに。参ン候胴一ツにて頭(カシラ)ハ八ツ御座候と申を。さあらバと有ツて酒を八ツの舟に盛りて。待給ふべきよし仰られ。則稲田姫を伴ひ簸(ヒ)の川上へ御上(アガ)りあり。神通方便(ホウベン)を以。大蛇(ヲロチ)順へ給んとの御事なれバ。何れも御近辺迄早々相詰られ候へ。構て其分〈見回し。〉心得候へ〳〵」 二十三 豊干 〔中入、来序ニテ三人、或ハ五人出ル。ヲモ、舞台真中ニ立。ツレ左右ニ立ツ。大会ノ如。〕 「か様に罷出たるを。興有ツた者と思召れうずる。是ハ唐土天台山の峯の梢に。年久しく住木(コ)の葉天狗にて候 ツレ エヘン〳〵〔此所跡大会同断〕 「先唐土の寒山寺より有ル貴キ沙門。当寺の御事を聞召。只今是へ御出候処に。豊干禅師顕れ出。べいしうを手に携(タヅサヘ)。花落(クワラク)の塵に交り。白河(ハクガ)の波に裾(スソ)を濡し。万民に面を瀑も恨ならず。法の為ならバ身を捨る。此へいしうを手に携てといふ事ハ。箒を持何の塵に限らず。悪逆煩悩を掃拂ン為なり。白河の浪に裾を濡ラし面(ヲモテ)を瀑も法の為なり。一ツハを花皮(クワヒ)を冠としもくげきをはくとハ。木の皮を冠にし木履をはき。織に任せて飛行き仕給ふ御ン方也。又或ル時豊干山に出四方の気色を見給ふに。何国ともなく幼き者の泣声を聞。如何成者ぞと問給ふに。則子なりと答へ申ス。豊干憐(アワレ)ミを催し。拾上ケ彼れを拾得と名付給ふ。又拾得の如く成る童子一人来たるを。沙門御ン身ハ如何成人ぞと尋給へバ。我ハ是寒山と答ふ。則是ハ普賢文殊にておわします。又豊干ハ正身の弥陀如来の化身なりと申され。則石(イシ)の縫目(ヌイメ)に入給ふ。猶も沙門に奇特を見せ申さんとの御事なれば。我らも何そ仏の姿になれとの御事じや。面々ハ何とならふと思ふぞ〔此所ノ詞、大会ノ通リ。〕 ヲモ 「〽仏法の妨に天狗ハ寄合て。〔太コ打切。〕〔〇「皆々」〕〳〵。魔の来迎をなさんと思へバ。文殊普賢の召さるゝ如く。獅子象に乗る事成り難し。不動明王も面色像の成まじけれバ。堂の角なる。賓頭盧にならんと。皆紙衣をこしらへて。皆紙衣を着連つゝ。こりりごそりと。帰りけり〽 〈扇シマイ入ル。ツレ皆々、ツヽキ入ルナリ。〉 二十四 小塩 〔初同、片幕ニテ出。礼アリテ太鼓座ニ居ス。中入過キテ、シテ柱ノ先キニ立ツ。〕 「是ハ此隣に住者にて候。今日ハ物淋敷き折柄なれハ。大原の桜を見て慰ばやと存る。いや是成る人々ハ。何国よりの花見にて候ぞ〔セリフ、三番目ノ通有リテ、少シ正面ヘ向語。〕 【語】「先当社と申奉ハ。和州春日大明神にて御座候。夫を如何にと云に。大宮人の内にても取分キ藤原氏の御方ハ。是より南都までハ路次遠くて折々(セツ)御参詣も叶ひ難きにより。閑院の左大臣冬嗣(ツグ)の卿の。嘉祥三年に春日を此御山(ヲヤマ)へ御ン移し成され。則氏の御祖(ミヲヤ)の神(シン)と崇奉り。毎年ン御神事と号して。厳重(ゲンヂヨウ)に執行(トリヲコナワ)れし故。其頃二条の后の。未春宮(イマダトウグウ)の御息所と申時分。当社へ行啓成されたると申習す。故(カルガユヘ)に此后の御参詣遊されし折節。供奉の衆ハ歴々にて御座候ぞ。在原の業平も御供被成たる由承る。其刻供奉の人々に。后より種々の引出物を下されし時。在中将にハ別して御衣を参らせられたれば。其時分業平の哥に。大原や小塩の山もけふこそハ。神代の事も思ひ出(イヅ)らめと。か様に読給ひたる心ハ。小塩の山も今ン日の御社参を(ノ)。嬉しくや見るらんと有る歌の心なる由申ス。又下心はいまだ后に立(タヽ)せ給わぬとき。より〳〵御契り被成たるにより。色々心を廻(メグ)らして。斯のことくに読給ひたるとも承る。左有に依て在原の業平を。此小塩の明神に祝ひ籠給ふ由一説にハ申伝(ツタエル)る。又春日ハ四所の明神にて御座(ヲワシマ)ス故。当社の謂様々有りとハ申せと。神秘なれバ白地(アカラサマ)には申されず。先我等の存たるハ斯のことくにて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物かな。旁の是迄花見に御出有る事を。当社明神御納受被成。山賎と現じ御言葉を替されたると存る間。暫是に御逗留有り。重て奇特を御覧あれかしと存する」「何にても御用の事あらバ承らふずる」「心得申候」 二十五 浮船 〔立方、右同断。〕 「是ハ宇治の里に住者にて候。今日ハ徒然成折柄なれば。罷出て心を慰はやと存る。いや是成るお僧ハ。何国より御越成されたるぞ」〔セリフ、常ノ通。〕 【語】「先此宇治の里に上巻の正親と申すと。又中の君と申と御兄弟御座候を。此上巻の正親をバ。薫大将の心を掛ケ御申あれど。終に御同心なかりたると申ス。又中の君ハ匂フ兵部卿の。北の方に成らせられたると承る。其比総角の正親ハ。父宮におくれ給ひし故。明暮此事をのミ嘆き御座して。是も程なく空敷成給ふにより。薫御愁傷浅からざりし間。中の君抔の劣の腹に。浮舟と申て。上巻の正親に似参らせられたる御方を尋出し。薫に見せ給へバ。宇治に置御申有を。或夜匂宮薫に真似びて。内に入リ契を込られたるに依て。夫より忍ひ〳〵に御通ひ有しが。宇治ハ人目繁しと思召。日暮て舟に乗せ。遠路なる家へ御出有る時。橘の小島が崎へ差寄セ給ひて。浮船の御哥に。立花の小島は色も替らしを。此浮舟ぞ行ゑ知られぬと。此哥故に浮舟とハ申由承る。されとも浮舟と匂宮と心の有を。薫御存あれバうき舟は物憂(ウク)思ひ給ひ。宇治川へ身をも投んと思召か。暁方妻戸を明ケて出給ふを。何となき男の来りて懐(イダ)きおろし。其隣近き木の元に置たるを。小野の尼初瀬詣でのかへさに。此宇治の院に泊り給ひしが。浮舟の御事を聞小野へ伴ひ申され。横川の僧都の御祈にて。物の化も悉く去りたると申せども。其後終にハ尼に御成有りて。小野にて果給ひたると承る。先我等の存たるは斯の如にて候 「是ハ奇特成事仰らるゝ物かな。浮舟ハ小野ニて果給ひたるとハ申せど。若キ時は此辺に久しく住給ふにより。御心を残し置れ。お僧に詞を替されたると存る間。是より直に小野へ御出ありて。彼菩提を御弔ひあれかしと存ずる」 「何にても御用の事あらバ承ふずる「心得申候 二十六 玉葛 「是ハ初瀬の門前に住者にて候。今日ハ物淋敷折からなれバ。二タ本の杉の隣へ立越。色付木々の梢を見て慰ばやと存る。辞是成お僧ハ。何国より御出被成たるぞ 「去程に玉葛の内侍と申ハ。先父君ハ頭の中将にて。夕顔の上の御息女なりしが。母上五条隣に隠て御座す頃。仮染に光源氏と御契りあり。河原の院へ倡(イザナハ)れ行。そこにて空しく成給ひたると申ス。左有に依て夕顔の上の御乳母。此玉葛を痛り申所に。其頃乳母の男筑紫へ下りし故。力及す九州へ御供申されしが。彼乳母の男後に相果たるに依て。彼方此方と思召内に。次第〳〵に美しく成立給ひしを。筑紫人心を懸け様々に申を。御同心なけれバ。扨は押へて奪ひ取申さん抔と。此沙汰頻(シキリ)に有つるを聞。田舎に有果ん事を浅ましく思ひ給ひ。乳母を連レ早舟にて逃登り給ふが。遙々の海路なれバ危く思召。我何事なく都へ登るに於てハ。八幡初瀬へ参らんと御祈誓有が。誠に仏神の御恵により。難なく京都に着せ給ふ。御立願の事なれバ初瀬詣て有るに。古へ夕顔に召遣ハれし。右近と申女房の有つるが。瞿麦(ナデシコ)の御行末祈の為に。当寺へ参りて玉かつらを見付。其時右近哥に。二本(フタモト)の杉の立チどを尋ずハ。古川野辺に君を見ましやと読。都に帰り源氏に斯と申されければ。夕顔の上を痛しく思召により。頓て玉葛を呼取給ひて。髭黒の大将の北の方に御成シ候。又此玉葛と申名ハ源氏の御歌に。恋わたる身は夫ならて玉葛。如何なる筋を尋来ぬらんと斯遊されし故。玉葛とハ名付給ふ。是に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ如斯にて候 「是は奇特成事仰らるゝ物哉。左様の女性の小サき舟に棹を差来べき者。此辺にては覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴により。古への玉葛の亡魂顕れ出。御詞を替されたると存る間。暫く是に御逗留あり。彼御菩提を御弔ひあれかしと存る「何にても御用の事あらバ承ふずる 「心得申候 二十七 山姥 〔ワキ次第道行ノ内ニ片幕ニテ出、太鼓座ニ居ス。道行過キ詞アリテ、ワキ案内ヲ乞間、一ノ松ニ立。〕 「誰にて渡り候ぞ「参候善光寺へ御参有るにハ。上道下道中道とて。海道数多有る中に。上路(アゲロ)越と申ハ如来の踏分給ふ道なれバ。余の道を十度(ジウド)御参り有たるよりも。此道を一度成共お通りあれバ。仏の御内証に御叶ひ有るに依て。己身の弥陀唯心の浄土に譬へられて候。去ながら難所(ナンシヨ)なれバ乗物抔ハ叶ぬ路次にて候「尤に候〔一ノ松ニ立居ル。ワキ連ト、シカ〳〵有テ、又狂言へカヽル。〕 「是に候「我等ハ用所(シヨ)御座候へ共。女性上臈を連て御参りなれバ。案内者申さうずる間。急ぎ御同道成されふずる〔ト云テ、シテ柱ノ先ヘ出ル。ワキ連ニ向イ、「サアラハ御立有ウズルニテ候」ト云、連立時。〕「御覧せらるゝことくか程の難所なれバ。中々乗物抔は叶ひ申せず候 「荒不思議や。何とやらん日の暮るゝ様なよ。拙者抔も自分の用所ありて行か。又人に頼まれても細(サイ)々此道をバ通り申が。ヶ様の奇特成る事にハ初て逢ひ申候「いや此山中にハ宿(ヤドリ)の無き所にて候。兎角申内に日が暮て前後を辨す候 〔ワキ詞アリ。太夫呼懸ケ「のふ〳〵お宿まいらせふのふ」と云時。〕〈マクノ方ヲミテ。〉「いやあれ御(オ)宿と申ス。急で宿を借せられ候へ〔ト云捨テ、太鼓座ヘ行居ス。中入過。〕〈シテ柱ノ先ヘ立。〉「扨も〳〵不思議な事かな。今迄ハ闇で有ツたが又夜が明ケたよ。先あれへ参ふと存る〔ト云、ワキノ前ヘ行座ス。〕「何と唯今ハ不思議な事でハ御座なく候か 「我等も此道をバ細々通ひ申せども。か様の事には今か初てにて候 「いや是ハ珍敷イ事を御尋有物哉。我等も此山中にハ住者なれど。山姥抔に成る物をバ一円に不レ存候。去ながら聞及たる通り語て聞せ申そふずる○【語】「先世上に普く人の取沙汰致すハ。山姥にハ尾花が成ると申候。其子細ハ。薄ハ後に事をなそふずると云心にて。大地の底に一邑ツヽ芽(メク)ミ居て。春にもなれバ陽気を受ケ。そろり〳〵と葉を出すが。其葉かよれやうて左右(サフ)の手と成り。穂(ホ)の出たるが白ふ乱山姥の髪と成ツて。風に吹れて動くに依て生根が出来。山姥にハ尾花か成と申候。又或人の咄し申されたるは。山姥には団栗(トングリ)か成と申候。夫を如何にと云に。大木の木(コ)の実(ミ)か熟(シユク)して落ル時。谷へころり〳〵と転(コケ)集て寄合談合致し。其中にも大キなが眼と成に依て。団栗目と申ハ此子細にて有と申候 「仰らるゝに付て思ひ当ツた。是ハ十ウいふ事の九ツも合ぬよ。又若き人の咄されたるを。古老の人の宣ふ様ハ。思ひもよらぬ事山姥抔に成物ハ。左様に仮染なものでハない。天鼠(クスネ)が成る。其子細ハ。先天鼠といふ物ハ。松脂を練りてねバふ成た時分に。天鼠皮へ移し。夫を弓の弦へ引に。苧くずが少しツヽ付とハ思へども。度々の事なれバ後には数多付イて。其苧くずが山姥の白髪と見(ミ)へ。天鼠草が口と成り。自然と形チが出来生根か入リて。誠の山姥に成ものハ。是か本説じやと申習す。「実と仰らるれバそふじや。天鼠の分で山姥に成る事は御座るまい。又此山路を切々通ひ付たる者の咄を聞バ。草薢が成其謂ハ。大雨降山川の出たる時。岸抔のくへたる時分草薢か顕れ出。雨露(アメツユ)に瀑て。髪の白ウ成たるが則山姥の髪と成て。山姥にハ是が成よし承りたるが。左様て御座らふかの「語れと仰らるゝ程に聞及ふだ事を申せバ。夫ハ古様でハ有まい。是ハ誠しからぬと有により。我等も咄し懸ツて迷惑致す。山姥にハ何やらが成と申が。アヽ今思ひ出た。山姥にハ山に住木戸か成と申候。「惣して山中の田地にハ垣を致す。則其垣が胴体と成。木戸が口と成に依て。山姥ハ山に住木戸じやと申ス〔シカ〳〵〕「木戸。鬼女。実と鬼女か本ンで御座らふずる。△偖唯今ハ何と思ひ寄て。山姥の事をハお尋有たるぞ不審に存候 「扨は是成るは天下に隠なき。百麻山姥と有る遊君なれば。正真の山姥ハ曲舞を承度思ひ。俄に日を暮し留申たると存る間。か様の恐しき者の思ひ入レたる事を。只御通り有りてハ。行先が御大事なれバ。是にて哥の一節を御所望被成。其後如来へ御参りあれかしと存る 「我等も是にて承ふずる 「心得申候 〔太鼓座へ引、後シテ出、初同ニテ入ル。〕△扨是成るハいか様成る御方にて候ぞ。ワキヨリ百麻山姥と云遊君成と云。セリフ有テ扨ハ是成るハ天下にかくれなきと云。云合ヨリ如此 二十八 雲雀山 〔シテ中入有リテ、ワキ次第ニテ出ル。右ニ付出、太鼓座ニ居ス。ワキ、次第道行過キテ、呼出。〕 「御前に候 「心得申候 〔シテ柱ノ先ニ立。〕 「今日の御狩ハ一段の天気なれバ。定てお物数であらふ程に。思ひの外御機嫌が能らふ。夫に付て我等の此数年心に存る様。哀れ何にても達者業(ワザ)のあれかし。人に抽(ヌキン)てがんしゆを仕り。頼だ人の御詞懸り度と存る処に。山鷹ハ巌石岩尾の中共云ず。茂ミを欠廻ルものなれバ。不達者でハ成ぬ事じや程に。此度ハ随分念を入下狩を致。御感に預うと存る。去ながら横萩殿の御狩に参。此多イせこの中に一人にても。如在致そうと思ふ者ハ有まいに。ちと思召事のあれバ。草木を分ケよく下狩を致せと有りて。某に被仰付たを。我等一人念を入ても。余人の不念な事有りてハ。拙者の科に成申ずる間。此由を急度申渡そふと存る。やあ〳〵皆々承り候へ。只今仰出されたるハ。思召子細の候間。谷峯迄も草木を分ケ。念を入下狩を致せとの御事なり。構へて其分心得候へ〳〵 二十九 同 〔ワキ呼出ナキトキハ、竹杖ニテ脇道行過、腰カクルト出。シテ柱ノ先ニテ立シヤベリ。〕 「か様に候者ハ。横萩の豊成公に仕へ申者にて候。我等の是へ出る事余の儀に非らす。只今仰出され候ハ。此所にて御狩を被成候ニ付。此由急度申渡そふと存ずる。やあ〳〵皆〳〵承り候へ。頼申御方の。此所にて鷹を御遣わせ被成候間。谷峯迄も草木を分ケ。念ヲ入レ下狩を致候へ。構へて其分心得候へし〔ト云、フレテ入ル。〕 三十 大仏供養 〔シテ、中入早鼓ニテ入。竹杖ツキ、早鼓ニテ出、シテ柱ノ先ニテ。〕 「か様に罷出たる者ハ。畠山庄司次郎に仕へ申者にて候。扨も此君頼朝公ハ平家を亡し。源氏一統の御代となし給ひ。弥天下安全の為。大仏御再興の御供養ニ付。鎌倉殿御仏参在す間。役々の外紛敷者。一人ニても入間敷よし。則畠山殿に仰付られ候間。構へて其分心得候へ〳〵〔ト云、触テ入ル。〕 〔一 右之外に社僧之間有之候得共、文句不都合故右之方宜敷、乍然中入後、シテ物着の処ニテ間有之候ハヽ社僧之方宜敷イ。〕 三十一 盛久 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。シテ、物着ニテ脇呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候〔シテ柱ノ先ニ立。〕 「扨も〳〵奇特成事哉。去程に主馬の判官盛久は〇囚人と成り。此中当所へ下リ給ふが。則土屋殿の預りにて様々痛り申さるゝ所に。大事の科人の事にてあれバ。急き誅せよと仰出さるゝに付。頼ミ申人も是非に及ず。由井の汀(ミギハ)へ御伴ひ有処に。程なく太刀取り後(ウシロ)に廻り振上ると存たれバ。刀か二ツに折レて盛久ハ命を助り給ふ。扨も是ハ奇特成事と不審に存すれば。主馬の判官は此年月。清(キヨ)水の観世音を信し給ひ。毎日観音経を読誦有が。疑も無き御利生にて御座有ふずる。誠に昔が今に至迄。ヶ様の希代成る御事を。某抔ハ聞も及ず候。△此由君聞召及せ給ひ。急き御前ンへ御参りあれとの御使なれバ。先あれへ参り此通りを申そふする〔ト云、シテ柱ノキワニ下ニ居テ、シテノ方ヘ向イテ。〕 「如何に盛久へ申す。土屋殿の承りにて烏帽子直垂を着し。急キ御前へ御参あれとの御諚にて候 〔ト云ハナシテ、太鼓座ニ居ス。地トリニテ入ル。〕〔脇、呼出ナキトキハ左ノ通リ。〕 「扨も〳〵奇特成る事かな。去程に主馬の判官盛久は〇△〔此印ノ間、前ノ通リ。〕 「先あれへ罷出ふと存る〔ト云、脇ノ前ヘ行座ス。〕「何と只今ハ奇特成る事にてハ御座なく候か 〔ワキ、セリフアリ。〕「畏て候 〔ト云立テ、シテ柱ノキワヘ行、下ニ居テ、初ノ通リ、シテヘ向イ、「如何に盛久ヘ申ス」ト云詞、前ノ如ク。〕 三十二 草薙 〔不用。〕 是ハ尾州熱田の郷に住者にて候。然れバ此所へ比叡山に住給ふ。恵心の僧都御下向有り。当社に一七日御籠り成され。最勝王経を講じ給ふに付当所の者ハ我等を始て残らず増てや近郷他郷の万民迄も。聴衆の輩貴賤群集なし申ス。併ひそかに諸人の取沙汰致すを承れバ。何国知らず男と女の草花を持。僧都の会座近く来り候を。如何成る人ぞと不審をなし給へバ。其時彼男女色々詞を替し申す上に我等二人は夫婦の者なり。草薙や神ン剣ンを守る神成るが。御経結願の夜陰(ヤイン)に燈の影に立添ひて。誠の姿を見(マミ)へ申べしと。白鳥の嶺の薄雲に立渡り。掻消様に失給ひたると申ス。夫ニ付当社の有難く甚深なる御事。申に斗御座なく候其子細ハ。昔日本武の尊。東夷朝家を背きしゆへ凶賊を退治有し時。太神宮より給わりし。村雲の剣ンにて野火(ヤクワ)を投払ひ給ふに依て。夫より此剣(ツルギ)を草薙の剣ンとハ申習す。此御剣ハ古へ橘姫に御渡し有り。日本武ノ尊ハ都へ上り給ひたるが。其後尊ハ白ラ鳥と成ツて飛帰り。此熱田の大明神と現じ。御剣の守護神にて御座せば。誠に吹風枝を鳴さず民鎖を差ず。国土安全の御代成ニ付。僧都も遙々此所へ御下向被成たれバ。我等ごときに至る迄。別而目出度き御事にて候いや我等こそ件の様子を能々存たれ。自然聞も及ぬ者共も御座有べく候間。急で相触申そふずる。やあ〳〵当所の面々御聞あれ。御経結願の夜陰に。誠の神姿を顕わし見(マミ)へ給ふへきとの御事なれバ。其時節ハ普く参詣を遂げ拝し給へ構へて其分心得候へ〳〵 三十三 同語 〔宝生流ハ語間也。〕 「是ハ尾州熱田に住者にて候此所へ恵心の僧都御下り有り当社に一七日参籠被成。最勝王経を講給ふ間。今日も参り聴聞申さばやと存る 〔ワキノ前ヘ行座ス。〕 「只今参じて候 「我等も疾に参り申べきを。彼方此方隙を得ず延引迷惑仕候〔セリフ、常ノ如シ。〕 【語】去程に当社と申奉ルハ昔素盞烏の尊の出雲の国にて退治有る。八胯(ヤマタ)の蛇(ヲロヂ)の尾に有し剣ンハ置たる処より村雲の立(タチ)申故に。則村雲の剣と名付ケ。天照太神へ参らせられしを。其後人皇十二代景行天皇第三の皇子。日本武の尊ハ東夷を征伐有べきとの宣旨にて。太神宮より彼剣(ツルギ)を尊に給り。浮島が原にて凶徒等拾万騎。鉾を伏(フセ)降参の躰に饗応(モテナ)し。尊を方便(タバカリ)り枯野ゝ草に火を懸ケ四方(ヨモ)のかこミを放(ハナツ)て責けるを。尊剣キにて隣の草を投給へバ。夷敵(イテキ)悉く焼失。天下一統の御代と成る事も。村雲の剣にて草を薙給ひし故なれバ。夫より此剣キを草薙の剣ンとハ申習す。此剣(ツル)ギハ橘姫に御渡し有り日本武の尊ハ都へ登り給ひたるが後にハ白鳥(シラトリ)と成ツて飛帰り。此熱田の大明神と現じ。御剣の守護神にて御座す。当社に付目出度子細数多有りとハ申せど。先我等の存たるハ如斯にて候。「是ハ奇特成る事仰らるゝ物かな貴き僧都是まて遙々御下向有り。毎日御経懈怠(ヲコタリ)無き事。神慮も一入に思召さるゝ故。当社夫婦の御神仮(カリ)に見(マミ)へ給ひ御詞を替されたると推量いたす余りに不思議の御事なれバ弥御経御読誦被成。重て誠の神姿を再び御覧あれかしと存る 「何にても御用の事有らバ承ふずる 「心得申候 三十四 愛宕空也 〔初同ニテ出、太鼓座ニ居ス。シテ中入過キ、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 是ハ山城国愛宕山の麓に住者にて候。去程に此一山の老若。今夜不思議の夢を見給ふ。其夢中の様躰ハ。明日未明に此御ン山ヘ。正真の弥陀来迎有べし。何れも罷出て拝し申せと。慥ニ御霊夢の有るを不審に思ひ。皆々残らず寄合談合ありて。今や〳〵と待給ふ処に。修行者の一人来りたるを見て。如何成人ぞと早詞を懸給へバ。是ハ念仏の行者空也と云ル聖なりとあれバ。扨ハ天下に其隠もなき。空也上人にて渡らせ給ふか。先当山の守護神にて御座せバ。地蔵権現へ御参詣候へ。則案内者致さんとて。我先にと皆同道にて参給ひ。件の夢の様を有の儘に咄給へバ上人も是を不思議さふに宣ひ毎日此法華の八軸を首に懸ケ▽△。明暮御霊夢の有るを不審に思ひ。皆々残らず寄合談合ありて。今や〳〵と待給ふ処に修行者の壱人来りたるを見て。如何成人ぞと早詞を懸給へバ。是念仏の行者空也と云ル聖なりとあれバ。扨は天下に其隠もなき。空也上人にて渡らせ給ふか。先当山の守護神にて御座せバ。地蔵権現へ御参詣候へ。則案内者致さんとて我先にと皆同道にて参詣(タマ)ひ。件の夢の様を有の儘に噺給へバ。上人も是を不思議さふに宣ひ。毎日此法華の八軸を首に懸ケ▽△。明暮御経を読奉り。若年ンより念仏にて世上を廻(マワ)ると有り。則仏前にて彼御経を読誦し給ふ刻ミ。何国共知らず老人一人出只今感得し給ふ仏舎利を望なれバ我に得させ給へと申を。空也ハ舎利をいまた感得これなきに御身ハいかなる人ぞと問給へば我は龍神にて候か最前の御経の軸の中に。仏舎利一粒有りと知らせ申ス。此八軸は辱も延喜の帝(ミカド)よりの拝領なれバ。左様の物の有をバ夢にも御存なきとて。其時軸を放(ハナチ)て見給へば。案の如くかくやくとしたる正真の仏舎利水晶の壺に入りて一粒有ルを。則彼老人に与へ給へバ。喜(キ)意(イ)の思ひをなし此報恩に。何にてもあれ御所望を叶へ申べしと頻に申上るに依。更々望ハなし去なから此山ン上を見るに水なくして遙の谷より汲運と見(ミ)へたれバ哀当山に清水を出して末世の調法にも仕給へかしとあれバ。夫こそ易き間の御事なれバ。今フ日よりして三日に当らん日。某か誠の姿を顕わし。則小竜共を引具し洪水を出さんと契約し立退(ノク)かと存たれば掻消様に失申ス。いや由なき独言を申た。最前彼老人と見(マミヘ)し龍神の。約束の如く奇特を顕さんに。ヶ様の例なき事を。某一人斗存してハ如何な。皆々へ申聞せう。やあ〳〵皆〳〵承り候へ。今フ日より三日に当らん日。当山に奇特のあれバ。何れも残らず罷出拝し申せとの御ン事也。構て其分心得候へ〳〵 〔右之間、乱序ニテ能力ニ候へ共、喜多流乱序無之候ニ付、右之通相改、長上下ニテ、シヤベリニ致候也。〕 三十五 三笑 〔口明ケ。シテ柱ノ先ニ立。能力出立。扇子持。〕 「か様に候者ハ。唐土廬山の麓。虎渓(コケイ)の東林寺(トウリンジ)恵遠禅師に仕へ申者にて候。扨も頼ミ奉る御方ハ楚国の将軍隣附王(リンフワウ)第四の御子にて御座候が。八歳の御時前師(センジ)恵(ア)学(ガク)の御(ミ)弟子に成給ひ勤学成就し悟を開き給ひ。池水に白蓮(ハクレン)の(ヲ)多く植置。中嶋(ナカジマ)へ小庵を結ひ白蓮社と名付給ひ朝暮(テウボ)賢士を招(マネヒ)て。西方の浄業を修し給ふ。取分キ賢士の中にも陶渕明陸修静と申御ン方は。日々(ヒヾ)の御参会御座候が。今日も御出会あらふずる間。白布(ハクフ)の瀧の辺りを清め。其用意を致ばやと存る構て其分心得候へ〳〵 〔一 右之間、流儀にハ無之候処、宝生流口明ケ無之候而者難相成候由、則右ノ口明文句、彼方ニ而出来、矢田清右衛門座付之儀に候故、為相勤申候事。〕 三十六 合浦 〔釣人。釣棹肩ゲ。ワキ名乗アリテ座ニ着。釣人出テ、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「是ハ此浦に住居致す釣人で御座る。今日も浜へ出て釣を垂れふと存る。扨も〳〵今日ハ一入海上も静に御座る程に。猟も御座らふと存る。さらバ釣を垂れう 〔ト云、目付柱ノ下ノアタリ、脇正面ノ方ヘ向、棹ヲオロシ、釣テイアリ。〕 かゝれバ能イが。去れバ社曳クハ〳〵。掛ツたハ〳〵。したゝかな物じやハ〈釣サホ、下ニ置。扇ヒラキ、魚ノセタルニテ。〉。是ハ何で有ふぞ。やあら合点の行ぬ物で御座る。此様な珍らしいものは宿へ持て参り人々に見せませふ〔ト云乍、シテ柱ノ方ヘ行フトスルトキ、ワキヨリ「ノウ〳〵夫ハ何と申物ニテ候ゾ」ト云トキ、釣人ワキノ前、下ニ居テ。〕 「我等も当浦に年久敷く住居致せども。ヶ様の珍敷イ物は。終に見申たる事もござなく候 〔ワキ「唯ハナシ候へ」ト云〕 いや〳〵此様な珍らしい物ハ先宿へ持て参て見せませふ 〔ト云乍立ウトスル。ワキ又詞アリ。〕 「ハアで御座る。実と仰らるれバそふじや。急で放ませう 〔ト云立テ、ワキ正面、元ノ所ヘ放ステイヲ、シイ〳〵〳〵ト云乍手ヲタヽキナドシテ云。扨詞アリテ釣棹ヲ、カタゲ、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「扨も〳〵嬉しさふなハ。いさきよい事哉 〔ワキノ前ヘ行。〕 「唯今の魚を放し申て候 〔ワキ「夫ハ祝着申候。さらハ家居に帰うずるニテ候」ト云。釣人直ニ入ル。〕 三十七 同鱗 〔中入、乱序ニテ出、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「か様に候者ハ。此合浦(カツ ポ)の海に年久しく住鱗の精にて候。我等の是へ出る事余の儀に非らず。先此君賢王に在すにより。天も納受し地神(シン)も感(カン) の(ノ)成し給ふ故。国土豊に納り雨露の恵も一入にて。五穀成就仕り人民(ジンミン)の楽ミ尽せず。国々在々迄も後世の道を専らに守り。殊に生(イケ)るを放チ給ふ故我等如きの鱗迄も。別て有難ふ存る御代にて候。夫ニ付爰にきけいと申御方の在すが。正直を第一にして慈悲深く。別して親に孝有る事を。天も是を哀ミ給ふ故。富貴栄花に御座候。扨又今日浦遊びに出られし所に。此海中に住鮫人(カウジン)と申魚を猟師釣上け。已に殺さんと致すを。彼機景(キ ケイ)色々申され扶(タス)ケ給へバ。鮫人(カウジン)危き命を退(ノガ)れ。歓(ヨロコビ)をなし皈(カヘリ)りて候。左有に依て鮫人彼恩を(ノ)報ぜん為。龍宮に隠なき如意宝珠を。今宵機景(キ ケイ)に与(アタヘ)ンとの御事なれば。此よしきけいに告知らせんと存て罷出た。先あれへ参ふ。誠に〈右ヨリ左リヘ廻る。〉真有(シン ナ)れバ徳有りと申が。第一此浦ハ目出度キ所にて。我等如キの者迄も寄合和合仕に依て。合する浦と書て合浦とハ申ス。併どこえにぞ〈脇正面ニ立、ワキヲミテ。〉。されバこそ是におりやるよ。誠に其身直(スグ)にして影(カゲ)かたまらずと申が。先ハ仁躰気貴御(タイ ケ ダカイ ヲ)方じやよ。急で此事を告知らせ申さうずる。如何に機景(キ ケイ)慥に聞給へ。此海(ウミ)に住鮫人と云魚。命助り申報恩(ホウヲン)の為に。今宵如意宝珠を御身に与んとの御事なれバ。暫(シハラク)是に御待あれ。構へて其分心得候へ。〳〵〈●拍子一ツ。〉 三十八 小原御幸 〔脇連大臣名乗テ、呼出。〕 「御前に候 「畏て候 〔脇連、幕へ入ル。ワキ正面シテ柱ノ先ニ立。〕 「やあ〳〵皆々承り候へ。小原へ法皇の御幸成さるゝ間。村々里々ハ申に及ず。河原表山野に於て。牛馬のさくり迄も急を入。其清めを仕れとの御事なり。構て其分心得候へ〳〵 〔ト触レテ、直ニ幕へ入ル。〕 三十九 住吉詣 〔脇ニ付出ル。名乗過テ呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候 〔立テ、シテ柱ノ先ニ立。ワキハ太鼓座へクツログ。〕「扨も〳〵目出度イ事哉。急て相触申そふずる。やあ〳〵皆々承り候へ。今日源氏の君当社へ御参詣成さるゝ間。社(ヤシロ)をも清め申べし。又御幸の道をも掃除以下迄。念を(ノ)入仕るべきとの御事なり。皆〳〵其分心得候へ〳〵 〔ト、フレテ幕ヘ入ル。〕 四十 鷺 〔段熨斗目、掛素袍、折ゑほし、下袴、小サ刀。扇持。〕 〔口明。囃子方座ニ着其儘出、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「か様に候者ハ。当公に仕へ申使廰(ジ テウ)にて候。扨も此君賢王に御座により。吹風枝を鳴らさず民鎖を指ず。国土豊に別て目出度御代なれバ。四季折々の御遊。申も中〳〵愚なる御事にて御座候。就夫今日ハ神泉苑の池の辺(ホトリ)へ。御幸被成べきとの宣旨なれバ。百官卿相に至まで。構て其分心得候へ〳〵 四十一 双紙洗 〔初メ脇名乗過テクツロギ、シテ出謡アリテ中入。ワキ呼出ス。〕 「御前に候 「中〳〵承て御座る。先我等の覚へた通りを申上ふずる。まかなくに何をたねとて瓜づるの。畠の畦(ウネ)をまろびころびあろくらんと聞イて候 〔ワキ詞アリテ中入スル。シテ柱ノ先ニ立シヤベリ。〕 「偖も今度禁中に於て。御哥合の御座候。就夫小野の小町の相手には。某の頼申大伴の黒主を御定成さるゝ。去程に黒主心に思召様。小町は世上に名高き哥の上手なれバ。一定読おとらん事を無念に存せられ。忍びて小町の館へ御出有り。哥の下読を窃(ヒソカ)に立聞致されけるを。小町ハ夫を夢にも御存なく。まかなくに何を種とて浮草の。波の畝(ウネ)々生ひ茂るらんと。高らかに吟じられたるを。黒主はとくと聞請け給ひ。悦び宿へ御帰り有り。万葉集に書乗セ。古歌なりと難せられんとの御匠ミにて候。去れバ是に付世間にハ聞れて悔事と。又聞れぬを悔事と。同じ悔(クヤミ)様にて心の替りたる事が御座る其故ハ。唐士((ママ))に子期(シキ)伯牙とて。両人琴の上手の有りしが。互に秘曲を弾(ヒ)キ。聞つ聞れつ楽れけるに。有時子期空しくなられし以後。泊牙琴を止められたると申ス。是は琴を聞知る者の無きを悔ミ。今の小町ハ詠吟を聞かれて悔申さんと存る事じや。いや由ない独言に時刻の移りたれバ。漸々黒主参内成されうずる間。某も御ン供仕ふずる。然らバ友輩衆を頼ミ申ぞ。只今にても黒主の御出あらば。此方へ御知らせ有て給われ。構て其分心得候へ〳〵 四十二 碪 〔段のしめ、長上下、少サ刀。〕〔始メ脇出、シテ連出ル。ワキ中入有り。シテ出、初同ニナリ、間出、太鼓座ニ居ス。シテ中入過、間シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「扨も〳〵哀な事哉。世ハ定ないとハ申が理りで御座る。頼ミ申人永々御在京有るに付。此程都より夕霧と申女房衆を御下し被成。此秋は必ず御下り有べきと御申越し成さるゝ処に。三年(ミ トセ)の内便リのなき事を以の外に御腹立成たるゝ故。夕霧様々申さるれバ。石(サス)レ流(ガ)御夫婦の中は隔の無キとて。程なく御機けんを(ノ)直され候が。され共余り御徒然(サビシ)さの儘古る事を思召出され。いやしき里人の打ツ砧と申物を御ン手にふれさせ給ひ。夕霧と御慰ミ候しが。此年(トシ)の暮にも御下リ有間敷由御聞被成。とかく御恨の程晴かたく思召か。終に空しく成給ふ。此由都へ申登せ候へば。御驚にて則御ン下向成され。殊の外御愁歎にて候。夫に付梓(アズサ)を以て。彼跡を御弔ひ有べきとの御事にて候。いや漸々時分ニも成申間。此由申上ふと存る 〔ト云、幕ヘ向。〕 「如何に申上候。早時分もよく候間。急き御出ありて御回向被成候へ 〔ワキ出、「碪ヲバ其侭置テアルカ」ト云トキハ。〕「中々置申て候 〔ト云、太鼓座へ引。右詞ナキトキハ其儘引テ座ス。何レモ云合次第タルベシ。〕 四十三 恋重荷 〔初ワキ名乗、ワキニ付キ出ル。名乗長キ故、太鼓座ニ居テモ宜ク、ワキ名乗過キテ呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候〔ト云、立テ。〕 「是ハ思ひも寄らぬお使を仰付られた。先急で〈ト云乍左ヨリ右ヘ廻ル。〉山科の庄司か支宅へ参ふと存る。か様のお使を仰付られふとハ。夢々存せなんだ。いや〈マクヘ向。〉参る程に則是じや。いかに此内に山科の庄司の渡り候か 〔シテ詞アリ。〕 「上(カミ)より召され候間。とう〳〵出られ候へ 〔シテ「畏テ候」ト云。間、ワキノ前ヘ行。〕 「如何申。山科の庄司を召て参りて候 〔ト云、太鼓座ヘ引。シテ中入過、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「扨も哀な事哉。世ハ定なひとハ申が理りで御座る。誠に山科の庄司ハ過にし比より。女御の御姿を一目見しより。しづ心無き恋と罷成り。明暮此事をのミ煩ひ居申所に。忝も君此事を聞召及ばれ。余りに彼者の心中不便に思召。綾羅錦繍(リヤウ ラ キン シウ)といふ物にて重荷を美しく拵へ。此重荷を持に於てハ。女御の御姿を見(マミ)へさせ給んとの御事により。庄司も殊外有難く存し。種々様々に持たれども。何か老たる事なれバ重荷を持兼而。終に空しく成たると申ス。惣じて恋といふ物は。昔より老イた若イによらす。心を迷すと有が是て御座る。庄司ハ及ぬ恋を致ス故。敢(アヘ)なく相果たると存れハ。拙者迄も別て痛敷存る。いや由なき独言を申た。先あれへ参様子を見申さふずる。〈ト云乍少先ヘ出、重荷ヲ置ル処ヲミテ。〉 是ハ扨偽りかと存たれハ誠じや。去ながら此様子を打捨て置てハ如何な。急き此由を申上ふずる 〔ト云、ワキノ前ヘ行座シテ。〕 「いかに申上候。山科の庄司ハ重荷を持兼空しく成申て候。彼者の情魂の程もおそろしく候間。そと死骸を御覧あれかしと存候〔ト云、引也。〕 四十四 綾鼓 〔立形、恋重荷同断。〕 「御前に候 「畏て候〔立テ幕ヘ向。〕 「やあ〳〵毎も御庭の掃除仕る下部の老人。御用の有る間とう〳〵参れとの御事なり。急で参り候へや〔シテ、幕ヲハナレルト。〕 「いや是迄参りて候。其由申上ふずる 〔ト云、ワキノ前ヘ行座ス。〕 「お庭掃の老人是まて参りて候 〔ト云、太鼓座ヘ引。シテ中入過、シテ柱ノ先ヘ立ツ。〕 「最前お庭掃の下部の老人。お上より召さるる間。我等も不審に存じ。如何成者の讒言により。召出されて御叱(シカ)りに逢ふか。又ハ常々御奉公を大切に仕る故。いつかどの御褒美にも預り申か抔と。某も心中に浦山敷く存じたれバ。左ハなくして彼老人。何の頃にか女御を見染参らせ。しづ心なき恋路に迷ひ。夫より明暮悩ミ申事。忝も女御聞召及せ給ひ。元より恋路ハ高きも賤しきも隔なき物なれバ。彼老人が心底不便に思召。綾の鼓を拵へ。桂の池の辺リに懸置せ。老人に是を討させ音(ネ)の聞へなバ。今一度見(イチドマミヘ)給わんとの御事なれバ。老人は有難く存じ。夫より桂の池の辺りへ立越へ。彼鼓をうち申せ共。本より綾にて張りたる鼓なれハ。何程打ても音(ネ)の出申さぬを恨。桂の池へ身を投空しく成る事。南方痛敷御事に候。いや由なき独言を申て御座る。先此由申上ふと存る 〔ト云、ワキノ前へ行座ス。〕 「如何に申上候。最前の老人鼓の鳴らぬ事を嘆き。桂の池へ身を投空しく成申て候 「参ン候 「尤に候 〔ト云、太鼓座ヘ引。供ニテ無之。長上下ノ時ハ、ワキ名乗ノ内ニ片幕ニテ出ル。但シ宝生流脇ハ、橋かゝりニ而名乗ル。〕 四十五 千引 〔脇ノ供、太刀持ニテ出、名乗過キテ呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候〔ト云立ツ。〕 「一段の事を仰付られた。急で相触申さうずる 〔ト云、連女ニ向。〕 「何方から参ふぞ。先此家へ案内を乞ふ。いかに此内へ案内申候 「是ハ甲斐庄殿の御(ミ)内の者にて候が。何某殿の仰にハ。此所の千引の石を他国へ引出し。千々にわり捨させよとの御事なり。左有に依て此在所の者。上は六拾下ハ十五歳を限りて罷出。石を引キ申せとの御事なれバ。人を御出し候へ 「夫ならハ旁出て石をお引きやれ 「左あらバ人を雇うて出され候へ 〔シカ〳〵〕 「女とて卒忽な事を申者哉。石を引ぬに於てハ此所にハ叶ふまじいぞ。とう〳〵何方へも行キ候へ。早ふお出やれや。又外をも相触申そふずる 〔シテ柱ノ先キ脇正面ヲ向。〕やあ〳〵此所の面々承り候へ。何某殿の仰にハ。千引の石を他国へ引出シ。千々に破(ワ)り捨よとの御事なれバ。上ハ六十下ハ十五歳を限ツて。早々罷出石を引申せとの御事也。其分心得候へ〳〵〔ト云、太鼓座へ引。シテ出、中入過、シテ柱ノ先ニ立。〕 「是ハ如何な事。堅く申付候に一人も見へぬ。悪(ニクイ)事て御座る。某の相触申て候に。今に於人が出(イデ)イでハ。身共が不念に成事じや程に。今一度急度申付ふ。やあ〳〵皆〳〵承候へ。旁へ相触て有るに。一人も見へぬが重て出ぬに於てハ。面々の曲事たるべしとの御事なれバ。早々罷出申せとの御事なり。其分心得候へ〳〵〔ト云、笛座の上ヘ行居ス。〕〔石引、ヲモ一人出、シテ柱ノ先ニテ名乗ル。〕 石引「是ハ此隣に住居仕る者にて候。扨も此所に千引の石とて大石の御座候が。魂(タマシイ)有て人を取る事数を知らず。去ル間甲斐の庄殿の仰にハ。此石を他国へ引出し。千々に破(ワ)り捨よとの御事にて。上は六拾下ハ拾五歳を限て。何れも罷出石を引申せとの御事なれど。最前も申如く此石に魂あれバ。恐れて出申さぬを。又重ての御触にハ。若出ぬ者有るに於てハ。面々の越((ママ))度たるべしとの御事なれハ。先何れも呼出し談合申さうずる。皆居さしますか。用か有程に急でおじやれおじやれ 〔石引、四五人出ル。〕 「何れも呼しますハ如何様成(ナ)事しや ヲモ 「少と咄度事か有る。先号お通りやれ ツレ「心得た〔ト云、皆々脇上面ニ立。ヲモハ地謡ノ方ニ立ツ。〕 ヲモ「皆を呼出すは別の事でもなひ。今度の石のさたハお聞きやたか 「中〳〵聞たに依。出(デ)ふとハ思ふたれ共。其方もお知りやる通り。あの石には魂か有ツて人を取に依て。夫故恐しさに出ぬよ ヲモ 「されハ其事じや。某もおそろしさに宿に居たが。重てのお触にハ。出て石を引ぬに於てハ。曲事に仰付らるゝと。急度仰出されたに依て。此度ハ出て引ずハ成まい ツレ 「はて扨夫ハにが〳〵しい事じや。何れも何とした物て有ふぞ 又ツレ 「某の思ふハ。是非に及ぬ程に石を引ウと思ふ 又々ツレ 「身共も引イたらハ能ふと思ふ ヲモ 「夫ならハいざ行ふ ツレ共 「一段と能からふ ヲモ 「おりやれ〳〵〔ト云乍廻ル。皆々跡ニツキ廻ル。〕 ツレ共 「心得た〳〵 ヲモ 「是ハ云ふても安大事じや程に。ぬからぬ様にさしませ ツレ 「其段ハ気遣ひさしますな。随分ぬかる事でハないぞ ヲモ 「いや何角ト云内に是じやハ ツレ 「誠に是じやよ ヲモ 「見た所は余り大イ石でも無イが。千人して引イても動かぬと云が。不思議な事じや ツレ 「おしやる通り希代な事じや ヲモ 「さあらハ是を引ずハ成まい ツレ 「尤引もせうが。是を見たれハ何とやら怖(ヲソロシ)う成ツた程に。身共ハ得引まい ヲモ 「わこりよハ億((ママ))病な事をいふ。是を引ネハ曲事に仰付らるゝ程に。是非に及ぬと思ふて引シませ 又ツレ 「誠に爰な者の云通り。是非に及ぬとおもふて急でお引きやれ ツレ 「夫ならバ引ふが。何として引た物で有ふぞ ヲモ 「先是へ綱を付ふ ツレ 「是ハ一段とよからふ〔ト云テ太鼓座ヘ綱を取ニ行、持出て作物ニ付ル。〕 ヲモ 「さらバいつれも引シませ 皆々 「心得た ヲモ 「身共か音頭(ヲンド)を取ふ ツレ 「一段とよからふ ヲモ 「エイサラ〳〵〳〵〔ト、ツレ皆綱ニトリ付。ヲモハ扇ニテ手拍子ヲ取テ、ノリ乍「エイサラ〳〵」と云。二三ベンモ云テ。〕 ヲモ 「いかな〳〵ゆつすりともせぬ。随分情を出イて引しませ 皆〳〵 「心得た〔又始メノ如ク「エイサラ〳〵」と二三ベンモ引ト、ツレ女立テ「ワラハ一人ニテ石ヲ引ウスルニテ候」ト云。皆ヤメテ。〕 ヲモ 「是ハ狂しい事を申もの哉。去なから先此由を申上ふ ツレ 「一段とよからふ申上さしませ ヲモ 「先面々ハ少シの間休ましませ 皆 「心得た〔ト云皆下ニ居。ヲモハ太刀持ノ方ヘ向云フ。〕 ヲモ 「如何に申上候 〔太刀持立テ〕 「何事にて候ぞ  「お触に任せ何れも罷出引申せ共。如何なゆつすり共致さぬ所に。女の一人ン出て石を引ウと申候 太 「是は不思議成る事を申物哉。其よし申上ふずる間。面々ハ休ミ候へ ヲモ 「心得申候。さあ〳〵何れもおりやれ〳〵 皆々 「心得た〳〵〔ト云乍皆々入。太刀持ワキニ向イ云。〕 太 「如何に申上候。千引の石を何れも罷出。随分情を出シ引申せども動き申さぬを。女の罷出壱人して引申べき由申候 太 「尤に候〔立テ、シテ柱ノ先ニテ。〕 「やあ〳〵頼ミ申人の御出成さるゝ間。石の隣を退(ノ)き候へ〳〵〔ト云、太コ座ヘ引。〕 四十六 常陸帯 〔脇ノ供、太刀持ニテ出ル。ワキ名乗過キ呼出ス。〕 「御前に候 「心得申候皆々へ申ス聞給へ。毎のことく常陸帯の御神事を。今日御行ひ候間。皆役〳〵の輩は其分心得候へ〳〵 〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。シテ出、中入来序。〕〔間社人、来序ニテ出、シテ柱ノ先ニ立。〕 社人「か様に候者は。常陸鹿嶋大明神に仕へ申者にに((衍))て候。我等の是ヘ出る事余の儀にあらず。去程に珍らしからぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。諸神国々在々に跡を垂給ひて。霊神数多御座とハいへど。中にも当社と申奉ルハ。忝も出雲の国に宮居を成し給ふ。素盞烏の尊の第三の王子にて。稲佐速霊(イナ サ ハヤ タマ)の神ンと祝れ給ふが。其後常陸の国に宮居を成して。鹿嶋大明神と威光を顕し給ふ故。国々在々所々よりも。老若男女共に渇仰致し。毎日毎夜袖を連踵を次(ツイ)て。歩を運ぶ衆生数かぎりなけれバ。神前の賑か在す御事。又と並たる神も御座なく候。其上むかし我朝の神々。悉く異国へ御立成されんと有る所に。当社の御神一番に魁(サキガケ)を被成。戎(エヒス)を残らず打亡し。天下安全に守らせ給ひ。殊にハ妹背の中達にて。一段目出度御神なれバ。今に至る迄我人の鹿島立と申ハ此子細と承る。扨今日は(タ)一番にやぶさめ。八町馬場を築き八所に的を立。獅子田楽(シ ヽ デン ガク)の輩。又上(カミ)の郷(ガウ)ハ烏帽子素袍を着(キ)。中の郷ハ具足を着(チヤク)し。下の郷ハ斉の林團踊(ウチハヲド)りの支度にて。何れも早々御参りあれ。其分心得候へや。是ハ早時分そうな。何れも呼出し申そう 〔ト云、幕ヘ向イ。〕 皆居さしますか 〔社人、ツレ三四人出ル。〕 ツレ 「何事でおりやるぞ ヲモ 「最早御(ミ)輿を立ませう ツレ 「一段と能うおりやらふ ヲモ 「さあ〳〵こちへおりやれ 皆々 「心得た〔皆舞台へ出、作物ノ方ヘ向イ。〕 ヲモ 「更ハ立う 皆々 「能ふおりやらふ 〔ト云、皆々作物ヲ輿ノ心に、皆ソバヘヨリ、上クルテイヲスル。〕 ヲモ 「エイヤ〳〵 ツレ皆〳〵 「エイヤ〳〵 〔ト云ナガラ、アケルテイヲスル。〕 ヲモ 「エイトウ〳〵 皆 「エイトウ〳〵  ヲモ 「荒不思議や。ちつとも立せられぬは ツレ 「されハ不思議な事じや ヲモ 「更ハ今度ハいつれも勇ふで渡イて見う ツレ 「能うおりやらふ ヲモ 「エイヤ〳〵 ツレ 「エイヤ〳〵〳〵 ヲモ 「エイトウ〳〵 皆々 「エイトウ〳〵 ヲモ 「サイヤレ〳〵 皆々 「サイヤレ〳〵 ヲモ 「此エイヤ〳〵 皆々 「エイヤ〳〵〔ト始メノ通リ、上ルテイヲ勇ニテスル。〕 ヲモ 「如何なゆつすりとも被成ぬ。いささらバ此由を申上ずハ成まい。わごりよいて云ふて呉さしませ ツレ 「いやわごりよいて云しませ ヲモ 「夫ならバ言ふ程に。わごりよ達はいて休しませ ツレ 「心得た。さあ〳〵おりやれ〳〵 ツレ皆々「心得た〳〵〔ト云乍ツレ皆々、入ル。ヲモ、ワキヘ向イ。〕 ヲモ 「如何に申。御輿を渡しませうと致せども。上らせられぬが何と仕ふするぞ ヲモ 「最前何国共知らず男女の参詣致し。何事やらんいじくじ〳〵と在に申合(アヒ)。扨神前に懸りたる花田の帯を。其儘取りて帰りたると申が。是ハ不思議成る御事にて候 「急て御覧候へ〔ト云テ直に幕ヘ入ル。〕 四十七 弱法師 〔始メ脇にツキ出、太鼓座ニ居ス。ワキ名乗過、呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候 〔ト云立テ。〕 皆々承り候へ。左衛門の尉通俊(ミチトシ)殿の施行。今日満願にて候間急キ罷出施行を請申せとの御事なり。其分心得候へ〳〵〔ト云フレテ、太鼓座ヘ引クナリ。切ニ、サソヒ有之候故、長上下ニテモ。本幕ニテ出ル。切ノ謡「あけぬさきにといさなひて」テ((ママ))ト云時、脇宝生流ハ、扇ニテ間ノ方ヲサストキ間出テ、シテヲ連入也。福王流ハシテヲ連、シテ柱ノアタリ迄来ルトキ、間立テシテヲ連入ルナリ。何レトクト云合可然。〕 四十八 護法 〔脇名乗有り。道行の内ニ片幕ニテ出、太鼓座ニ居ス。道行過キテ呼出ストキ一ノ松ニ立。〕 「名取の在所の者お尋ハ。誰にて渡り候ぞ 「中〳〵此所に御座候が。如何様成事にてお尋ね成され候ぞ 「其名取の老女は。此所に三熊野を勧請有り。毎日社参申され候が。定而(テ)今日も今に参られ申べく候間。是に御待有りて御逢ひ候へ 「尤に候 四十九 満仲 〔初、満仲ノ供ニテ出ル。太刀持ツ。謡「我子を夢に成しにけり〳〵」ト云トキ。〕 「御歎御尤に候。先御死骸を納メ申さふずる 〔シテ「更ハ死ガイヲ納メ候へ」〕 「畏て候 〔幸寿(カウジユ)丸ヲ小袖トモニ切戸ニ入ル。シテ呼出ス〕「御前に候 〔シテ「汝ハ美丈(ビゼウ)御前ノ御供申叡山ノ阿者梨(アジヤリ)ニ参リ、美丈御前ノ御事ヲ頼申由申候へ」。〕 「畏て候。先御立有ふずる。かう寿丸の事。嘸不便に思召れふずるか。ヶ様の御事も。御手習学文御懈怠(ケ ダイ)成さるゝ故なれバ。是より以後ハ御心を引替られ。学文に御情入られ候ハヽ。自(ヲノツカラ)御勘当をバ御ン免(ユルシ)成されうずる間。先此方へ御入候へや 五十 鶏龍田 〔ワキツレ男。平岡何某供ニテ出ル〕 「如何に申。あの鶏を御らうじられい。扨も〳〵うつくしい鳥でハ御座なく候か 「更ハ取ツて帰り。童衆(ヲサナイシウ)に土産に致そふ 〔「トツ〳〵」ト云乍鳥ヲトラヘルテイアリ。〕「扨も〳〵見事な鳥かな 〔シテ中入有リテ、ワキ「先々支度ニ帰うズルニテ候」。〕 「如何に申候。あこやの前の物の化。以の外成る由申候 「私の推量にハ。最前の鶏の執心か付キたるかと存候 「畏て候。急て信(シ ギ)貴(スムガヨシ)山(サン)へ参ふ。則是じや。如何に此庵室の内へ案内申候 「平岡より御使に参ンじて候。あこやの前の物化。以の外に御座候間。只今御出被成。加持有て給われとの御事に候 「左あらバ某ハお先へ参り申さふずる。阿婆((ママ))梨の御出にて候。号々御通り候へ 「是に候 「畏て候 五十一 鳥追船 〔シテ中入有リテ、ワキツレ日暮ノ何某次第ニテ出ル。間、右ノ供ニテ出ル。名乗過キ呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候 〔ト云立テ、ワキ正面ヘ向ク。 「やあ〳〵其灘に当ツて。笛太鼓の音(ヲト)の聞ゆるハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。是ハ能い見物で有ふ。其由を申上ふ 〔ト云、ワキニ向。〕 「如何に申上候。其由を尋て候へば。此国の習にて。舟にて数多の鳥を追ひ候が。当年ハ鳥追舟を結構に飾り。拍子に掛ツて鳥を追ひ候由申候間。御見物有ふするにて候 「尤に候 〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。〕 五十二 室君 〔初ワキニ付出、太鼓座ニ居ス。ワキ名乗過キ、呼出ス。〕 女 「御前に候(サムラウ) 「心得申候 〔立テ、ワキ正面ニテ。〕 「誠に万目出度イ折柄なれバ。毎ものことくに御神事を。御勤成されうするとの御事なれば。何れもの衆へ其由申渡そふずる。やあ〳〵皆〳〵御聞あれ。毎年の如く御祭礼を。御勤有べきとの御事なれバ。遊女達も不残舟に乗り。囃子物にて御出あれとの御事なれバ。皆々其分心得候へ〳〵 〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。〕〔古本ニハ此跡少々詞、会釈有之候へ共、当時フレ斗ニテ相済候故、略之。且又初メノワキノ呼出シモ無之事有リ。其時ハ立テ、フレル斗ナリ。〕 五十三 高野物狂 〔初、シテ次第アリ。名乗済テ正面ニ下ニ居テ謡アリ。右謡済キワニ、間文ヲ持、幕ヨリ出。謡済ト、シテ柱ノ先キニテ。〕 「是ハ高師の四郎に仕へ申者にて候。頼申人ハ観音寺へ参詣申されたるが。俄に急なお使に参る。急イで参ふ。〈先ヘ出、シテヲミテ。〉いや是に御座候よ〔シテ、右ノ方ニ下ニ居テ。〕「如何に申上候。今夜春満(シユンミツ)殿の何国共なく。失せ給ひて候 「参ン候 「是ハ唯今御内にて拾イて候が。如何様よう(用)有(ア)リ気(ゲ)成ル文と存候間。急て御覧候へ 〔ト云、文ヲ渡ス。〕 「左あらハ我等も御跡より参り申さうずる 「心得申候 〔ト云テ直ニ入ル。〕 五十四 加茂物狂 〔始脇出、シテ出テ問答アリ。初同ニ成間出、太鼓座ニ居ス。シテ中入有リテ、男二人次第ニテ出ル。次第名乗済テ、ツレ男カヽル。〕 「此隣の者お尋ハ。如何様成る御事にて候ぞ 「参ン候夫ハ過にし春の頃。物詣ふてとやらんするとて出られて候が。夫より今日迄帰り申されず候間。いかゝ存ぜず候 「御用の事あらば承ふずる 「心得申候 〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。〕 五十五 籠祇王 〔脇粉河ノ何某。狂言供ニテ出ル。名乗過テ呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候 〔ト云、座ニツク。祇王案内乞。〕 「誰にて渡り候ぞ 「申給ふハ去事なれとも。囚人に対面ハ堅キ法度なれバ。中々思ひも寄らす候(思ひなから叶候まじ」トモ) 「常の女人に替りたるとハ。如何成人にて渡り候そ 「何と祇王と云人にて有る。父に逢せて呉ひ面白ふ舞をまふて見せう。夫ならバ暫く御待あれ。御機嫌を以て伺ひ申そふずる 「如何に申上候。都に隠もなき。祇王御前と申遊女是ヘ下り。牢舎の父に逢度由申され候を。中〳〵成間敷とあらけなく申て候へば。父に御逢せあらハ。面白ふ舞をまふて見せうと申され候か何と仕ふずる 「畏て候 「一段の御機嫌に申合た 「最前の由申上候へば。面白ふ舞を舞われふならバ。逢せ申せとの御意にて候間。号〳〵御通り有ツて父御に御逢ひ候へ 〔脇牢舎の父ヲ誅致候へと云時、狂言作物ノ戸明ケ父ノ手ヲ取出シ、正面へ置也〕 「旁の嘆きの程ハ推量致たれ共。早帰らぬ事なれバ。此上ハ万事を思ひ切り。最期にミれんを出さすに。とかく後世を助る様にさしますが専でおりやるぞ 〔ト云捨てテ入ルナリ。〕 五十六 関原與市 〔初ニ、シテ供侍。次第サシ謡、道行、美濃国山中に付。シテト侍少シ詞アリ。シテノ詞ニ「サラハ深ク忍バウスルニテ有ゾ、此方ヘ来リ候ヘ」ト云トキ間立。〕 「やあ〳〵皆〳〵承り候へ。頼ミ申候関原与市。当国中川の庄を領地に給り。只今御入部成さるゝ間。皆々其分心得候へ〳〵 五十七 二人静 「御前に候 「畏て候 「やあ〳〵皆〳〵承り候へ。毎の如く女共に菜摘川へ出よとの御事なり。其分心得候へ〳〵 鷺流 十一世          矢田文蕙 狂言堂(印) 【翻刻】 [五冊目] 一   鶴亀 二   皇帝 三   感陽宮 四   邯鄲 五   班女 六   吉野静 七   船弁慶 八   安宅 九   西行桜 十   三井寺 十一  舎利 十二  黒塚 十三  藤栄 十四  花月 十五  百万 十六  自然居士 十七  東岸居士 十八  富士太鼓 十九  善知鳥 二十  籠太鼓 二十一 藍染川 廿一  小督 廿二  放下僧 廿三  烏帽子折 廿四  春栄 廿五  鉄輪 廿六  唐船 廿七  正尊 廿八  葵上 廿九  蟬丸 三十  七騎落 三十一 俊寛 三十二 巻絹 三十三 調伏曾我 三十四 小袖曾我 三十五 元服曾我 三十六 禅師曾我 三十七 土車 三十八 竹雪 三十九 国栖 四十  檀風 四十一 大江山 四十二 摂待 四十三 木賊 四十四 行家 四十五 鐘引 四十六 水無瀬 四十七 橋立龍神 四十八 接待 四十九 同 五十  満仲 五十一 切兼曾我 五十二 元服曾我 五十三 現在七面 一 鶴亀 〔口明ケ。囃子方座着、作物出ルト其儘出、シテ柱ノ先キニ立ツ。〕 「抑是ハ唐(トウ)ノ玄宗皇帝に仕へ奉る官人にて候。扨も此君賢王に在スにより。吹風枝を鳴らさず民戸をさゝず。誠に御(ミ)影有難キ御代にて御座候。然れバ毎年四季の節会の初(ハシメ)には。御門不老門に御幸成され。舞楽を奏し給へバ。一千(イッセン)年の齢を保丹頂の鶴。万歳(バンゼイ)緑毛の亀参内申シ。毎も舞遊ひ候が。当年も早其時節に成たれば。老若共に残らず出(イデ)て拝し給へ。構て其分心得候へ〳〵 二 皇帝 〔口明。右同断。〕 「抑是ハ唐土玄宗皇帝に仕へ申官人にて候。扨も我君に三千人の后(キサキ)在す。其中にも楊貴妃と申て。帝に並ひなき御寵愛の御方。此程以の外の御心地にて候間。医者数をつくし御養生あれど。さらに御験もなく候。今日ハ此殿に御幸成され。楊貴妃の御容体を叡覧有べきとの御事なれば。百官卿相に至迄。其分心得候へ〳〵 三 感陽宮 〔口明。右同断。〕 「抑是ハ秦の始皇帝に仕へ奉官人にて候。扨も我君賢王に御座により。吹風枝をならさず。民戸ざしを差ぬ御代にて候。然れバ君の宣旨にハ。燕の国の差図の箱と。並ひに焚於期(ハンヘキ)がかうべを持参内仕候ハヾ。何にても望を叶へ給んとの御高札なり。其分心得候ヘ〳〵 〔太鼓座へ引居。シテ、連女出、謡アリテ、一セイニテワキ二人出、道行、名乗過テカヽル。官人立テ、シテ柱ノキワニ立ツ。〕 「奏聞とハ如何成者ぞ 「さ有らバ其由申上ふずる間。夫に暫く御待候へ。〔ト云、大臣ニ向居シテ云。〕如何に奏聞申候。燕の国の傍(カタワラ)に住む。荊軻秦舞陽と申二人の民。御高札に任せ燕の国の指図の箱と。並に焚於期がかうべを持参内仕候 「参ン候 「畏て候 〔ト云、跡ニ寄、下ニ居待ツ。〕 ワキ呼出 「御前に候 「畏て候 〔立テ、ワキヘ向イ。〕 「最前の人の渡候か 「其由申上て候へバ。則参内申せとの御事に候。乍去御太法なれハ。剣ンをバ某預り申そふずる〔ワキ、クツロキ、ツレワキト詞有リ。剣ヲトル。右ノ内官人モ下ニ居ルガヨシ。〕〔ワキツレ、ワキ、剣ヲ一所ニシテ、官人ニワタス。〕 「某預り申そふずる〔ト云、ケンヲトル。ワキ詞アリ。〕 「是ヨリ三里登ツて三里下(サカ)ツテ。又三里上(ノボ)ツてつゝとの上じや程に。そろ〳〵御登り候へ〔ワキ答ヘナシ。官人、剣ヲ後見座に置キ座ス。〕 四 邯鄲 〔口明。右同断。但し枕、左ノ手ニカヽヘ持テ出。台ノ上ニ置テ、シテ柱ノ先キヘ戻、立ツテ名乗ル。〕 「是は唐土邯鄲の里に住者にてさむらう。童邯鄲の枕とて。奇特の有ルを持参らせて候(サムラウ)。是は一ト年セ仙の法を行ひ給ふ旅人に。お宿を参せて候へバ。其恩賞に給りたるが。是に一睡(スイ)まどろめば。腰方行末の事を見る枕にて候間。若御所望の方あらば。此方へ御入リ候ヘや〔ト云、太鼓へ引座ス。シテ次第道行過テ、名乗アリテカヽル。但、橋掛リニテ次第道行、一ノ松ヨリカヽル事モアリ。〕 「誰にて渡り候ぞ。いやお旅人にて候よ。 「お宿参せふする間。まづ内ヘ御入り有りてお腰を召され候ヘ〔シテ舞台ヘ出ルアイダニ、後見ヨリ受取持出シ、腰カケサセ、シテノ右ノ方ヘ行、下ニ居テ。〕 「扨是は何国よりいづ方ヘ御通り被成候ぞ 「夫は何の為の御出にて候ぞ「さ有らハ童邯鄲の枕とて。奇特の有を持参らせて候間。是に一睡まどろめバ越方(コシカタ)行末の事を見る枕にて候間。少ト御目睡(マドロミ)有ツて御覧候ヘ 「あれ成大床に御座候〔ト云乍枕ヲミテ、シテ詞云乍腰ヲハナルヽ。〕 「其間に粟の供御を拵ヘ申さうずる〔ト云乍セウギヲトリ、後見ヘ渡、座ス。シテ夢ノ舞楽過キテ、後諷「ねむりの夢ハ覚にけり」ト謡ふ内、女立テ台ノワキ迄行、扇ニテ台ヲタヽキ、詞云。〕 「如何に旅人御昼(ヲヒル)なり候ヘ〔ト云、直ニ立テ幕へ入ル。〕 五 班女 〔口明。囃子方座ニ着ト、其儘出。シテ柱ノ先キニ立。〕 「童ハ美濃の国野上の宿の長者にてさむらう。童上臈あまた持ちたる中に。花子と申は幼(ヲサナ)き時よりも。朝夕扇に数寄申されたる故に。此花子を皆人班女とハ名付給ふ。又此春都より。吉田の少将殿と申ス御方。東(アツマ)ヘ御下り有るとて。是に御宿り有り。彼班女に御酌杯取らせ給ひし時。少将殿の扇を取替(トリカワ)して下シ給ひたるが。班女此扇に而己詠メ入り。今ハ御酌とて人の召(メス)にも出されば。長がわろきとて各御しかり成るゝ間。花子を呼出し此由急度申渡そふと存る〔ト云、幕へ向。〕 「如何に花子の有るか。申子細の有る間。急で出られ候へや〔シテ出ルヲミテ。〕 「扨も〳〵あのなりわいの。早ふ歩(アユマ)しませ〔シテ舞台ヘ出ルマデ相応の詞。〕〔右ニ准シ云ウ。シテ下ニ居ル。女脇正面ノ方、シテノ右に立。シテノ持タル扇ヲ取リ乍。〕 「ヱヽまだ此扇をはなさぬか。のふわごりよ能ふ聞しませ。細々童か異見をいへども。終に聞入るゝ体がない。長が中違ふからハ。此屋の内にハ叶フまひ程に。此扇に添ふて。急て何国方へも出られ候ヘ〳〵。構て早ふ行しませ。のふ腹立や。面憎や。腹立やの〳〵〔ト云乍入ル。但シワキ高安流ナラハ跡に会釈イ有ル故、太鼓座ヘ引居。シテ中入過キテ、ワキ次第名乗有リテ、脇連に花子尋ネテ来り候へと云付ル。〕〔ワキツレカヽル。女、一ノ松ニ立。〕「誰にて渡り候ぞ参ン候元ハ此家(ヤ)に住申されたるが。長と不和成る事有りて。今ハ当所にハ御座なく候 「尤に候〔ト云、太鼓座ニ引居。能済テ入ル。〕 六 吉野静 〔初メ囃子方座着、脇出、各乗テ、クツログト、能力二人、扇を貝ノ心に吹く体ヲシテ、「ツウワイ〳〵」ト云乍出ル。但シ下掛リハ初メ有。シテ中入後、間出ル也。〕 ヲモ 「ツウワイ〳〵 ツレ 「ブウ〳〵 ヲモ 「ツウワイ〳〵 ツレ 「ブウ〳〵〔ト云乍舞台一ヘン廻リ、左右ニ立止リテ詞。〕 ヲモ 「喃々皆の者は遅(ヲソ)ひが隙が入か知らぬ ツレ 「されバ不思議な事でおりやる ヲモ 「先爰所に待合そふ ツレ 「能ふおりやらふ〔ト云、両人下ニ居ル。ワキ、間ノ中ヘ出、下ニ居ル。〕 ヲモ 「何と思わしますぞ。常々ハ人より先へ進ミ出て。か様の事に遅ひハ。心中の程が大方知れたよ ツレ 「おしやる通り。ぬかつた者ともでおりやる〔爰ニテ脇出る。二人驚たる体ニ而。〕 ヲモ 「いや是は如何成人なれバ。此吉野十八郷の。おとなの集会(シユヱ)の座敷へ。濡(ヌレ)わらんづでハいかゞておりやる〔「是ハ都道者にて候。集会の御座敷共存せす候、御めんあらうふするにて候」。〕 ヲモ 「都は都爰ハ爰じやに。いや去ながら。此人ハよふお知りやらふ程にお問やれ ツレ 「其方お問やれ ヲモ 「都にて頼朝義経の御中をバ。何と風聞申ぞ 〔ワキ 「かみは御一たいなれハ、つゐには御中なをらせ給ふべきよし申候」。〕 ヲモ 「偖ハ旁ハ判官殿びいきじやよ。又義経は此山を。人数如何程にて披(ヒラカ)れたると申ぞ 〔ワキ 「十二きとこそ承りて候へ」。〕 ヲモ 「十二騎とハ十二人の事か。夫ならバ皆を待迄モも有まい。いざ両人して追欠申さふ〈ト云ナガラ、ウテマクリシテ、行フトスル。尤ツレモ同。〉 〔ワキ 「暫く、十二騎と申とも、余の勢百騎二百騎にもむかふべし。か様に申ハ都のもの、たうざんをしんし参る上ハ、いかにも御寺も宿坊もなんなくおわしませかしと思へば、かやうに申也。此上ハともからも」。是より謡に成り、地取「御暇申候わん〳〵」と云時、ワキ真中ヲ通リ、大臣柱ノ方へ行。〕 ヲモ 「夫ならバ何角と申そふよりも引て戻ふ ツレ 「能うおりやらふ ヲモ「いざこちへおりやれ〳〵〈ト云乍入ル。〉 ツレ 「心得た ヲモ 「何れもへ其通りを知らせふ ツレ 「如何にも知らせふ共 ヲモ 「こちへおりやれ〳〵 ツレ 「心得た〳〵 七 船弁慶 〔脇、次第ニテ出ル。跡ニ付出。太鼓座ニ居ス。道行、詞アリテカヽル。一ノ松ヘ立ツ。〕 「誰にて渡り候ぞ。いや武蔵殿の御下向にて候よ 「さあらバ御座船の儀を申付ふする間。先奥の間(マ)ヘ御供なひ成され候へ〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。シテ中入過、一ノ松ニ立ツ。〕 「誠哉覧(ヤラン)唯今承れバ。静御前の立わかれ給ふ時。我君へ御名残を惜ミ給ひたると申せバ。御前ンの様子御心元なく候間。先あれへ罷出。御機嫌を(ノ)伺ひ申そふずる〔ト云、ワキノ前ヘ行座ス。〕 「亭主御身舞申上候。我等ハ用所御座候ひて。委くハ存ぜす候が。只今人の雑談仕るを聞バ。君へ静の御心を残し置れたると承り。拙者迄も落涙仕りて候が。武蔵殿にハ何と思召れ候ぞ 「参ン候 「実々か様に御忍ひのお下向も。一旦御咎なきよしを仰わけられん為成るに。女性上臈の御供にてハ。世間の人口(ジンコウ)然るべからず思召。君の御留メあれバ又静は。此時節こそ遠国波涛迄も。女人の身にて見届られんと有ハ。去りとてハ義理の届た事て御座ると。皆々感じ申事に候 「其お事で御座る。最前御座船の儀を仰付られた程に。随分申付てハ御座れ共。先あれへ参り。弥念を入させ申さふずる 「心得申候〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。〕〔ワキ立テ、ツレワキト詞アリ。諷に成る。「ゑひや〳〵といふ塩に」と諷ふ時、ワキ、「船頭舟を出し候へ」と云フトキ。〕 「畏テ候〔ト云テ幕へ入リ、舟ヲ持出シ、地謡ノ前ニ直シ、トモニノリ、カイ棹ヲ持テ。〕 「皆々お船に召され候へ〔ト云、判官、ワキツレ乗ル。ヲモワキモ乗ル。但シ云合次第ニテ、「武蔵殿ニモ召サレ候ヘ」ト云、弁慶乗ルモアリ。何レトクトイヽ合可然〕 「さ有バ船を出し申候〔ト云テ立テ、「ヱイ〳〵〳〵」ト、コグ。〕 「早目出度イ御吉相が見へて御座る。今日の様な能き日和(ニワ)ハ。近頃にハ希な事で御座るが。武蔵殿にハ何と思召され候ぞ。 「又御座船の事にて候へば。究竟の水(カ)主(コ)ともを撰ミ乗せて候が。武蔵殿にハ何と御覧被成候ぞ 「エイ〳〵〳〵。扨武蔵殿へちと願が御座る 「某の様に一命を捨御供仕る上ハ。御本望を遂られた時。是より四国西国の海上をバ。某一人に仰付られて下されいかしと存候 「夫ハ忝ふ御座る。去ながら其時分ハ。お事多くも御座らふ程に。必違(イ)却隔(キヤク)仕らぬ様に願ひ申候 「夫ハ別而忝ふ御座る。ヱイ〳〵〳〵 荒不思議や。あれへ見馴ぬ雲が出たよ。あの様な雲が出(ヅ)れバ。必風に成たがる物じやが。何レも御座船に愚(オロカ)ハないと申なから。是ハ木取の時より念を入レ。針かすがいを十分(ヂウブ)に仕り。船子ニは数多の手垂を乗せ。楫取をば某の仕る程に。御心易く召され候へ。ヱイ〳〵〳〵。去れハ社風か替つた。皆々情を出し候ヘ〔ト云乍下ニ居テ、右ノ肩ヲヌギテ、「ヱイ〳〵〳〵」、ト是ヨリ格別ニ情ヲ入。〕大キク ヱイ〳〵。去レバこそ波か打ツて来ルハ。アリや波よ。アリや。〳〵〳〵。浪よ〳〵〳〵〳〵。越せ〳〵〳〵〳〵〳〵。シイ。〈ト棹ニテ波ヲカクテイスル。〉エイ〳〵〳〵。是ハ如何な事。又浪か見ゆる。おひたゝしい浪かな。アリや〳〵〳〵〳〵。浪よ。〳〵〳〵〳〵。越せ。〳〵〳〵〳〵〳〵。シイ。ヱイ〳〵〳〵。〔爰ニテ脇立テ、詞アリ。ツレワキモ詞アリ。「アヽ暫、船中にて左様の事は申さぬ事にて候。何事も武さしと、船頭に御まかせ候へ」、トいふ時〕 「やあら爰な人ハ。最前から指出たさふな人じやと思ふた。いらぬ事をおしやらず共。舟底へは入ツておりやれ〔ワキ 「船中ふ案内の事にて候間、何事もむさしにめんじて給り候へ」と云トキ。〕 「夫ならバ苦う御座らぬ。ヱイ〳〵〳〵。是は如何な事。又あれへ女(メ)浪か男波かハ知らぬか。さながら屏風を立テた様な波が打ツて来(ク)るは。アリヤ。〳〵〳〵〳〵。波よ。〳〵〳〵〳〵。越せ〳〵〳〵〳〵。シイ。ヱイ〳〵〳〵。〔ト云、是ヨリ只コギイル。ワキ、判官諷アリテ、「浪に浮んで見へたるぞや」と諷。早笛にナルトキ。〕 「荒不思議や。海の面か鳴るよ〔ト云、下ニ居ル。切ノ謡、「弁慶舟子に力を合セ、お舟をこぎのけ」ト、ウタフトキ ワキ「船頭舟をのけ候へ」ト云。〕  畏テ候。エイ〳〵〳〵〔ト少しコギテ、下ニ居ル。能済デ、判官、弁慶、ワキ連ト段々ニ入ル。其跡ニ付テ舟を持入ルナリ。〕 八 安宅 〔太刀持、脇ノ供ニテ出。名乗済、呼出ス。〕 太刀持 「御前ニ候〔ワキ云付アリ。〕 「畏テ候〔ト云、地謡ノ前ヘ行居ス。〕〔シテ、次第ニテ出ル。能力笈ヲ背負、金剛杖ニ笠ヲ付。右ニツキ。ツレ山伏ノアトニツキ出ル。舞台ヘ出、立並ブ時もツレノ跡ニ立チ。〕〔シテ連皆々、次第謡。地取、能力ウタフナリ。 シテ 次第、「旅の衣ハ鈴かけの、〳〵、露けき袖やしほるらん」ト云謡時、引ツヾキ。〕 強力 「〽おれが衣も鈴掛の破れてことやかきぬらん〽 〔シテ道行過、詞アリテ、皆々座に付キ、強力太鼓座ニ行キ、笈杖笠後見へ渡シ居ス。シテ、判官、詞有テ、シテ呼出ス。〕 「御前に候 〔シテ 「笈ヲ持テ来り候」。〕 「畏て候〔ト云、太鼓ヘ引、笈ヲ持チ出、シテヘワタス。〕 「さ有バ笈を上申候〔シテ笈ヲ取テ、判官へ渡シ、本ノ座ヘ戻リ、云渡ス。是ハ観世流也。余流ハ笈を請取、其儘言渡ス。〕 〔シテ 「汝か笈を御肩におかるゝ事は南方冥加もなき事にてハなきか」。〕 強力 「実にと 「是ハ冥加もなき事にて候〔「先汝ハ先ヘ行、関の様体を見て、誠に山伏を撰か、又さ様にもなきか念頃に見て来り候ヘ」。〕 強力 「畏て候〔ト云、シテ柱ノ先ヘ立テ。〕 「実と是は御下向を存て立たる関で御座らふに。某一人参るハこわものじや。去ながら仰付られた程に急て参ふ。先兜(ト)巾(キン)を(ノ)隠イて参ふ〔ト云、トキンヲ取テ、タモトヘ入ルヽ。但し強子((ママ))帽子ノトキハ此詞ナシ。扨橋懸り一ノ松ヘ行。〕 是ハ早関仮屋と見へて。扨も〳〵夥敷イ要害哉。又あれなる木の空に。黒イ物が四ツ五ツ見ゆるハ何ンじやぞ。やあ〳〵山伏の爰じや。〈頭ヲ手ニテサス。〉ハァこわもの。〈ト云、下ヘ飛戻テ、袖をカザス〉急て申上ふ。〈ト云、立テ行ふトスル。〉去ながら唯戻れバ如何(イカヾ)な。一首つらねて罷帰らふ。山伏ハ貝吹て社逃にけれ。誰おひかけてあびらうんけん。〈ト云乍、手にてツマヅキヲスル。〉あびらうんけん。急で申上ふ〔ト云、シテノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「如何に申上候。関の様体を見て候へバ。乱杬逆茂木ヲ結ひ。殊の外きびしい体にて。中々鳥の通ひも成そふも御座ない。又木の空に黒イ物が四ツ五ツ見へまする程に。何ぞと申て問ふて御座れバ。山伏の爰じやと申程に。一首つらねて候 シテ 「何とつらねて有るそ 「山伏は貝吹てこそ逃にけれ。誰おいかけてあびらうんけんと読申て候 〔シテ 「近頃小賢しきものにてある、汝も御跡より参り候へ」。〕 心得申候〔ト云、太鼓座へ引□□。但、シテ詞アリ。皆立て、諷に成り、「よろ〳〵として歩ミ給ふ御有様も痛しき」と、諷済て、皆々橋掛りへ行ヲミテ、太刀持ワキニ向イ。〕 太刀持 「如何に申候山伏達の大勢御通りにて候 〔ワキ 「心得て有る」 扨シテ、ワキ、詞ありて シテ 「よも誠の山伏を留メよとハ仰せられ候まじ」。〕 太刀 「さ様におしつとも昨日(キノフ)も三人迄切ッて掛ておりやる〔是より祈ありて、勧進帳過て、皆々橋懸りへ行ク。判官、太鼓座ヨリ立ヲミテ、ワキへ向イ。〕 太 「如何に申候。判官殿の御通りにて候〔ト云乍太刀ヲ脇ヘ渡ス。 扨シテ、ワキ、詞アリて〕〔シテ 「金剛杖を追取てさん〳〵に打擲す、通れとこそ」ト云時。〕 太 「打ッ共通すまじいぞ〔此詞、観世流斗。外ハナシ。押合済テ、 ワキ 「はや〳〵御通り候へ」ト云時〕 太 「急でお通りやれ〔ト云、ワキト一所ニ大小ノ後ロヘ引座ス。扨、サシ、クセ済テ、ワキ橋懸りヘ立、呼出ス。〕 太 「御前に候 〔ワキ 「山伏達は何程御出候べし」。〕 太 「早抜群に御出有らふずるにて候 〔汝ハ急き追付申、最前ハ余りに聊尓を申、面目なふ候程に酒を為レ持、是迄参たるよし申候へ。〕 「畏て候〔ト云、立テ。〕最早抜群に程隔らふ急て追(ヲツ)付(ツキ)申そふ。則是じや。如何に案内申候〔強力、シテ柱ノキワヘ立。〕 強 「案内とハ誰にて渡り候ぞ 太 「関守の先(サキ)にハ聊尓を申。余りに面目なふ候とて。酒を持せ参られて候。其由御申有ッて給り候へ 強 「其由申さふずる間。夫に暫く御待候へ 太 「心得申候〔強力、シテノ方へ行。シテヘ向ヒ、下ニ居テ。〕 強 「如何に申上候。関守先にハ聊尓を申。余りに面目なふ候とて。 酒を持せ参られて候 シテ 「此方へと申候へ 強「心得申候〔ト云立テ、太刀持ヘ向イ。〕 「此方へ御通り候へとの御事に候 太 「心得申候〔ト云テ、ワキヘ向イ。〕此方へ御通り候へとの御事に候〔ト云、ワキノ跡ニ付一所ニ地諷座ノ方ヘ行居。強力ハ太鼓座ヘ引居ス。能済、強力ハ山伏ノ跡ニツキ入。太刀持ハ脇ノ供ニテ入ルナリ。〕 九 西行桜 〔囃子方座ニ着、作物出、脇出ル。其跡ニ付テ、能力出。太鼓座ニ居ス。脇床几ニカヽリ、呼出ス。能力立テ、脇ノ前ヘ出ル。〕 能力 「御前に候 ワキ 「花見禁制と相触候へ 能力 「畏て候〔立ツテ、シテ柱ノ先へ下り、脇正面ニ向。〕「やあ〳〵皆々承り候へ。当年ハ花見禁制と仰出され候間。其分心得候へ〳〵〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。次第ニテ脇連、花見立衆出、次第、名乗、道行済テ、一ノ松ヨリ案内乞ウ。能力、立向。〕 能力 「誰にて渡り候ぞ ワキツレ 「さん候是ハ都方の者にて候がこの御庵室ノ花さかりなるよし承及はる〳〵是まて参りて候そと御見せ候へ 能力 「御出尤には候得共。当年ハ何と思召候やらん。花見禁制と仰出され候間。思ひなから叶ひ候まじ 〔ツレ 「仰尤にてハ候へ共、平に御見せ有て給り候へ」。〕 能力 「さ有らハ御機嫌を以て申て見うする間。夫に暫く御待候ヘ ツレ 「心得申候〔ト云、太鼓座ノ先ニ下ニ居ル。ワキサシ。〕〔ワキ 「夫春の花とハ」、ト謡出シ、「見仏開法の結縁たリ」ト謡。詞、「去なから四ツの時にも勝れたるハ花見の折なるべし。荒面白や候」。」と云時、能力立テ、ワキノ前へ行、下ニ居テ。〕 能力 「如何申上候。花を見物申度キとて。若イ衆の是迄御出にて候 〔ワキ 「何とて禁制のよしハ申さぬぞ 能力 「禁制のよし申て候へ共。能き様に申て呉よとの御事にて候間扨申上候 〔「をよそ洛陽の花盛りいつくともいひながら西行か庵室の花、花も一木我も独りと見る物を、花ゆへありかをしられん事、いかゝなれとも是迄はる〳〵来れる心さしを見さてハいかゝかへすべき、あの柴垣の戸をひらきうちへ入れ候へ」。〕 能力 「畏て候〔立て、花見ニ向。〕 「一段の御機嫌に申合た。此由を申さふ。最前の人の渡候か ツレ 「是に候 能力 「其由申上候へば。号々御通りあれとの御事に候〔ト云、扇ヒラキ、ザラ〳〵〳〵ト、戸ヲアクル心ヲスル。尤早ク太鼓座ヘ居スカヨシ。能済、ワキノ供ニテ入ル。〕〔初メ ワキ呼出、云付ケ斗ニテ、触無之事も有リ。又、呼出しモナキコト有リ。何れニても能々云合可然。〕 十 三井寺 〔初、囃子方着座済、シテ出、正面ニ居、サシ謡有り。此内ニ夢合出テ、太鼓座ニ居ス。〕 〔シテサシ諷済テ、詞 「荒有難や候、すこし睡眠のうちにあらたなる霊夢を蒙りて候ハいかに、わらはをいつもとひ慰むる人の候、哀来り候へかし語らばやと思ひ候」ト云。此内ニ夢合一ノ松に立、名乗ル。名乗詞過テ、シテ柱ノ先ヘ出、シテト行合う様に見合出べし。〕 「是ハ清水の門前に住者にて候。当寺ヘ参給ふ女性に。お宿を参らせたるが。漸お下向有べし。御迎に参り申そふずる。〔爰ニテ、シテに行合。〕亭主御迎に参して候。先是にお腰を召され候へ〔ト云、後見ヨリ腰桶受取、持出。シテ腰カケサセ、シテノ右ノ方へ行、座シ。〕 「亭主御見舞申上候。某ハ夢を合する者なれバ。御参籠の内に霊夢のあらバ合せて参らせふずる 〔シテ 「唯今の睡眠のうちにあらたなる霊夢を蒙りて候。我子に逢んと思ハヽ三井寺へ参れとあらたに御霊夢を蒙りて候」。〕 「是ハ一段の御夢相なれバ。頓て合せて参らせふずる。恋しき人に近江の国。尋ぬる子を三井寺。近江の三井寺へ御参りあらバ。何事も思召儘に御座有ふずる間。其御心得候ヘ 〔シテ 「荒うれしと御あわせ候物哉。扨其三井寺とやらんヘハいつくへまいり候ぞ」。〕 参ン候今道峠と申す御掛り有り。夫より右へ付イて御越あれバ。則三井寺ヘ御着(ツキ)候間。急て御参詣成され候へ 〔シテ 「さあらハ告にまかせて三井寺とやらんへ参候へし」。〕〔シテ立ツト腰桶ヲトリ、後見ニ渡シ、太鼓座ニ居ル。中入後、地取リニテ入ル。 シテ中入後、脇次第ニテ出ル。能力、ワキノ供ニテ出、太鼓座ニ居ル。次第、道行過キテ、ワキ、座ニ着、呼出ス。〕 能力 「御前に候 〔ワキ 「少人を伴ふて有る間、何にても一曲かなて候へ」。〕 「畏て候〔小舞、「イタイケシ」。〕〔舞済、シテ柱ノ先へ立、幕ノ方ヲ見テ。〕 「やあ〳〵其皆のいふハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。急で此由を申さふ〔ト云、ワキヅレへ向イ。〕 「如何に三位殿。〳〵 〈ワキツレ立テ。〉「何事にて候ぞ あれに幼イ者共がわめきまする程に。何事ぞと申て問ふて御座れば。女物狂が参ると申ス。此お庭へも呼ませうか ワキツレ 「いや無用に致候へ 「いや面白ふ狂うと申程に。大事御座るまいがの ツレ 「いや無用に致候へ 「アヽ苦敷有まい物を。申々是ハ如何な事。惣じて三位殿の曲(クセ)で。何にてもよからふといふ事を。さふせいとおしやつた事がない。是ハ又見イでハこらへられてこそ。去なから仰付られた程に此由を申さふ。やあ〳〵其女物狂ひハ。〈マクノ方ヲ見テ。〉此方ヘハ無用にて有ぞとよ。去ながら面白ふ狂わバ。如何にも道を広々と明ケて。〈扇ヒラキ、下ヲ左ヨリ右ヘサシ。〉そちへ追戻すやうにして。〈向ヲサシ。〉此方へ通し候へ〈扇ニテ上ヘ下タヘ、アヲクヤウニ二度スル。〉 〳〵〈●拍子一ツ。〉〔ト云、扇シマイサシ、笛座ノ上ニ居ル。シテ、一セイニテ出様々謡アリテ、「舟もこかれて出らん、舟人もこかれ出らん」ト諷。シテ、橋懸りへ行ト、能力、笛座ノ先ヘ立テ。〕 「惣じて我朝に撞鐘多しといへど。せい東大寺なり平等院こへ園(ヲン)城寺(ゼウジ)とて。天下に三ツの鐘に誉られた。いや急で鐘をつかふ〔ト云、作物に向。〕ジヤアンモウ〳〵〳〵〔ト、カネヲツクテイ、三度程シテ、笛座ノ上ニ居ス。尤是ハ観世流ナリ。余流ハ鐘ツク内ニ、シテ来リ、肩ヲ笹ニテ打ト飛ノキ。〕 「蜂がさいた 〔シテ 「童も鐘をつかふずるにて候」。〕 「いや是ハ人のつかぬ鐘にて候よ 〔シテ 「人のつかぬかねを何とておことハつくぞ」。〕 「某のつく社道理なれ。此寺の鐘つく〳〵法師じや。構へておつきやるなや〔ト云、元ノ座ニ居ス。〕〔シテ詞有りて、謡、「龍女が成仏の縁に任せて、わらはもかねをつくへきなり。」次第 「影はさなから霜夜にて、〳〵、月にや鐘ハさえぬらん」ト諷。又返し地取ウタフ内ニ能力、ワキニ向イ。〕 「如何に申。狂女が鐘をつかふと申候 ワキ 「心得てある〔ト云て、笛座ノ上に居ス。能済、脇の供ニテ入ル。〕〔一 脇、次第、道行済、座ニ着、呼出無之。能力ヨリカヽル時ハ左ノ通リ。〕 「扨も〳〵見事な月かな。か様にさへた事ハ。近イ頃にハ希な事で御座る。先あれへ参ふ。如何に申候。今宵の月の様にさへた事ハ。近イ頃にハ希な事で御座るが。旁にハ何と思召され候ぞ 〔ワキ 「実々汝が申ことく今宵の月程おもしろき事ハ有ましく候。又少人の伴ひて有間何にても一曲かなて候へ」。〕 「畏て候〔小舞、是より末同断。〕 十一 舎利 〔初、名乗ワキ也。脇ノ跡ニ付出、太鼓座ニ居ス。ワキ名乗、道行過、カヽル。「門前の人の渡り候か」。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキ 「是ハ出雲国三保の関より出たる僧にて候。当寺の御事承り及ひ参りて候。大唐より渡されたる十六羅漢又仏舎利ヲモ拝ませてたまわり候へ」。〕 「尤拝せ度ハ候へとも。此泉涌寺の仏舎利と申ハ。聊尓に取出す事ハ成す候間。思ひなから叶ひ候まし 〔ワキ 「仰ハ去事にて候得とも、はる〳〵参りて候。そと拝せて給り候へ」。〕 「遥々と御登りなれバ拝ませ申さふずる。幸当月ハ某の御(ミ)戸を明(アク)る番にて。折節鎰を持合たると云ひ。殊に今日は御(オ)舎利を取出ず日なれバ。先御戸を開き牙(ゲ)舎利を拝せ申。其後山門に上(アガ)り。太唐より渡されたる。十六羅漢を御拝ミ候ヘ 〔ワキ 「祝着申候」。〕 「さ有らハ号御通り候へ 〔ワキ 「心得申候」 ト云、大小ノ前ニ立。能力、舞台へ出、台の前ニ居テ、扇ヲヌキ、鎰ノ心ニ持テ、「ゴト〳〵〳〵」ト云、扇サシ、立テ、左リヘ「ギイ」引、右へ「ギリ〳〵〳〵 〳〵」ト、戸ヲ明ルテイアリテ、ワキヘ向イ。〕 「御(ミ)戸をひらき申て候間。心静に御拝ミ候へ〔ト云、太鼓座へ引居ル。能力、一ノ松ニテコケ乍。〕〔シテ中入ノ時。〕「のふ悲しやの。桑原〳〵〳〵。かなしやの〳〵〳〵。〔ト何ベンモ云テ、コケル。ヨキ見合立テ。〕 漸と気か付イた。扨も〳〵。今のめり〳〵どうど鳴ツたハ何事で有ふぞ。鳴神かと存たれバ夫でハなかつた。何ンで有ふぞ。是に付(ツケ)ても後生が大事じや。愚僧ハ菩提の道をバ随分心懸(ガク)るとハ存れ共。今の鳴る時。仏とも法共弁へのなかつたハ。兼ての心掛が肝腰((ママ))じや。先舎利殿ヘ参ふ。是ハいかな事。やあ〳〵此お舎利をバ何者がとちへ取ていたぞ。今思ひ当ツた。最前出雲の国三保の関より。登られたる彼僧が取ツて逃た物で有ふ。扨も〳〵腹の立事哉。急て追欠申さふ。〈ウテマクリナドシテ、先ヘ出、ワキヲミテ。〉いや是にたまつておりやるよ。急て仏舎利をお返しやれ 〔ワキ 「愚僧ハ存せす候」。〕 「知らぬとちんぢたりとも。知らせひでハ置まいぞ 〔ワキ 「夫ニ付不思議成る事の候間先近ふ御入り候へ」。〕 「心得申候〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「実と御出家の身にて偽りハおしやるまい。扨お尋有度キとハ如何様成る御事にて候ぞ 〔ワキ 「仏舎利の事当寺の御謂委しく御物語候へ」。〕 「中々子細の候間。我等の覚へたる通り物語り申ふずる 【語】「去程に此泉涌寺の仏舎利と申ハ。釈尊御入滅の御時。八万の大衆ハ申に及ばず。五十二類迄も啼さけぶ折節。足疾(ソクシツ)鬼(キ)といふ足早キ鬼ハ。成仏の素懐を遂んと思ひ。仏の御(ミ)歯を引もぎ。行方知らず虚空に失せけるを。韋駄(イダ)天と云本尊ハ。仏ニ供(フグ)を備ふる時。毎朝定ツて三部の鐘を三ツ打ツに。一ツ打ツ内にハ三千世界へ行渡り。二ツ目にハ諸仏へ悉く相触れ。三ツ目にハ本地ヘ御帰り有る程の。早キ駄天の追欠給へバ。疾鬼ハ須弥を七返(シチヘン)迄遁巡るを。韋駄天は逆に廻(マワ)りて追付。其儘取返して持給ふを。去子細有て我朝に渡り。釈尊肉付(ニクヅキ)の牙(ゲ)舎利なれハ。常ハ御戸をさへ開き申さぬを。今日ハ御出有る日なれバ。取出し旁に拝ませ申て置たるを。いづく共なくとられ迷惑仕りたるが。扨お僧の是に御座候内には。如何様成者が参りて候ぞ 〔ワキ 「愚僧御舎利を拝し申候処に何く共なく童子の如く成る人来られ、御舎利を取り、天井を蹴破り虚空に上ると見て姿を見失ひて候よ。〕 「何と童の如く成ル者の来りお舎利を取り。虚空に失たると仰せ候が。毎より内か晴やかなと存たれバ道理じや。此天井の破れたる体は。中〳〵人間の業(ワザ)とハ見ヘ不申候。某の推量申候ハ。古の足疾鬼が執心今に残り。此度ハ人間と現じ来り給ひ。取て行たるものにて有ふずると存候が。扨是ハ何と致候べき 〔ワキ 「昔も今も仏力神力に替る事ハなく候間、此度韋駄天に祈誓あれかしと存候〕 「仰の如く人力(シンリキ)の分にては成間敷候間。幸韋駄天ハ守り本尊なれバ。彼仏に祈誓を懸ケ。弐度(フタタビ)取返ふと存る間。旁も力を添へて給り候ヘ ワキ 「心得申候 〔ト云、台ノ前へ行、懐ロヨリ珠数ヲ出し、合掌シニ〕 イロ 「一心頂礼満徳円満釈迦如来信心舎利。此度足疾鬼か取りて行ク仏舎利を取返し。再度(フタタビ)当寺の御宝と成シて度給ヘ。南無韋(イ)駄天〳〵〈ト云乍珠数スル。〉〔ト云、太鼓座へ行居ス。能済入。〕 又〔宝生流ワキノ時ハ左ノ通リ。〕 〔ワキ 「所の人の渡り候か 〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキ 「是ハ出雲の国三保の関より出たる僧にて候。当寺におゐて承及びたる仏舎利を拝ませてたまハり候へ」。〕 「尤拝ませ度ハ候得とも。此泉涌寺の仏舎利と申ハ。聊尓に取出す事ハ成らず候間。思ひながら叶ひ候まじ〔御大法は去る事にて候へ共、はる〳〵参りて候間、平に御心得を以て拝せて給り候へ」。〕 「遥々と御登りなれば。某心得をもつて拝せ申そふずる間。先号御通り候へ 〔ワキ 「祝着申て候」。是より中入過、ワキヘカヽル迄ハ右同断。〕 「急で仏舎利をお返しやれ 〔ワキ 「愚僧は存せす候」。〕 「知らぬとちんじたり共。知らせひでハ置まい。扨ハ旁ハ忘語を仰らるゝか 〔ワキ 「いや〳〵忘語ハ申さす候 夫ニ付思ひ合する事の候。先近ふ御入り候へ」。〕 「心得申候 下ニ立テ。 「実と御出家の身にて偽りハ仰られまい。扨如何やうなる御事にて候ぞ 〔其事にて候。最前仏舎利を拝し心をすます所にいつく共なく、童子のことく成もの壱人来り、仏舎利の御事懇に語り、何とやらん気色かわりて見へ候程に、不審をなして候へば、古への足疾鬼か執心と云もあへす、舎利殿に望ミ仏舎利を取、天井を蹴破ると見て姿を見失ふて候。南方不審成る事にてハ候ハぬか」。〕 「何と足疾鬼が来りお舎利を取。天井を蹴破り虚空に失たると仰らるゝか。実と毎より内が晴やかなと存たれバ道理しや。此天井の破れたる躰は。中〳〵人間の業とハ見ヘ申さず候。最前ハ卒忽成る事を申迷惑仕候 〔ワキ「いや〳〵苦しからす候。夫に付仏舎利の御事当寺の御謂委しく御物語候へ」。〕 「中々子細の候間。我等の覚たる通り物語申そふずる。〔語り前ノ通。〕釈尊肉付の牙舎利なれば。常ハ御戸をさへひらき申さぬを。旁の御出により。取出し拝せ申たる御事にて候 〔「懇に御物語り候もの哉。我等の存候ハ昔も今も仏力神力に替る事ハ有ましく候間、急き韋駄天へ祈誓を御懸ケ候へ」。〕 「仰のことく昔も今も仏力神力に替る事ハなく候。夫ならバ人力の分にてハ成間敷候間。幸韋駄天が守り本尊なれハ。彼仏に祈誓を懸ケ。二度ひ取返ふと存る間。旁も力を添へて給り候ヘ 〔ワキ「心得申候」。此跡、前之通也。〕 十二 黒塚 〔脇、次第。能力、ワキノ供ニテ出、太鼓座ニ居ス。シテ中入過キテ、一ノ松ニ立ツ。〕 「誠にむかしより人の申伝ゆることく。旅ハ心世ハ情と申が是で御座る。音に聞く安達原に行着て。何国に宿りの有をも知らず。前後を亡(ボウ)じ迷惑致す所に。ほのかに燈火の見ゆるを知るべに立寄り。宿を借ふと仰られたれバ。安き事借申さふずると有ツた時の嬉しさハ。某の一世の中にハ覚ぬかと存る。先あれへ参ふ。〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「何と先達には御草臥には御座らぬか。我等も何程の旅をも致イて御座るが。今夜の主の様な。情の深ひ人には初て逢申て候。如何に通ひ馴たる道じやと有ツても。夜陰と申殊に女人の独り。山に上り薪を取り。火に焚てあて申そふずると有様な。志の深ひ人は外にハ御座るまいと存るが。先達にハ何と思召され候ぞ 〔ワキ 「実々汝か申ことく今宵の主程情深き人は有まじく候。女の身として夜陰に及ひ、山に上り薪を取り火に焚てあはふするとの志、南方奇特成る事にて候」。〕 「去なから爰に一ツ不審な事が御座るハ。あれ程奥底もない慈悲な人ならバ。うたがひの心ンは持れぬ筈で御座るに。最前山へ上り様に。童が寝屋の内ばし御らふじられな。此方の客僧もお見やるな。構て見させられなと。押返し申されたが不審に御座る程に。私ハ行(イ)て見て参ふ〈ト云乍行フトスル。〉 〔ワキ 「いや〳〵、主と堅く契約して有る間、左様の事ハ無用に致し候へ」。〕 「いや此方こそ御契約成されたれ。私ハ苦う御座るまい程に。ちよつと見て参ふ 〔いや無用にて候。夜も更たり、某もまとろまふする間汝も夫にて休ミ候へ」。〕 「ハア夫ならバ休ませう〔ト云、扇ヲヌキ、ヒタヒニアテヽロクニ居ル。扨ネルテイヲシテ、ワキノ方ヲトクトミテ、扇サシ、ソツト立テ、ヌキアシニテ行フトスルトキ。〕 〔ワキ 「何方へ参るぞ。」 ト云時、其儘下ニトウド居ル。〕 「いや何方へも参りハ致ませぬ。山坂をお使に参る〳〵と。夢を見て御座る 〔ワキ 「心閑に休候へ」。〕 「畏て候 〔又初メノ通リネルテイヲシテ、ワキノ方ヲ得ト見て、扇ニテ舞台をタヽキ、シツ〳〵〳〵ト云テ、鼠を追ふテイヲシテ、ソツト立フトスル。〕 〔ワキ 「何事を仕るぞ」。〕 「いや何事も致さぬが。鼠か戸障子へさわいたやう。ごそ〳〵と致イたに依て驚て御座る 〔ワキ 「近頃さわかしき者にて有るそとよ」。〕 「ハアやあら今夜の様に寝られぬ事はないが。合点の行ぬ事じや。寝られぬこそ尤なれ。火がともひて有るに依てまぼしうて寝られぬ。扇を顔にあてゝによふ〔ト扇ヲヒラキ、顔ニアテヽ、ネルテイヲシテ、脇ノ方ヲトクト見て、扇ヲ左右ノ手ニトリカヘ〳〵持て、コケモツテ段々トシテ柱ノ方ヘコケ行。ヌキ足シテ、一ノ松ヘ行。〕 「漸々とぬけて参た。先達ハ常々よいお人なれ共。何成りともこう致ふと云事を。そふせいとおしやつた事がない。又某もわるい癖で。人の能らふと有る事はいやなり。なしそとあれバ無理にも致たしたい。是も見てこいと仰られたらバ参るまいが。な見そ〳〵と仰らるゝに依ツて見いでハこらへられぬ。ちよつと見て参らふ〔作リ物へ手ヲ懸、ノゾイテ見テ、一ノ松ヘ行ながら。〕 「のふ〳〵おそろしやの〳〵急で此由を申さふ。去ながら常々臆病者じや。卒忽ものじやと仰らるゝに。むかつな事を申上てハ如何な。今一度とつくりと見定てから申上ふ。こわ物で御座るが〔ト云乍フルイ〳〵行、作リ物へ両手をカケ、トツクリと見テ、「のふおそろしやの〳〵」と云乍ワキノ前ヘコケテ。〕 「見て御座る 〔ワキ 「見たるとハ」。〕 「最前の女の寝屋の内を見て候へば。人の死骸ハ軒とひとしく積重ね。其外死(シ)骨(コツ)白骨ハ(タ)数をしらず候間。片(ヘン)時(シ)も此所に。御逗留ハ御無用に候 〔ワキ 「最前堅く申付て有るに曲事にて有ぞ。去なから立越見ふするにに((ママ))て候」。〕 「急き御覧成され候へ。我等ハお先へ参りお宿を取り申さふずる 〔ワキ 「尤にて候」。〕 「のふ〳〵媿しやの〳〵〔ト云乍入ル。〕 十三 藤永 〔囃子方座着キ済テ、子方一人、連脇一人、囃子モ何モナク只出テ、子方ハ地謡ノ前ニ居ル。連脇男ハ笛座ノ上に居ル。扨次第ニテ僧ワキ出。次第、道行諷済テ詞アリ。宿を借り、ツレ脇ノ男立合テ、様々永キ詞アリ。僧と子方ハ囃子方の後ロヘクツロク。ツレワキ男ハ切戸ヨリ入ル。扨シテ藤永出ル。右ノ供ニテ太刀持出ル。〕〔シテ 「是ハ芦屋の藤永にて候。今日ハ日もうらゝかに候間浦遊ひに罷出候。いかに誰かある」ト、名乗過キテ呼出ス。〕  「御前に候 〔シテ 「浦遊ひに出候へし。舟の事申付候へ」。〕 「畏て候 〔シテ 「又あれに当て笛鼓の音の聞へ候ハいかなる事にて有るぞ」。〕 「いやあれハ松風か波の音で御座らふずる 〔シテ 「急て尋て来り候へ」。〕 「畏て候 〔立て幕へ向イ。〕 「やあ〳〵夫に笛太鼓の音の聞(キコユ)るハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ〔シテニ向イ。〕 「只今の由を尋て候へば。藤永殿のお船遊ひの事其隠れなくして。鳴尾殿のお酒迎ひに御座ると申候 〔シテ 「さらハ此所にて待ふするにて候」。〕 「尤に候〔ト云、太鼓座ニ居ス。〕〔扨鳴尾下リ端ニテ出ル。ツレ皆々笹ヲカタゲ出ル。能力モ笹ヲカタゲ、ツレノ跡ニ付出ル。下リ葉、諷済テ座ニ着、呼出ス。能力立ツテ、ツレノ前ヘ出ル。 「いかに能力」。〕 能力「御前に候 〔「何にても一さしかなで候へ」。〕 能力 「畏て候〔「イタイケシタル」ノ小舞アリ。舞スンデ。〕 「此扇子を藤永殿へさし申候〔ト云乍扇を渡ステイ斗。〕 〔シテ 「給酔て候程にまはふするにて候」。〕〔ト云、能力座ニツク。扨サシ、曲アリ。曲留ノ頃能力立ツテ謡。〕 「〽又君のお傘を。龍頭鷁舟にさゝせて。此のお供をや申さん〈扇ニテ目付柱ヘサシ行、カザシモトリテ左右ニテ留ル〉〽 〔ト云時、脇、大臣柱ニ立、ウナヅク。〕 能力 「こちの事か何事ぞ 〔ワキ 「只今舞まふたる者ハいかなるものぞ」。〕 「あれこそ芦屋の藤永殿といふて。隠れもなひお人よ 〔ワキ 「其藤栄に今の舞こそ面白けれ。今一指まへめうといへ」。〕 能力 「夫ハ誰が 〔ワキ 「愚僧か」。〕 「扨も〳〵大へいな者か有る事や。去なから此由を申てみう〔ト云、シテヘ向。〕 「如何に申候。あれに見馴ぬ修行者の御座るが。唯今の舞まふたハ誰そといふてとひまする程に。芦屋の藤永殿と申て。隠もないお人じやと申たれば。先キの舞か面白かつた程に。今一指まへみうと申間。夫ハとこからぞと申たれバ愚僧かと申。参て打擲仕ふ 〔シテ 「左様に申ハあれ成修行者の事にて有か」。〕 「さん候 〔安き間の事、舞をハ已前にまふテ有間、今度ハ八撥を打て聞さうすると申候へ」。〕 能力 「いや御無用て御座る 〔「いや〳〵苦しからぬ事にて候。左様ニ申候へ」。〕 能力 「畏て候。是ハ案に相違致た事を仰らるゝ。去なから此由を申て悦せう。〔ワキノ方ヘ行。〕 喃〳〵其方は果法((ママ))な人しや。只今の由を申たれバ。最前ハ舞を舞セられた程に。今度ハ八撥を打ツて聞せうと仰らるゝぞ ワキ 「急て打テといへ 能力 「ヱヽきやつハまだじやうごわを申。御政道(セイトウ)忠(タヾ)しけれバ社なれ。某の儘ならバ。あれにハ是々を戴せう物を〈ニギリコブシヲ、フリ上ル。〉〔ト云、シテへ向ヒ。〕 「急て羯鼓を遊され候へ〔ト云、太鼓座へ行居ス。能済テ太刀持、能力跡ヨリ入ルナリ。〕 十四 花月 〔初、ワキ次第ニテ出ル。名乗ノ内ニ間、片幕ニテ出。太鼓座ニ居。ワキ道行済、詞アリテ、カヽル。〕 ワキ 「門前の人の渡り候か 「誰にて渡り候ぞ〔「是ハ都はしめて一見のの((ママ))事にて候。何にても面白き事の候ハヽ見せて給り候へ」。〕 「参ン候都の事なれバ。面白き事の打続き有る時も候が。折節今ハ御座ないが。何を哉見せ申さふやれ。いやお目に懸ふ物がこざる。爰に花月と申喝食の。小唄をうたひ色々面白フ御狂ひ候間。是を呼出し御目に掛申さふずる 〔ワキ 「さあらハ其花月とやらんを見せて給り候へ」。〕 「先号〳〵御通り候へ 〔ワキ 「心得申候。ト云、ワキ座ニ着ク。入替リ、間、シテ柱ノキワヘ出、幕ヘ向。〕「如何に花月ヘ申す。とう〳〵御出有りて。花の下にて御遊ひ候へや〔ト云、太鼓座ニ居。シテ出テ、名乗、諷、詞アリ。謡地ニ取。「扨ハ末世のかうそ成とて、天下にかくれもなき花月と我を申なり」ト諷切ト、間、立テ、脇正面ノ方ヘ出、花月ニムカイ。〕 「何とて今フ日ハ遅く御出候ぞ 〔シテ 「さん候今まて雲居寺に候ひしか、花に心を引弓の春の遊ひの友達と中たかハしとて参たり」。〕 「さあらバ毎の小哥を御謡ひ候へ〔ト云テ、ソバヘヨリ、コシヲカヾメル。間ノ肩ニ手ヲカクル。シテ 「こしかたより」 ト謡出。間、扇ヒラキ、カザス。右ノ謡スンデ、間ヲツキコカス。間、下ニコケ居テ、目付柱ノ方見テ。〕 「いや爰な花に目が有るに。漸見れバ小鳥じや。急て此由を申さふ〔ト云、立テシテニ向。〕 「いかに申。鶯が花踏散らしまする。其御ン弓にて遊され候へ 〔シテ 「実々鶯か花を散し候ぞや。某射て落し候ハん」。〕 急てあそはし候へ〔ト云、太鼓座へ引居。シテ詞アリ。諷ニ成リテ、「仏の禁め給ふ殺生戒をバ破ルまし」ト、弓矢ヲ捨ル。間、右ノウタイスミ頓ニ出テ、弓矢ヲトツテ。〕 「尤て御座る。左有バ毎の地主の曲舞を謡せられいや〔ト云、太鼓座ヘ引居。〕〔扨、サシ、曲有リテ、ワキ、シテ詞アリ。「扨ハ疑ふ所もなし 是こそ父の左衛門尉家次よ、見忘れて有か」ト云時、間立出。〕 のふ〳〵旁ハ。御出家の身にていつ子を持せられたぞ 〔「いや是ハ某俗にて失ひたる子にて候程に扨か様に申て候」。〕 「何と俗にて失われし御子息じや。実と仰らるれバさふじや。瓜を二ツに割た様に御座る。さあらバ此程おあろき成された山々を。懇に御物語あり。其後羯鼓を打。連立古里へ御帰候へ〔ト云、太鼓座ヘ引居。地取ニテ入ル。〕 十五 百万 〔ワキ、次第ニテ出ル。間、右之内、片幕ニテ出。太鼓座ニ居ス。脇、次第、名乗過テ、カヽル。間、一ノ松ヘ立。〕 〔ワキ 「門前の人の渡り候か」。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキ 「おさなき人を伴ひ申て候。何にても面白き事の候ハヽ見せて給り候へ」。〕 「仰の如く当所に於て。毎も此頃ハ面白キ事の絶ず御座候。中にも百万と申て女物狂の候が。当寺に於て大念仏の踊りを。我等の拍子違(チガ)ひに申せバ。夫をもどいて出らるゝ。是を御目に掛申そふずる 〔ワキ 「さあらハ其百万とやらんを見せて給り候へ」。〕 「左有バ号御通り候へ 〔脇、ワキ座へ行。間、舞台の真中ニ立テ、扇ヒラキカザシ。〕 「〽南無釈迦牟尼仏〔太夫、地謡ニテ地取アリ。〕 「南無釈迦釈迦〳〵〔大夫地取リ。〕 ハアミサ。〳〵。ハアミサ。〳〵。ハアミサ。〳〵。ハアミサ。〳〵ハアミ〳〵〳〵サ。ハアミサ〽〔ト云ナガラノリテ廻ル内ニ、シテ出。笹ニテ肩ヲ打。〕 〈飛のき。〉「蜂がさいた 〔シテ 「あらわるの念仏の拍子や候。わらハ音頭をとり候へし」。〕 「さあらバ音頭を取ッて御申候へや〔ト云、太鼓座ヘ引居ス。地取リニテ入ル。〕 十六 自然居士 〔囃子方出、座着。間本幕ニテ出、シテ柱ノ先ニ立。口明。但、是ハ上掛リ也。下掛リハ初ニワキ出、名乗済テ、座ニ付キ、間出ルナリ。〕 「是ハ東山雲居寺の隣に住者にて候。爰に自然居士と申ス喝食の。一七日説法御演(ノベ)候が。今ン日結願なれバ。志の輩ハ皆々御参り候へや〔ト云、正面ヲ向。〕 いや聴衆殊の外群集にて候間。急き居士を呼出申さふずる。〔ト云、幕ヘ向。〕如何に自然居士へ申候。何とて今フ日ハ遅り給ふぞ。とう〳〵御出被成候ヘや〔観世流ハ此詞切ニテ、太鼓座ヘ引。宝生其外ハ、シテ出、詞有ル故、立テ待居ル。〕 〔シテ 「居士説法結願と触て有か」。〕 「参候結願と相触申て候へハ。聴衆殊の外群集にて候間。急ぎ御法談候ヘ〔シテ、舞台へ出、腰カクル。セウ机、間持出、カケサスル。尤、直ニ太鼓座ヘ引居ル。シテ詞有リ。右ノ内ニ子方、文小袖ヲ持出ル。間、立テ橋懸リへ行、「アライタイケヤナ」ト云、文ヲトリ、懐中シ、小袖ヲ取リ、肩ニ掛ケ、子方ヲ連、フタイヘ出。目付柱ノ下ニ置、小袖ヲシテノ前ヘヒロゲヲク。尤ヱリヲ地諷ノ方、袖ヲ正面ヘ出置。宝生ハ袖ヲシテノ方ヘ出ス。金春モ同断。金剛ハスソヲ地謡ノ方ヘ出シ、袖ヲ手前ニシテ置ナリ。〕〔扨、シテ諷、「総神分に盤若心経。や是ハ諷誦を御上候か」ト云ニツヽイテ、間、詞。但シ是ハ観世也。其外は「諷誦を御上候か」の詞ナシ。「般若心経」ニツヾイテ間、詞也。〕 「如何に申候。是成ル童(ヲサナイ)の諷誦を上られ候が。可愛(ウツクシキ)小袖にて候間。先此諷誦文を御覧候ヘ〔ト云テ、文ヲ渡ス。直ニ太鼓座ヘ引居ス。〕〔下掛リノトキハ、「般若心経」と諷切ルト右ニツヾイテ。〕 「いかに申。是成幼イの諷誦を上られ候。先諷誦文を御覧候ヘ〔ト云、文ヲワタシ、引ナリ。〕 〔扨、シテ詞アリ。初同 「身の代衣恨めしき、〳〵」トト((ママ))タウ。此内ニ脇二人出ルナリ。諷済ト、ワキ名乗アリ。尤是ハ上懸リ也。扨、ワキツレト詞アリテ、ワキツレ、子方ヲ引立ルトキ、間立ナガラ。〕「やるまいぞ〳〵 ワキ 「用が有る 「用が有共やるまいぞ〈ウデマクリシテ、キメル。〉 ワキ 「用か有る〔ト云乍フリ返リ、キメル。直ニ、ワキ座ノ方ヘ行。〕 「用かあらバ連て行ふ迄。扨是ハ何とせうぞ。去ながら申上ふ。〔ト云、シテノ方ヘ行、下ニ居テ。〕 「いかに居士へ申候。唯今の童キ者を荒気なき男の来リ。引(ヒツ)立(タテ)連て参る程に。やるまいと申たれバ。用か有と申て連て参りて候。某ハ何共分別に及ず候が。扨居士には何と思召され候ぞ 〔シテ 「荒曲もなや候。始より彼女は用有けに見へて候。其上諷誦をあけ候にも唯小袖共かゝす、身代衣とかいて候より、ちと不審に候ひしが、居の推量申候ハ、彼者は親の追善の為に我身を此小袖にかへて諷誦にあけたると思ひ候 さあらハ只今の者ハ人商人にて候べし。かれハ道理こなたはひかことにて候程に。御身のとゝめたる分にてハ成候まじ」。〕 「参候人商人にて候ハヾ。定て大津松本へならでハ参まい。某追欠連て参ふずる〈ト云乍立フトスル。〉 〔「暫御出候分にてハ成まし。居士此袖を以て行彼ものに替て連れてかへらふずるにて候」。〕 「尤にてハ候得ども。七日(ナヌカ)の説法今ン日結願成に。夫かむに成り申そふハ。如何にと御座らふずる 〔「いや〳〵説法ハ百日千日聞召れても善悪の二ツを弁へん為そかし。今の女は善人、商人ハ悪人善悪の二道爰に極つて候ハいかに」。 諷「けふの説法是迄なり。願以此功徳普及一切我等与衆生皆共成仏道」トウタフ。右ノ内小袖引寄タヽム。尤モナガク三ツ折ニタヽミテ、シテノ後ヘ廻リ、ヱリニ掛ケヤウトクト云合スベシ。扨シテ立ツ迄、後ロニ待居テ、シテ立ト、セウギヲ取リテ、太鼓座へ引居ル。能済、本幕ニテ入ル。〕 十七 東岸居士 〔脇、名乗也。間、ワキ、シテ柱ヲハナレルト、其儘出テ、尤片幕ニテ出。太コ座ニ居ス。ワキ、名乗過テ、カヽル。〕 〔ワキ「清水寺門前の人の渡り候か」。間一ノ松ニ立。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔「是ハ都始て一見の事にて候。此所にて何にても面白き事の候ハヽ見せて給り候へ」〕 「仰のことく都の事なれバ。面白き事の数多御座候。中にも清水ヘ御参リ有る路次。五条の橋にて自然居士の御弟子に。東岸居士と申喝食の。橋の勧を御沙汰成さるゝが。禅法仰られ。色々面白ふ御狂ひ候間。是を御目に掛申ずる 〔ワキ「左有ハ其東岸居士とやらんを見せて給り候へ」。〕 「左有バ号御通候ヘ 〔ワキ「心得申候」 ト云、ワキ座ヘ行。間、マクヘムカイ。〕 「いかに東岸居士へ申候。とう〳〵御出候へや〔ト云、太鼓座ニ居ス。地取ニテ入ル。〕〔此間、初メ此方ヨリカヽル。詞有之候得共、当時何方ニテモ不用。如此ニテ相済候也。〕 十八 富士太鼓 〔ワキ名乗ノ内ニ、間出テ、太鼓座ニ居。名乗過テ、呼出ス。又供ニテ出ル事モアリ。聞合可然。〕 〔ワキ 「いかに誰か有る」。〕 「御前に候 〔ワキ 「富士がゆかりと申さハ此方へ申候へ」。〕 「畏て候〔ト云テ、太鼓座ニ居ル。シテ、子方、次第、道行過テ、案内乞間、一ノ松ニテ立。但、シテ、橋懸リニテ次第有ル事モアリ。〕 〔シテ 「如何に案内申候」。〕 「誰にて渡り候ぞ 「さあらバ其由申さふずる間。夫に暫く御待候ヘ〔ト云、ワキノ方ヘ行、下ニイテ。〕 「如何に申上候冨士が所縁(ユカリ)とて。幼き者を連て参りて候 ワキ 「此方ヘト申候ヘ 「畏て候〔シテノ方ヘ向。〕 「最前の人の渡リ候か 「さあらバ号〳〵御通候へ〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。地取ニテ入ル。〕 十九 善知鳥 〔脇、名乗、道行過テ、カヽル。間、名乗ノ内ニ片マクニテ出。太鼓座ニ居ル。〕 〔ワキ 「外の浜在所の人の渡り候か」。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキ 「此所に於て去年の秋の頃身まかりたる漁師の家をおしへてたまハり候へ」。〕 「参ン候其漁師ハ。去年の秋の頃身まかりたるが。夫に付此外(ソト)ノ浜に。善知鳥と申鳥の候が。今の猟師ハ其鳥の子迄も殺生致せば。一入罪も深く有へきと存る間。あれに見へたる猟師の家(ヤ)ヘ御出有りて。其由御申あれかしと存る 〔ワキ 「懇に御教祝着申て候。さあらハあれへ立越心静に尋ふするにて候」。〕 「何にても御用の事あらハ承ふずる ワキ 「頼候へし 「心得申候〔ト云、太鼓座ヘ引居。地取ニテ入ル。〕〔上掛リハ「去年の秋」、下掛リハ「去年の春」也。〕 二十 籠太鼓 〔太刀持、脇ノ供ニテ出ル。脇、名乗済テ、呼出ス。〕 〔ワキ 「いかに誰か有か」。〕 「御前に候 〔「清次ハ大剛の者にて有間番をよく仕候へ」。〕 「畏て候〔ワキ座ニ着ク。太刀持立テ。〕 「更ハ籠屋を見廻申ずる。清次おりやるか。〈作リ物のキワ、下ニ居テ。〉 はて扨今度ハ不慮な事に逢て。嘸窮屈に有ふ。去ながら頓て訴訟で済ふ程に。其段な心易ウ思しませ。又何にても用の事があらバ。心置(ヲカ)いで何時にても某迄おしやれよ。清次。のふ清次〈ト云、籠ノ内ヲミテ。〉 是ハ如何な事。清次かおらぬが何とせうぞ。是ハお耳ヘ立ずハ成まい。急で申さふ。〔ト云、フルイ〳〵ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「いかに申。ぬけ申て候 〔ワキ 「ぬけたるとハ」。〕 「清次が籠を破てぬケ申て候 〔ワキ 「最前堅く申付て有るに何とて由断仕りて有るぞ」。〕 「随分念を入て番を(ノ)仕りて候が。何の間にやらぬけ申て候 〔ワキ 「扨彼者に親ハなきか」。〕 「いや親ハ御座なく候 〔ワキ 「子ハなきか」。〕 「いや御座なく候 〔ワキ 「妻はなきか」。〕 「妻ハ御座候 〔ワキ 「さあらハ急て其女をつれて来り候へ」。〕 「畏て候〔ト云立テ。〕 喃々嬉やの〳〵。何と仰付られふかと存し候て。身の毛を詰たに助かた。左有ハ清次か妻を呼ふで参ふ。いや則是じや。〔シテ柱ノキワヨリ、幕ヘムカイ。〕 「如何に此内に清次か妻の有か。松浦(マツラ)殿より召れ候間。急で出られ候ヘ〔シテ幕ヲ出。〕 〔「科人を召こめられ候上は、女迄の御罪科ハ余りに御情なうこそ候へ」。〕 「いや〳〵左様の事でハ御座ない。物をお尋成されうと仰られ候程に。心易ウ思ふて御参り候へや〔ト、シテノ出ルヲミテ、ワキノ方ヘ行、下ニ居テ。〕 「如何に申。清次か妻を連て参りて候〔ト云、太鼓座ヘ引、居ル。〕 〔シテ舞台ヘ出、ワキト詞アリ。初同ニナルト、ワキ呼出ス。〕 ワキ 「いかに誰かある 「御前に候 〔ワキ 「此者を牢舎させ候へ」。〕 「畏て候〔ト云、シテノ側ヘヨリ。〕 「立しませ。〔ト云、シテヲ引立、牢ノ中ヘ入ル。尤直ニ牢ノ脇ニ居テ、諷済ンテ。〕 「清次社ぬかいたり共。汝をハ一寸ものかす事てバ((ママ))無イぞ〔ト云乍気色ヲシテ、太刀ニ手ヲカケキメル。〕 〔ワキ 「やあいかに汝は女にむかい何事を致ぞ、其のさげなるによつて清次をも篭より遁ひてあるぞ、所詮今よりハ鼓を懸ケて一時宛時をうつして番を仕候へ」。〕 「畏て候。実々女に向ひ太刀刀ハいらざ゛る事じや。さらハ急て太鼓を釣ふ。〈ト云、後見ヨリ羯鼓ヲ受取、持出ツル。但し釣様、能〳〵太夫へ聞合べし。尤撥ハナシ。〉 「始から〈ト云乍羯鼓ヲ作り物へ結付ル。〉太鼓を釣て番を致イたらバ。中々清次をバのかすまい物を。遅く仰出されたに依。其抔も少しハ油断致イた故じや。いやも漸一ト時にならふ程に。時を打ツテ番を渡ふ。ドン。〳〵。ドン〳〵〳〵〳〵。ドン。〈高ク云。〉一ツ。ドン。二ツ。ドン五ツドン八ツ。ドン。九十ウ。〔キモヲツフシタル顔ニテ、口ニ手ヲアテ。〕 「ハア打過(スグ)いた。しからせられうが。何とせうぞ〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。〕 〔シテサシ謡 「実や思ひうちにあれば色ハ外にぞ見えつらん、つゝめ共袖にたまらぬしら玉ハ人を見ぬ目のなミだかな」。〕〔右諷済ギワニ太刀持立ツテ、シテ柱ノ先キニ立〕 「荒いたハしい事哉。〔ワキヘ向。〕 「いかに申。籠の女が狂気致候 〔ワキ 「何々籠の女か狂気したると申か」。〕「参候 〔ワキ 「あら不便や立越見うするにて候」。〕 「尤に候〔ト云立テ、シテ柱ノ先ニテワキ正面ヲ向。〕 「やあ〳〵頼ミ申人の御出成るゝ間。籠のあたりをのき候へ退(ノキ)候へ〔ト云、太鼓座ヘ引居。済ンテ、ワキノ供ニテ入ル。〕 二十一 藍染川 〔初メ、シテ、子方、次第ニテ出。サシ、小諷、道行過テ、詞アリ。左近尉(サコノセウ)ト問答アリ。サコノセウ、カヽル。女幕ヨリ出ル。〕 女 「誰物申さうといふは。いや左近の尉にて有か 〔サコノセウ 「さん候、神主殿へ申上へき子細有て参て候」。〕 「神主殿ハ持仏堂に看(カン)経(キン)を成さるゝが。其持たるハ何方よりの文にて有ぞ。童か持て参らふする サコ 「それハ恐かましいて候 「いや〳〵苦しからぬ事。如何やうなる人の方より越されたるぞ 〔サコ 「都より女性旅人の一人家屋に御留り候か、此の文を神主殿へ参らせよと申され候」。〕 女 「頓て御目にかけやうするぞ。夫に暫く待候ヘ。〔ト云テ文ヲトリテ、シテ柱ノ先キヘイヅル。〕 「荒不思議な事や。都より下りたる女房の文を参らするハ。何とやらん心許ない程に。わらハはそと披ひて見うと存る。〔ト云、文ヲ披キミテ。〕 されハ社申さぬ事か。いかやうなる文ぞと不審に思ふたれバ。是ハ一とせ神主殿在京の時。都にて去人と馴参らせられたるよし聞て有が。扨は其人の只今当所ヘ下りて。此文を参らする物であらふ。殊に梅千代とやらん申子迄連て候。のう腹立やの〳〵。〔ト云、文ヲ引サキ、拍子フミテ腹ヲ立テイアリテ。〕 いや〳〵此文を御(オ)目にかけてハ如何な。わらハ返事を書てやらばやと存る〔ト云、太鼓座ヘ行、文ヲ持出、シテ柱ノ先ニテ、ヒラキ、扇ニテ書テイアリテ。〕 「いかに左近の尉。只今文を御ン目に掛たれバ。軈(ヤガ)て返事の有るぞ。慥ニ届候ヘ〔ト云、文ヲワタス。〕 サコ 「畏て候 女 「扨其女房ハ子を連て来りたるか 〔サコ 「さん候、おさなき人をつれ申されて候」。〕 女 「其親子の者ハいづくに居ぞ 〔サコ 「いまた某の屋に御座候」。〕 女 「神主殿ハ殊の外御腹立にて有程に。其女も子も。急で此在所を追失ひ候ヘ 〔「言語道断、左様の御方をハ何をも存せず旅人屋の事にて候程に、留置て候。さあらハ頓て追出し申さふするにて候」。〕 「一時も早ふ追出し候ヘ〔ト云捨テ入ル。〕 二十壱 小督 〔シテ中入後、柴垣ノ作物出。連女二人出ル。其跡ニ間女ツキ出。太鼓座ニ居ル。連女座ニ着ト、間女、シテ柱ノ先ニ立、名乗ル。〕 女 「是ハ此屋の主にて候(サムラウ)。此程都方の上臈にお宿参らせて候が。琴とやらん申物を遊さるゝ由承れバ。先あれへ参り所望仕ふずる。〔ト云テ、連女ノ前ヘ行、下ニ居テ。〕いかに申上候。今夜ハ八月十五夜にて。月も面白く御座候。又承り候へば。琴とやらん申ものを遊さるゝと申せハ。爰元の者ハ左様の事聞申さず候間。ちとあそバされ候へ。わらハも承り度候〔ツレ答ナシ。云捨テ引居ル。能済テ、ツレ女ニ付入ル也。〕 二十二 放下僧 〔シテ中入過テ、太刀持、ワキノ供ニテ出。脇次第ノ間、下ニ片ヒサ立居ル。名乗済テ呼出ス。但シ次第ノ内ハ立居テ、名乗ニナリテ、下ニ居ル方可然。〕 〔ワキ 「いかに誰か有る」。〕 「御前に候 〔ワキ 「瀬戸の三嶋へ参ふする間汝壱人供仕候へ」。〕 「畏て候 〔「又存る子細の有る間、路次にて某の名字はし申候な」。〕 「心得申候〔ワキ、座に着。太刀持立テ、シテ柱ノサキニテ。〕 「扨も〳〵嬉敷事哉。頼申御方の御内に人多シといへど。某を千騎万騎と思召。お供に召連らるゝ様な。大慶な事ハ御座て社。随分御奉公申上と存る。〔ト云、マクノ方ヲミテ。〕 やあ〳〵其賑なハ何事ぞ。何と放下が来ル。是ハ面白ラふ。急て其由を申上ふ〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「如何に申上候。あれに幼き者共がわめきまする程に。何事ぞと申て問ふて御座れバ。放下が参ると申が。是へも呼ませうか 〔ワキ 「何と放下と申すか。左様の者ハ無用に仕候へ」。〕 「いや面白イ物じやと申程に。苦う御座るまいがの 〔ワキ 「いや無用にて候」。〕 「アヽ大事ない事で御座る物を。〔ト云、シテ柱ノ先ヘ行テ。〕 是ハ如何な事。惣じて頼だ人の癖て。是をかやうに致ふと申事を。そうせいとおしやつた事がなひ。是ハ見イでハこらへられて社。去なから仰付られた程に申渡さふ。〔幕ノ方ニ向。〕 やあ〳〵其放下ハ此方へハ無用にて有ぞとよ。去ながら面白イ物ならバ。如何にも道を広〳〵と明ケて。〈ト云乍太刀ヲ左へ持カヘ、扇ヒラキ、サシマハシ。〉そちへ追戻す様にして。〈向ヘサシ。〉此方へ通し候へ〈扇ニテマネク〉〳〵〈●拍子一ツ〉〔ト云、笛座ノ上ヘ行居ル。一セイニテ、シテト連ト二人出ル。諷ノ留。「人をあだにや思ふらん、〳〵」ト云時、太刀持立テ、シテ柱ノキワヨリ、シテヘ向イ。〕 「如何に旁へ申候。是ハ興(キヤウ)有(ガツ)たる出立にて候が。何にて候ぞ 〔シテ 「是は放下にて候」。〕 「扨旁の名ハ何と申候ぞ シテ 「ふうんりうすい  「扨(又)其方の名ハ何と申候ぞ ツレ 「ふうんりうすい 「扨は一人の名を二人して御附候か 〔シテ 「いや〳〵一人ハふうん、今一人ハりうすいと申候」。〕 「夫でこそ合点かいたれ 〔シテ 「さてあれなるハいかやう成御方にて候ぞ」。〕 「あれこそ隠もないお人よ。相模ノ国の住人戸根の信(ノブ)俊(トシ)。〔ト云、口ニ手ヲアテル。〕とハな云イそと仰られた物を 〔「いや〳〵苦しからす候。何とそ御はからいを以、御前へ罷出候様に御取成を頼申候」。〕 「心得申候〔ト云、ワキノ前ヘ行。〕 「如何に申候。最前の放下が参りて候程に。名を尋て候へバ。一人ハ浮雲(フウン)。今一人ハ流水(リウスイ)と申候。何と是ハ面白き名にてハ御座なく候か 〔ワキ 「近頃面白名にて候間頓て見うするにて候此方へ通し候へ」。〕 「畏て候〔シテノ方ヘ行、向イ。〕 「最前の人の渡り候か。此方へ御通り候へ〔ト云、笛座ノ上ヘ行居ル。〕〔但シ、ワキ立テ居ル時ハ、太刀持モ立テ居ル。下ニイル時ハ下ニ居ル。扨、シテモツレモ舞台ヘ出、色々詞アリ。団ノ一句済、弓ノ事尋テ、「されハ我等も是を持〳〵て、引ぬ弓はなさぬ矢にてゐる時ハ、あたらすしかも、はすさゝりけりと、か様に読歌も有、しらすな物なの給ひそ、〳〵」ト云時、太刀持ツヾイテ。〕 「そちが知らずハこちも知まい 〔「扨、放下僧ハいつれの祖師せんほうを御つたへ候そ、面々の宗体か承度候」ト、シテ、ワキ、シカ〳〵有りて。 ワキ 「扨かうしやうの一露ハいかに」 ツレ 「切てさんたんとなす」 ト云トキ、ワキキメル。太刀持アヽト留ル。 シテ 「きつてさんたんとなすとハ、禅法の詞なるを、おさわき有るこそ愚かなれ、何と只中〳〵に、いはねの山のいわつゝじ、色にハ出し南無三ほう、おかしの人の心や」。〕〔ト云トキ、太刀持ツヾイテ。〕 「そちかおかしけれバこちもおかしいよ 〔「いや〳〵禅法の詞にて有間苦しからす候。近頃面白物ニて有、路次を伴ふするよし申候へ」。〕 「畏て候〔ト云、シテヘ向。〕 「いかに旁へ申候。路次を御伴なひ成れふずると仰候間。号御入り候へ 〔シテ 「やかて参ふするにて候」ト云、本ノ座ヘ行居ス。切ニワキ、切戸ヨリ入。ツヽイテ入ルナリ。曲済、「とてもの事にかつこを打て御見せ候へ」。〕 二十三 烏帽子折 〔初ワキ二人出ル。子方出テ、ワキト掛合、詞アリ。道行留、 「鏡の宿に着にけり〳〵」ト云時、子方、太鼓座ヘクツログ。爰にて早打、杖ツキ出、シテ柱ノ先ニテ名乗ル。〕 〈一ノ松ノ先キヨリ云出ス。〉 早打 「扨も〳〵難儀なお使を仰付られた事かな。か様に候者ハ。六條殿に仕へ申者にて候。偖も源の義朝の御子。三男牛若殿と申ハ。鞍馬の寺に御座候しが。此度三条の吉次信高を御頼有り。奥へ御下り候由を六條殿聞召され。急き路次にて討取リ申せとて。某に討ツ手を仰付られ候に付イて罷出た。急で参らふ。〔ト云テ、ワキ正面ヲミル。〕 やあ〳〵其方(ソノホウ)へ牛若殿は見へぬか。何といふぞ。吉次ハ人を数多連て下る。夫ならバ某一人にて打とむる事ハ成まい。則頼ふた人へ申上ケ。打手を数多遣さふ。やあ〳〵皆〳〵御聞あれ。某は引でハないぞ。先戻るぞ〳〵〔ト云乍入ル。子方立テ、詞有リ。シテヘカヽル。シテ出テ、詞アリ。謡にナリ、シテ、女、中入スル。子方トワキト道行アリ。「赤坂の宿に着にけり、〳〵」。 爰ニテ吉六案内ヲコウ。宿かし。一ノ松へ立、橋懸リヨリ案内コハヾ、シテ柱ノキワニ立ツ。 「いかに此内へ案内申し候」。〕 宿貸 「誰にて渡り候ぞ 〔ワキツレ 「只今下向申候、いつものことく宿をかして給り候へ」。〕 宿 「中〳〵お宿参せふずる間。号々御通り成され候へ ツレワキ 「心得申候〔ト云ワキ座ニツクト、宿貸一ノ松ニ立。〕 宿 「やあ〳〵夫ハ誠か。じやあ。急で申上ふ〔ト云、ワキノ前ヘ出、下ニ居て吉六ニ向ヒ。〕 「いかに申上候 〔ツレワキ 「何事にて有ぞ」。〕 「今晩此宿に御着有たる事を。此辺の狼盗(ラウドウ)ども聞付。今宵夜討を掛申由風聞仕り候間。御用心成され候へ〔ト云、切戸ヨリ入ル。子方、脇ノ前ヘ行キ、詞アリ。諷にナリ。〕〔「あらわしきぬの妻戸をひらきて、おきつ白浪打入るを遅しと待居たり、〳〵」ト、早鼓ニナル。強盗三人、松明腰にさし出ル。〕 強盗ヲモ 「つゞけ〳〵 ツレ二人 「心得た〳〵 ヲモ 「続け〳〵 ツレ 「心得た〳〵〔ト云乍舞台一ペン廻リ、ヲモ真中ニ立ツ。ツレ左右ニ立ツ。〕 ヲモ 「か様に候者ハ。人の物を奪ヒ取り世を渡る者にて候 ツレ 「エヘン 又ツレ 「エヘン ヲモ 「いやわごりよ達ハ何と思ふてお出やつたぞ ツレ 「何かハ知らず。わこりよが勇(イソフ)だ体で出るに依て。 二人 両人も続て出たよ ヲモ 「夫ならバ様子を語て聞さふ ツレ 「急て語らしませ ヲモ 「先下におりやれ ツレ二人 「心得た 〔三人共、下ニロクニ居ル。〕 ヲモ 「先都に三条の吉次信高とて。金(コカネ)を商ふ者の有が。年々五畿内の宝物を買集め。高荷を作り奥へ下るを。熊坂の長範是を取ンと思ひ。京都を出る時よりも目付を付。今夜此赤坂の宿に着たるを。夜討を掛ケ取ふずると有ッて。某にハ槍見を仰付られた程に。行ふと思ふが。其方衆もおりやるまいか ツレ 「行イで何とせうぞ。去なから先祝ふて。酒を呑ふで行まいか ヲモ 「呑ふだらハ能ふおりやらふが。乍去槍見を仰付られたに依。ぬかつてハ如何な。首尾よふ済ンて呑ふ ツレ 「一段と能うおりやらふ ヲモ 「夜半過酉の前。時分もよい急ふ。おりやれ〳〵〔ト云、立テ廻ル。〕 二人 「心得た ヲモ 「何と思わしますぞ。此度手柄をして。いつかどの御褒美に預ふ ツレ 「おしやる通り 御褒美を戴ふとも〔ト云乍橋懸り、一ノ松ニ三人共立留リ。〕 ヲモ 「程のふ是じや ツレ 「いやのふ。先塀を越ふか破ツては入らうか ヲモ 「されハむかつに破てもはいられまいに依て。先槍見をせうと思ふが何とおりやらふぞ 二人 「一段と能うおりやらふ ヲモ 「夫ならハ見てこふ程に待ておりやれ 二人 「急で見ておりやれ〔爰にてヲモ、シテ柱のキワへ行キ、両手ニてサグリ〳〵妻戸ヲノゾク体ヲシテ。〕 ヲモ 「喃〳〵。様子を見るに人音もせず。火も消し。殊に妻戸が明ケて有る。不思議な事でおりやる ツレ 「先松明に火をとぼそふ ヲモ 「能ふおりやらふ〔ト云、三人共ニ後ロヘ向、松明ヲヌキ立テ、正面ヘ向。尤松明ヲフル。〕 「扨モ〳〵あかう成ておりやる ツレ二人 「其通じや ヲモ 「先両人に独。様子を見ておりやるまいか ツレ 「見に行ふがそなた行かしませ 又ツレ 「いや〳〵其方ゆかしませ ツレ 「夫ならバ某が見て参らふ ヲモ 「急で見ておりやれ〔ツレ松明ヲフツテ、サグリ〳〵出、妻戸ヲ入ル体ヲシテ、松明ヲ左持カヘ、右ノ手ヲ懸ケ、方々ヲ松明ニテサガシ見。牛若ヲ見付、ヲトロキヲソルヽ所作アリ。右ノ内残ル二人詞〕 ヲモ 「独やるハ心えない事でおりやる 又ツレ 「おしやる通り心えなふおりやる〔ツレ、ヲソレナガラ、ヲモノ方ヘキテ。〕 ツレ 「のふ〳〵様子を見たが。十二三斗の幼イ者が。角(スミ)にひとり立て居るが。合点の行ぬ事でおりやる ヲモ 「実と是ハ不思議な事ておりやる 又ツレ 「夫ならハ今度ハ。身共か行(イ)て見て参らう ヲモ 「隨分見届ておりやれ 又ツレ 「心得た〔ト云テ、初メノ通リ、松明左に持、フツテ方々ヲ見合。シヨサ色々アリテ、牛若ヲ見付、フルイヲトロキ、松明ヲナゲヤルトキ、牛若切テヲトス。コケマロビナガラ、一ノ松ヘニケクル。右シヨサノウチ二人詞。〕 ヲモ 「仕損(シソン)じねバよふおりやるか ツレ 「心えなふおりやる〔右ノ外、相応の詞云居ルカヨシ。〕 又ツレ 「のふ悲しやの〳〵〳〵〳〵 ヲモ 「やい〳〵先気を付イ何としたぞ〳〵 ツレ 「心をはつたと持しませ。何としたそ〳〵〔両人、左右の手杯、持引致しながら云。〕 又ツレ 「ハア何かハしらず。今の松明を切ツて落イた ヲモ 「やあ〳〵松明を切て落イた 又ツレ 「中〳〵 ツレ 「そちか分でハ成まいと思ふた。それかしが見てこふ 二人 「急て見ておりやれ ツレ 「心得た 又ツレ 「ぬかるまいぞ ツレ 「ぬかる事でハない〔ト云、見ニ行。初メノ通り色々所作有。牛若ヲミツケ、ヲドロキ、フルイ、松明ヲ牛若ノ是元ヘナゲヤル。其侭フミケシ、右ノ内、残二人詞アリ。〕 ヲモ 「見届けれバよふおりやるが ツレ 「心えなふおりやる〔右之外相応の詞。〕 ツレ 「のふ〳〵おそろしやの〳〵 二人「何としたぞ〳〵 二ノツレ 「今の松明を踏消おつた ヲモ 「やあ〳〵踏消た ツレ 「中〳〵踏消ておりやる。両人の分でハ成まい。わごりよ見ておりやれ ヲモ 「わこりよ達か見届ぬものを。某の何と見届ケられうぞ。外の者を呼ふでこう待て居さしませ〔ト云乍ニグルヲ両人シテトラヘ。〕 ツレ二人 「アヽ是々先お待ちやれ。はて扨臆病な人じや。両人も爰に居る程に見ておりやれ ヲモ 「いや〳〵某ハ何共こわものじや。余(ヨ)の者を呼ふてこふ〔ト云、初メノ通リ。〕 二人 「これ〳〵はて扨臆病な人じや。是非とも見ておりやれといへば〔ト云乍二人シテ、ヲモヲツキコカス。ヲモ起上リテ。〕 ヲモ 「夫ならバ是非に及ぬ。見てこう程に。必す夫に待て居て呉さしませ ツレ 「中〳〵待て居る程に。急て見ておりやれ ヲモ 「アヽ是ハこわものじやか〔ト云乍、初メノ通見に行。目付柱の方ヨリ見廻し、コロビナドシテ中返リ、シヨサアリ。牛若ヲミ付、フルイ〳〵松明をナゲホフル。牛若中にて松明ヲ左ノ手ニ取リ直ニナゲルヲトセフトスルトキ、牛若太刀ニテ切ル。ドウドタヲレ伏ス。尤フタイ真中ニウツムキニタヲルヽ。右ノ内、両人詞。〕 ツレ 「手柄をすれバよふおりやるが 又ツレ 「心えなふおりやる ツレ 「殊の外遅ひが。仕損しハせぬかの 又ツレ 「おしやる通り不思議な事ておりやる〔右ノ外、相応の詞。ヲモ切ラレ、タヲレテ。〕 ヲモ 「のふ悲しやの〳〵〳〵〳〵 ツレ 「是ハいかな事。されハこそ打擲に逢ふたそふな〔ト云乍両手ニテ、サガシ〳〵、両人共ニ尋行。ヲモノタヲレイルニツマヅキ、向フヘ飛越、引ヲコス。又ツレモ手足ニテサグリアテ、両人シテ引立ル。〕 ヲモ 「のふかなしやの〳〵 二人 「何としたぞ〳〵 ヲモ 「切りおつたハ〳〵 ツレ 「はて扨ひきやうな。気をはつたと持しませ ヲモ 「深手でハないか見てたもれ〔両人、背中ヲ手ニテナデナガラ。〕 ツレ 「いやのふ〳〵。疵ハ少しもおりない ツレ 「実と疵ハおりやらぬ気をはつたとお持やれ ヲモ 「ハア夫なれバよふおりやる〔ト云テ、ツレ、ヲモノセ中ヲ一ツ、ツヨクタヽキナガラ。〕 ツレ二人 「南無さんしたゝかな疵が有ルハ〔ヲモ、ウツムキニ、ドウドタヲレ乍。〕 ヲモ 「のふ悲しやの〳〵〳〵〳〵 ツレ 「はて扨ひきやうなものじや。いやのふ〳〵。夫ならば其方肩へ掛て連て行しませ。身共ハ跡で触て退ふぞ 又ツレ 「心得た〔ト云、引立、肩ニカケテ連テ入ナガラ。〕 のふ〳〵。其様に深手でハない。天(アマ)の命を拾(ヒロ)ふた。追付疵も直らふ程に。気遣ひさしますな ヲモ 「のふ〳〵悲しやの〳〵連ていて養生してたもれ。かなしやの〳〵 二ノツレ 「さあ〳〵おりやれ〳〵〔ト云乍入ル。ツレハシテ柱ノ先キヘ立テ、ワキ正面ヲ向。〕 ツレ 「やあ〳〵皆々承り候へ。先手の者は殿(ヲクレ)を取りて有ル間。後詰の衆ハ皆々出られ候へ〳〵〔ト云フレテ入ル。〕 二十四 春栄 〔初、子方春栄出テ、ワキ座ニ居ス。太刀持、ワキノ供ニテ出ル。ワキ、名乗済テ呼出ス。〕 〔ワキ「いかに誰か有ル」。〕 「御前に候 〔ワキ 「囚人のゆかりに対面ハ禁制ニテ有るぞ其分心得候へ」。〕 「畏て候〔ト云、笛座ノ上ニ居ス。シテ種直、ツレ小次郎、次第ニテ出。道行過て、ツレ一ノ松ヨリ案内乞フ。〕 〔「いかに此内へ案内申候 太刀持立向」。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔「囚人の奉行高橋殿の御舘ハ何国にて候ぞ」。〕 「則此屋の内にて候 〔「是ハ春永殿のゆかりの者にて候が、高橋殿へそと御目に懸り度事の候ひて是迄参りて候。其由御申有て給り候へ」。〕 「御出尤にハ候ヘども。囚人の所縁(ユカリ)抔に。対面は堅き法度にて候。去なから御機嫌を以て申て見うずる間。夫に暫く御待候ヘ 〔ツレ 「心得候」 太刀持、ワキノ前ヘ行居リテ。〕 「いかに申上候。春栄殿の御所縁とて。高橋殿に御対面有度由仰られ候 〔ワキ 「何とて禁制の由ハ申さぬぞ」。〕 「禁制のよし申て候へ共。春栄殿の御事ハ。常に御痛り被成候間扨申上候 〔「実々汝の申ことく春永殿の事ハ別て痛り申候間、対面せうするにて有ぞ。乍去大法の如く太刀刀を汝預り候へ」。〕 「畏て候〔ト云、ツレノ方ヘ行。〕 「最前の人の渡り候か 〔ツレ 「是に候」。〕 「一段の御機嫌に申合。御対面有ふずるとの御事に候。去乍御大法の事なれハ。太刀刀を某預り申さふずる 〔ツレ 「心得申候」ト云、シテトツレト詞アリテ、太刀ト刀ヲ持出、ワタス。〕 〔「さあらハ太刀刀を参らせ候」。〕 「旁のをも預り申そふずる〔連モ刀ヲトリテワタス。皆後見座ニ置テ立テ。〕 「号々御通り候へ〔ト云笛座ノ上ニ行居ル。但シ持タル太刀ヲ地謡座ノ前ニ置ク。〕〔シテトワキト永々モンタイアリ。クリ、サシ、曲アリテ早打出ル。右済テ、ワキ、太刀ヲステルト、狂言立テ太刀ヲトル。〕〔ワキ免状ヲヨミテ春栄タスカリ、又少シ謡アリテ、ワキ詞ニナル。 「いかに種直に申候。以前に申如く春永殿の御事。天晴の命も助り給り候へかし。申請ハ某が一跡をつかせ申度との念願叶ひて候。此上ハ給り候へ」。 シテ 「実此上ハ参らせ候へし 如何に誰か有」。〕 「御前に候 〔ワキ 「種直に太刀刀を参らせ候へ」。〕 「畏て候〔刀ヲトリニ行。後見ヨリ取て、持出テ、シテニ向。〕 「一段目出度御事にて候。さ有バ太刀刀を参らせ候〔ト云テ種直ノ前ニ刀ヲ置。太鼓座ヘ引居ル。能済テ、ワキノ供ニテ入ルナリ。〕 二十五 鉄輪 〔口明。囃子方座ニ着ト、其侭出テ、シテ柱ノ先ニ立ツ。〕 「か様に候ふ者ハ。貴船の明神に仕へ申者にて候。去程に此間都より。当社へ牛(丑)の時詣成さるゝ女性の候が。夫ニ付新成御霊夢の御座せば。社頭に相待。今夜御参りならバ申聞せうと存る〔ト云、笛座ノ上ニ居ス。シテ出ル。次第、道行済、腰カクル事モアリ。下ニ居ルコトモアリ。右道行済比に立テ。〕 「されバ社是へ御参詣成された。急て申渡さふ。〔ト云シテニ向イ、下ニ居テ。尤片膝立テ。〕いかに申。御参りに付我等に慥に届よと。正敷キ御告の候其子細。明神は旁の望を叶へて参らせうずる。然らバ鉄輪の三ツの足に火をともして戴き。顔にハ丹(に)を塗給ひ。身にハ赤き衣を着(チャク)す。いかる心を持給ハヽ。何事も思ひの侭に有べきとの御事に候 〔シテ 「是ハ思ひも寄らぬ仰にて候。わらハが事にてハ有ましく候。定而人たかいニて候べし」。〕 「いやしかと夫の御事にて候。か様に申うちに。早おそろしく見へ給ふぞ。其御((ママ))心得候へ〔ト云捨テ、直に入ルナリ。尤シテノ後ロ、大小ノ前ヲ通ル。〕〔「是ハふしきの御告哉、先々我家にかへりつゝ夢想のことく成へし」と云詞、少し有テ中入也。〕 二十六 唐船 〔太刀持ワキノ供ニテ出ル。ワキ、名乗済テ呼出ス。〕  〔ワキ 「いかに誰か有る〕 「御前に候 〔「祖慶官人に牛引野飼に出よと申候へ」。〕 「畏て候〔ワキ座ニ着、太刀持、シテ柱ノ先ニ立。〕 「やあ〳〵いかに祖慶官人。今日も牛馬を引出し。野飼に参られよとの御事なり。構て其分心得候へ〳〵〔ト触テ、笛座ノ上ニ行居ス。〕〔唐人、船持出、一ノ松ノアタリヘ直ス。柱ヲ立テ、トモニ乗リ居リ、子方二人、一セイニテ出。舟ニノル。詞アリテ子方呼出ス。〕 「いかに誰か有る 唐人 「御前に候 〔子方 「此所ニて箱崎殿の御舘を尋て祖慶官人いまた存生に候は、数の宝にかへ帰国せうするよし申、箱崎殿に対面したきよし申し候へ」。〕 唐人 「畏て候〔ト云、舟より上リ、シテ柱ノ先キ迄出乍唐音云テ。〕 「如何に案内申候〔太刀持、立向フ。〕 太 「誰にて渡り候ぞ 唐人 「此所にて箱崎殿の御舘ハ。いつれにて候ぞ教て給り候へ 太 「則其家(ヤ)の内にて候 唐人 「祖慶官人ハいまだ存生にて候か 太 「中々一段息才に御入候。偖是ハ何国よりの御出にて候ぞ 唐人 「其祖慶官人か子に。そんしそゆうと申兄弟。父いまだ存生に候ハヾ。数の宝に替へ帰国せうずる為に。唐土明州の津より此浦に着て箱崎殿に対面有度よし〈△御申し有ツて給り候へ〉△申候 〈太 其由申そふする間夫へしはらく御渡候へ 〔唐音云へし〕太刀持其通り申〉 ワキ 「何と祖慶か子にそんしそんゆうと申者某に対面したきよしを申すか 太 「参ン候  〔ワキ 「更ハ対面せうするにて有ぞ其よし申し候へ」。〕 太 「畏て候 唐人に立向ひ。 太「最前の人の渡り候か 唐人「是に候 太 「其由申上て候へば御対面有ふずるとの御事にて候間。此方へと御申候へ 唐人 「心得申候〔太刀持、笛座ノ上へ行居ル。〕〔唐人、子方ニムカイテ。〕 「さ有バ号御通り候へ〔子方二人、舟より上り、舞台ヘ入ル也。唐人、舟をシマイ、柱モヌキ、内ランカンヘ立カケヲキ、太鼓座ヘ居ス。扨ワキト子方、詞アリテ、子方 「さらハ是に待申そふずるにて候」ト云、太鼓座ヘクツロギ、ワキ呼出。ワキ「いかに誰か有る」。〕 太 「御前に候 〔ワキ 「祖慶官人、野飼より帰り候ハヽ裏道より帰れと申候へ」。〕 太 「畏て候〔ト云、シテ柱ノ先キニ立チ。〕 「いかに祖慶官人に申候。野飼より帰られ候ハヾ。裏の門より御入あれとの御事なり。其分心得候へや〔ト云、笛座ノ上ニ居ス。扨、シテト日本ノ子二人出。サシ、小諷、ロンギ有リ。ブタイヘ入リテ、ワキトシカ〳〵アリ。諷ニナリ。「たうとや箱崎の神も納受し給ふか」ト、謡フ時、唐人立テ、シテノ前ヘ行、下ニ居テ、尤子方そんしニ云。〕 唐人 「如何に申。追風(オイテ)がおりて候間。急き御(ヲ)船に召され候へ 〔ト云捨テ、太鼓座ヘ引居ル。扨シテトワキ、詞アリテ、諷ニナリ、曲アリ。曲留メノ済頃迄ニ、舟ヲワキ正面ヘ持出、直シ帆柱ヲ立、艫(トモ)ニ乗リ居ル。尤両手ヲ組テ、ロクニ居ルナリ。扨ミナ〳〵舟ニ乗リテ、楽スミ、切ノ謡、「帆を引つれて舟子ども〳〵は。」ト云トキ、帆ヲ上ル。能済、シテ皆々舟ヨリ上ルト、帆ヲ引ヲロシ、柱ヲヌキシマイ、舟持入ルナリ。太刀持ハ、ワキノ供ニテ入ル。〕〔一 宝生流ニテハ、シテ出、サシ、小謡、ロンギスンデ、シテブタイヘ出ルト、太刀持シテニ向ヒ、「いかに祖慶官人野飼より御帰候ハヽうらの門より御入あれとの御事にて候間、其御((ママ))心得候へ」ト云也。〕 二十七 正尊 〔囃子方座ニ着、義経、静、連男出、ワキ座ニ並居ル。ワキ弁慶出ル。女ツヾイテ、ワキノ跡ヨリ出、太鼓座ニ居。〕 〔脇名乗済テ、シテ正尊呼来リ、義経トシカ〳〵有リ。起證文済テ、静舞有リテ、諷ニナリ、シテ中入。ワキ女呼出ス。〕 ワキ「いかにはしたものゝ有か 女「御前に候(サムラフ) 〔ワキ「汝ハ土佐が旅宿を見て来り候へ」。〕 女「心得てさむらふ〔ト云、シテ柱ノ先ニ立。〕 「扨も〳〵迷惑なお使を仰付られた。是ハ童にハ似合ぬ事なれども。定て御計略(ケイリヤク)の為にて御座有ふ程に。たとへ女ニ社生るる共。心は男子に劣るまい程に。随分方便(タバカツ)て様子を見届。後々迄も名を残ふと存る。〔ト云乍一ノ松ノアタリヘ行、幕ノ方ヲ見テ。〕参る程に是そふな。扨も〳〵夥敷イこしらへかな。又あの門外に伏たるハ何ンぞ人か。やあ〳〵何と最前見せに遣はされた二人の者を。土佐の者共が切ツた。扨も〳〵恐ろしい事かなやれ。急で此由を申さう。〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕いかに申。土佐が宿所を参て見て御座れバ。最前の幼きものともハ。門外に切ふせて御座り。又つなき馬も数多有り。幕の内にハ矢を負ひ弓を張り。太刀の長刀のと申て。唯今是へ参さふな程に。急て御支度遊され候へ 〔ワキ「汝は女なれ共ゆゝしきものにて有ぞ 先汝は夫にてやすみ候へ」。〕 女「畏てさむらふ〔ト云直ニ幕ヘ入ルナリ。〕 二十八 葵上 〔連脇大臣出、名乗過テ、神子謡有テ、一セイニテシテ出ル。初同ニテ、間、片幕ニテ出。太鼓座ニ居ス。シテ物着ニテ、ツレ、ワキ呼出ス。〕 ツレ「いかに誰か有る 「御前に候 〔ツレ「汝ハ横川に登り小聖へ参り葵の上の御物化以の外に御座候間、急御出有りて加持アれと申候へ」。〕 「畏て候〔ト云、立テ、シテ柱ノ先ニテ。〕「急き横川(ヨカワ)へ参り申さふずる。此間〈左ヘ廻ル。〉 各の寄合られて。何事やらん御談合成さるゝと存れハ是で御座る。今少し急き申さふ。〔シテ柱ノキワヨリ、マクヘ向イ。〕いや参る程に是ハ早横川にて候。いかに此庵室の内へ案内申候。〔ワキ出テ謡アリ。「案内申さんといふハいか成ものぞ」。〕 イロニテ「大臣(ヲトヾ)よりの御使に参ンじて候 〔ワキ「夫は何の為の御使にてあるぞ」。〕 「葵の上の御物の化以の外に御座候間。急御出有りて。加持あれとの御事に候〔「此間ハ別行の子細有て(テ)何方へも罷出す候が大臣よりと承り候間参らふするにて候。先汝ハ先ヘ行候へ」。〕 「さ有らばお先キへ参り申さふずる〔ト云、大臣ノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「小聖の御参りにて候 〔ツレ「心得て有る」ト云、太鼓座ニヘ((ママ))行居ル。〕 二十九 蝉丸 〔初、ツレ蝉丸、ワキ清貫、次第、道行過テ、詞、諷、モンダイ、長々有リテ、初同ニナリ、「琴琵琶ヲ懐キテ杖ヲ持、伏まろひてそ泣給ふ、〳〵」 爰にてワキ中入スル。間、ツヾイテ出、シテ柱ノ先キ立。〕 「是は薄雅(ハクガ)の三位と申者にて候。爰に延喜第四の御(ミ)子。蝉丸の宮と申御方。逢坂山に捨置給ひて候。余りに御痛ハしく存候間。先あれへ参。御容体を伺ひ申さふずる〔ト云、蝉丸ノ前ヘ行、下ニ片膝付居テ云。観世ニテハ作物、大臣柱ノキワヘ出ル。〕 「如何に申上候。是は薄雅の三位と申者にて御座候。御姿を見奉れハ。余りに御痛敷う存。藁屋(ワラヤ)をしつらへ申て候。先是へ御入候へ〔ト云、蝉丸ノ手ヲ取リ、作物ノ戸ヲ明ケ、内ヘ入レ、杖ヲ望ミニ任せ作物ノ所ニ居テ云。尤片ヒザ立テ、差図ノ通りに直し置、戸ヲタテ、手ヲツキテ云。〕 「是にて雨露を御凌キ候へ。又頓て御見舞申上ふする〔ト云、直ニ入ルナリ。〕 三十 七騎落  〔狂言ヨリ後見出シ、舟持出ル也。〕 〔初メシテ実平、其外ツレ皆々、次第ニテ出ル。名乗過テ、皆々座ニ着、詞アリテ謡ニナリ、遠平太鼓座ヘ行。右謡済頃ニ、狂言後見舟持出、一ノ松ノ隣ニ直ス。但シ、一セイアラバ、一セイノ内ニ舟出ス。何レトクト云合、舟直シ様ワキヘ聞合ベシ。脇ノ供ニテ間出ル。ワキ舟ニノル。間モトモニ乗リテ、カイ棹ヲ持。ワキ一セイ謡 「弓張月の西の空、行ゑ定めぬ舟路かな」 右ニツヽイテ、二ノ句謡フ。〕 供「〽立波風の音迄も鯨波(トキ)の声かとおそろしや〽 〔ワキ「あれに見へたるか御座舟にて有けに候急て船を漕候へ」。〕 供「畏て候 〔扨シテ、脇、詞モンダイ有りて。〕 〔ワキ「此上ハ命有ても何かせん、いて〳〵自害に及ハんと腰の刀に手をかくる」。〕 供「アヽ勿体ない。先思召留れかし 〔ト云乍ワキヲトメル。又シテトワキ詞。シカ〳〵有リテ、ワキ舟ヨリ上ル。供モツヽイテ上リ、太鼓座ニ居。狂言後見舟持入ル。ワキ弓捨置バ、舟ト一所ニ持テハ入ル。尤弓矢トリ入ル事、頼ミナクハ捨置ベシ。能済テ、間、ワキノ供ニテ入ル也。〕 三十一 俊寛 〔間、脇ノ供ニテ出ル。ワキ、名乗済テ呼出ス。〕 ワキ「いかに誰か有る 「御前に候 〔ワキ「鬼界が嶋へ渡ふするにて有るぞ舟の用意仕候へ」。〕 「畏て候 〔ワキ中入スル。ツヽイテ入ル也。次第ニテ、ツレ二人成経康頼出ル。次第、道行過て座に着。シテ一セイニテ出。ツレトモンダイ有リテ、同音ニナリ、右諷済頃ニ、間、船持出、一ノ松ノアタリニ直ス。供ニノリテ、カイザヲ持、下ニ居ル。ワキ出舟ニノリ、一セイ謡フ。 ワキ一セイ「はや舟の心に叶ふ追手にて、ふな子やいとゞいさむらん」ト諷フトキ、ツヾイテ間詞。〕 「御急候程に。是ハはや鬼界が嶋に御着にて候。急で御上り候へ ワキ「心得て有る 〔ト云、舟ヨリ上リ、ブタイヘ入ル。間、舟ヲ内ランカンヘ立カケ置。太鼓座ニ居ル。 扨ワキトシテ詞有リ。曲過テ曲留ノ前ニ舟ヲシテ柱ノワキヘ出ス。但シ舟トリ直シ、トモノ方、綱ノ付キタル方ヲブタイノ方ヘ出ス。尤綱ヲトキ、シテ柱ノ先迄ノバシ置也。舟置様、ツナトモニトクト太夫ヘ聞合スベシ。扨、舟置シマイ太鼓座ニ居ル。ワキ舟ニノリ、棹、狂言ヨリモタスル。又引居ル也。切リ、ツレ二人、ワキ、舟ヨリヲリ、諷ノ内ニ入ル。ツヾイテ舟持入ルナリ。〕 三十二 巻絹  〔太刀持、ワキノ供ニテ出ル。名乗済テ呼出ス。〕 ワキ「いかに誰か有る 「御前に候 〔ワキ「都より巻絹を持て来り候ハヽ此方ヘ申候へ」。〕 「畏て候〔ト云、笛ノ上ニ居ル。シテ連、次第、道行過キテ詞謡少シアリテ、一ノ松ヘ行テ、案内乞フ。ツレ「いかに案内申候」 太刀持テ、シテ柱ノワキニ立向フ。〕 「誰にて渡り候ぞ 〔ツレ「都より巻絹を持て参りて候。此由御申有て給り候へ」。〕 「さ有バ其由申上ふずる間。夫に暫御待候へ〔ト云、ワキノ前ヘ行、下ニ居テ。〕 「如何に申上候。都より巻絹を持て参りたる由申候 〔ワキ「此方へ通し候へ」。〕 「畏て候〔ト云、ツレニ向。〕 「最前の人の渡り候か。其由申て候へバ。号々御通り候へとの御事に候〔ト云、本ノ座ヘ行キ居ル。ツレ、ワキノ前ヘ出、詞アリテ、初同。「其身の科ハ遁れじと、〳〵」爰ニテ呼出ス。〕 ワキ「いかに誰か有ル 「御前に候 〔ワキ「彼者をいましめ候へ」。〕 「畏て候〔ト云、ツレノ後ロヘ行。太刀ヲ下ニ置テ、タモトヨリ縄ヲ出シ。〕 「がつきめ遁すまいぞ〔ト云乍縄ヲカケル。尤一ツムスビヲク。太刀ヲ持テ、元ノ座ヘ行居ス。〕〔能済テ、ワキノ供ニテ入ル。〕 一、宝生流ハ初ノワキ、云付斗ニテ、ツレ案内ヲ乞フ事ナシ。 三十三 調伏曾我 「アヽ勿体ない。先思召留れかし 「是に候 「畏て候。いかに童(ワラベ)といふとも。武士の魂は格別な物でござる。あの箱王殿の常には美しい様なれども。今の訖(キツ)左(ソフ)右の恐ろしかつた事ハ。夫に付今一人の者を呼出し申ふずる。そこに新発意居るかの。御用の事が有に急で出さしませ アト「某を呼ハ何事ぞ 「わこりよハ是程な事に。今まて見へなんだハ。知てだまつたか但し知らぬか アト「いや知てたまる事でハない。如何様な事じやぞ 「夫ならバ様子を語て聞せふ。只今箱王殿の師匠へ宣ふやうは。鎌倉殿の御登山ハ適逅(タマサカ)の事なれば。御前の衆の名を御存ない程に。何れもの名苗字(ナメウジ)か承り度イと仰られたを。頼申ス箱根の別当ハ何心もなく。易イ事教申そふずると有に依。先一番に風折を召年数(ネンジユ)けだかく御座スハ。鎌倉殿にて御座るかと申さるゝを。中々あれこそ兵衛佐殿よと有れバ。扨左リの座上ハ誰と問れし時。鎌倉殿の御舅(シウト)。北條の四郎時政。左リ巴ハ宇津の宮の弥三郎。右巴ハ小山の判官。松皮ハ小笠原。彼の是のと委く教へ給へば。又其次に突出ひたる扇づかいハ。名をバ何と申ぞとお問やる程に。あれ社工藤市郎と迄仰せられ。跡をぢつとお控やつたれ共。何かさとひ少人の。扨ハ祐経かと咎め給ひて。気色の替りたるを師匠は御覧じ。其侭連ておのきやつた程に。頼朝も頼て御ン下向成さるゝを見て。箱王殿ハ同宿の打物を盗出し。敵工藤祐経を追欠給ふ所を。某の頼て懐き留メたるを。皆のお見やつて。各寄合イ連て御帰り有る路次すから。愚僧にお任しやれ。調伏とおさゝやきやつて。程なく護摩の檀を錺れと仰出されたハ。如何様不審な事でハ有るぞ アト「実と不審な事でおりやる ヲモ「然れとも仰付られた事を油断してハ如何な。急で檀を錺らふ。護摩の檀を錺り申て候間。急で御出成され候へ 「中々檀を錺り申て候 〔一、右ノ間ニテハ供ト能力二人ニテ候。調伏曾我ノ能、荒増左之通リニ候ヘバ、中入之節、シヤベリ間ニ而可然哉。さ候ヘバ長上下ニテ宜カルベク。尤長上下ニ而ハ、右之通リニテハ文句悪敷可有。猶トクト承合相改可申事。〕 頼朝 北條 宇津宮 小山判官 小笠原 和田 梶原 景時 景季 叔父工藤 但工藤ハシテ也 〔皆々座に着、謡ノ内ニ児箱王、箱根別当二人出。橋懸リニテ、イツレモ名苗字ヲ尋ル。「工藤市郎」ト云ヲ聞テ、カタキ打ベキ気色アリ。箱根別当留ル。シテ工藤、箱王を連に来て、舞台ヘ出。河津殿ハ某討不申由を云。箱根別当ハ太鼓座の後ロヘクツロギ、此時ニ、間、出て、座ニ着がヨシ。頼朝、北条其外皆々中入アリ。児箱王カタキヲネラフテイアリ。別当トヾムル。又二人共に中入アリ。間立テシヤベリ云。間済ンテ後、台二ツ出ル。ワキ座ニ一ツ、大小ノ前ニ一ツ出ル也。ワキ座ノ台ノ上ニ、セウギノ上ニ黒頭ヲ乗セテ置。後、僧ワキ三人。シテハ不動ナリ。〕 三十四 小袖曾我  〔初、連女出ル。狂言女、右ツレ女ニ付出。笛座ノ上ニ居ス。シテ祐成、ツレ時宗、次第、道行過テ、案内乞。女、立向フ。〕 シテ「いかに案内申候 「誰にて渡り候(サムラフ)ぞ。いや祐成の御参にて候。又あれ成ルハ時宗にてハなく候か シテ「参候某か参たるよし申候へ 「大方殿よりの仰にハ。祐成の御出ならバ此方へ申せ。時宗の御出ならバな申そと仰候が。是は何と致べきぞ 〔シテ「唯某か参りたると申候へ」。〕 女「更は其由申そふずる〔ト云テ、連女ノ前ヘ行下ニイテ。〕 「いかに申。祐成の御参りにて候 母 此方へと申候へ 女「畏て候〔シテ方ヘ行向イ。〕 「其由申て候へバ。此方へ御入あれと仰られ候間。号御通り候へ〔ト云、元ノ座ヘ行居ス。〕〔扨シテト母ト、シカ〳〵有。諷ニナリ、時宗母ノ前ヘ行フトスルヲ追出サレ、又橋懸リヘ行。 シテ「扨御機嫌は何と御座候ぞ」 時宗「以ての外の御機けんにて猶重ての御勘当と仰出されて候」 母 「いかに誰か有ル」ト呼出、狂言女。〕 女「御前候 〔母「時宗か事を申さハ祐成共に勘当と申候へ」。〕 「畏て候 〔シテニ向。〕「いかに祐成へ申ス。時宗の事御申候ハヾ。祐成共に御勘当のよし仰られ候 シテ「先畏たると申候へ 「心得申候〔ト云、元ノ座ニ居ル。〕〔能済、母にツキ入ルナリ。〕〔宝生流ニテハ、間ノ女無之。男ツレニテ相済候。〕 三十五 元服曾我 〔能力、脇ノ供ニテ出、太鼓座ニ居。シテ十郞、団三郎ツレ也。次第、道行過テ、団三郎案内乞フ。〕  〔団三郎「いかに此御坊ヘ案内申候」。〕 能力「誰にて渡り候ぞ 〔ダン三郎「唯今祐成の御登山にて候。其由御申候へ」。〕 能力「さ有バ其由申ウする間。夫に暫御待候へ〔ワキヘ向イ。〕 「いかに申上候唯今祐成の御登山にて候 〔「何と祐成の御登山にて有と申か」。〕 能力「さん候 〔ワキ「頓て御目に懸らふするにて有そ此方へと申候へ」。〕 能力「畏て候〔シテヘ向イ。〕 「如何に申候。こなたへ御入あれと申され候〔ト云、元ノ座ヘ行居ル。〕〔扨シテ、脇シカ〳〵有。謡にナリ、又詞にナリテ、「箱王を此方へ召され候へ ワキ「心得申候。いかにのうりき」。〕 能力「御前に候 〔ワキ「箱王殿に此方へ御出あれと申候へ」。〕 能力「畏て候〔幕へ向、箱王に向。〕 「如何に箱王殿。祐成の御登山にて候間。急て御出候へ〔ト云、元ノ座ニ居ル。扨ワキ、箱王ト詞アリ。諷ニナリ、ロンギ済テ、又詞アリ。サシ、曲過テ、ワキ橋懸リヘ立、呼出ス。 ワキ「いかにのうりき」。〕 能力「御前に候 〔太刀ヲ持テ。〕 〔ワキ「祐成ハ何程行給ふべきぞ」。〕 能力「さん候最早抜群に御座有ふすると存候 〔ワキ「祐成申べき事の候ひしをはたと失念して有間追付申さふするにて有ぞ、汝ハ先キへ行て何方迄御出候ぞ留候へ」。〕 能力「畏て候。急て追付申さふする〔ト云、シテ柱ノワキニ立トマリ。〕「いや未是に御座候よ。いかに案内申候 ダン三郎〔立テ。〕「誰にて渡候そ 「別当の是まて参られて候間。此由御申有ツて給り候へ 〔ダン三郎「いかに申候別当の是迄御出にて候」 シテ「何別当の是迄御出と申か此方へ御入あれと申候へ」 ダン三郎「畏て候急て此方へ御座候へ」 扨シテ、ワキ立合詞アリテ、「いて〳〵元服祝ハんとて別当に伝る重代の太刀と」ト云トキ、太刀をワキへ渡ス。能済てワキニツキ入ルナリ。〕 三十六 禅師曾我 「御前に候 「畏て候 「誰にて渡候そ 「心得申候。如何に申祐宗の御出にて候 「畏て候 三十七 土車 〔能力 「善光寺に着にけり〳〵」。〕 「是へ物狂が参た。急で狂ひ候へ 「狂ずハ内陣へハ叶ふまいぞ 「されバこそ物に狂ふ。見物致そふ 「如何に是成狂女。面白ふ狂ひ候へ 「御身ハすねた事を申ス。物狂ひなれバ社くるへとハいへ。急て狂うて見せ候へ 「扨ハ狂ふ間鋪か。近頃憎イ事を申者哉。狂ずハ此如来堂の事ハ申に及ばす。天か下には叶ふまじいぞ。急で出候へ    又云替 「是ハ谷光寺の門前に住者にて候。今日ハ御堂へ参らバやと存る。いや是に居る者ハ。常の人の姿とハ替たが。物狂じや。如何に狂人。此御堂の内へハ何とて来たぞ。急で出候へ 「中々の事。出よといふに出ずハ。天か下には置まいぞ 「されハこそ物に狂ふ。是にて見物致そふ 「如何に是成狂女。面白狂ひ候へ 〔此跡前の通り。〕 右土車勤方相分兼候。得と相糺可申事。 三十八 竹雪 〔囃子方座ニ着ト、狂言女二人出。ヲモハ笛座ノ上ニ居、次キ女ハ太鼓座ニ居ス。ワキ出テ、名乗スミ、カヽル。〕 〔ワキ「いかに渡り候か」。 女、立向フ。〕 ヲモ 何事にて候ぞ 〔ワキ「さん候、唯今呼出し申事余の義にあらず、某ハ去宿願の子細候て二三日の間物詣仕候。其留守の中月若を能々痛ハりて給り候へ。又此国は雪深き所にて候。降積候へば四壁の竹の損候。殊ニ此程ハ何とやらん雪気に成て候間自然雪降候ハヽ。召遣ひ候者共に仰付られ候ひて。あたりの竹の雪を払せられ候へ」。〕 ヲモ女「何と物詣遊か。目出度ふ軈(ヤガ)て御下向候へ。又竹の雪の事ハ心得申候。月若が事よく痛り候へと承り候が。何(イツ)の御留守の時も痛り申さぬ事の候か。心易く思召され候へ 〔ワキ「いや幼き者の事にて候程に、か様に申候。さらハ軈て下向申さふするにて候」。〕 〔ト云、ワキ中入スル。女、シテ柱ノ先ニ立。〕 「のふ腹立やの。わらハか事をあしいやうにいふたと見へた〔ト云、幕ヘ向。〕 「いかに月若の候か〔子方月若出ルト、女手ヲ添、ブタイヘ出ル。〕 「父御ハ物詣成さるゝか。留守の間そなたを能々痛り申せと仰せられた。何そなたに童がつれのう当りたる事の有るぞ。のふ腹立や〳〵〔ト云、月若ヲ打ツテイヲシテ、拍子ナドフミ、腹ヲ立ツルテイアツテ、笛座ノ上ニ居ル。子方、謡アリ。シテ、サシ謡テ、子方、シテ女ノ前ヘ行、詞アリテ諷ニナリ、「親子ならてハかくあらし、〳〵」トウタフトキ、ヲモノ女立テ。〕 ヲモ女「荒ふしき。月若か見へ申さぬよ。いかに誰か有〔次ノ女、太鼓座ヨリ立テ出ル。〕 次女「御前に候 ヲモ女「月若ハいつくへ行て有ぞ 次女「されバ一円に存ぜず候 ヲモ女「いや推量して候。先にちといひし事のあれは心にかけて。長松の母の方へいた物で有ふ。只今父御の御帰り有て。召と申て来り候へ 次女「畏て候〔ト云テ、太鼓座ニ子方居ルニ向イテ。〕 「いかに申候。殿の御帰有て御召にて候。急て御参り候へ〔ト云、月若ヲツレテ、ヲモ女ノ前ヘ行。〕 「如何に申。月若殿御参りにて候〔ト云、太鼓座ニ居ル。〕 ヲモ女「いかに月若。今の内に長松へ行(イ)て。例の告口をさしましたの。父御の仰にハ。雪降らバ庭の竹の雪を。そなたに払せよと仰られた。急で払ひ候へ。構へて小袖一ツにてはらひ候へ。腹立や〳〵〔ト云、強クシカリテ、直ニマクヘ入ル也。〕〔子方謡アリ。〕〔「思ふ甲斐なき月若ハ終に空敷成にけり〳〵」ト云、ウタイ過テ、タヲルヽトキ、次ノ女一ノ松ニ立テ。〕次女「やあ〳〵夫は誠か。月若殿竹の雪を御はらひ有が。空しく成給ひたると申か。急で長松の方へ知らせ申さふずる〔ト云テ、幕ヘムカイ。〕「いかに母御の渡り候か。月若殿ハ竹の雪を御払ひ有が。雪におほれて空しく成給ひて候。急で御参り候へ〔ト云、太鼓座ニ居。能済テ入ルナリ。〕 三十九 國栖 〔ヲモ、鎗ヲ持。ツレ、弓矢ヲ持。〕 〔初、ワキ、一セイニテ出。道行過テ、座ニ着。シテ出、舟ニノリ、詞謡アリテ、舟ヨリ上リ、脇ト詞アリテ、天皇ヘ魚ヲアタヘ、供御ノ残リヲ尉ニタマワレト云テ、吉野川ヘ放チ、謡アリテ、早鼓ニナリ、シテトウバト舟ヲ持出、子方ヲ隠シ、舟ノソバニ両人ツキ居。爰ニテ、間、早鼓ニテイヅル。〕「やるまいぞ〳〵 ツレ「遁すまいぞ〳〵 ヲモ「やるまいぞ〳〵 ツレ「のかすまいぞ〳〵〔ト云乍ブタイ一ヘン廻リテ、両人ワキ正面ニ立ツ。〕 ヲモ「いやのふ〳〵今のハどちへいたぞ ツレ「されバ爰迄ハ見へたがどちへいたぞ知らぬよ ヲモ「扨も〳〵。手の下に有たものを。是非に及ぬ事じや。去なから爰に翁が居る程にあれに尋ふ ツレ「能うおりやらふ ヲモ「やい翁。清見原はどちへいたぞ知らぬか シテ「何清見原い。きよみはらひならバあの川下へ行け ツレ「いや耳が聞ぬと見へた。今一度とふてみさしませ ヲモ「心得た。やい翁清見原の天皇ハどちへいたぞ知らぬかいやひ 〔シテ「何清見原の天皇とや、天皇にてもたゝ人ニてもあれ何にしに是迄清見原、あら聞なれすの人の名や惣して此山は。都卒の内院にもたとへ」 ツレ 「又ハ五台山しやうりやうせんとてもろこし迄も」 シテ「遠くつゝける吉野山。かくれか多き所成をいつ迄か尋給ふべき、はや是迄ぞとふ帰らしめ」。〕 ヲモ「扨ハ知らぬと見へた戻ふ ツレ「能ふおりやらう ヲモ「去なからあれに舟がうつむけて有るが合点が行ぬ。あれをさがさふ ツレ「能ふおりやらふ ヲモ「やい翁。其船のうつむけて有ハ何としたる事ぞ 〔シテ「是は干舟そとよ」。〕 ヲモ「干ス船なりとも 二人 さかいてみう 〔「何此舟をさかそうとや、漁師の身にてハ船をさかされたるも、家をさかされたるも同し事ぞかし、身こそいやしう思ふとも此所にてハ憎くき者ぞとよ、誠狼藉をいたさハ。孫も有彦も有。あの谷々峰々より出合て、あのらうせき人を打トめ候へし」。〕 ヲモ「アヽ静まれ〳〵。いやのふ〳〵。誠に大勢押寄て来ると見へて声高な。足本の明(アカイ)うちに戻ふ ツレ「能うおりやらふ ヲモ「こちへおりやれ〳〵 ツレ「心得た〳〵〔ト云ナガラ入ル。〕 四十 檀風 〔太刀持、ツレワキ本間ノ供ニテ出ル。本間、名乗済テ呼出ス。〕 本間「いかに誰か有る 「御前に候 〔「昨日都より飛脚立て資朝卿を急き誅し申せとの御事にて候間、明日濱のうハ野にて誅し申へし。今夜斗の事なれハいかにも番のかたく申付候へ。又囚人のゆかりに対面ハ禁制にて有ぞ。其分心得候へ」。〕 太「畏て候〔ト云、太鼓座ニ居ル。〕 〔シテ資朝、本間ヨリ先へ何モナシニ出。笛座ノ上ニ牀机ニ掛居ル。ワキ客僧、子方梅若、次第ニテ出ル。道行、詞済テ、一ノ松ヨリ案内乞フ。〕 「いかに案内申候 太「誰にて渡候ぞ 〔ワキ「囚人の奉行本間殿とハ此御館にて候か」。〕 太「参ン候本間の館にて候 〔「是ハ都今熊野なき木の坊に帥の阿闍梨と申山伏にて候。又是に渡り候おさなき人ハ、壬生の大納言資朝卿の御子息、御名をば梅若子と申候。父御に今一度御対面有度とて遥々是迄御下向候。此よし本間殿へ御申有ツて資朝卿へ対面させ申されて給り候へ」。〕 太「御尤には候へ共。囚人のゆかりに対面ハ堅禁制にて候間。思ひなから叶ひ候まじ 〔「仰は去事にて候へとも、はる〳〵と下向申て候間、御心得を以て御申有りて給り候へ」。〕 「左有ハ御機けんを以申てみうずる間。夫に暫御待候へ 〔ワキ「心得申候。」太刀持、本間ニ向。〕 太「如何に申上候。都今熊野梛木の坊に。帥の阿闍梨と申客僧。資朝の御子にて候とて。幼き人を同道申され。本間殿に対面有度由仰候 〔ワキホンマ「何とて禁制の由ハ申さぬぞ」。〕 太「禁制のよし申て候へ共。資朝卿の御事ハ。常に御痛り成され候間。扨申上候 〔「実々汝が申ことく囚人のゆかりに対面ハかたく禁制にて候へとも、資朝の御事ハ常に痛リ申候間、そと対面申さふするにて候。此方へと申候へ」。〕 太「畏て候〔ト云、ワキノ方へ行ムカイ。〕 太「最前の人の渡り候か ワキ「是に候 太「一段の御機けんに申合(アハセ)。御対面有ふするとの御事なれハ。号々御通り候へ ワキ「心得申候 〔ト云、太刀持、笛座ノ上ヘ行居ル。〕 〔扨ワキト本間ト詞アリ。シテ、サシ謡アリ。本間トシテ、懸合詞アリ。地トリ、ロンギ過キて、又詞ニナリ、本間資朝ヲ打ウタヒ、「西にむかひて手ヲ合せ南無阿弥陀仏とたからかに唱へ給へハ、あへなく御頸ハ前におちにけり、〳〵。」爰にてシテ中入スル。扨ワキ、本間ト詞アリテ、ワキ死骸を孝養シタキヨシヲ云。ホンマ「中〳〵御心静に御孝養候へ。我等ハ私宅に帰り候へし。軈て御出あらふするにて候。 承り候やかて御館へ参り候へし。ホンマ「いかに誰か有」。〕 太「御前に候 〔ホンマ「此程の番に嘸草臥候らん。皆〳〵私宅に帰り休ミ候へ。某も臥戸ニ入テ心静に夜をあかさうずるにて有ルぞ。其分心得候へ」。〕 太「畏て候〔ト云、本間ノ供シテ、入ル也。〕 〔扨ワキト子方詞にナリ、謡にナル。右ウタイノトメ。 「縁を飛をり逃けれバ追手ハ声〳〵に留よ〳〵と追懸る」 早皷にナリ、ワキト子方、太鼓座ヘクツロキ。間、早打二人、鎗弓矢持出ル。国栖の間、同断。〕 ヲモ「やるまいぞ〳〵 ツレ「遁すまいぞ〳〵 ヲモ「やるまいぞ〳〵 ツレ「何者成とも遁すまいぞ ヲモ「一寸もやる事でハないぞ 〔一ヘン廻リ、左右ニ立。尤ヲモ脇正面、ツレ地謡ノ方。〕 ツレ「して是ハ何事じやそ。 ヲモ わこりよは此子細を知らぬか ツレ「いや何共知らぬよ ヲモ「夫ならハ語て聞ふ今度都より生捕られて下り給ふ。壬生の大納言資朝の卿ハ。佐渡嶋此所へ流され給ひ。則頼だ人の預られて。日夜朝暮油断なく寝ずの番を仕れと。家中の者に仰付られし故。夜昼の境もなく気遣ひをした所に。都より俄に飛脚立ツて。昨日(キノフ)資朝の卿は誅せられたれハ。本間殿より御意にハ。今日よりして番の上ケ。休むやうに仕れと仰出され。頼ふた人ハ御寝所(ギヨシンジヨ)に入らせ給ふにより。下(シモ)々迄も嬉しく思ひ。我も人も帯紐を脱(トイ)て此間の草臥を直さふずるとて。如何にも心易ふ思ふて居たれバ。都今熊野椰の木の坊に。帥の阿闍梨といふ客僧が。資朝の子にて候とて幼き者を一人ン連て来り。今夜忍び入て本間殿を指殺し。其儘両人の者ハ退(ノク)く((ママ))と聞く。何かハ知らず彼知れ者を。某ハ討留ふと思ふて是迄出たが。和御侶(ワゴリヨ)は夫を知らぬか ツレ「面目もない事なれど。此中の草臥で前後も知らず寝て居た処に。皆のわめく音(ヲト)が寝耳に入。ふつと起(ヲキ)て出ふとしたれハ。此道具が足元にさわつたに依。何かハ知らす是を持ては出たれ共。其子細をハ知らなんだが。扨々夫はにがつた事をしたの ヲモ「何と思ハしますぞ。両人の者が是まで来た程に。迚の事に追欠て見度イと思へども。去なから此闇の夜に足本も見へぬに。いつくをさして行ふ共弁ぬが。扨是は何としてよからふぞ ツレ「されバ某の分別には何とも及ぬか。わごりよハ何と思わしますぞ ヲモ「いや我等の思ふハ。兎角時刻うついては叶ふまひ程に。浦々の船を留めてみうと思ふハ ツレ「是は一段とよからふ程に。急で触さしませ ヲモ「更ハ某ハ南浦を触ふ程に。わこりよハ北浦をふれさしませ ツレ「委細心得た。さらハ某は触に行ぞ ヲモ「中〳〵早ふ行しませ〔ト云、ツレハ幕ヘ入ル。ヲモハ、シテ柱ノ先ニ立、ワキ正面ヘ向。〕 ヲモ「いかに南浦の船頭ども承れ。都今熊野椰の木の坊に。帥の阿闍梨が此所に来。今夜本間殿をあやまつて有る間。左右のふ舟に人を乗せ。一人も聊尓に押出なとの御事なり。かまへて其分心得候へ〳〵〔ト云フレテ、入ル。〕 四十一 大江山 〔脇、一セイニテ出ル。能力供ニテ出。太鼓座ニ居ル。道行過テ、呼出ス。〕 ワキ「いかに誰か有 強力「御前に候 〔ワキ「汝は先へ行道にふミ迷ふたる体にて鬼が城を見て宿をかり候へ」。〕 強「畏て候〔ト云、太鼓座ニ居。ワキ皆々、橋懸りに行内ランカンノ方ニ片付、下ニ居ル。強力、シテ柱ノ先キニ立、名ノル。〕 強力「是ハ仮染ながら一大事を仰付られた。人間の住家さへ有るに。鬼か城を見る事ハ強物で御座れとも。去ながらそろり〳〵と参てみうと存る〔ト云乍一ノ松ヘ行、詞△〕〔女、箔を手に持出テ、シテ柱ノ先ニテ、名乗ル。強力行違ひに成ルナリ。〕 女「毎ものことくすゝぎに参りませう〔ト云テ、地謡座ノ方ヘ行。箔をスヽグテイアリ。尤下ニ居テ◯〕△「誠に鬼の住む山と覚しくて。峨々たる谷岨(ソビ)へたる岩尾の奥に。毎も雲霧の掛りたるがそと晴たよ。荒不思議や。此谷〈下ヲミル。〉川の水にハ血が交(マジツ)て流るゝ様なか。合点の行ぬ事じや。是ハいかな事あれに居る女ハ都での知ル人じやが。何として爰にハ居るぞ不審な事じや。先詞を懸ふ 女◯「さらハ此流れてすゝきませふ。〔ト云ナカラ、スヽグテイアリ。〕女と申ものハ不甲斐なひもので御座る。此山へ取られて参り。か様にいつも〳〵血の付イた小袖をすゝぎに参ると申ハ。おそましい事て御座る。何卒都へ帰り度イとハ存れども。何を申も女子の事なれバ。力及ハず是非もない事て御座る〔強力、女ニ向イ。〕「のふ〳〵喃そこな人 女「いや其方様ハ。何にしに爰へハ御座りましたぞ 強「わこりよは又何をして此山にハおりやる 女「大江山の酒呑童子といふ鬼に遣われて居まするが。朝夕人を服せらるゝに依て。其血の付た物をすゝぎに出て御座るよ 強「其人を喰ふ鬼の側におりやるハ。けなけな人じやな 女「わらハもおそろしうハ御座れども。是非に及ばいで居まするよ 強「扨其童子の居らるゝハいか様な所でおりやる 女「巌石を積重ね。其上に枯木大木を折かけ。鉄の門を三(ミ)重に致。其奥に居られまする 強「夫に付て。其方に頼み度事が有が。頼まれてたもるまいか 女「中々如何様の事なりとも承りませふ 強「別の事でもない。某は山伏達のお供をして。道に踏迷ふて是迄参つた程に。一夜の宿をお借しやるやうに云てたもれ 女「夫ハお心易ふ思召せ。門戸(モンコ)の鎰迄わらハが預て居(ヲ)まする程に。いかやうにも頼まれませう 強「夫ハ嬉うおりやる其儀ならバ童子へ其通をいふてたもれ 女「心得ました。夫に暫く待せられい 強「心得ておりやる〔ト云、笛座ノ上ニ居ル。女ハ太鼓座ヘ行、箔ヲ後見座ニ置キ、幕ヘ向イ。〕 女「如何に童子へ申へき事の御入候。とふ〳〵御出候へや 〔シテ「童子と呼ハいか成ものぞ」。〕 女「山伏達の御入候が。一夜のお宿と仰られ候 〔シテ「何と山伏達の一夜の宿と候や。うらめしや桓武天皇に御請申、我比叡山を出しより出家には手(テ)をさゝじとかたく契約申せしなり。中門の脇の廊に留め申候へ」。〕 女「心得申候〔ト、シテ柱ノ先ヘ行テ。〕 女「最前の人の御座るか〔強力ニ立向。〕 強「是におるよ 女「其由申て御座れば。中門の脇の廊に留よと仰られ候間。其由御申候へ 強「心得申候〔女、笛座ノ上ヘ行居ル。強力太鼓座ニ居テ、ワキニ向云フ。〕 「如何申。其由申て候へば(お宿の事を申て候へハ共)。中門の脇の廊に御通りあれとの御事に候〔ト云、太鼓座ニ居ル。ワキ皆々ブタイヘ出、座ス。シテモ舞台ヘ出。ワキト詞アリ。謡ニナリ、シテ、作物ノ内ヘ中入スル。ワキ、強力呼出ス。 ワキ「いかに誰か有る」。〕 強「御前に候 〔「汝はこさかしきものにて有る間、たばかつて童子か寝屋の鎰を預り候へ」。〕 「畏て候〔ト云立テ。〕 「扨も〳〵六ケ敷事を仰付られた。何と致ふぞ。いや思ひ出た。最前の女を誑(タブラカ)ひて鎰を預う。今の女ハどちにいらるゝぞ 〔女立テ。〕「今のお衆ハどちへ御座たぞ。逢ひ度イ事で御座る〔正面ニテ両人行合。〕 強「いやのふ〳〵わごりよに逢たかつた 女「童も此方を尋て御座るよ 強「先下におりやれ 女「心得ました〔二人共ニ下ニ居。〕 強「最前は忘れていわなんだが。其方の子の金(カナ)法師が。初の程は母を尋て泣こかれて居たを。某の持(モ)て遊びをとらせてすかひたれバ。次第におとなしう成ツて。今は子供とよふ遊ぶ程に。心易ふ思ハしませ 女「わらハも明暮仮名法師か事を思ふて居まするに。便りを聞て嬉う御座る 強「そなたの暮に見へぬ時分は。連合か殊の外悲しう思ふて尋られたれ共。今ハ思ひ切て。若イ妻を向へて中能うして。今は其方の事を思ひ出すも恨めしいと云ふは 女「やあ〳〵妻を持て御座るか。のふ腹立やの〳〵。つかミさいて退ふ物を。腹立やの〳〵 強「是々先お待ちやれ。〳〵。尤ておりやる。先下におりやれ 女「腹立やの〳〵〔ト云乍下ニ居ル。〕 強「尤ておりやる。扨は今でも都へ帰りとふおりやるか 女「左様の事を聞イても。一刻も早ふ都へ帰たふござる 強「夫ならハ何を隠そふぞ。今の山伏達は。源の頼光保昌綱公時。貞光末武独り武者とて。天下に隠もないけな〴〵人々じや程に。何事成共あのお衆をお頼ミやれ 女「心得ました。随分御馳走申ませふ 強「其方ハ美しい童子の側に居て。元の事をバ皆忘さしまそふぞの 女「仰の如く童子の時はうつくしい様なれども。酒か過ますれバ。後はけんまくおそろしうて。二目と見られませぬに依て。ヶ様の所には居りたふも御座らぬ 強「扨ハ都へ帰り度イの 女「是ハ情ない事を仰らるゝ。今も都の事を思ひ出せば飛立やうに思ひますれども。其気色か少し成共見ゆれバ。鬼神は神通を得たる故に。はや取ツて服せられさふに御座るに依て。女の悲しさハ色にも出さず。何方へも行いで居まする 強「夫程に思やらふならバ。連て帰ふ物を 女「夫は忝御座る。一刻も早ふ連て御座ツて下されい 強「某も一命を捨。鬼か城を連てのく事じや程に。帰たならバ某のいふ事を聞しまさふか 女「中〳〵何事成とも聞ませいでハ 強「夫ならバ今度京都へ帰てから。身共と夫婦にならしませ 女「はて扨むさとした事を仰らるゝ。仮名法師がてゝの居(イ)て暇も呉ぬに。御恩か忝と云て。此方と添れませうぞ。外聞旁是ハゆるいて下されい 強「扨は某といやでハないが。世上のほうへんがいかゝじやとおしやる事の 女 何にしに此方を嫌ひませうぞ。主ある身なれバ。童が了簡にも及ませぬに仍。是をば免て下されい 強「今聞分た。夫(ツマ)の有上に又妻(夫 ツマ)を重ねまいとおしやるハ頼母敷イ心底じや。扨は夫(ツマ)かなくハ靡(ナビカ)ふとおしやる事か 女「中〳〵古へ人さへなくバ何事成共聞ませう 強「夫ならバ何を隠さふぞ。仮名法師がてゝハ此二三日以前に。不慮に過られたわいの 女「夫ハ誠で御座るか 強「何しに偽をいわふぞ 〔女泣テ。〕「扨も〳〵不便な事哉。此上ハちから及ぬ事。童か身をば此方へ任せまするぞ 強「夫ハ心実か 女「真実で御さる 強「迚の事に誓言で聞ませう 女「独りある仮名法師を見ぬ法もあれ添ませう 強「夫ハうれしうこそおりやれ。扨其方ハ。童子の寝屋の鎰を預ツたとハおしやらぬか 女「中〳〵童か預て居まする 強「夫ならハ其鎰を身共に預ケさしませ 女「何か扨預ませうとも 強「喃いとしい人。一刻も早ふ連て行ふ。こちへおりやれ〳〵 女「心得ました。のふ嬉しやの〳〵 強「こちへおりやれ〳〵 女「心得ました〳〵〔ト云乍強力先ヘ立、女跡ヨリ入ルナリ。〕 四十二 摂待 〔初、次第。連山伏、狂言兼房山伏、ワキ弁慶。次第、道行過テ。〕  〔ワキ「いかに申候。先此所に御休ミあらふするにて候」。〕 「荒不思議や。是に新き高札の候御覧候へ 〔ワキ「承候。何々佐藤の館にをひて山伏摂待と候。やかて御着候へ」。〕 「いや〳〵佐藤の館ハ憚にて候程に。直(スグ)に御通りあれかしと存候 〔「是ハ仰にて候へ共、只知らぬ様にて御着有ふするにて候」ト云テ、ワキ座ヨリ地謡ノ方ヘ居ナラブ。外ニ次信ノ家来一人、狂言ヨリ出ル。道行の内ニ出。太鼓座ニ居ル。皆々居ナラブヲ見テ立、名乗ル。〕 従「是ハ佐藤次信の内の者にて候。いや山伏達の大勢御着にて候。此由申上ふずる。如何に鶴若殿へ申候。山臥達の御着にて候間。とう〳〵御出候へや〔子方鶴若出テ。〕 子方「いかに誰か有 供「御前に候 〔子方「山伏達ハいくたり御着有るぞ」。〕  供「参候十二人御着にて候 〔子方「先〳〵出て対面申さふするにて候」。〕 「尤に候〔ト云、太鼓座ヘ引居ル。〕〔扨子方トワキ、詞アリテ、シテ尼公出。サシ、小謡アリテ詞にナリ。シテ「仰のことく我子ハ御内に有し者なれハ大方ハ推量申ともさのミよもちかひ候まし」。〕 兼「か様に物申す山伏をバ。どこ山伏と御覧じて候ぞ 〔シテ「先唯今物仰られつる客僧ハ此御供の中にてハ一の老体にて御入候な。いて此御供の中に年寄たる人ハ誰そや。今思ひ出したり、判官殿の御乳母ましおの十郞権頭兼房山伏にてましまする」。〕 兼「年寄たるが兼房ならバ。尼公も兼房山伏にて御入候か〔兼房詞是ギリ也。能済テ、ツレノ跡ヨリ入。〕 四十三 木賊 「是に候 「心得申候。先あれへ出申さふする。如何に申。我等は此屋の内の者にて候が。惣して旅宿は不自由なる物にて御座候間。何にても御用有に於てハ仰付られ候へ 「尤に候。又唯今の老人ハ此屋の主にて候が。ちと心中に思ひ事の有ゆへ。折々ハうつゝなひ事を申され候間。心得て御会釈(アイシライ)候へ 四十四 行家 〔シテ「和泉ノ国石津ノ里ニ着ニケリ」ト云、宿カル。〕 「誰にて渡候そ 「安き事お宿参らせうずる間。奥の間へ御通り候へ  「是は此隣の者にて候。我等行ゑも知らぬ旅人に。お宿を参らせて候へバ。朝敵木曽の蔵人(クランド)。行家とやらんにて候。此人を告知らする輩にハ。如何様の御褒美をも成さるべきとの御事なれば。忍て参り帰り忠を仕ふずる〔後ニワキノ供シテ出。一セイ、名乗スギテ。〕 「是か我等の宿にて候が。此内に御座候 四十五 鐘引 〔ワキ名乗過テ、能力出ル。〕 能力「か様に候者ハ。田原藤太秀郷の御内に仕へ申ス者成が。園城寺へお使を仰付られた。急て参ふと存る。いや則是じや。いかに案内申候。田原藤太秀郷より。当寺への書状を持チて参りて候 〔ワキ「何と秀郷の方より御状の有りと申か」。〕「さん候先御覧候へ〔ワキ、狂言呼出し、「鐘楼立候へ」ト云事モ有也。狂言大工を呼出シ、鐘楼堂を立ル仕舞アリ。〕 「如何申候鐘楼堂を立申て候 〔中入。間鱗、来序ニテ出ル。〕 「箇様に候者は。江州の湖水に年久しく住鱗の精にて候。我等の是へ出る事余の儀にあらず。扨も此度田原藤太秀郷。園城寺へ撞鐘を寄進申さるゝ其子細ハ。龍神に敵なす。鉄(クロカネ)の百足(ムカデ)を退治し給ふに依。龍王喜悦の思ひをなし。十種の引出物を秀郷へ参らせらるゝ。其中にも別而妙成るハ。天竺祇園精舎の鐘なり。此鐘を園城寺へ寄進有べきとて。龍神に寺中まて引付申せとの御約束にて。急き鐘楼堂をこしらへ。待べきとの御事なれバ。此湖に注程の鱗ハ。悉く出て鐘を引申せとの仰なり。構へて其心得候へ〳〵 四十六 水無瀬 「誰にて渡候そ 「参候為世の卿と申御方ハ。古へハ此水無瀬の里の住人成が。浮世を厭ひ。妻子を振捨遁世遊バし。今ハ高野に住せ給ふ。其妻女ハ此程空しく成給ふ。今日一七日に当り申せば。二人の子達は打連。毎日御墓へ御参り有る。定て今日も御出候ハん間。夫に暫く御待有て御覧候へ 「何にても御用の事あらバ承ふずる 「心得申候 四十七 橋立龍神 〔間、ワキノ供ニテ出テ、太鼓座ニ居ル。脇、名乗過テ呼出ス。〕 「御前に候 「畏て候。やあ〳〵皆〳〵承候へ。今日ハ天灯龍燈の御祭りにて有間。弥里人迄も其清メ致され候へとの御事なれば。其分心得候へ〳〵〔ト云テ直ニ入ルナリ。但シ此アイシライ、自然入リナリ。大方ハ入ラス。〕〔中入、間鱗ナリ。尤来序。但シ是モ九世戸ノ間ニテ済。〕 四十七(八) 摂待 口明「か様に候者ハ。佐藤殿の御(ミ)内に仕へ申者にて候。扨も頼ミ申人の何と思召候やらん。山伏摂待を御企あり。高札を(ト)上られて候間。今日も山伏達の御通り候ハヽ。罷出留申さハやと存候〔脇正面ヲ向。〕 「扨も〳〵夥敷貝の闇かな。いか様山伏立の御着にて御座あらふずる。急て留申さふ〔太鼓座ニ居ス。〕〔次第、連山伏、ワキ弁慶、道行過て舞台ヨリ案内。間、一ノ松ニ立。〕 間「誰にて渡り候そ ワキシカ〳〵 間「先皆々御通候へ〔ト云、ワキ太鼓座ヘクツログ。間、正面ヲ向。〕 「急ぎ此由を申上うずる。〔幕ヘ向ヒ。〕如何に鶴若殿。山伏達の大勢御着にて候間。とう〳〵御出候へや〔子方出ルト下ニ居ス。〕 「御前に候 「参ン候拾二人御着にて候 「尤に候 〔子方ト入替リ、幕ヘ入ル。〕 右者明治七年九月十一日、金剛月並能之節、春藤六右衛門申合相勤申候。 又口明無之可様ニ茂。ワキ案内済テ様々詞有リ。判官腰掛ヨリ下リ、連山伏ト並居スト、ワキ地謡座前ニ居スト、子方幕ヨリ出。「いかに誰か有と云時、間太鼓座ヨリ出。「御前に候 子方シカ〳〵 「参ン候拾二人御着にて候 跡右同断。右者四月十七日於上杉侯催ノ節、進藤権之助ト申合相勤申候。  下野岩苔 四十九 満仲 〔初ニ満仲ノ供ニテ出ル。太鼓座ニ居ス。謡。〕 〔謡「我子を夢に成りにけり〳〵」ト云、シテ呼出シ、美丈丸送込。詞畢、シテ柱先ニテ。〕 「扨も〳〵哀な事かな。此度(コノタビ)の御不審と申し。仲光が計ひと云。武士(モノヽフ)の道の苦しさハ。君の御心に任せなば。同し主君の不忠也。又諫(イサメ)申せば御意を背く。仲光心に思ふ様。いかで三世の主君を手に掛申べき事。南方迷惑に存る所に。幸寿ハけなけ成る者なれバ。我首討て。主君の御目に掛られよと申されけれハ。尤とて太刀追取て。幸寿を手に掛られし事。扨々彼者の心中察し申せバ。我等迄もそゞろに落涙仕る。いや由なひ独言を申さす共。仰付られた幸寿の死骸を。人目に掛らぬうち急て取除申そふする。あら痛ハしの姿や。不便な事哉〔子方ノ死骸ヲイダキ、切戸ヨリ入ル。〕 右者明治九年六月四日、金剛月並能之節、唯一ト申合相勤申候。 岩苔 四十九(五十) 切兼曾我 〔シテ、子方、母、供出。地謡ノ前ニ居ス。狂言、後見座居ス。脇、幕ヨリ出、橋掛ニテ名乗。狂言トモニテ出。〕 「御前に候 「畏て候。如何に此内へ案内申候 「誰にて渡り候ぞ 「梶原源太景季の参られて候。其由御申有て給り候へ 「心得申候〔シテニ向ヒ。〕 「如何に申上候。梶原殿の御出にて候 「心得申候。此方へ御出あれとの御事にて候〔ト云、太鼓座ヘ居ス。〕「畏て候。其由申て候へば。こなたへ御出あれとの御事にて候〔切戸ヘ入ル。〕 〔「泣て留(トヾマ)る哀さよ〳〵」。〕中入〔シテ柱ノ先ニ立。〕「扨も〳〵しより止(シ)成事哉。去程に伊豆の国の住人。伊藤入道祐近が子に。河津ノ三郎祐重を。伊豆国赤沢山におゐて。奥野の狩りの帰るさに。如何成る遺恨(イコン)の有けるや。工藤祐経が空しく討し程に。其後家は二人の御子を連。当国曽我の家へ御縁組被成。朝夕ともに二人の御子をいたわり給ふ所。鎌倉殿の御申にハ。曽我太郎祐信ハ。君の御心安キ者に思召候処に。伊藤の孫一万箱王を。養ひ置たるよし聞召れ。成人の後頼朝か敵ともなるべき者と。希代の事を思召。梶原源太景季に。召連て参れとの御諚にて。唯今一萬箱王を。梶原殿の召連て参られて候事。誠に母御(ゴ)の御心中さつし申候。いや由無事を申て御供に遅なハれた。いそけ〳〵 後謡〔「太刀取も切兼て只さめ〳〵と泣ゐたり」ト、此謡切ぬ内ニ狂言、幕より出、文を持。〕 早打「やあ〳〵暫〳〵御鎮(シツマ)り候へ。御許状を給り。畠山殿の御使に参りたり。〔シテ柱ノ先迄出、ワキニ渡ス。〕是〳〵御覧候へ〔ト云、切戸ニ入ル。〕 五十一 元服曾我 〔能力、ワキノ供ニテ出、笛座ノ上ニ居ス。シテ十郞、ツレ団三郎、橋掛リニテ次第、道行過テ、ツレ案内乞フ。〕 〔能力立、舞台ヨリ答済、又元ノ座ヘ行居ス。扨サシ、曲過テ、ワキ切戸ヘ入ル。間、続キテ供シテ入也。又ワキ大口ノ時ハ十郞、箱王、暇乞謡済、ワキ、囃子座後ロヘクツログ。間モ同シク。ワキ橋懸リヘ立、呼出シ、間供シテ出。〕 「御前に候〔ワキ切戸ヘ入ル時ハ後脇幕ヨリ出呼出ス。間、太刀持供シテ出ル。〕 〔ワキ「祐成は何程行給ふへきぞ。〕 「さん候最早抜群〔ワキシカ〳〵〕 「畏て候。急て追付申さふずる。いや未是に御座候よ〔ト云、脇正面ヨリ、シテニ向下ニ居テ。〕 「いかに申候。別当の是迄参られて候 〔シテ「此方へ御入あれと申候へ。〕 「畏て候 〔橋懸ヘ行、ワキヘ向、下ニ居テ。〕「号〳〵御通りあれとの御事に候〔ト云、ワキト入変リ、供シテ、ワキ座ヘ行。太刀ヲワキノ右ノ方ヘ置キ、直ニ切戸ヘ入テモヨシ。〕 右者明治九子年八月廿七日、於金剛宅元服曽我、氏善七左衛門、相手組ニて勤候控。 岩苔 五十三 現在七面 「か様に候者ハ。甲州萩の井に住者にて候。去程に此身延山に尊キ上人の山居有りて。毎日懈らず法花経を御読誦成され候間。我らも日々に参詣いたし。高座近く御経を聴聞仕る。夫に付爰に不思儀成事ハ。何国共知らずなまめいたる女性の。怠らず来り御経を聴聞申候が。参詣の輩ハ皆々座を立候共。彼ノ女性ハ跡に残り。上人へ近寄御示しを受申。此女性の粧ひ人間とハ見へず。只天人の天下れるか。扨は天魔の人間と化。仏法に障礙をなさんと来れるか。如何様不思儀成る女にて有間。上人江不審を成し申さはやと存る。荒不思儀や。俄に雲の気色か替たるハ。山上より雷りの鳴下るとミへたよ。喃恐ろしや。南無妙法蓮華経。〳〵。〳〵。ハア。扨も〳〵おひたゞしい雷で有ツた。乍去大かた空も晴。いかづちも止ミ晴天に成たハ。思わず知らず御題目を唱へたれは。天も納受まし〳〵てやら。たちまち御利やくの有事じや。誠に愚成る申事なれ共。法花は是最第一。三世諸仏出世の本懐。衆生成仏の直(チヨク)道成程に。法華の行者をば諸天善神。専ラ擁護を加へ給ふと承る。左有に依ていか成悪鬼魔王も(成ト)。障礙を成し申事ハ成難し信心私無時は諸天感応有と申。近頃有難き事にて候。先急き山上江参らふと存る。いや独言を申内に山上江参り着た。いかに上人江申候。早々参り申ふずるを。不叶用事候て只今参詣仕りて候。扨お上人へ少と不審申度事の候 〔ワキ シカ〳〵〕「其事にて候。毎日御経御読誦の折柄。何国共なく女性壱人高座近来り御経を聴聞仕候が。此女の体を見申に。此国の人とハ見へず。雲の上人か扨は天魔の人間と化。上人に近付仏法に障礙をなし申ん為来れるか。上人ハ定而知し召れん間。此事を不審申せと聴衆之面々申候が。いか成人にて渡り候ぞ 「言語同断奇特成事承る物哉。七面の池に大蛇住由承り候へども。終に見申たる物なく候が。扨は最前の雷ハ七面の池の。大蛇の業にて有実候へバ。末世なれどもかゝる奇特成事も。尊き上人此所に山居有りて。妙成る御経を御読誦成され候間。誠に仏(ホ)在世の時。文殊の教化にてハ八歳の龍女に法(ノリ)を得て。生をも替へず即身成仏致たる例を以。上人の教を受成仏致し度存じ。七面の大蛇女と化顕れ出。御しめしを受たると存候。さ様に候て重而誠の姿ヲ顕し。申そふずる間。我らをはじめ里人の面々も暫く逗留申。彼大蛇の誠の姿を見申さふするにて候 「左有らバかたわらに忍び。姿を拝ミ申さふするる((ママ))にて候       鷺流        矢田文(印) 【解題】 法政大学能楽研究所鷺流狂言水野文庫蔵「鷺流間の本」(十七)  五冊  写本。袋綴。四つ目綴。茶色唐草模様布表紙(十三・〇×一八・八糎)。左肩墨流し模様題簽(九・一×二・四糎)に「脇能間 壱」「二番目 三番目間 弐」「雑間 参」「雑間 四」安志羅以間 五」と墨書。楮紙。紙数は第一冊一〇八丁、第二冊九八丁、第三冊一一五丁、第四冊墨付一一四丁・遊紙二丁、第五冊墨付一〇八丁・遊紙四丁。各冊第一丁に二段書きの目録あり。片面十一行。奥書は、第二冊と第四冊に「鷺流十一世 矢田文蕙(「狂言堂」角印)」、第五冊に「鷺流 矢田文蕙(「狂言堂」角印)」。矢田文蕙は宝生座付矢田清右衛門の甥で明治二十六年に没した鷺流狂言役者の矢田蕙斉か(『鷺流狂言型附遺形書』の解題参照)。漢字交じり平仮名書き。五冊とも本文は同筆。内題上の曲名番号・庵点・句点および振り仮名や訂正の一部は朱墨。内題下や本文中に演出注記が漢字片仮名混じりの割り注で記され、本文の右に型付けを傍記する箇所もある。シテの台詞を引用する場合は、漢字平仮名交じりの割り注で記す。  鷺流の間狂言本。明治期写。第一冊に「此語間は宝暦年中従田安右衛門督殿被仰付相始ル」(難波)、「宝生流間也。宝暦中ニ改」(右近)の注記があることから、宝暦以後の内容と思われる。また第五冊に「右者明治七年九月十一日、金剛月並能之節、春藤六右衛門申合相勤申候(中略)右者四月十七日於上杉侯催ノ節、進藤権之助ト申合相勤申候 下野岩苔」(摂待)、「右者明治九年六月四日金剛月次能之節唯一ト申合相勤申候 岩苔」(満仲)、「右者明治九子年八月二十七日、於金剛宅元服曽我氏善七左衛門相手組ニて勤候控 岩苔」(元服曽我)と明治の年記が三例見え、明治九年以後の書写と分かる。三例に名前の見える下野岩苔は、明治十三年六月十四日に観世清孝が記した『四流狂言名寄』(観世文庫蔵)によれば、「鷺流当時預リ」だった。記録はいずれも金剛流に関わるもので、江戸時代に金剛流を採用した米沢上杉家での催しも含まれる。鷺流と米沢金剛との結びつきについては鴻山文庫蔵『鷺流間狂言附』の解題で触れられている通りであるが、近世の庇護関係が明治期にも受け継がれたことを伝える記録として貴重である。  なお山本和加子氏「常磐松文庫蔵『鷺流狂言伝書〈間之記〉』十四冊・解題」(実践女子大学文芸資料研究所「年報」第十七号、平成十年三月)で報告されている間狂言本の異同一覧によれば、水野文庫蔵『鷺流間の本』は、実践女子大学常磐松文庫蔵『間之記』と九州大学蔵『間彙』に本文が一致または近似する曲が多く、能楽研究所蔵『鷺流狂言型附遺形書』にもやや近いという。一方で、鴻山文庫蔵『鷺流間狂言附』は一部が一致し、能楽研究所蔵『鷺流間狂言伝書』・同『鷺流能間』・檜書店蔵『鷺流狂言伝書・羅葛部』とは異なる本文を有しているようである。  曲目は左の通りで、上演機会の少ない稀曲や番外曲を含む点が注目される。所収曲数は、第一冊四十九曲、第二冊三十九曲、第三冊四十四曲、第四冊五十七曲、第五冊五十四曲、計二百四十三曲である(重複を含む)。 【脇能間 壱】高砂・老松・弓八幡・志賀・呉服・放生川・同鱗・養老・玉井・氷室・加茂・白髭・嵐山・江嶋・大社・和布刈・白楽天・竹生島・難波・西王母・寝覚・源大夫・道明寺・九世戸・絵馬・東方朔・輪蔵・右近・同語・岩船・雨月・金札・淡路・松尾・同語・逆鉾・御裳濯川・伏見・鵜祭・橘・浦島・代主・鼓滝・富士山・御裳濯語・同大蔵流・佐保山・難波田安殿好・右近宝生流。 【二番目 三番目間 弐】田村・八島・忠度・兼平・通盛・敦盛・頼政・知章・箙・実盛・朝長・巴・碇被・俊成忠度・軒端梅・芭蕉・采女・井筒・江口・定家・夕顔・半蔀・空蝉・野々宮・檜垣・伯母捨・仏原・藤・誓願寺・六浦・陀羅尼落葉・胡蝶・朝顔・松風・同短キ方・楊貴妃・祇王・二人祇王。 【雑間 参】雷電・車僧・同替・大会・是界・鞍馬天狗・同天狗・葛城天狗・飛雲・土蜘蛛・鵺・鵜飼・橋弁慶・同二人・現在鵺・熊坂・鍾馗・張良・藤渡・三山・同・求塚・当麻・須磨源氏・吉野天人・第六天・項羽・大瓶猩々・錦戸・同文使・同二人・夜討曽我・阿漕・野守・殺生石・天鼓・絃上。 【雑間 四】春日龍神・同脇・同乱序・鉢木・同供・芦刈・雲林院・遊行柳・三輪・龍田・女郎花・船橋・融・海人・梅枝・錦木・葛城・龍虎・同・松虫・忠信・大蛇・豊干・小塩・浮舟・玉葛・山姥・雲雀山・同・大仏供養・盛久・草薙・同語・愛宕空也・三笑・合浦・同鱗・小原御幸・住吉詣・鷺・双紙洗・砧・恋重荷・綾鼓・千引・常陸帯・弱法師・護法・鶏龍田・鳥追舟・室君・高野物狂・加茂物狂・籠祇王・関原与市・二人静。 【安志羅以間 五】鶴亀・皇帝・感陽宮・邯鄲・班女・吉野静・船弁慶・安宅・西行桜・三井寺・舎利・黒塚・藤栄・花月・百万・自然居士・東岸居士・富士太鼓・善知鳥・籠太鼓・藍染川・小督・放下僧・烏帽子折・春栄・鉄輪・唐船・正尊・葵上・蝉丸・七騎落・俊寛・巻絹・調伏曾我・小袖曾我・元服曾我・禅師曾我・土車・竹雪・国栖・檀風・大江山・摂待・木賊・行家・鐘引・水無瀬・橋立龍神・摂待・同・満中・切兼曾我・元服曾我・現在七面。 (小室有利子)